狂乱の宴 2:リュゲル視点
「ただいま」
出て行った時と同じように、展望台へ続くガラス戸から現れたロゼに「おかえり」と返す。
「二人の様子はどうだ?」
「緊張していたね、しかし問題ないだろう」
「そうか」
俺達の今日の予定は、実のところ確定していない。
競売の候補地は三か所、そのいずれかが本命で、残りの二つは恐らく囮だ。
商業連合随一と謳うオルムの諜報力をもってしてもこれなのだから、よほど用意周到か、それとも外部から何らかの協力を得ているか。
それは、例えば魔人。
竜と妖精が共にあたって見当のつけられない問題ならば、その可能性は大いにある。
「お前にも分からないなんてな」
「僕は『天眼』を失っているからね、君の役に立てずすまない」
「いや、気にしないでくれ」
悪いことを言ったか、俺も大概ロゼに頼り過ぎているな。
そういえばモコも『天眼』持ちだ。
さっきロゼが気になることを口にしていたし、訊いてみるか。
「モコ」
「なーに?」
「君には何が視えたんだ?」
モコは不意に黙り込み、「いえない」と首を振る。
「ぼく、みえたけど、いちばんかくりつのたかいかのーせい、だから、おしえられない」
「何故?」
「ししょーにいわれた、さきをかくていしかねないようそを、ふよういにくちにしてはならないって」
そういうことか。
改めてロゼへ視線を向けると、ロゼは「然り」と頷く。
「口に出してしまった言葉は取り消せない、そして、神の領域の力をもって人の領域を不用意に犯すことは許されざる暴挙だ、僕はそれをよしとしない」
「でもね、だいじょぶだよ、りゅー、はるとせれす、まもるよ」
「告げられないからといって、手を出さない道理はないからね、僕の可愛いハルに関わることなら尚更さ、お兄ちゃんとして見過ごすわけにはいかない」
「俺は」
それまで何も分からず、事が起きてしまうのを待つばかりなのか。
「そんな顔をするものではないよ、リュゲル」
「だいじょぶだよ、りゅー、いえるときは、ちゃんという!」
「ああ、有難う、モコ」
「あのね、えらぶのはりゅーだよ、ぼくはみえても、えらべない」
「え?」
「そういうものさ、そしてあくまでも可能性の話であり、確定した結末ではない、だから僕は君に選択肢を与える、選ぶのは君だ」
そういえば、ロゼはかつて『天眼』で視えた結果を変えようとして、手痛い代償を払う羽目になった。
視えても選べないとは、そういう意味かもしれない。
なかなか辛いものだな。
もどかしいという点では、先を視ることができない俺以上かもしれない。
「それなら、競売とライブの時間が被らないことを祈るばかりだ」
「如何なる状況であっても、僕はハルを優先するよ」
「俺だってそうしたいさ、だが競売には魔人が絡んでいる可能性がある」
「はる、ししょーとりゅーにみてほしいっていってた、すごくたのしみにしてる」
「分かってるよ、俺だって見たい」
確実に可愛いだろう、なにせ普段から可愛い俺の妹だ、そこは間違いない。
できれば会場で直接応援してやりたい。
だが最悪の可能性も覚悟しておくべきだ。
幸いにしてキョウが記録水晶に映像を撮ってくれるそうだから、それを母さんと一緒に観ることもできる。
だがそうなると、ハルのライブはエルグラートに着くまでお預けということになってしまう。
―――絶対に、何が何でも競売の件を片付けて、ハルのライブを見に行く。
「リュゲル、随分やる気のようだね」
「がんばろーね、りゅー」
「ああ、違法だか何だか知らないが、ろくでもない集まりは潰すに限る」
「ふふっ、それでこそ僕の可愛い弟だ」
三か所の候補地はそれぞれモルモフたちが見張っている。
動きがあれば連絡が入る手筈だ。
いつの間に潜り込んでいたのか、ポケットから黄色い小さなモルモフが「プイ!」と顔を出した。
「おはようございますプイ、朝食ごちそうさまプイ」
「なんだお前、さっきからいたのか?」
「プイ、いい匂いにつられて参上したプイ、あのしみしみの甘いパンがおいしかったプイ」
まったく、それにしても現れるまで気配に気付けなかった。
こいつは自分の用で動いているから、時々いなくなったり、また現れたりする。
きっちり仕事をこなすし、小さいが立派な諜報員だ。
「会場にまだ動きはないプイ」
「そうか」
「それと、お連れ様は外出したプイ」
「カイとメルが?」
「そうプイ」
二人とは後ほど劇場前で待ち合わせているが、こんな時間からどこへ?
