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不老の妙薬:リュゲル視点

「―――アンタか」

「やあ」


ハル達が浴場に行っている間に、カイとメルが泊まっている部屋を訪ねた。

今はどうやらカイ一人らしい。


「メルは湯を浴びに行ったぜ、どうせハルやあいつらもすぐ行ったんだろ?」

「ああ」

「ったく、温度の高い水も悪くはないが、どうも微妙なんだよな、好んで入りたがる気が知れねえ」


俺は温かな湯に浸かるのは結構好きだ。

こういうのはハーヴィーならではの感覚なんだろう。


「で?」


部屋に入れてもらうと、早速用件を尋ねられる。

当然だな。

話を切り出すとしよう。


「明日から暫く港の方へ行くんだよな」

「ああ」

「さっきはあまり話せなかったが、訳を詳しく教えてもらえないだろうか」

「いいぜ」


促されて長椅子に掛けた俺の向かいにカイも腰を下ろす。

こうして見るとやはり神秘的な少年だ。

深すぎて黒く見えてしまうほど青い髪、その髪と同じ色の瞳。

ハルは例えて海の色だと言った、俺もそう思う。

彼を前にすると、ディシメアーで見たあの海を思い出す。


「竜の依頼の一人、俺が受け持った貿易商だな、表向きは健全な商売をやっているように見せかけているが、月に一度、客を招いて特別な競売を催しているそうだ」

「競売?」

「ああ、まあ噂だが、それで、奴の商船は普段マキュラムの港に停泊している」

「今もなのか?」

「アンタ鋭いな」


カイが笑う。


「違うぜ、近々交易を終えて戻ってくるそうだ」

「それで港へ行くことにしたのか」

「ご明察、積み荷を乗せた船が戻ったら、今度はその荷を売り捌かなきゃだろ?」

「そうだな」

「危ないブツは長く抱えておくものじゃねえからな」

「つまり、船が戻ったらその特別な競売も間もなく開かれる、そういうことか」

「ああ」


これはかなりの収穫だ。

だがその情報を竜が今に至るまで何故掴んでいない?

知っていて話さなかった、いや、それは考えにくい。

調査を依頼した俺達にはむしろ積極的に開示すべきだろう、利用しない手はない絶好の機会だ。

知っていたら竜はとっくに手を回し競売に潜入していたに違いない。


「カイ」

「なんだ」

「その情報、どうやって手に入れた?」

「へえ、随分と頭が回る、ハルとはえらい違いだぜ」

「おい」


ハルのことを言われてつい強い口調で抗議すると、カイは笑って「悪い、悪い」と手を振り詫びた。

まあ、今のは冗談の類だ。

それくらい理解しているが、だからと言って聞き流せるわけもない。


「アンタ本当に妹の事となるとすぐ目の色を変えやがるな」

「君だってそうだろう」

「ああ」


俄かに深い海色の瞳がキラリと光る。


「そうだぜ、だから手段は選ばねえ、奥の手を使ったのさ」

「奥の手?」

「これだ」


立ち上がり、荷物から何か取ってくる。

ガラス製の小瓶だ。

中に何か入って、待て、この匂い、まさか。


「俺の血だ」


カイは暗い笑みを浮かべる。


「竜どもが言ってただろ、『不老の妙薬』、あれの原料になる」

「なッ」

「ハハッ、勿論そんなわけねえ、眷属の血が薬になるってんならラタミルだってそうじゃねえか、けど、奴ら死ぬと消えちまうからな、だから死体が残る俺達が重宝された、昔の話だ」


