領主からの餞別
「あの」
「何かね?」
「私も、その、母さんの話を聞かせてもらっていいですか?」
「ああ、構わないよ」
よかった、緊張した。レブナント様は優しい方だ。
さっきのこともあるし、私の知らない母さんの話をもっと聞かせて欲しい。
「彼女はとても聡明で、明るく、大らかな人だ、いるだけで場が和む、そんな雰囲気を常にまとっていた」
「はい」
「娘の君の方がよく理解しているか、オリーネはね、想いが伝わるなら何であろうと分かり合えるはずだと、それはたとえ魔物であっても変わらない、そう私に語ったことがある」
確かに、母さんは独特な人だ。
何でも大切にすれば応えてくれるって、たまに道具に話しかけたり、森で遭遇した魔物が怪我をしているからって治してあげたり、周りの目なんかお構いなしだった。
誰かのために何かすることを惜しまないけれど、それは巡り巡っていつか自分の糧になるからって、見返りを求めることもない。
だから皆が母さんを頼りにして、母さんはその皆から慕われ、愛されていた。
ああいうのを無私の心って呼ぶんだろうと今も思っている。
「村でも皆に慕われていると、君の兄さん達から聞いているよ」
「はい」
「私もとても世話になった、亡くなった妻もオリーネを心から愛していた」
そうだった、レブナント様の奥様はもう亡くなられているんだ。
母さんと仲が良かった奥様って、どんな方だったんだろう。
「本当に尊敬できる方だと思っている、ただ、少々周囲へばかり意識を向け過ぎるのがもどかしかったな」
「そうなんですか?」
「彼女を愛していれば、何よりもまず彼女自身に幸せになって欲しいと願うものだろう」
「それは、そうですね」
でも母さんは皆の笑顔が好きだって言っていた。
だから幾らでも頑張れるって、そうして皆が笑ってくれるから、自分も笑顔でいられるんだって。
「まあ、これは私の個人的な想いだ、聞き流して欲しい」
「でも母さんのこと、気遣って頂いて有り難うございます」
「娘の君からそう言われると感慨深いよ、妻もよくオリーネは無茶ばかりすると憤慨していたから、代わって私が礼を言おう」
「あの、奥様と母さんってそんなに仲が良かったんですか?」
「そうだね、妻は君の母上を敬愛していた、私もそうだ」
領主様にここまで言われるって、母さん、本当に凄い。
もっと昔の母さんの話が聞きたい、どうしてレブナント様と知り合ったのか、奥様とはどれくらい仲が良かったのか。
でも切りだす前に、リューが「ハル、そろそろ」とこっちを見ながら囁いた。
そうか、そうだね、随分話し込んじゃったけど、それだけがここへ来た目的じゃない。
「有難うございました」
切り上げるためにお礼を告げる。
レブナント様も察して下さった様子で、「こちらこそ貴重な時間を有難う」と微笑みを浮かべる。
「君達はオリーネの子だ、大切な友人の子だからね、恩を返す意味でも力になりたい、何かあればいつでも頼りにしてくれたまえ」
「はい」
「ハルルーフェ、君の兄上たちからもう聞いているかもしれないが、私からの餞別だ、君専用の通行手形を用意させてもらう」
「あっ、はい、助かります!」
「気遣いは無用だよ、それと、少ないが支度金を幾らか渡そう、少し待ちなさい」
レブナント様は椅子から立ち上がって机の方へ向かうと、引き出しを開けて何か取り出した。
戻ってきたその手には、何か小さな物と厚みのある袋を持っている。
「こちらが通行手形だよ」
何かの方、紐を通した金属板だ。七色に輝いている、魔鉱石でできているのかな?
「リュゲル、頼めるか?」
「はい」
手渡された金属板を片手に、リューから「利き手と逆の手を貸してくれ」と言われる。
「うん」
「指先を少しだけ切るぞ、痛むだろうが我慢してくれ」
「えっ」
「すぐに手当てをする、手形の登録に血が必要なんだ」
「そうなの?」
「悪いな」
「ううん、そういうことなら平気、我慢するよ」
偉いぞ、と笑って、リューは取り出したナイフで私の指先を本当に少しだけ切る。
痛みに遅れて血が滲み出した。その血に金属板を押し付けると、板はパアッと光って金色に変わる。
「これでよし」
「ハル、手当てをしよう、傷を見せてごらん」
反対側から声を掛けてきたロゼが、手早く傷口に薬を塗って保護してくれた。
でも、これくらいの傷なら多分今日中に治る。
これで登録は済んだのかな?
