ミューエンのネイドア湖へ
エピリューム。
五枚の花弁からなる紫色の慎ましやかな花で、優しく穏やかな香りがするらしい。
この花には伝説があって、エルグラート初代女王のエノア様が咲かせた花なんだって。
図鑑に生息地はミューエン領としか書かれていなかったから知らなかった。ネイドア湖のほとりにしか咲かない花なのか。
俄然、興味が湧いてきた。
エノア様の伝説を持つエピリュームから芳香成分を抽出してオーダーのオイルを作ったら、希少な精霊が呼べそう。
「ハル」
「え?」
リューが小さく息を吐いてから、フッと笑う。
「お前は本当に熱心だな、いつもながら感心する」
「だって楽しくって」
「そうか、俺も興味がある、エピリュームで作ったオイルで何が呼べるだろうな?」
「滅多に現れない精霊が来てくれるかもね!」
「そうだな」
待ちきれない、早くネイドア湖のほとりへ行きたくなった。
食事を終えて、店を出て、宿に戻ってもまだ興奮が収まらなくて、お風呂の後で我慢できずに調合しようとしたら、リューに「寝ろ」って止められた。
「気持ちは分かるが、ミューエンまでは距離がある、ここから関を越えてネイドア湖までおよそひと月だ」
「そんなに?」
「ああ、だから明日、出発する」
「僕はこの先もう威圧をしないよ、そう頻繁にやるものでもないからね、ここまでは特例さ」
ロゼが言う。
つまりそれって、この先は魔物に襲われる可能性があるってことだ。
前に強くなって欲しいって言っていたし、私のためだよね。
リューとロゼがいつも傍にいてくれるわけじゃない、それは前に森で思い知った。私が一人でも戦えるようにならないと、二人だってきっと安心できない。
頑張ろう、この先旅を続けていくためにも、無事に母さんと会うためにも。
羊の姿に戻してもらったモコが頭を擦りつけてくる。
「頑張ろうね、モコ」
「うん」
「兄さん、明日、街を出る前に絵ハガキを出してもいい?」
「ああ、勿論構わない」
「有難う」
よし、明日に備えて寝よう。
ネイドア湖までひと月の旅だ、この先は馬車もないし、いよいよ旅って感じがしてきた。
「はる、ぼくがんばるからね」
真っ直ぐ私を見詰めて繰り返すモコに、頷いてギュッと抱き締めた。
温かくてフワフワ、モコモコ、安心する。
暫くベッドを使えないから、今夜も一緒に寝ようね。
まだ興奮しているけれど、目を瞑っていたらすぐに眠くなっちゃうよ。
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―――――
―――
次の日の朝。
郵便局が開く時間に合わせて宿を出た。
村に時計はなかったし、移動中は時間を気にすることって殆どないから、少しバタバタした。ロゼだけ相変わらずのんびりだったから、リューに叱られていたな。
「おはようございます」と気持ち良く挨拶してくれた局員に二枚の絵ハガキを渡して、外で待っていたリューとロゼの所へ戻る。
今日、モコはリューの肩の上だ。さっきまで私がリューの跨るミドリに乗っていたから。
ロゼに跨られたクロは何だか随分大人しい。
「それじゃ行こう」
「うん!」
またリューが手綱を操るミドリに乗せてもらって、シャルークを出た。
他にも色々見たはずなのに、レブナント様のお屋敷とアグリロに乗せてもらったこと、オーダーの店に入ったことばかりよく覚えてる。
あっ、それと、チョコレートパフェ!
他の場所にもあるかな、あんな美味しい食べ物がシャルークにしかないなんてこときっとないよね。
また見かけたら、また食べるぞ。
「ハル」
「何?」
「早速出たぞ、魔物だ」
「え?」
リューがミドリの足を止めて、ロゼもクロを立ち止まらせる。
二頭が蹄で地面を蹴り、警戒も露わに首を向けた先、道脇に広がる草原をものすごい勢いで駆けてくる集団が見えた。あれって魔獣?
「シャルークからそこそこ離れたからな、頃合いだろうと思っていたが」
リューがミドリから降りて、私のことも下ろす。
「オークホーンだ」
一対の大きな角を頭に生やした鹿のような姿の魔獣、数が多い、足が速い、怖いッ!
考えている暇はない、距離がどんどん近付いてくる、慌ててバッグからロゼお手製の香炉を取り出した。
シャルークでリューが買ってくれたオイルを早速試そう!
