ハーヴィーの兄妹
サクヤ達のいる部屋を出て、今度はルルとカイがいる部屋へ向かう。
二人のことも心配だからね。
それに、やっと再会できたサクヤ達は、トキワと話したいことがいっぱいあるだろう。
その邪魔になったらいけない。
気にしなくていいって言ってくれたけれど、やっぱり水入らずに過ごして欲しいから。
アキツに伝わっているエルグラートの建国譚は、また今度教えてもらおう。
『海を越えて内容が変化したんじゃないか』ってリューが考察していた。私もそんな気がする。
アキツから伝わっている物語だって、永遠の幸せが約束された夢幻郷とか、竜の魂を食べた魔術師とか、創作めいた話が多いからなあ。
でも、『厄災』って言葉が何故かやけに引っかかっている。
エノア様から種子を賜った意味。
これまで名前を付けた竜たちも、エノア様と交わした約束は二つあると言っていた。
一つめは、私に種子を託すこと。
もう一つは、具体的な内容を聞いたことはない。
それは何だろう。
不安だな、つい怖い方へ考えが向かう。
きっと昨日のことがまだ尾を引いているんだ。
ベルテナ、レクナウの屋敷で見たもの、起きたこと、何もかもあまりにも酷かったから。
―――ルル、カイも、少しは元気になっているかな。
ルルたちが休んでいる部屋まで来た。
脇に控えていたモルモフが「お話伺っておりますプイ、ですが長居はご遠慮願いますプイ」って扉を開けてくれる。
分かったよ、まだ無理はさせられないからね。
「入るよ、カイ?」
そっと中を窺う。
こっちを見ていた海色の瞳と目が合った。
「ハル、それにお前らも」
「具合はどう? 入っても平気かな?」
「構わねえ、その辺好きに座れ」
ルルはベッドの上だ。
眠っているのかな、顔色はそんなに悪く見えないけれど。
「ねえ、カイも横になっていなくていいの?」
「まあな、それなりに調子は戻ってる、流石にまだ全快とは言えねえが」
「そう」
あの強力な術『サイレンコール』を唱えた影響は大丈夫なんだろうか。
オルト様の承認を得て行使するハーヴィーの切り札。
かなり負担がかかっただろう、心配だな。
傍へ行って様子を窺うと、カイが戸惑った様子で「なんだよ」って訊いてくる。
「無理してないよね?」
「おう」
「我慢もしてない?」
「してねえ、心配すんな」
「するよ、だってカイ、昨日の」
全部言う前に、気付いた様子で「聞いたのか?」って訊かれた。
サイレンコールのことだよね。
「うん」
カイはため息を吐く。
「だったら余計に勘ぐるんじゃねえ、それだけの状況だったってだけのことだ」
「うん、だから有難う」
「俺とルルが助かるためにやったことだ、変に恩に着るんじゃねえ」
「お礼くらいは言わせてよ」
「勝手にしろ」
やっぱり優しいね。
不意に後ろから手を引っぱられた、セレス?
どうしたんだろう。
長椅子まで連れていかれて、よく分からないまま一緒に座った。
「どうしたの?」
「いや、その」
視線をどこかへ向ける。
そっちには兄さん達がいて、リューが苦笑していた。
隣のロゼは、あれ、ちょっと不機嫌?
さっきのカイの態度が気に入らなかったのかな、それでセレスも気にしてくれたのかも。もう、兄さんは。
「ん、だぁれ?」
あ、ルルが起きた!
ゆっくり瞬きした瞳はサンゴ色、髪と同じ色だ。
ルルは、ちょっとびっくりするくらい可愛い。
サクヤと同じくらい可愛いかも、つい見惚れそうになるよ。
「起きたか」
「お兄ちゃん、お客さん?」
「ああ、昨日会ってる、憶えてるか?」
じっとこっちを見て、不意に「あ、ハルさん」って微笑んだ。
わぁ、可愛い。
「それから、ええと、綺麗な女の人、あれ? 男の人?」
「あ、いや、その」
「アイツはアサフィロスだ」
「え、それじゃ、エルグラートの王族?」
「知っているのか」
セレスが驚いてる。
それを見てカイが「当たり前だ」って呆れた顔をした。
「お前らに興味はないが、お前らのことは知識として知っている、大抵のハーヴィーはそうだ、身を守るためにな」
「お兄ちゃん、そんな言い方するの失礼だよ」
カイを指でチョンチョンと突いて、ルルはベッドの中で居住まいを正すと、頭を下げる。
「あの、改めて初めまして、カイお兄ちゃんの妹のルルです、昨日は助けてもらって本当に有難うございました」
「ううん、こちらこそ」
「はい、皆さんのおかげです、それに」
控えめにモコとロゼを見たルルは、だけどすぐ視線を逸らす。
「まさか、ラタミルに助けられるなんて、ビックリです、皆さんもヒトなのに」
「こいつらは変わり者なんだ」
