真昼の月:リュゲル視点
「あら」
羊の姿になったモコの背に乗り、探し始めて間もなくメルを見つけた。
「見つかっちゃったわね」
竜の屋敷から割と離れた小高い山の峰。
こんな場所へは翼でも持たない限り簡単に来ることはできないだろう。
「ここにいたのか」
「める!」
「うふふ、そういえばモコちゃんは『天眼』を持っていたわね、それじゃ、逃げも隠れはできないわね」
冗談めかして笑う彼女の傍へ降りる。
普段とあまり変わらないが、どことなく寂しげな雰囲気だ。
モコがポンッとヒトの姿に変わった。
「どうしたんだ」
「なぁに?」
「カイが、ルルも、君を気にしていた」
カイのあの強い言葉は本音の裏返しだ。
きっとルルが罪悪感に駆られて身を引いたことに憤ったんだろう。
何を今更、と。
「そう」
メルはふっと遠くを見つめる。
視線の先には竜の屋敷がある。
「ここから見えるんだな」
「ええ」
「ずっと眺めていたのか」
「そうね」
彼女にどんな言葉をかけるべきか。
きっと本当に欲しい言葉を持っているのはカイだけだ。
しかし二人の間には、今、改めて距離ができてしまっている。
―――互いに思い合うばかりに。
「君はこれからどうするつもりだ?」
メルは「そうねえ」と目を細くした。
「ルルも取り戻せたことだし、どうしようかしら、本当はあの子たちにもっと償いたいのだけど」
「そんなことを彼らは望まないと思うが」
「そうなのよねえ、私は取り返しがつかないことをしてしまったのに、あの子たちにしてあげられることが何もないの」
俯くメルを、モコが「める」と気遣わしげに見上げる。
メルは微笑んで、モコの頭を撫でた。
「あなた達にも心配かけちゃったわね、ごめんなさいね」
「いや」
「駄目ねぇ、私って」
呟いたメルはゆっくり空を仰ぐ。
「この世界をもっと知りたくて、いつも自由に羽ばたいていたわ、そうしたら魔物に襲われて、傷を負って、あの子たちに助けられた」
だけど、と、声と表情が翳る。
「そのせいで、私に関わったばかりにあの子たちは長く苦しみ続けることになった、私のせいよ、どれだけ取り繕ったって事実は変わらないの」
それは違う、と安易に告げられるような立場じゃない。
俺が彼女と彼らの気持ちを勝手に推し量って口を挟んでいい訳がない。
メルの苦しみを、後悔を、そんな言葉で取り除けはしない。
「だから合わせる顔がない、どうすればいいか分からない、ルルが戻って嬉しいけれど、きっと私は喜んじゃいけないんだわ」
「それは」
「謝って済むわけがない、償うことさえできないの、どうすればいいの、本当に、どうすればいいのかしらね、分からないわ、ダメねぇ私」
すっかり俯いてしまった彼女を見つめる。
こんな時、気の利いた言葉の一つも出てこない自分が歯がゆい。
「ねえ、める」
不意にモコがメルの服の裾を軽く引く。
「かいとるるに、どうしていわないの?」
「言えないわ、迷惑になる」
「どうして?」
「私の勝手な気持ちを押し付けることになるからよ」
「ちがうよ」
え、とメルが呟いた。
「そういうの、かって、じゃないよ、ぼくしってる」
「モコちゃん」
「るるは、かいとめる、だいすきでしょ?」
「ええ」
「ぼくもね、はるすき、りゅーも、ししょーも、せれすもすきだよ、かいもるるも、めるも、だいすき!」
「有難う」と微笑んでメルはまたモコの頭を撫でる。
モコはくすぐったそうに笑う。
「だいすきはね、いっていいんだよ」
「そうね」
「めるのしんぱいは、だいすきでしょ?」
「えっ」
「でもね、しんぱいでもだいすきなら、いっていいんだよ、だいじょぶだよ」
「でも、それは」
「かいもね、るるもね、めるすきだよ」
じっと見つめるメルに、モコは話し続ける。
「はるもぼくすきだよ、だからぼくがすきっていうと、はる、うれしいよ」
「ええ」
「かいとるるも、めるにすきっていわれたら、うれしいよ、すきだから、すきっていわれると、うれしいんだよ」
「そうなのかしら」
メルはまた俯く。
「だけど私は二人を苦しめる原因を作ったのよ、許されていい訳がないわ」
