国境の陣幕にて:リュゲル視点
「はぁ~ッ、つまらん、こんな場所クソじゃクソ」
「会長、立場を弁えた発言をお願いする」
―――まったく呆れる。
さっきから厭いて怠けている赤竜もそうだが、より呆れているのは今のこの状況に対してだ。
件の武器商人が倒れ、その報はモルモフたちによって即刻国境へもたらされた。
だというのに兵達は撤収しようとしない。
なんでも命が下っていないとのことだ。
それはまあ分かる。
王家より直接派遣された軍が、勝手な判断で行動するわけにはいかないだろうからな。
国境から王都へは騎獣に乗って移動しても二か月はかかる距離だ、情報の遅滞だってあるだろう。
だが、報がもたらされて三日経つ。
人馬で移動に二か月かかる距離でも、連絡を取り合うだけなら数日程度で済む通信手段は幾つかある。
何ならその日の朝夕程度の時間での交信だって可能だ、そういった魔法道具は存在するからな。
「なのにいまだ撤退を命じんとは、ますますもって第二王子は使えんな、ざこざこざぁこじゃ、チッ!」
「会長、言葉を慎むよう先ほども伝えたが、君こそ使えないのではないか?」
「なんじゃと!」
こいつらのくだらないやり取りを見せられるのにもうんざりする。
「はあ、にしても何じゃな、こうしてダーリンとリュゲルが顔を見せに来てくれることだけが唯一の癒しじゃなぁ」
「俺達は慰安のために訪問していない」
「むう、なら我がしてもよいぞ、しゃぶろうか?」
俺が反応する前に、エレが赤竜に電撃を食らわす。
これでうるさいのは暫く黙るだろう。
「改めて状況を整理しておくとしよう」
「ああ、そうだな」
まだエレの方がましだ。
どのみち竜に変わりないが、まともに話せるだけ苛立つことが少ない。
「前提として、南方ベティアスでの騒動および前回代表選挙の候補者であったガナフ氏の失脚および怪死を受け、我らはその協力者として名の上がった奴隷商、更には繋がりのある貿易商、武器商人、如いては彼らを匿い共に甘い汁を啜っているだろう御三家一柱カナカ商会代表ノヴェルを怪しんでいた」
「ああ」
「そして君たちに三つの依頼を行った」
「奴隷商、貿易商、武器商人、いずれかおよび全員の捕縛に繋がる何かしらを掴むこと、処理場に発生したミゼデュースの駆除、それから銀行地下におわす竜との謁見だな」
「ふむ、全て果たして頂き感謝する、この謝礼は事が片付き次第お支払いしよう」
「金なんか今更どうだっていいさ、それよりお前たち」
「なんだ?」
「俺達の後ろ盾についてくれないか」
「ふふ、それは頼まれるまでもないよ、元よりそのつもりだ」
竜に好かれるなんてゾッとしないが、これで目的は達成できた。
顎に手をやり微笑むエレも、そんな俺の心中を見透かしているようだ。
「我らは最終的にノヴェルを退陣させられたらそれでいい、御三家は商業連合になくてはならない柱だ、一つでも欠ければこの国が傾きかねん」
「よく言う」
「事実だ、政府さえも介入できない我らの内へ踏み込めるのは外部の者だけ、故に君たちへの依頼は正しい判断だった、君たちはとてもよくやってくれた」
「それはどうも」
「しかし、君たちの働きはさておき、様々なことが起こり過ぎた、現在我々は火種を揉み消すのに必死だ、人の口には戸が立てられないからな」
大劇場での騒動、あれはミゼデュースの亜種が起こした事件として片付けられたそうだ。
レクナウの屋敷の崩壊は、邸宅の下に違法建築された地下空間があり、その耐久性が失われ起こった事故ということになった。
マキュラムの交易港での騒動もゴミの不法投棄を目論んだ船内から大量発生したミゼデュースの仕業とされ、グレマーニ邸は失火による全焼で報じられた。
俺達が摘発した違法な競売に関しては世間の話題にすら上がっていない。
「人手も金も幾らかかったことか、しかしその必要性はある、賠償はカナカにしてもらう」
「そういう理由でもノヴェルを捕まえたいってことか」
「ああ、十中八九傍に魔人が控えているだろうが」
確かにそうだな。
しかし気になっていることがある。
「エレ」
「なんだ」
「ノヴェルが魔人とどういった付き合いをしているのか不明だが、そもそも奴は相手を魔人と認識しているんだろうか」
「ふむ」
俺達はあの魔人、カルーサと何度か刃を交えた経験があるから、その正体も知っている。
だがノヴェルはどうだろう。
相手が魔人と分かっていて甘言に乗るだろうか。
そんな危険を冒すのか?
ここに至っても繋がりを匂わせるだけで尻尾を出さないような奴が、到底制御できないだろう魔人相手に取引するとは考えづらい。
「状況証拠ばかりでノヴェルが自ら何かをしたという話さえ聞かない、実際、計画の遂行には件の商人達や魔人を使っていただろう?」
「そうだな、その点に関しては私も訝しんでいる」
不意に「知る由もない」とロゼが口を開いた。
「どういう意味だ?」
「あの羽虫の本来の目的は別にある、故に、羽音に気を取られ血を啜られていると気付けなかったのさ」
「もう少し具体的に話してくれ」
「件の指輪だよ」
商人達が互いに裏切らないよう身につけていた呪いの魔法道具か?