カイの言葉に「もう、だから失礼だよ」ってルルはまた指でチョンチョンと突く。
仲がいいんだね、微笑ましいよ。
「あの、お兄ちゃんのことも有難うございます」
「勝手に礼を言うな」
「ふふ、それもこちらこそだよ、有難う、カイ、ルル」
「えへへ」
「おいハル、お前まで」
はにかんだルルは、不意にシーツをぎゅっと握りしめて俯いた。
「あの場所で、ううん、あの中へ入れられるまでも、たくさん怖い思いをしました」
カイがルルの背中に手を添える。
昨日見た光景が頭に蘇ってきた。
―――水を一度も換えていない水槽で、ボロボロになって、怯えてうずくまっていたルルの姿。
カイも囚われて放り込まれた。
確かに見た目は綺麗な水だったけれど、きっとハーヴィーには耐えられない環境だったと思う。
何より、多分何度も血を取られて、肉までえぐられた、そのことを考えると怖くて、許せなくて、体が震える。
「絶対にお兄ちゃんが助けに来てくれるって信じていたけれど、でも、同じくらいもうダメかもって、何度も思って」
「ルル」
「だけどやっぱり来てくれたね、お兄ちゃん、それに友達もこんなにたくさん」
「こいつらは別に友達じゃねえ」
ルルはクスクス笑って、私達の方へ話しかけてくる。
「お兄ちゃん、ヒトも、ラタミルも、その、あんまり好きじゃなかったんです、だけど皆さんのことは好きみたい」
「こら!」
「私もお兄ちゃんが好きなら、皆さんのこと、信じられるって思います」
「おいルルッ」
セレスが「お前も妹さんの前だと形無しなんだなあ」って呟く。
それを聞いてカイは「あぁ?」って声を上げてセレスを睨んだ。
「ンなことより様子を見に来たってんならもう用は済んだだろ、鬱陶しいから出ていけ」
「お兄ちゃん、そんな言い方しちゃダメだよ」
「ハハッ、照れるなよカイ、それに私達はルルちゃんの具合を窺いに来たんだ、お前はついでだ」
「あ? お前、俺の妹にまで手を出そうってのか!」
「なんでそうなる、確かにルルちゃんは可愛いが」
「上等だ表出ろコラ」
いきなり険悪な二人の間に「こら、こら」ってリューが割って入る。
どうして?
すぐ喧嘩になるんだから。
「それよりもカイ、君と妹さんは暫くここで養生すべきだと思うんだが」
「ああ、そうさせてもらうぜ、竜の世話になるなんて最悪だが、仕方ない」
「そこは同情するよ」
リューは改めてルルに自己紹介をして、私達のことも紹介してくれる。
そしてカイに「これからどうするんだ?」と訊いた。
「どうもこうも、俺の目的は果たせた、妹が動けるようになったらさっさと帰るぜ」
「ディシメアーの海へか?」
「そうだ、サロキンに釘を刺されてんだ、ルルを見つけたら必ず戻れって」
「サロキンお兄ちゃん?」
あの水色の髪の、ハーヴィーの男の人だよね。
カイとルルの親代わりって言っていた。
尋ねたルルに、カイは頷き返す。
「そうだ」
「そっか、サロキンお兄ちゃんにもいっぱい心配かけちゃったよね、謝らないと」
「バカ、いいんだよ、お前が無事に戻るだけで十分だ」
「お兄ちゃん、元気にしてる?」
「ウザいくらいだったぜ」
「ふふ、そっか」
二人が戻ったら、きっとサロキンも喜ぶだろう。
「ねえかい、ぼく、るるとかいのせて、でぃしめあーまでとぶ?」
モコが訊くと、カイは「勘弁しろ」って顔を顰めた。
「お前はメルよりマシだが、俺達はそもそも空が合わねえんだ、泳いで帰る」
「そういえばメルさんの姿が見当たらないんだが、どちらへ行かれたんだ?」
セレスが辺りを見回す。
私もさっきから気になっていたんだ、席を外しているのかな。
「メルならどっかへ行った、合わせる顔がないなんて言ってな」
「は?」
「あの薄情者、用が済んだからってトンズラかよ、やっぱりラタミルは信用ならねえ」
「おいカイ、そんな言い方はないだろう」
「やめてよお兄ちゃん、意地悪言わないで」
カイの今の言葉はきっと本音じゃない。
だけど、メルはどこへ行ったんだろう。
心配だな。
「薄情者はお前の方だ」
セレスがカイに言う。
「あ?」
「あれだけ世話になっておいて、よくもそんなことが言えたな」
「頼んでねえ、勝手についてきただけだ」
「それでもお前の妹さんのために必死だっただろう、彼女がいたから助けられた場面だってたくさんあったはずだ」
「ンなもんねぇよ」
「嘘を吐くな! お前だって彼女をあてにしたことがあるだろう!」
「そりゃ便利だからな、使えるモンは使うさ」
「ッツ! 人を道具のようにッ」
「おいおい、メルはヒトじゃねえ、ラタミルだぜ?」
「いちいち上げ足を取るな!」
