竜殺しの酒
「おい」って声が聞こえた。
振り向いたらカイが誰かを手招きしている。
セレスだ。
呼ばれたセレスは怪訝そうにしながらカイの傍へ行く。
二人は何か話して、頷いたセレスは兄さん達が寝室に使っている部屋へ向かう。
暫くすると手に何か持って戻ってきた。
あれは、ディシメアーでオルト様の神殿に仕える神官から頂いた酒?
「失礼」
その酒をグラスに注いで、セレスは断りを入れながら竜たちの前に置いた。
不思議そうにグラスを眺めていた竜たちは、急に鼻をスンスンさせながらグラスを手に取り、目を丸くする。
「これは」
「オルトの酒じゃ! なんでこんなものを持っとるんじゃ!」
「頂き物だ」とセレスに代わって答えたリューが、手元の空のグラスをセレスへ向ける。
そのグラスにも酒を注ぎながら、セレスは小声で「すみません」と謝った。
頷き返したリューは、注がれた酒をぐっと一気に呷る。
「ふぉおおッ!」
唖然としている竜たちをグラス越しに見て「お前らも飲め」と低い声で言う。
兄さん、なんだか目が座ってる。
それにしてもこの酒、凄い匂いだ。
例えるのが難しいけれど、そうだな、まるで海のように深くて果てのない、冷たさと温かさを内包したような香り。
仄かにオルト様の魔力を感じる。
竜たちは顔を見合わせて、それぞれ覚悟を決めたようにグラスを手に取り、酒を飲み干した。
「ふぉッ、ぐうぅッ、くおぉぉぉッ、こ、これはッ」
「ぐッ、くるな、流石、海の酒は違う」
「いかんッ、こんなものを何杯も飲んだら正体を無くすッ、だがこれは、くうぅッ、なんという甘露ッ」
「ああ、これは飲んではいけないものだ、しかし」
「も、もう一杯!」
「あと一杯だけ、頼む」
そんなに凄い酒なの?
試してみたいけど、私は未成年だから、いけないよね?
ちょっと舐めるくらいなら許してくれるかな。
ちらりとリューを窺うけれど、無言で首を横に振り返された。砂漠では見逃してくれたのに。
「おい、俺にも一杯!」
向こうでカイが手を振る。
「注いで欲しいならお前が来い!」って言い返したセレスは、今度はロゼの空いたグラスにもその酒を注ごうとした。
「無用だ、海の酒など飲まない」
「は、はい」
もしかして、ロゼは元ラタミルだからなのかな。
メルも飲まない?
モコの様子を窺うと、口をキュッと結んで眉間にしわまで寄ってる。やっぱりそうなのか。
「ほら、来てやったぜ、さっさと注げ」
「それが人に物を頼む態度かッ」
片手にグラスを持って来たカイに、セレスは文句を言いながら酒を注ぐ。
カイはその酒をぐーっと飲み干して、目を瞑ると噛みしめるように「美味い」と呟いた。
「お前たちにいつこの酒を開けさせるか、ずっと機会を狙ってたんだ」
「なッ、お前まさか、自分の欲のために!」
「それだけじゃねえって、ほら、見ろよ」
カイが指した先で、竜たちがいつの間にか長椅子にぐでっと伸びている。
ワインを何本も開けたうえに、今の酒を飲んでとうとう酔いが回ったのかな。
「この酒はな、別名『竜殺し』って呼ばれてるのさ、まっ、この竜は海竜のことなんだが」
「そうなの?」
「おう、狂暴な海竜もオルト様の酒にだけは酔って大人しくなっちまう、海の竜に効くんだ、なら、陸の竜にだって効くだろ?」
「それはそうかもしれないな」
「有難う二人とも、助かった」
納得した様子のセレスと、酒が飲めて機嫌の良さそうなカイに、リューがお礼を言って、卓の上でパンや野菜を齧っている小さなモルモフたちに「お前たちの主人を回収するよう伝えてくれ」と頼む。
暫くすると部屋にパヌウラが尋ねてきた。
その足元にモルモフたちまでいる。
「おや、エレ様にラーヴァ様まで、お二人が酔われた姿を初めて拝見いたしました」
「海神の酒の力だ」
「それは何とも興味深い、もし機会がございましたら、私にも是非味わわせていただきたく存じます」
「貴方はいけるクチか、分かったよ」
「感謝いたします、それでは皆様、大変ご迷惑をおかけいたしました、主人共々これにておいとまさせていただきます」
「はこべーッ、プイ!」
「プイッ、プイッ!」
モルモフたちがワーッと部屋へ入ってきて、エレとラーヴァを担いで出て行く。
扉を開けて待っていたパヌウラは、最後にお辞儀をしてから丁寧に扉を閉めていった。
―――大丈夫かな。
あんな様子を見られて、騒ぎになったりしないかな。
「やっといなくなったな」
呟いたリューが今度は長椅子に倒れ込む。
顔が真っ赤だ。
兄さん、大丈夫?
