船上パーティー 2
垂れた手の片方を見下ろして、ノヴェルが「バロゥ、君のその手を見せてくれないか?」と訊いた。
手?
恐る恐る差し出された手を受け取り、じっくり眺めて「うん」と頷く。
「いい手だ、何も問題ない」
「は、はい」
「病み上がりなのだから程々にパーティーを楽しむといい、気晴らしくらいにはなるだろう」
「そう、させていただきます」
「後であちらの社長にも挨拶しておきたまえ、では、私はこれで」
そう言って立ち去るかと思ったノヴェルがこっちへ歩いてきた。
気のせいかと思ったけれど、私達の方をまっすぐ見ている。
どうして?
認識阻害が効いてない?
「やあ、お久しぶりですね、お嬢さん」
「はい」
「お名前は、確か」
「彼女はハルフィ、私の友人だ」隣からセレスが言う。
ノヴェルはセレスを見ると、丁寧に会釈をした。
「お忍びでございますかな、殿下」
「ああ」
セレスを知ってる?
小声で「では何とお呼びいたしましょう?」と尋ねるノヴェルに、「セレーナ」とだけ答える。
モコはきょとんとしているし、動揺しているのって私だけみたいだ。
「かしこまりました」
「へりくだるのもやめろ、今の私は招待客の一人だ」
「はい、では、そのように」
ノヴェルは近くの給仕を呼んで、グラスを受け取る。
私達も勧められてグラスを取った。
中身は酒? 違う、ソーダ水だ。
「しかし、このような場所でお会いできるとは光栄です、お嬢様方」
「ええ」
「本日はようこそお越しくださいました、至らぬ主催に代わって私からお礼申し上げます」
「先の者は傘下でいらっしゃって?」
「はい、奴隷商を営んでおります、こちらの運送業も我がカナカの傘下にございます」
「存じております」
「左様で、お陰様で航空運輸業はまだまだ先の見込みがあります、商業連合の空しか飛べないことだけが惜しい」
他の国の空を勝手に飛ぶと堕とされるんだよね。
空を司る神の眷属、ラタミルが許さないんだ。
「しかしハルフィさんがセレーナさまのご友人でいらしたとは」
「あ、はい」
「なるほど、あのような施設を見学されておられたのも道理です、後ほど聞いたのですがミゼデュースが発生したとか、大丈夫でしたか?」
「施設の方が討伐してくださいましたので、お気遣い有難うございます」
「それは何より」
ノヴェルはあの時もういなかったんだ。
戦っている所を見られずに済んでよかった、変に勘ぐられるかもしれないからね。
「では、私は他の方々にも挨拶してまいりますので、お嬢様方、どうぞパーティーを楽しまれてください」
会釈して今度こそ立ち去るノヴェルを見送り、ほっと溜息が漏れる。
緊張した。
だけどどこまで知られただろう、取り敢えず偽名はまだ大丈夫かな。
「ねえセレ、セレーナ、あの人と知り合いだったの?」
「いや、だがああいった者に顔を知られているのはよくあることだ、一応これでも一族の末席なんでね」
王族ならそうだよね。
大変だな。
「しかし、実際に会ってよく分かった」
「何が?」
「奴は異様だ」
それは、確かにそうかもしれない。
ロゼが作ってくれた認識阻害の眼鏡の効果が通じてなかった。
他の会場にいる人や獣人と同じようにペッグは私達に気付いていなかったから、ノヴェルに何かあるんだろう。
「ねえはる、あれ、やだ」
不意にモコがそんな事を言う。
そういえばノヴェルはモコだけ見ようとしなかった。
どうしてだろう?