やはり、気になって競売会場の様子を窺いに行ったのだろうか。
「今、お食事されてるプイ」
「ああ、外へ食べに出たのか」
労働者相手の早い食堂ならもう開いているだろう。
夕方まではお互い自由だ。
俺も少し楽に過ごすとするか。
お茶でも淹れるかと湯を沸かしていると、モコがサイリュームを手に持ち、ロゼに踊りを披露し始めた。
なんだあれは、見たことのない動きをしている。
サクヤの親衛隊、コノハナソルジャーが考案したものだろうか、斬新だな。珍しくてつい最後まで眺めてしまった。
「ふむ、その魔法道具を僕に見せろ」
「はいししょー」
「なるほど、仕組みは理解した」
モコから受け取ったサイリュームを少し観察しただけで、ロゼは構造を把握したようだ。
相変わらずだな。
「僕ならもっと性能のいいものを作ることができる」
「すごーい」
そう言ってさっさと出て行くロゼに、モコもついていく。
自作するつもりか?
開け放たれたままのガラス戸から展望台へ出てみるが、二人の姿はもうどこにも無い。
「やれやれ」
部屋に戻り、長椅子に掛けて淹れたてのお茶を飲む。
今朝のハル達もだが、モコも、ロゼも、随分浮足立っている。
当然俺もだ。
今日のライブをずっと楽しみにしていた、何が何でも観に行くぞ。
しかし、今朝ハルが見た夢。
話を聞いてからずっと胸がざわついて仕方ない。
あいつは何度も予知夢のようなものを見ている。
セレスも警戒していた、彼女が傍に付いているから安心だが、それでも油断はできない。
ハルルーフェ。
大切な俺の妹。
この一件が片付いたら、いよいよエルグラートへ向かうことになる。
母さんが待っているあの場所へ。
正直、不安だ。
だが泣き言など言っていられない。
それに約束した、何があろうと必ず守ると。
そのために全てを犠牲にする覚悟もある、このことは誰にも言っていないが。
それでも、俺は心配だよ、ハル。
お前が辛い思いをしないために、哀しませることのないように、どれだけのことができるのか。
大切なんだ、生まれたばかりの姿を見たあの日から、お前は俺のかけがえのない妹だから。
―――暫くしてロゼとモコが戻った。
抱えた荷物を寝室へ持ち込み、そのまま籠ってしまう。
あいつがモコを邪険にしないなんて珍しい、まあ、仲がいいのは何よりだ。
今となっては、モコは末の妹みたいなものだしな。
だがあの子とはエルグラートに着いたら別れることになるかもしれないのか。
ハルはきっと寂しがるだろう。
俺も少し寂しい。それでも、モコの選択を尊重したいと思う。
昼過ぎにカイとメルが部屋を訪ねてきた。
「よう」
「こんにちは」
中へ通して長椅子に座るよう勧め、お茶を淹れる。
その間に二人から競売所三か所の様子を見に行ってきたと報告を受けた。
やはりそうだったか。
「まだ動きはないようだ、さっさと始めりゃいいのに」
「あら、そういえばお方様と、それにモコちゃんの姿も見当たらないようだけど」
「そっちの寝室に籠ってんじゃねえのか、チビの気配がするぜ」
「ご一緒に?」
「そうなんだ、何かやっているようなんだが」
「へえ」
「珍しいわね」
カイとメルも珍しいと思うのか。
メルから中の様子を窺っていいか尋ねられて、構わないと答える。
特に見るなとも言われてないからな、それにモコがいいなら、ロゼはメルのことも気にしないだろう。
興味津々な様子でメルが寝室へ入っていく。
俺はカイと二人、卓を挟んで長椅子に掛ける。
「ライブは日暮れからだったか」
「ああ」
「妖精どもの見立てじゃ、その後で競売が開かれるだろうって話だが、怪しいもんだぜ」
「そうだな」
「だったらどうするんだ、お兄ちゃん?」