香炉にオイルを垂らして、熱石を取り出し魔力を通す。
焦りながら用意をしている間に、オークホーンの集団が立てるけたたましい蹄の音をかき消すほど、大きく、張りのあるロゼの声が響き渡った。
「イグニ・イクスミネイト・ハーサー!」
詠唱無しのエレメント!
ロゼの周囲に赤く輝く炎の槍が現れて、向かってくるオークホーンたちの前方へ雨あられと降り注ぐ。
直撃したらひとたまりもなかっただろう、でもあれは外したんじゃなくて、きっとワザとだ。振り返ったロゼがぱちんとウィンクしてくる。
足止めしてくれたんだ。
剣を引き抜き、一気に間合いを詰めたリューがオークホーンの群れへ突っ込んでいく。
ミドリは私の傍で、私を守るように鼻息も荒く、地面を蹄で蹴り続けている。
鞍に乗せられていた小鳥の姿のモコが、私の頭の上へぴょんと飛び乗ってきた。
「フルーベリーソ、咲いて広がれ、おいで、おいで、私の声に応えておくれ」
香炉をゆらり、ゆらりと揺らすと、幾つか光が現れた。
複数? 驚いた、こんなことって滅多にないよ。
この輝きは風の精霊ヴェンティだ、よし、まずはオークホーンたちの動きを止める!
「あのオークホーンの群れの動きを止めて!」
光はそれぞれ勢いよく飛んで行って、ゴウッと突風を吹かせる。
よし、風の勢いに押されてオークホーンたちの動きが鈍くなった、そこへリューが斬り込み次々とオークホーンを倒していく。
私も加勢するぞ、エレメントだってもう使えるんだから!
「土の精霊よ、我が希う声に応じて来たれ、汝の力をもって我が欲する望みを叶えよ!」
片手に香炉を持ったまま、もう片方の手をかざして唱える。
「ソロウ・ソル・レクリーム!」
ゴゴ、と地面が揺れて、そのまま大きな音を立てながらオークホーンたちの足元にたくさんの亀裂が入った。
バランスを崩して次々倒れていくオークホーンにリューがとどめを刺し、最後の一頭を斬ったところで、クロに跨ったままのロゼがパチパチと拍手する。
「素晴らしい、ハル、エレメントが上手くなったじゃないか!」
「え、えへへ」
「流石僕の妹だ、魔力の制御がとてもよくできていた、後方支援の手腕も素晴らしい、僕は今、心の底から感動している!」
は、恥ずかしいよ、褒め過ぎでしょ。
でも森での経験がちゃんと身になっていたって実感できて嬉しい。
もしかしたら命懸けのあの時だけだったかもしれないって、本音を言うと少し不安があったんだ。
だけど今も制御して使えた、もう大丈夫、私、エレメントが使えるようになった!
「やはり実践は何にも勝る成長の糧だな」
満足そうに頷いていたロゼに、戻ってきたリューが「おい」と呼びかける。
「お前、流石に手を抜き過ぎだ、もっと手伝え」
「エレメントを唱えて足止めしたじゃないか」
「少しは数も減らせ、俺一人に全部斬らせやがって」
「できない君ではないだろう?」
「ハルは後衛だ、オーダーにしろエレメントにしろ準備や詠唱が要る、その間、防御も兼ねた前衛が必要じゃないか」
「そうだな、確かに、君にばかり苦労を掛けるのは忍びない」
やれやれ、と肩を竦めるロゼに、リューはあぶみに乗せているロゼの足を掴んでぎゅっと握り締めた。
「いッ、いたた、痛い痛いッ、分かった、次からはもう少し手を貸そう、まったく君はそうやってすぐ僕をぞんざいに扱う」
「大抵は自業自得だろ」
「辛辣だな、お兄ちゃんでも傷つくぞ」
あの数のオークホーンを倒したのに、二人はいつも通りだ。
振り返ったリューに呼ばれて、また一緒の鞍に乗せてもらった。ミドリにも「有難う」とたてがみを撫でたら、鼻を鳴らして答えてくれる。
モコは私の頭の上から、リューの肩へぴょんと移動した。
「兄さんたち凄いね、私はまだまだだなぁ」
「ハルもそのうち出来るようになる」
「うん」
「頑張れよ」
兄さん達が一緒だと何も怖くないって思うよ。
私もいつか、もっと強くなって二人を守れるようになりたい。
そんな気持ちを見抜いたように、リューが「俺とロゼがついてる」って頭の上から私に囁く。
「うん」と答えて、頑張るねと胸の中で呟きながら、手をそっと握りしめた。
次で新キャラ登場予定です。
楽しみにして頂けると幸いです。




