紅蓮の暴竜
「あッ!」
「ししょー!」
止める間もなく激突する!
―――と、慌てたけど、そうはならなかった。
直前でロゼに跳ね除けられた女の人は、そのまま吹っ飛ばされてモルモフたちの向こう側へ「ふぎゅッ!」と墜落した。
顔面から地面にぶつかったよ、痛そう。
「プッ、プーイ!」
「会長! しっかりしてください会長ッ、プイプーイッ」
「ププププププイッ、だからご同行はご遠慮下さいとあれほどッ、プププイッ」
お尻を突き出すような格好で潰れていた女の人は「いてて」と言いながら起き上がった。
振り返ると、少し汚れているくらいで怪我もない顔を軽く拭ってから、にやーっと笑う。
う、ちょっと怖い、かも。
「んもう、久々の再会じゃというのに、ダーリンはつれないのう!」
リューが心の底から驚いた様子でロゼを振り返って見上げた。
でもロゼは何も反応しない。
驚いていないし、慌ててもいない、だからって嫌そうにも、嬉しそうな様子もない。
そんなロゼの様子にセレスまで動揺している。
私もこんな兄さん初めてだよ、どうしたの、大丈夫?
「ところでそれがダーリンを誑かしたヒトか? ふーむ」
「お、おいロゼ」
「ロゼ! よい名じゃ、主がつけた名じゃな、ふむふむ」
「何なんだあれは、一体誰だ、お前、どういう関係だ!」
「おや悋気か、ふふッ、愛いのう、思っていたより可愛らしいのう、なんじゃなんじゃ、身の程を分からせてやろうと思っておったのに!」
不意に、ロゼが、長い溜息を吐いた。
何も浮かんでいなかった表情に、嫌で嫌でたまらない雰囲気が滲みだす。
「ロゼ!」
「アレは」
あ、やっと喋ってくれた。
「かつてサマダスノームに住み着き、多くを食らい、僕が下した竜だ」
え?
「えッ」
「ええッ?」
―――えええええええええーッ!
竜! って。
あの、竜?
ずっと昔にラタミルやニャモニャを大勢襲って食べたっていう。
ロゼを長く苦しめた、呪いを浴びせかけた竜が、この、女の人?
「ロゼ、それは本当なのか?」
動揺するリューを見て、ロゼはちょっと困ったように笑う。
向こうで女の人が「そうじゃ!」と返事した。
「我こそは赤竜! かつて霊峰サマダスノームを根城とし、数多の命を屠り奪った残虐非道の無慈悲なる暴竜じゃ!」
「その転生体であられますプイ!」
「ええいッ、余計な茶々を入れるでない! 我の威厳の箔が落ちるじゃろうがッ、このッ、このッ」
女の人はモルモフたちに向かって口から火を吹く。
モルモフたちはプイプイ言いながら逃げ惑う。
―――本当に竜なの?
それに『赤竜』って、確か炎を操る竜だよね、本で読んだ覚えがある。
「こほんッ、改めて名乗ろう、我はラーヴァ! 恐ろしき竜! そして商業連合随一と誉高きオルト商会の現会長じゃ!」
「えッ!」
セレスが仰け反った。
この国で一番大きな商会の会長が、竜?
なんだか混乱してきた、訳が分からないよ。
そもそもどうしてロゼをおかしな風に呼ぶんだろう。
ラーヴァは何をしに現れたの?
「主らのことは商業連合内へ踏み入った時より把握しておったぞ、ドニッシスへよく来たの、んっふふ、かつて我らが愛し合って以来の再会じゃな、ダーリンッ」
「ロゼ」
「僕はアレを殺した覚えならある、認識が異なっているのだろう」
「あれは愛し合ったんじゃろ! ダーリンの鋭き切っ先がこの胸を貫いた瞬間の痛みと衝撃、いまだ忘れ得ぬ、はうぅんッ」
「何なんだ」
「鬱陶しいからまた殺そうか」
ロゼが魔力の矢をつがえて引き絞る仕草をする。
それをリューは慌てて止めさせた。
「まだ目的が分からないんだ、それに、あいつは自分をオルト商会の会長だと言った」
「そうじゃよ、日々多忙を極める我じゃが、愛しいダーリンとその連れたちをわざわざこうして迎えに来てやったんじゃ」
ラーヴァにリューは「何故だ?」と訊き返す。
迎えに来たってことは、どこかへ連れていくつもりなんだろうか。
「それは勿論、愛するダーリンに早く会いたい一心で駆けつけたに決まっておろう」
「それだけなのか」
「いいや、主らにも用がある、特にそちらの」
赤い瞳が私を見た。
その眼差しに焼けるような熱を感じて、咄嗟に息を呑む。
怖い。
視線まで炎みたいだ。
「ふむぅ、愛い、何じゃのう、もっと憎らしい様を想定しておったのに、調子が狂うわ」
「俺達の妹に何の用がある」
「おお、そう警戒せんでおくれ、怖いことも痛いこともせんよ、まず名を伺おうか」