「なるほど『竜殺し』、確かにこれはきく」
「酒としての度数も高いが、オルト様の御力を含んでいるのさ、だから美味いんだぜ」
カイが笑う。
リューは額に手を当てて唸る。
「俺はただのヒトだ、流石にきつい、はぁ、久々に酔った」
「ハハ! ハーヴィー以外は本来チビチビ慣らしながら飲む酒だ、だがまあ、さっきの飲みっぷりは悪くなかったぜ、なかなかのモンだ」
「それはどうも」
「リュゲル、大丈夫かい?」
「いや、暫く動けそうにない」
覗き込むロゼにリューが答える。
本当に辛そう。
兄さん、ゆっくり休んでいて。後片付けは私達でやるよ。
食事を済ませて、片付けも終わらせて、最後に厨房まで借りた食器を返しに行くと、すっかり遅い時間だ。
カイとメルは泊っている部屋へ戻っていった。
今から大浴場を利用すると寝る時間に響きそうだから、今夜は部屋の浴室を使おう。
ホテルの寝間着姿で洗った髪を乾かしていると、多少酔いの醒めたリューがお茶を淹れてくれる。
「夕食どうだった、満足したか?」
「うん、すごく美味しかった」
「ちゃんと味わえたか?」
「勿論です、どれも絶品でした、明日の英気が養われました、有難うございます」
「りゅー、ありがと!」
「ああ、どういたしまして」
セレスとモコからもお礼を言われて、リューは嬉しそうに笑う。
だけど今夜は本当に大変だったね。
「ねえリュー兄さん」
リューが煎じた茶葉を使ったよく眠れるお茶。
優しい味と香りで、いつ飲んでもホッとする。
「今日もだけど、いつも有難う」
思いがけないような顔をしたリューは「ああ」って微笑む。
「私ね、リュー兄さんにも、ロゼ兄さんにも、セレスにも、モコにも、いつもたくさん助けられているよ」
「ハル」
「ハルちゃん」
「はるぅ」
生まれ育った村を出て、母さんに会うため、ついでに色々なものを見るために旅に出たけれど、こんなことになるなんて想像もしなかった。
今まであった出来事、出会ったたくさんの人たち。
楽しいことばかりじゃなかったし、素敵な出会いばかりでもなかったけれど、全部忘れられない思い出だ。
「皆と一緒にいられて、いつも凄く幸せなんだ」
「僕もだよ、僕の愛しいハルルーフェ」
「私もさ、ハルちゃん」
「ぼくも!」
「うん、有難う、だからね、何があっても負けないよ」
本音は―――不安だらけだ。
ライブの日に何か起こるかもしれない。
魔人が何を企んで、どうして砂漠で私に警告してきたのかも分からない。
それに、エノア様から頂いた種子。
愛で咲く花ポータス、声で咲く花トゥエア、温もりで咲く花ヴァティー。
私に期待されていること、私がしなくちゃならないことも分からない。
だけど、私には皆がいてくれる。
頼れる兄さん達。
セレスにモコ、それに、今はカイとメルだって一緒だ。
協力すればきっと何にだって立ち向かえる。
だから気持ちで負けてなんていられない。怖くても、前を向いて、進まなくちゃならないんだ。
「リュー兄さん、ロゼ兄さん、見ていてね」
「ああ」
「勿論だよ、僕の可愛いハルルーフェ、僕らはいつだって君を見守っている」
「うん!」
お茶を飲み干して、空になったカップを卓に置く。
リューが片付けておくって言ってくれたから、甘えることにして、セレスとモコと一緒に寝室へ向かう。
「おやすみなさい、また明日」
「おやすみなさい」
「おやすみー」
「三人ともよく休めよ、今日もお疲れ」
「ハル、君によい夢を」
疲れる食事会だったけど、竜たちから話を聞けたのは良かった。
特に粉のこと、やっと被害を無くせるかもしれないんだ。
もう誰にもあんなものに振り回されて欲しくないよ。
きっと大丈夫だ。
そう信じて、私は私のやることをしっかり頑張ろう。
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あれから何日か過ぎて、明後日はいよいよライブ本番!
いつもの時間に迎えにきてくれたレイの車で劇場へ向かう。
今朝も自主的に劇場周辺の見回りをしてくれていたソルジャーたちから熱烈な歓迎を受けて気合が入った。よし、やるぞ!
練習室にはサクヤとキョウと一緒に、何故かさっきホテルの部屋で見送ってくれた兄さん達がいた。
「えっ、あれっ?」
「師匠! それにリュゲルさんも、どうして」
「驚かせて悪いな、こいつがどうしてもって聞かなくて、俺はただの付き添いなんだが」
「ハル! 君の衣装が仕上がったよ! 早速着て見せておくれ!」