ニヤニヤと笑うカイの意図を汲み取り、溜息を吐く。
「できれば最後まで見届けたいんだが」
「まあ、被らないことを祈るしかないだろうぜ」
「ああ」
「あんたも災難だな」
「魔人さえ噛んでいなければ事は単純だった」
「そうだな、奴らの動きは分からねえ、砂漠でハルを襲った時だってそうだ」
俺が黙り込むと、カイは軽く鼻を鳴らす。
「そっちは心当たりがあるってわけか」
ある。
だが、まだ告げることはできない。
「一体いつになったら教えてやるんだ、そいつはハルが『パナーシア』を唱えられることと関わりのある話なんだろ?」
答えない俺に「だんまりかよ」とカイは呆れたように呟く。
「俺が言えた義理じゃないが、身内に隠し事なんてよくないぜ、当人に関わることなら尚更だ」
「分かっている」
「ま、あんたも色々と考えがあるんだろうが」
カイも俺と同じ、妹を想う兄だ。
「なあ、カイ」
「なんだ?」
「さっき、俺の兄が、ハルに加護を授けたんだ」
「は? だからなんだよ」
「俺に同じ真似は出来ないが、せめて言葉だけでも君へ贈ろうと思う」
思いがけないような表情を浮かべたカイは、ニヤリと笑って「へえ、言ってみな」とこちらへ身を乗り出してくる。
「今日、君の望みは必ず叶う」
はたとした様子で黙り込むカイの、海色の瞳を見つめ返す。
未明に行われるだろう競売で、きっとルルに繋がる情報が得られると俺は確信している。
カイもあと一歩だと手応えを掴んでいるだろう。
だからその想いを後押ししたい。
恐らくは俺だけだ、兄として、彼の気持ちを理解しているのは。
「はっ! ハハッ、アハハハハッ!」
急に笑い出したカイは、散々声を上げた後で目尻に滲んだ涙を拭う。
「はぁ、まさかヒトに励まされるなんて、まったく、いい度胸してやがる」
「君は友人だ、カイ」
「なに言ってる、俺はハーヴィーだぜ、お前らが恐れてやまない海神オルトの眷属だ」
「俺は恐ろしくない」
「あーあーそうだろうよ、ハルも最初っからそんな調子だもんな、俺に威厳が足らねえのか? まったく」
そんなことはないと言おうとする俺を、カイは片手で遮る。
「いいぜ、その加護、確かに受け取った」
またニヤリと笑い、今度は俺を遮った手を差し出す。
「なら俺からもお返しだ、アンタには既にオルト様の加護があるが、俺からもくれてやる」
「いいのか?」
「加護なんてもんは所詮気休めだ、だが有ると無しとじゃ違うからな、ほら、手」
「ああ」
握手を交わす。
カイの手は少しひやりとしている。
「ったく、お人好し兄妹め、何なんだよお前らは」
「俺もハルも、君の友人だ」
「友人ねえ、だったら友人として忠告しといてやるが、人が好いからってその範疇を越えようとは思うなよ」
「どういう意味だ?」
「ヒトにはヒトの領分、神には神の領分ってモンがある、そこを越えたら待つのは破滅だ、あんたはヒトなんだ、だから弁えろってことさ」
気遣ってくれたのか。
カイもよっぽど人が好い、ハーヴィーだから例えが少し違うかもしれないが。
「なるほど、そうやってヤツも誑し込んだわけだな?」
「何の話だ?」
「お前らの兄貴のことだよ、ありゃマジでとんでもねえぞ、よくあんなの見つけたな」
「色々あったんだ」
「へえ、詳しく聞きたくもねえな、俺はなるべく関わりたくない」
カイは相変わらずロゼが苦手なようだな。
メルとモコに対してはそれほどでもない様子だから、やっぱりあいつは別格なんだろう。
「さて兄さん、俺にお茶のおかわりをくれ」
「ああ」
立ち上がり、湯を沸かしに向かう。
今頃ハルは劇場で最後の仕上げをしているだろうか。
頑張れよ。
必ず観に行くからな。