「ハル、ほら、お前専用の通行手形だ、失くさないようにしまっておけ」
リューから受け取って、改めて金色に輝く通行手形を眺める。
仄かに魔力の気配がするから、何か魔法が掛けられているんだろう。
それにしても血を登録するなんて面白いことを考えるな。
確かに個人を識別する方法としては確実だよね、血液は誰の体にも流れていて、だけど一人一人違うから。
取りあえずバッグの中にしまっておいた。後で貴重品袋に移しておこう。
「リュゲル、これを」
レブナント様は、今度はぶ厚い袋の方をリューに手渡す。
財布みたいだなと思っていたら本当に財布だった。リューが恐縮して、だけどレブナント様に押し切られる。一体いくら入っているんだろう。
「色々とお気遣い痛み入ります」
「なに、私にはこれくらいしか君達にしてやれることがない」
「充分です、助かります」
「道中気を付けたまえ、何か困ったら私へ直接連絡を寄こすといい、可能な限り力になろう」
「感謝します」
母さんのおかげだけど、それでもレブナント様は親切な方だ。
王都で母さんに会ったら色々良くしてもらったって伝えないと。
「では、俺達はそろそろ行きます」
「そうか」
立ち上がるリューに続いて、私とロゼも腰を上げる。
レブナント様も椅子から立つと、そのままじっと私を見詰めた。
「ハルルーフェ」
「はい」
なんだろう、呼ばれたけど何も言われない。
不意に目を細くして、レブナント様は優しい笑みを浮かべる。
「兄上を頼りにしなさい、彼らは何があっても必ず君を守ってくれる」
「はい」
「君も、頑張るんだよ」
「が、頑張ります」
「オリーネの娘ならきっと大丈夫だ、旅の無事を祈っている、それと―――有難う、感謝する」
感謝?
どうしてだろう、私何かしたっけ?
ポカンとしていたら、その間にリューが会釈をして、私を呼んで促す。
あたふたとお辞儀をしてから、先に歩き出したリューの後を追いかけた。
―――部屋を出る手前で、扉のすぐ脇の棚の上に置いてある写真立てにふと目がいく。
わぁ、真っ白でフワフワな毛並みのウサギの獣人女性だ。
綺麗だな、誰なんだろう。何となくティーネを思い出す。
「それでは失礼します」
「ああ、リュゲル、ロゼ、ハルルーフェ、またいつでも尋ねておいで」
「有難うございます」
もう一度礼をしてから部屋を出た。
扉が閉まった途端に力が抜ける。はあ、やっぱり緊張した、少しだけ疲れたよ。
「大丈夫かい、ハル」
ロゼがクスクス笑うから、ムッとして睨み返した。
笑わないでよ、もう。
「ねえ、領主様っていい人だね」
「そうだな、いつも俺達を気に懸けて下さる、有難いことだ」
「私なんでお礼を言われたのかな?」
「さて、何故だろうな?」
「ふむ」
ロゼと顔を見合わせながらリューも首を傾げる。
兄さん達さえ分からないなら完全にお手上げだ、気になるけど、まあいいか。
廊下にここへ来る時案内してくれた人が控えていて、私達をまた道案内してくれる。
―――そういえばレブナント様に騎獣を見せて欲しいってお願いしそびれちゃったな。
「ねえ兄さん」
「どうした?」
「これから街へ行くよね?」
「ああ」
「私、騎獣を見に行きたい」
「騎獣?」
「うん、さっきレブナント様に頼んでみるの忘れてたんだ、オーダーの店にも寄りたいけど、実物のアグリロを見てみたい」
「それなら」と、前を歩いていた案内の人が立ち止まって振り返る。
「当邸宅にございます詰め所にアグリロがおりますので、どうぞご覧になっていってください」
「いいんですか?」
「はい」
思いがけず勢い込んで訊き返したら、案内の人は頷いてニッコリ笑う。
「主人より皆さまから何かご要望があれば全てお受けするようにと言付かっております、こちらのアグリロは躾けておりますので触れることもできますよ」
「ほ、本当ですか!」
「はい、他にピオスとドーもおります」
「もしかしてガルーもいますか?」
「申し訳ございません、流石にガルーはおりません」
後ろからリューに頭をポカリと叩かれる。
うう、こっちこそごめんなさい、ちょっと調子に乗り過ぎたよ。
「ぜ、全然構いません、有難うございます、それじゃ見せてもらってもいいですか?」
「勿論」
「兄さん、見に行っていい?」
リューが溜息を吐いて、ロゼは笑う。
「ダメだって言って聞くのか?」
「うッ」
「まあ、特に急ぐ用もない、騎獣屋で見るよりこっちの方が安全だ、ご厚意に甘えさせてもらおう」
「ハルのしたいことに異論などないさ、幾らでも付き合うよ」
「有難う!」
ではこちらへ、と、案内されて進み、入ってきた場所と別の出入り口から外へ出る。
すぐ手前に建物があって、その脇を進んでいくと、開けた場所に厩舎が見えた。
兵士っぽい人が何人かいる。
私達が近付いていくと、そのうちの一人が気付いて案内の人へ声をかける。
「どうした?」
「レブナント様のお客人をお連れした、騎獣をご覧になりたいそうだ」
「へえ、そうか、かしこまりました、どうぞこちらへ」
今度は兵士に案内されて厩舎へ向かう。
中を覗くと―――いた、アグリロだ!