「みにくい」
「えっ」
「やだ、ねえはるふぇ、ぼくのめ、みて」
「う、うん」
じっとモコを見詰めると、急にニコニコし始めて、なんだかよく分からない。
今度はセレスに「みて」って言って、セレスとも見つめ合って嬉しそうに笑う。
「はるふぇとせれーな、うつくし! すき!」
「う、うん」
「ねえみて、おいしそなのあるよ、たべよ!」
「あ、ちょっとモコ、走るのはダメだよ、歩いて!」
慌てて呼び止めたけど、モコは大勢の間をスイスイッと駆け抜けて向こうの料理が並んだ卓に辿り着く。
取り分けられた皿の一つを手に取って早速パクパク食べ始めた。
もう、食いしん坊だなあ。
「どうしたんだろうな、モコちゃん」
「分からないけど、取り敢えず私達も食べに行こう」
「うーん、そうだな、昼がまだだし、私も腹が減った」
「ふふ、美味しそうだね」
「ああ!」
さっきあったことは兄さん達に話して後で一緒に考えよう。
私もセレスと一緒に人や獣人の間を抜けて卓の傍へ行く。
わあ、軽食にデザート、どれもすごく美味しそう。温かなスープまである、ここで調理したのかな。
セレスとモコと話しながら食べていたら、不意に船体がガタンと大きく揺れる。
あちこちから何だ、どうしたって声が聞こえてきた。
「―――皆様、ご安心ください、強風に煽られ多少揺れただけです、運航には何ら問題ありません」
給仕の一人が大声で告げて、会場内にホッと安堵の気配が漂う。
空を飛ぶ乗り物は、海を行く船と同じように運行状況が天候に左右されるのか。
前に本で読んだけれど、上空って地上より強い風が吹いているんだよね。
こんなに大きな乗り物だし、操舵が大変そう。
もし墜落したら大惨事だ。そう思うと人力で空を飛ぶのってかなり危険を伴う行為かもしれない。
「ねえセレーナ、飛行船って少し怖いね」
「大丈夫だよ、もしもの時でも、君のことだけは必ず守ってみせる」
そういうつもりじゃなかったけど、でも嬉しい。
私もきっとセレスを守るよ。
「それに商業連合の空は他国より魔物が多く生息しているから、こういった航空機全般に厳格な安全基準が設けられているんだ」
「どんな?」
「例えば攻撃を受けても破損しない丈夫な素材を利用する、設計や構造にも基準が設けられているし、あとは飛行時に防護壁を展開する機器の設置、魔物を寄せ付けないための術、船体への諸々の効果付与なんかもされている筈だよ、いざという時の人命救助、脱出手段なんかもね」
「もしかして術師も乗ってる?」
「ああ、船体の大きさで基準が決められていたはずだ、この規模なら恐らく四人程度だろうな」
しっかり備えているんだね。
そういえばと辺りを見渡すと、窓際にリューが一人でグラスを持って佇んでいる。
「兄さん」
近付くと軽くグラスを持ち上げながらニコッと笑う。
今の格好もあって、普段よりもっと格好良く見えるな。眼鏡のせいで誰も気付いていないけどね。
それだけは少し勿体ないかも。
「楽しんでるか?」
「うん!」
「そうか、よかったな」
「あのね兄さん、さっきカナカの会長と奴隷商が話しているのを聞いたよ」
「見ていた、後で内容を教えてくれ」
そうか、見てたのか。
ところでロゼがいない。
「ねえ兄さん、ロ、あっ、スピー兄さんは?」
リューは立てた指で窓の外をくいくいっと示す。
え、外にいるの?
「ここは空気が悪いと」
「うわッ」
「おっと」
また揺れた。
今度はリューが支えてくれた。
セレスが「何でしょうか」と怪訝に窓の外を窺う。
「でも、外は風が強いんでしょ、こんなに揺れてるよ」
「あいつには関係ないさ」
「そうかもしれないけど」
大丈夫なのかな。
セレスの隣へ行って一緒に外を眺める。
雲一つない青空、ってわけでもない。天気は凄くいいけれど。
「外は風が強いんだよな?」
「うん」
「その割には雲がある」
声がして振り返ると、エレだ。
リューが嫌そうな顔してグラスの炭酸水を飲んでる。
「君たちは奇妙だと思っている、違うか?」
「あ、はい」
「ふふ、それはともかく、先ほどカナカの会長と話していたな」
エレも見ていたんだ。
「相変わらず食えない様子だったが、奴隷商の方は随分と可愛らしくなってしまったものだ」
「知ってるの?」
「ああ、以前の奴は服を着た獣同然の粗野で無粋なヒトだった、服がはち切れそうな体躯をしていただろう」