その話―――俺は、ロゼから聞いて大まかに知っている。

かつて多くの人々が熱狂し求めた結果、ハーヴィーとの断絶へつながった『不老の妙薬』


古く、ハーヴィーは陸の者達と親しく付き合い、海の恵みをもたらしていた。

陸の終わりは海であり、海の果てには陸がある。

互いにかけがえのない隣人同士として敬い合っていたそうだ。


しかしある時、ハーヴィーの血を精製して飲むと老いることが無いという出どころの分からない噂が巷に流布した。

それは質の悪い、悪意を孕んだ、しかしあくまで根拠を持たないただの噂でしかなかった。

けれど陸の者達はその噂を、あろうことか信じてしまった。

海には数多ハーヴィーの血が流れ、陸へ引き上げられた死体は山の如く。

眷属を無為に踏みにじられたオルトの嘆きと怒りに荒ぶる波は、海辺で暮らしていたすべての命を海中へ攫い、荒れる海は陸の全てを拒んで、かつての恩恵は失われた。


しかし、それでも虐殺は止まず、ハーヴィーたちは一計を案じる。

目には目を、噂には噂を。

関われば必ず身の破滅を招き、陸に住む者達の血肉を喰らい、凶悪で恐ろしき存在、ハーヴィー

そのように自ら世間に喧伝してまわったそうだ。


噂が根付くよう、実際にたくさんのヒトを殺し、船を沈め、その様を見せつけもしたらしい。

かつて愛した隣人を、自分たちを護るためにやむなく害する、かつての彼らの心情は推し量ってなお余りあるものがある。

やがて世間はハーヴィーの恐ろしさを認め、虚実は人々の認識に事実として擦り込まれた。


今は誰もハーヴィーを襲ってその血を奪いはしない。

だが、陸と海の間の隔たりは今なお横たわったまま、両者は未来永劫貴い隣人を失うこととなった。


この話を今も伝えているのはハーヴィーのみで、ロゼはカルーパから聞いて知っていたそうだ。

偽りを刷り込まれたヒトは元より、海の眷属を厭っているラタミルも当然、かつての血なまぐさい出来事はその記録さえ伝わっていない。


そのハーヴィーにも、ヒトにとっても忌まわしい遺物。

『不老の妙薬』

カイは自身の血が入ったガラス瓶を持ち上げて、部屋の照明にかざしながら軽く揺らす。


「こんなもんを精製して飲んだからって何になるわけでもねえ、お前達が精がつくとか言って有難がって飲む淡水のカメの血の方がよっぽどマシだぜ」

「聞いたことはあるな」

「だがバカは自分で考える頭なんて上等なモンを持たねえからな、うまそうな話にはバクッと食い付くのさ、奥に釣り針が仕込んであろうとなかろうと」

「それで」

「たまさか手に入れたが危なくっていけねえ、どっかに高く売れる場所はないか、そう訊ねた」

「なるほど、だが」


悪手とも思う。

これで恐らくカイは目をつけられた、彼自身の血だということが知られでもすれば、確実に危害を加えられる。

それは何も件の貿易商に限ったことじゃない。

『恐ろしいハーヴィーと、もしも運悪く出会ってしまったなら、危害を加えられる前に身を護るしかない』

―――つまりそういうことだ。

ついでに言えば、こんなことは考えたくもないが、退治したハーヴィーから抜き取った血で金を稼いで、自分に都合のいい語り草にするだろう。

英雄譚の類など見る側面が変われば大抵はそんなものだ。


不意にカイがフッと肩から力を抜くように笑う。


「アンタ、本当にお人好しだな」

「カイ」

「俺はハーヴィーだ、そう知って、けどアンタもハルも、当たり前みたいに俺を受け入れた、まあ、あの兄貴がいるんじゃそういう事もあるかもしれねえが」


自分の足にゆっくりと触れる。

青い瞳の奥で微かにさざ波が起こる。


「ハルはな、あの森で、俺の脚を見て『触ってもいいか』なんて訊きやがった」

「それはその」

「ああ、元の方の脚だ、正直驚いたよ、怯えて泣くか、逃げ出すか―――あの時のアイツは今よりもっと世間知らずな『お嬢さん』に見えたからな」


もう半年以上前の記憶だが、俺もいまだに鮮明に覚えている。

自分の不甲斐なさを噛みしめた出来事だ。

けれどハルは、自力で危地を切り抜けた。

勿論カイの助けもあってのことだが、それでもあいつは自分の力で運命をこじ開ける強さを見せた。


「アンタだってそうだ、まあどうせ気付いていたんだろうが」

「ああ」

「俺達は赤ん坊の頃からかつての無残な出来事を繰り返し聞かされて育つ、だが世代交代ってやつでな、今はもう誰も陸の奴らを憎んだりしていない、だが恐ろしいとは思っている」


ヒトに仇成すと語られるハーヴィー

しかし昨今、実際に船を襲ったり、漁を阻まれたりといった話は聞くが、誰か殺されたという話は聞かない。

俺たちが彼らを恐れるように、彼らもまた俺達を恐れているのか。

それは何とも虚しく、悲しいことのように思う。


「正直、俺は分からなくなり始めている」

「カイ」

「だけどそんなものだろう、ハーヴィーにもろくでなしはいる、お前らだって同じだ、妹はたまたまそいつらに捕まっちまった」


項垂れて息を吐き、顔をあげたカイは「心配すんなよ」と笑う。


「一応アンタらのことは信用しているんだ、それにメルもいる、滅多な真似はしねえよ、ここからは今まで以上に慎重に動くつもりだ」

「そうか」

「下手打って俺まで捕まっちまったらそれこそ目も当てられねえからな」

「ああ、十分気をつけて欲しい」

「分かってる―――リュゲル」


初めて名を呼ばれた。

カイの深い海色の瞳がじっと俺を見据える。


「俺は、絶対に妹を取り戻す」

「協力する」

「だがいざってときは止めてくれるな、もうなりふり構っちゃいられねえんだ、分かるだろ?」

「勿論だ、だからその時は、俺も一緒に渦中へ飛び込もう」


目をまん丸くしたカイは、急にカラカラと笑いだす。

何がそんなに愉快だったんだ?

散々笑って「バカ言うな、アンタはハルの兄貴だろうが」と目尻に浮かぶ涙を拭う。


「お人好しも大概にしろよ、お兄ちゃん」

「ハルならきっとそうする」

「だったらアンタが止めろ、いいか、誰しもせいぜいテメエのケツを拭くくらいしか出来ねえんだ、欲張りには何も残らねえぞ」

「そうは言うが、君だって大概お人好しじゃないか」

「俺はいいんだよ、生憎と計算ごとは得意でね、アンタみたいな人情派と一緒にしてくれるな」


君だって人情で動くだろう。

その言葉は喉奥で呑み込んでおいた。

ハルが気に入った人物だ、それだけで彼の人の良さは証明されている。


「そろそろハル達が戻る頃合いだ、お暇しよう」

「ああ」


立ち上がった俺にカイもついてくる。

部屋の扉に手をかけると、背後から「おい」と呼ばれた。


「俺は―――俺のことで手いっぱいだが、アンタはハルの兄貴だ」

「ああ」

「アイツの方がよっぽど、いや、俺が気に懸けることじゃねえが、それでも」

「有難う」


言いたいことは分かる。

俺はハルの兄だからな。


「礼なんかいらねえ、さっさと帰れ」


カイに半ば追い出されるように部屋を出る。

扉が閉まる間際「気をつけろよ」と気遣う声が聞こえた。


無論だ。

今後は今まで以上に気を引き締めて事にあたるべきだろう。

しかし未だ先は見えてこない―――事の顛末を見通せたとき、ずっと覚えているこの不安の正体も見えてくるだろうか。

ハル、それから母さん。

俺とロゼで、きっと護るよ。

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