「俺はリュー、妹はハルだ」
「ムフ」
ラーヴァはニヤッと笑って「リュゲル、そしてハルルーフェじゃな」と言い直す。
「なッ」
「主らの情報はあらかた入手済みじゃ、ヒトが竜を侮るでない」
黙り込んだリューに、赤い目を細くしながらラーヴァはクツクツと肩を揺らした。
私達の素性を知っているってことは、もしかして事情や状況も知られているんだろうか。
「さて話を戻そう、今申したが、我は迎えじゃ、主らを屋敷へ招待しに参った」
「だったら先に要件を言え」
「それは屋敷に着いてからじゃ、なにぶん説明が長くなる、人聞きあるのも憚られる内容じゃしの」
「だったら断る」
「ほう、我の誘いを拒むと申すか」
「ああそうだ」
ラーヴァはずっとニヤニヤ笑っていて不気味だ。
「であれば力づくで連れていこうか」
ぬっと伸ばされた指先を、魔力の矢が弾いた。
ロゼだ。
焼け焦げた指先を見詰めて、ラーヴァはブルッと体を震わせる。
「おッ、おおッ、おっほう!」
「僕の可愛い弟に、貴様ごときが触れられると思うな」
「ああッ、あふぅッ、その目、その目じゃッ、あの時も我に向けられた蔑みの目! はぁあ堪らんッ、はひゅうッ、はッ、はッ、胎の奥が疼くぅッ!」
「か、会長プイッ」
「あひぃ、ぬ、濡れるぅッ、ダーリンッ、あはぁんッ、ダーリイイインッ!」
「お気を確かにプイッ!」
「勘弁してくださいプイッ、我々が叱られてしまうプイプイッ!」
「会長! どうか公衆の面前で発情するのはお控えくださいプイッ!」
「プイプーイッ」
なんて言うか、どうしよう、何なんだろうこれ。
さっきから緊張するたび気が抜ける。
わざと、じゃ、ないと思う。
ラーヴァは本当に様子がおかしいし、モルモフたちも本気で困っているように見える。
戸惑って見上げると、ロゼはまだ厳しい表情でラーヴァを見据えていた。
でも多分、そのせいでラーヴァは悶えているんじゃないかな。
「ハアハア、もー辛抱堪らんッ、こうなったらこの場で契ってくれよう!」
鼻息の荒いラーヴァの頭に、ずるりと角が生える。
艶のある赤い角。
先端は刺さりそうなほど鋭い。
「契って、契ってッ、契ってえええッ! この身を裂かれ絶命したあの日より永く飢えておる我の欲を満たしてたもッ、ダーリぃンッ!」
背中には翼が、羽の生えていない蝙蝠みたいな翼だ!
そして尻の付け根辺りから長い尻尾がズルンと伸びる。
両手の爪が長く鋭く尖り、その両腕と尻尾、そして首の辺りもいつの間にか真っ赤な鱗で覆われている。
「んっはははははははははは! さあ、愛してたもッ、そなたが欲しいッ、ダーリンンンッ!」
―――竜だ。
周りを囲んでいたモルモフたちが怯えた様子で散り散りになって逃げだす。
喋るたび、言葉と一緒にラーヴァの口から炎が吐き出される。
「ロゼ!」
ロゼも手元に魔力の矢をつがえて、矢じりの先端をラーヴァに定めながらキリキリと引き絞っていく。
その背中に羽の先だけ赤く染まった大きな翼が開いた。
「おお!」
ラーヴァの赤い目がキラリと輝く。
「なんとッ、その翼! そしてその瞳の色! あああッ、はああああああああッ、わッ我と、我と愛し合った証がまだそのようにッ、はあッ、はふうううんッ!」
「黙れ」
「そうかそうか、ダーリンも我を忘れられなかったんじゃの、我らは相思相愛じゃ! はぁッ、ハアハアッ、早くッ、早くきてたもれ! またこの身を深く穿ってたもれ!」
「であれば、今度こそ核を砕いてやる」
「あきゃあああああああッ、ねッ、熱烈じゃあッ、ダーリンッ、愛して、愛して、愛し合おうぞッ、互いに身を裂き骨を砕き血も肉も何もかも混ざり合うまで!」
不意に目を塞がれた。
リュー兄さん、どうして?
「はッ、ハアーッ、ハアーッ、参るぞダーリン! 我の熱を受け止めてたもれッ、共にめくるめく悦楽と歓喜のまぐわいをおおおおおおおッ!」
魔力が激しくぶつかり合う気配!
熱風と衝撃、こんな場所で戦ったら、街が、人が!
「やめろロゼ、引け! 構うな!」
「野暮を言うでないわ! 外野は黙っとれ!」
「ロゼ!」
私も「ロゼ兄さん!」と叫ぶ。
いけないッ、ダメだよ、お願いだからやめて兄さん!
不意にビリッと何かの衝撃を覚えた。
リューも一瞬ビクリとして、私の目を覆っていた手をどける。
今のって何だろう。
そう思った直後―――
ドォンッと轟音を響かせて、睨み合うロゼとラーヴァの間に黒い雷が落ちた。