「飼い犬に首輪をつけたのは主人さ、しかし犬の中に自らを取って食おうともくろむオオカミがいたことを主人は見抜けなかった」
「目的が異なる魔人の言葉に踊らされていたということか」
「だろうね、例え話だが、僕が君へ皿に乗ったケーキを差し出したとして、その目的は何であると君は見る?」
「それは、ケーキを俺にくれるってことか?」
「ふふ、実は僕は皿が欲しい、上のケーキはいらないから君にあげた、そういうことだよ」
なるほど。
だが、だとすれば魔人の目的は―――嫌な予感がする。
俺は前例を既にディシメアーで目撃している。
あれと同じ状況を目論んで魔人がノヴェルに力を貸していたとすれば。
「急ぐべきだな」
こちらの心中を読んだようにエレが呟く。
「だが、ご覧の通りの状況で我々は国境から動けない、また君たちを頼りにすることになる」
「これ以上犠牲を増やさないためだ、やむを得ない」
「君の優しさに感謝しよう、この一件が片付いた後は、商業連合は君たち兄妹への支援を惜しまないと約束する」
「言質を取ったぞ」
「どうぞ、御三家一柱として口にした言葉を違えたりはしないよ」
これで―――やっと、前提が整ったというわけか。
正直に言えば気が重い。
だが感傷に浸っている暇もない。
これまで長い旅路だった、あと少し。
いずれ訪れるものが何であれ、俺は必ず約束を果たす。
「しかし、やはりこの軍は第二王子が独断で派遣したものなんだな」
「違いない」
話を切り替える俺に、エレが頷く。
王家より勅令を受けたという割に、進軍を命じた文書には大臣の捺印しかなく、規模は数十人程度で馬さえ連れていない。
無用に大規模な軍で赴き侵略行為と疑われるのを防いだのかもしれないが、だとすれば目的を達成できなくなった地点で早々に撤収するべきだ。
現に、軍を指揮する指揮官も話を詰めると回答が歯切れの悪いものに変わっていた。
彼らも正確にはこの進軍の目的を把握していないようだ。
「王家が管理する転移装置すら利用できなかったのだろう、その地点で完全にクロだ」
エルグラート国内の要所に設置されている陣のことだな。
区間を点で繋ぐことにより素早く兵を動員できる。
国防の要であり、使用するためには正式な認可が必要だ。
「まさか理由を語るわけにはいかなかったのだろう」
「それで隠し持っていた『ラタミルの羽根』を使ったというわけか」
「保身のための進軍だな、いまだ引かないのはその可能性が完全に消えたわけではないからだ」
「つまり、ノヴェルが見つかるまでの時間稼ぎをしているのか?」
「恐らくは、必要とあらば全て足切りするつもりなのだろう、この軍もその備えの捨て石だ」
目的のため、本人たちには告げず命を捨てさせるつもりがあるということか。
セレスの話と合わせて、件の王子の程が透けて見えるようだ。
「詰めが甘く、我らを見下している、やはり末の王子の方がよほどマシなようだ」
「失礼な言い方をするな」
「おっと、これはすまない、末は有能だと改めて謝罪しよう」
セレスはそれだけ苦労してきた。
認められるために、誰より王家の者たらんと努力を重ねて、今の立派な王子に成長したんだ。
「うぐぐぅ、い、今のはかなり効いたぞ、エレぇ」
電撃で意識を飛ばしていた赤竜が目を覚ましてしまった。
俺達がここを去るまで失神していて欲しかったんだが。
「なんじゃなんじゃッ! 主とてリュゲルをペロペロしたいとぉッ、ちょッ、やめぃ! 雷はもういい! これ見よがしにバチバチさせるでない!」
掲げた片手の帯電をエレは解こうとしない。
頭を抱えて縮こまる赤竜に呆れて溜息を吐き、席を立つ。
「行かれるのか?」
気付いて尋ねてきたエレを一瞥して、先に歩きだしたロゼと陣幕を出ようとした。
そこへ―――モルモフが転がり込んでくる。
「たっ大変プイ! エレ様、ラーヴァ様、大変ですプイ!」
「どうした?」
「何じゃあ」
「お、襲われましたプイ、本社がミゼデュースに襲われてますプイ!」
竜たちの顔色が変わる。
エレがモルモフから報告を受ける間、俺達も黙って話を聞く。
「ふん、なるほど、バイスーの本社も襲われておるか、いい気味じゃの」
「隣家まで焼けたからといって自宅の焼失を免れるわけではない」
「分かっておるわ! おのれ、確実にあの小僧の仕業じゃな、破れかぶれで自棄を起こしよったか」
「会長、こちらは私に預けるといい」
「そうさせてもらうぞ、我は本社へ向かう!」
振り返って、赤竜は俺達を呼ぶ。
「すまんがついてきてたもれ、動きがあったということは、そこから彼奴等の居場所を突き止められるということじゃ」
「そうだな、いいだろう」
「は、初めて素直に我の頼みを聞いてくれたの?」
「本社はどこにある」
おふざけに付き合っている暇はない。
赤竜は心なし萎れつつ「こっちじゃよ」と陣幕を出ていく。
モルモフに、ハル達にこの事を伝えるよう伝言を頼み、俺とロゼもその後を追った。
これ以上の勝手は許さない。
カナカ会長ノヴェル、重ねた罪を償う時だ。