「うん」
「あの岩のような腕や手を見たか? 私からすれば所詮は固まってない粘土のようなものだが、あれでよく従者を殴っていた、己が威を見せつけていたのだろう」
「そんな」
「この国で首輪をつけられたものは道具も同然だが、それにしても自らの持ち物を乱雑に扱う様など見て面白くはない」
やっぱり奴隷は嫌だ。
人が人の尊厳を脅かしていい訳なんてないよ。
「それに」
エレはニヤリと笑う。
「道具を雑に扱う輩は他の扱いも雑だ、取り繕ったところでいずれメッキは剥がれる、カナカが何度か揉み消した件もあったようだ」
「傷害の前科があると?」
「罪に問われたことはない、大抵賠償金で手打ちにしていると聞いた」
ため息を吐くリューに、エレも肩を竦める。
そんなに酷い人なのか。
だけどあの奴隷商、さっきは凄く怯えていた。
散々好き放題しておいて今更怖がるなんて、勝手が過ぎるんじゃないかな。
「ここの奴らは大抵度し難いんだな」
「そうでもない、私などが良い例だ」
「自分で言うかね、俺からすればお前たちが一番信用ならないんだが」
「それは非常に残念だ、しかし我々は君たちを気に入っている、出来ればもっと親密になりたいと願ってやまない」
「無理だ」
グラスの残りを飲み干すリューに、エレは「やれやれ」とぼやいて笑う。
「ところで」
私の隣へ来て、エレは外の景色に目を細くした。
「私が赴こうかと思ったが、君たちの長兄殿は随分と熱心なのだな」
「え?」
「おや」
何の話?
また船体が揺れて、エレがサッと腕を伸ばして私を支えようとしてくれるけど、その前に後ろからセレスに抱き寄せられた。
「残念」と笑うエレの声に被って、またあちこちから「さっきから一体なんだ」「本当に大丈夫なの?」と心配する声が聞こえてくる。
「ねえ、兄さん」
「問題ない、ったくあいつ」
リューは給仕に空のグラスを返して、ため息交じりに外へ目を向けた。
「この船の外側に二重の防護壁、術者も、恐らくは四名、同乗して防護と迎撃魔法を唱えている、だから問題ない」
「迎撃? ねえ、スピー兄さんは?」
「外だ、珍しいとか何とか言って、嬉々として飛び出していった」
「珍しい?」
「そうだよ、僕の可愛いハルフィ」
渋い顔のリューの隣に不意に現れた、ロゼだ!
手に何か持っている。
それを私に「お土産だよ」と手渡してきた。
「羽根?」
「そうさ」
「見たことない、これ、何の羽根?」
「グリフォだよ」
グリフォ!
思わず羽根をよく見る。
これ、グリフォの羽根? 本物?
グリフォはすごく珍しい魔獣で、ワシと獅子が混ざった美しい姿をしている。
気性は獰猛、攻撃的で、目についたあらゆるものに襲い掛かり、その爪と牙で八つ裂きにしてしまう。高い魔力で強力な風の力も操るって本に書かれていた。
「僕も見るのは久々だ、乱獲されて一時期個体数が著しく減少していたからね、しかしこちらの空にはまだいたか、ふふ、思いがけない収穫だ」
「腕に覚えのある騎兵や魔術師でも敵わないって本で読んだけど」
「飛ぶモノは大抵駆られるさ、これは美しいから余計に、前に話したことがあっただろう?」
もしかして、ラタミルがグリフォを乱獲したってこと?
うわ、改めて怖い。
ラタミルの印象がどんどん凶悪になっていく。
「兄さんも?」
「まあ、一時期は数を競ったこともある」
「もう!」
「今はしていない、だから許して欲しい」
しょんぼりするロゼをリューが呆れたように見ている。
それにしてもグリフォの羽根って、さっきからの揺れは船が襲われていたんだろうか。
「で、どうなったんだ?」
「聞いてくれ、なんと五羽もいた、ふふ、だが一羽はくれてやったよ」
「そうか」
「他は、あー、ええと、その、多分地上で適切に処理されているだろう」
「兄さん」
「首を落としたから脅威では無い、あれは羽根も肉も眼球さえ魔法道具の素材になる、今頃嬉々として回収しているに違いない」
言い訳してる。
そこが言いたいわけじゃないけど、護ってくれたことに変わりないから、あまり責めるのもよくないか。
お土産まで貰ったし。
そうだ、これもサクヤとキョウにあげよう。喜んでくれるといいな。
でも本音を言えば―――私も少しだけ生きているグリフォを見てみたかった。