見かねた様子でリューがまた仲裁しようとするけど、その前にカイが声を上げる。
「大体なぁ、アイツのせいでルルは酷い目に遭ったんだ、それで俺についてきて、ルルが助かった途端にいなくなりやがった、ふざけんなよ畜生ッ」
「おいカイ!」
「結局てめえのためだったのさ、俺達のことなんざ端からどうだってよかったんだろうぜ、単にてめえの後ろめたさを解消したかっただけの自己満足だ」
「なんて言い方をするんだ、お前、本気か!」
「ああ本気だぜ、ラタミルはどいつも自分のことしか考えねえんだ、そういう奴らだからな、はッ、まったく御大層なもんだぜ」
「カイ!」
「もうやめろ、二人とも声が大きい」
リューに言われて、セレスとカイはハッとした様子で黙り込む。
「カイ、メルの行き先に心当たりは?」
「ないね」
「そうか」
「ぼく、さがせるよ」
モコが言う。
そうか、モコは『天眼』を持っていたね。
「それなら俺がモコと一緒に探してこよう」
「いい、やめろ、その必要はない」
「俺が勝手にするだけだ、よし、行こうか、モコ」
「うん!」
リューがモコと一緒に部屋を出ていく。
出がけに「二人とも、これ以上は喧嘩するなよ」ってセレスとカイに釘を刺していった。
ロゼも出ていく。
私とセレス、カイとルルだけが部屋に残る。
「ったく、お節介が」
呟いたカイに「お兄ちゃん」ってルルが声を掛ける。
「メル、ここを出ていく時、なんだか悲しそうだったよ」
「知るかよ」
「だけど私も寂しいよ、せっかくまた会えたのに」
「元はあいつのせいだろ」
「お兄ちゃん、本当に今もそう思ってるの?」
黙って俯くカイを見ていられなくて、傍へ行く。
気付いて顔を上げた海色の瞳と目が合う。
「カイ」
「なんだよ、お前も俺に説教か?」
違うよ。
しゃがんでカイの手を取る。
「なにしてる」
「ねえカイ」
「なんだよ」
「カイは分かってるのに、時々そうやって嘘を吐くよね」
知ってるよ。
きっとそうして色々な気持ちを我慢しているんだよね。
「ねえ、リュー兄さんとモコがメルを連れてきてくれるよ」
「どうだっていい」
「ふふ、大丈夫だよ」
「関係ないって言ってるだろ」
「カイ、元気を出して」
「うるせえよ」
手を離して立ち上がる。
それからベッドに横になっているルルを窺う。
「改めて、初めましてだね、会えて嬉しいよ」
「はい、私もです、ハルさん」
「ハルルーフェだよ、ハルって呼んで」
「はい」
「私もルルって呼んでいいかな」
「勿論です」
「よかった」
今度はルルへ手を差し出す。
「カイとはね、友達なんだ」
「はい」
「私、ルルとも友達になりたいんだ、なってくれるかな」
「はい! 喜んで」
ルルが手をギュッと握り返してくれた。
柔らかくて暖かな手だ。
「えへへ、あ、あのね、さっきカイと喧嘩してたセレスもすごくいい子だよ」
「ふふ、昨日助けてくれたヒトですね、格好良かったです」
「あ?」
「えっ」
カイとセレスが反応する。
分かるよ、戦ってる時のセレスって凄く格好いいよね。
「うん、でもカイも格好良かった」
「えッ!?」
「はい、お兄ちゃんはいつでも格好いいです」
今度はセレスだけ反応して、カイは黙った。
もしかして照れてる?
ルルに褒められて嬉しかったのかも。
「あの、私、セレスさんともお友達になりたいです」
「勿論さ、敬語なんか使わなくていい、呼び捨てにしてくれて構わないよ、ルルちゃん」
長椅子に掛けたまま返事をするセレスに、ルルは嬉しそうに頷き返した。
「ハル、セレス、改めて有難う、助けてくれたこと、忘れないです」
「気にしなくていいよ、私もセレスもずっと君に会いたかったから、こうして話せてすごく嬉しいんだ」
「はい」
不意にカイが小さく息を吐く。
今の雰囲気に少し困ってるみたいだ、ふふ。
「ハルちゃん、そろそろお暇しようか」
セレスに声を掛けられる。
「カイはともかく、ルルちゃんにはまだ静養が必要だ、また後で顔を見に来よう」
「おい、俺はともかくって何だ」
「お前なんか放っておいたって構わないだろ」
「構えよ、なんかじゃねえだろ、気遣え、俺は命の恩人だぞ」
喧嘩するなってリューに言われたでしょ。
仕方ないなあ、もう。
「カイ、また会いに来るね」
振り返ったカイは私をじっと見てから、視線を外す。
ルルにも「また来るね」と言って、長椅子から立ち上がったセレスの方へ行く。
「ハル、セレス、また会いに来てね、お話ししよう」
「うん!」
「お大事に、じゃあまた」
セレスと一緒に部屋を出る。
二人とも、調子はまだ戻っていなくても、元気そうで本当によかった。