「ゆるさないのは、めるのかって?」
「えっ」
「めるは、かいとるるが、めるをゆるすのも、ゆるさないの?」
「そんな、まさか、でも」
「わかんないでしょ、いわないと、なんにもわかんないんだよ」
その通りだ。
―――そして恐らくモコがこんなことを言うのは、ハルの影響だろう。
あいつもそういう所がある。
伝えるべきはしっかり伝える、母さんの教育方針だ。俺もよく言い聞かせられた。
もっとも、俺はあまり倣えていないが。
「モコちゃん」
「いこ、める!」
モコは翼を広げて、笑顔でメルへ手を差しだす。
「ひとりはだめだよ、みんな、めるをまってるよ」
陽の光を受けて白く輝く翼が眩しい。
雲のように柔らかな白銀の髪と、澄んだ青空色の瞳。
今のモコの姿はまさしくラタミルだ。
「ぼくもひとりはやだ、はるといっしょがいい!」
「そう、ね」
「めるも、かいとるるといっしょがいいでしょ?」
「ええ」
メルの声が微かに震える。
指で目元を拭い、振り返ると俺を見ながら照れ臭そうに笑う。
「探しに来てくれて有難う、私、何も分かっていなかったみたい」
「君の気持ちは分かる」
「貴方もモコちゃんも優しいわね、貴方たちと一緒だと、少しだけ自分を赦せそうな気がしてくるわ」
メルも翼を広げた。
モコやロゼの白い翼と異なる、夜が形を取ったような艶やかで美しい漆黒の翼だ。
その瞳は煌々と輝く月の光を宿している。
「戻りましょう、きっとカイは凄く怒ってるから、怖いけど謝らなくちゃ」
「ぼく、いっしょにいく?」
「いいえ、これは私がしなければならないこと、気持ちを伝えて、二人の気持ちも聞かせてもらう」
「それから君はどうするんだ?」
改めて尋ねると、メルはパチンとウィンクをした。
「勿論、二人がディシメアーの海へ戻るまでついていくわよ、空を飛んでね」
「その後は?」
「さあ、どうしようかしら、その時にまた考えようかしらね」
そうか。
今のメルなら後悔が残る選択はしないだろう。
モコがまたポンッと羊の姿に変わる。
「りゅーのって! めるみつけたから、かえろ!」
「ああ」
「めるもいっしょ、いこ!」
「ええ」
モコの背中に跨ると、空へふわりと舞い上がった。
メルも優美に羽ばたいてついてくる。
やはりラタミルは美しいな。
翼もつ空の神の眷属、彼らは常に自由だ。
「そうだ、ねえリュー、ハルちゃんたちの具合はどうなの?」
「問題ないよ、休んで回復したようだ」
「そう、よかった」
屋敷に戻る道すがら、カイが連れ攫われた時のことを聞いて、俺からも美術館での一件をメルに伝えた。
それとセレスから聞いたライブ会場でのこと、レクナウの屋敷で起きた出来事も。
「やはり、魔人が絡んでいるのね」
「ああ」
「その話から推察するに、商人達は恐らく何かを仕込まれているでしょうね、きっとカナカの会長も」
「そうだな、彼らはもう助からない」
「哀れね」
「同感だ、周囲へ被害を及ぼす前に引導を渡さなければ」
「私に手伝えることがあれば言って、協力するわ」
「助かる」
「ううん」
メルは首を振って笑う。
「助けられたのは私よ、リュゲル、モコちゃん、本当に有難う、貴方たちにも恩返しさせて頂戴」
「無用だと言っても君の気が収まらないだろうからな、好きにしてくれていいよ」
「ぼくも! ありがとーめる」
「よかった、それじゃ好きにさせてもらうわね、それと自己嫌悪ももうやめるわ、独りよがりだもの」
吹っ切れた様子のメルは黒い翼を力強く羽ばたかせる。
「さあ、きっとここからが正念場よね、一緒に頑張らせてもらうわ」
「よろしく頼む」
「ええ!」
気付けば竜の屋敷はもうすぐそこだ。
―――ルルが戻って、カイとメルの間にわだかまっていた状況や感情は恐らく解消されるだろう。
姉弟を名乗っていた二人は、今は本当に家族のように見える。
俺もよかったと思うよ。
残るは、騒動の後始末。
獣人特区から始まって、多くの人々を苦しめた『粉』に関わる商人たち。
ペッグ、グレマーニ、そしてノヴェル。
暗躍する魔人たちにも油断はならない。
いよいよ大詰めだ、片をつけてやる。




