雨上がりの空に
「ハル!」
見下ろすと大きな屋敷がある。
その庭らしい場所に大きな穴が開いていて、傍でリューが手を振っていた。
メルも一緒だ。
私達を外へ運んでくれたロゼとモコは、二人のところへゆっくり降りていく。
「無事だな?」
「はい」
ロゼの脚から先に飛び降りたセレスが答える。
「ですが、ハルちゃんとサクヤちゃん、それに、カイの妹は」
地面に蹄を付けたモコへメルが駆け寄る。
「カイ! それに、ああッ、ああッ!」
「メル」
カイはモコの背中から降りて一瞬ふらつくけれど、ルルを大切そうに抱えて下ろした。
ぐったりと目を閉じて動かないルルを見詰めながら小さく息を吐く。
「やっぱり空なんかろくでもねえな、だがまあ、お前に乗って飛ぶのはかなりマシだ」
「だいじょぶ?」
「まあな」
心配するモコをポンポンと叩いて、カイはメルの方を向く。
「取り返したぞ」
「ええ」
「なに泣いてんだ」
「ごめんなさい」
メルは両手で何度も目元を拭っている。
私も胸の奥が熱くなって、いつの間にか涙が溢れていた。
「カイ」
リューがカイに声を掛ける。
傍へ行って、腕の中のルルを覗き込んでから「よかったな」と笑う。
「竜の屋敷で受け入れ態勢を整えている、あと少しだけモコに乗れるか?」
「仕方ねえ、陸じゃ飛ぶのが一番早いからな」
「ルルは持ちそうか?」
「傷はハルに癒してもらった、俺が魔力を移しているからどうにか、まあ、楽観はできねえが」
「そうか、負担を強いて心苦しいが、あと少しだけ堪えてくれ」
今度はモコに「頼めるか?」って訊く。
モコはリューに「うん!」と答えて、カイにまたルルと一緒に背中へ乗るよう言う。
「ハル?」
ダメだ、もう、限界。
目を閉じてロゼに凭れる。
サクヤもさっきからトキワの鈴を抱えて俯いたまま一言も話さない。
「リュゲル、ハルとこちらのツクモノは限界だ、急ぎ休ませなければ」
「お前は二人をそのまま竜の屋敷まで運んでくれ」
「了解した」
頭がぼんやりする。
ふと背中をトントンと叩かれて「眠るといい」ってロゼの声が聞こえた。
うん、そうする。
兄さん、あとは、お願い。
そこでスッと意識が途切れた。
――――――――――
―――――
―――
目を開くと薄暗い。
ここ、どこ?
モゾモゾ動いて視線を移すと、長椅子でうつらうつらしていたセレスが気付いて顔を上げた。
どこかの部屋で、私は今、柔らかなベッドの中だ。
「ハルちゃん、気が付いたのか」
「うん」
立ち上がって傍へ来たセレスは、ベッドの端に掛けて手を伸ばす。
私の髪を除けると、安心したように微笑んだ。
「まだ夜だ、もう暫く眠るといい」
「ルルは?」
「別室にいるよ、カイとメルも一緒だ」
「大丈夫なの?」
「勿論」
「それじゃ、サクヤは?」
「サクヤちゃんも無事だ、今頃はまだ眠っていると思う」
そうか、よかった。
ホッとした直後にキョウのことを思い出す。
「ねえ、セレス、それじゃキョウは? キョウのこと、どうなったか聞いた?」
「彼も無事だよ、リュゲルさんが治癒魔法で傷を癒して、その後、彼もここへ運び込まれたそうだ」
「ここって、もしかして」
「ああ」
セレスは苦笑する。
「因縁深い竜の屋敷だ、こうも世話になるとはな」
やっぱり。
何となくそんな気がしていた。
邸内に独特の魔力が漂っているから。
「今はどうしているの?」
「意識が戻って、会話できる程度まで回復している、サクヤちゃんも一緒の部屋にいるよ」
「よかった」
本当によかった、誰も取り返しのつかないことにならなくて、よかった。
セレスが髪を優しく撫でてくれる。
「今は休むといい、傍にいるから」
「うん」
「頑張ったな」
「そうだね」
その手を掴んでギュッと握る。
私たち全員で、あの酷い状況を乗り越えたんだ。
「セレス、有難う」
「こちらこそ」
「一緒だったから頑張れたんだ」
「ああ」
「これからも、傍にいて」
「うん、ずっと君の傍にいる」
目を閉じる。
なんだかまた眠くて、小さく欠伸をしたら、髪にセレスの吐息が触れたような気がした。
――――――――――
―――――
―――
たくさんのキラキラ輝く泡の中にいる。
目の前を大きな赤いヒレがふわっと通り過ぎた。
ルルだ!
カイも一緒だ。
二人は楽しそうに泡の中を泳ぐ。
少し離れて、その姿を見守るようにメルも泡の中を飛んでいく。
よかった。
カイ、メル、本当によかったね。
突然たくさんの泡が湧いて、辺りが薄暗くなった。
波の音がする。
何か大きなものが近づいてきた―――あれは、船?
中から数えきれないほどの歪な何かが這い出てくる。
ミゼデュースだ!
あんなに沢山、どうして、こっちへ襲い掛かってきた!
目を瞑ると、瞼の裏で赤色が躍る。
赤い、赤い、炎。
誰かの肖像画が掛けられている。
その手前で狂ったように笑い続けているのは、誰?
大勢倒れている。
何もかも赤い、どうして、また大勢死んでしまうの?
もう嫌なのに。
こんな光景は見たくないのに、どうして。
目の前を三日月型の刃が掠めた。
「ざァんねぇん!」
幾つも、幾つも、笑い声が。
「これにてお終い! アンタもボクも!」
おしまい?
「そ、ぜぇんぶ―――ご破算でさぁ」
ニヤニヤ笑いが告げてくる。
「アンタは中央へは行けませんよ、お嬢さん」
「どうして?」
「さて、どうしてでしょう?」
笑い声が渦を巻く。
怖いよ、助けて、誰か。
―――兄さん!
――――――――――
―――――
―――
「あっ」
目を開いた。
今のは、夢?
不意に風を感じる。
隣を見るとセレスが寝ていた。その向こうで窓辺にかかったカーテンが揺れている。
明るいな、もう昼なのか。
ずっと寝ていたんだ、まだ頭がぼんやりするよ。
そのまま何となくセレスの寝顔を眺めた。
いつも私よりずっと早起きだから、こうして寝顔を見られる機会は少ないんだよね。
「ん、んん」
あれ、もう起きたかな。
長いまつげが震えて、ゆっくり開いたすき間から澄んだオレンジ色の瞳が覗く。
「ハル?」
「うん、おはよ」
「おふぁよう、ふぁ、ふぁあぁあっ」
ふふ、大きなあくび。
目を擦ったセレスは、横になったままフニャッと笑う。
「顔色がよくなったな」
「うん」
「今日も可愛い」
「有難う、セレスも今日も美人だよ」
「ふふ」
私の髪を撫でて、起き上がったセレスはぐんっと伸びをした。
起きよう、私もたくさん寝たからすっかり元気だ。
だけど何となく体中が埃くさいから、後で湯を使わせてもらおう。
「支度してまず師匠とリュゲルさんのところへ伺おう」
「そうだね、兄さん達きっと心配してるよね」
「ああ、それに状況のすり合わせと今後について早急に話し合う必要がある」
「分かった」
昨日、レクナウが亡くなった。
ベルテナも酷い最期だった。
だけどこれで今の状況が全て片付いたわけじゃない。
気持ちを切り替えよう。
これ以上被害を増やすわけにはいかない。
竜からの依頼って理由だけじゃなく、もう誰も死なせないために、早くどうにかしないと。
身支度を整えていたら、兄さん達の方から様子を見に来てくれた。
「ハル! 僕の可愛いハルルーフェ!」
「ロゼ兄さん、うわっ」
いきなり抱きあげられて頬ずりされる。
もう、ロゼ兄さんは。
「具合はもういいようだね、どれ、僕にその愛らしい顔をよく見せておくれ」
「昨日は来てくれて有難う、ロゼ兄さん」
「なに、君が呼べばどこへでも参じるよ、今後も気軽に呼ぶといい」
「うん」
あの時は本当に助かった。
生き埋めにならずに済んだのはロゼとモコのおかげだ。
あれ、そういえばモコは?
「ねえロゼ兄さん、モコは」
「ここだ」
そう言ってリューが服のポケットを指す。
中から小鳥の姿のモコが「ピィ」と鳴いて顔を覗かせる。
「モコ、どうしたの?」
「ほらモコ、隠れていたって仕方ないだろ」
モコはリューのポケットからピョンと飛び出すと、人に姿を変えた。
「はるぅ」
「モコ」
「ごめんね」
「え?」
しょんぼりしているモコに「どうして?」って尋ねながら、ロゼに下ろしてもらう。
傍へ行って覗き込むと、空色の目が潤んでいる。
「ぼく、みえてたのに、はる、まもれなかった」
「私達が攫われるって知っていたの?」
「うん、みえてた、はるとせれす、かごにいれられるって、しってた」
そうだったのか。
モコが持っている『天眼』の力だよね。
「他のことは視えなかったの?」
「ごめんなさい」
「謝らなくていいよ、前にロゼ兄さんに言われたんでしょ、先のことは視えても軽々しく口にしてはいけないって」
だからモコは言えない。
本当は伝えたかったと思う、きっと怖かったよね。
俯いて鼻を啜るモコをギュッと抱きしめる。
「大丈夫だよ、私はちゃんと戻ってきたよ」
「うん」
「皆も無事なんだから、モコは落ち込まなくていいんだ」
「でも」
「モコが加護をくれたからだよ」
え、と顔を上げたモコの、フワフワの髪を撫でる。
「くれたでしょ、だから帰ってこられたよ」
「はる」
「皆のおかげだよ、モコが、皆が、私達を守ってくれたんだ、だから有難う」
「はるぅっ」
しがみ付いてくるモコをさっきよりもっとギューッと抱きしめた。
本当だよ。
皆が守ってくれたんだ。
それに私も守った、だからこうして無事に帰ってこられた。
「ぼくっ、ぼくねっ、もっと、もーっと、うつくし、なる!」
「うん」
「はるのことまもるよ、ぼくはるの! だからいっぱい! うつくし、なる!」
「それじゃ私も、もっと強くなるよ」
モコを不安にさせないくらい。
頑張るから。
だから、一緒に頑張ろうね、モコ。




