領主レブナント
大きな、とても大きな門を抜けた先の景色は、シェフルとは比べ物にならないほど広くて、人も、物も、店も、とにかく沢山ある!
「すごい」
近付くほどそう思ったけれど、いざシャルークに入ったら、あまりの凄さにポカンとしてしまう。
賑やかで、色とりどりで、色々な匂いがして、なんだか目が回る。村の外の世界って本当に広い、つくづく知らない事ばかりだ。
「ハル、大丈夫かい?」
「ねえ兄さん、王都もこれくらい人や物が多いの?」
「こんなものではないさ、もっとずっと広い、人も物も更に溢れている、しかしシャルークはここエリニオス、如いてはノイクス最大の都市だよ」
ノイクスは、エルグラート連合王国の東方に位置する。
他に、南方のベティアス、北方のファルモベル、西方には国ではないけれど、商業連合って大きな自治組織があるって聞いたことがある。
この三つの国と商業連合がまとまって、今のエルグラート連合王国が建国された。
「リュー、このまま領主の館まで乗り付けるぞ、荷台を返すのはその後で構わないな?」
「ああ」
「よし、では行こう」
エリニオス領を収められている、領主のレブナント様。
どんな方なんだろう。
仁徳厚い方だと伺ったことがあるけれど、自ら冒険者にお会いになられるそうだし、気さくな方だといいなあ。
少し緊張してきたかも。
「あ、そうだ」
はたと気付き、急いで荷台へ戻って、荷物からティーネのベストとロゼが作ってくれた上着を取り出す。
今着ている服の上から着込むと、また荷台の前へ戻って外を覗き込んだ。
進むうち、道の先に大きなお屋敷が―――お屋敷? ええと、城?
本でしか見たことないけれど、あれだけ大きい建物は城って呼ぶんじゃないのかな。
「どうしたんだい、ハル」
「大きいね、あれってお屋敷?」
「そうさ、レブナントの屋敷だよ」
「お城じゃなくて?」
「ハハハ! そうだね、確かに城だ、施政者の住まいは当人にとってどれほどの規模であっても城だろう」
馬車は門の手前で止まる。
脇に立っていた衛兵が近付いてきてロゼに声をかけた。少し話して、ロゼが領主様の手紙が入った筒を見せると、敬礼して中へ通してくれる。
「このまま入っていいの?」
「通したのだから構わないさ」
そうか、そうだね。
門を抜けた先の庭は綺麗に整えられている。季節を感じる風景だ、採取にはあまり向いてなさそうだけど。
入口の前で馬車から降りると、中から人が出てきて私達を案内してくれる。
―――ちなみに、モコは鳥の姿に変えられて、リューが服の中に忍ばせていた。しかも静かだと思ったら寝ているし、いつからこうだったんだろう。
城の中も広い。
壁や天井、床も、ツルツルした石造りだ。この石って確か高級建材だよね、どこもかしこも立派で気後れしそう。
「ハル、前を見て歩け」
目移りしていたらリューに注意された。
「う、うん、はい」
「何もかも珍しくて仕方ないという顔をしているよ、ハル」
「だって、私お城って初めてだから」
「それなりの立場にいる者は権威を示さなくてはならない、故にこの城さ、施政者が僕らの住まいのような場所で暮らすわけにいくまい?」
「そうだね」
「屋敷には防衛の役割もある、まあ、中にはその辺りを疎かにして見栄ばかり張ろうとする輩もいるようだが、ここはそう悪くない、主人の趣味がいいのだろう」
「そっか」
大きな窓から差し込む光が広く長い廊下を照らしている。
趣味がいいっていうのは確かに頷けるな、もっとあちこち見てみたいかも。
案内してくれた人が扉の一つを開く。
促されて入ると、大きな部屋の真ん中にテーブルと綺麗な生地を張った長椅子、テーブルを挟んで向かいにもう一脚椅子が置かれている。壁にはたくさんの本が詰まった書架、奥の窓の手前に重厚な作りの机、ここは何の部屋だろう。
「こちらへおかけになってお待ちください」
長椅子はお尻が沈み込むほどフカフカだ。
これだけ大きいとベッドにもなりそう。リュー、私、ロゼの並びで腰を下ろす。
「フカフカしてるね」
「ああ、良い椅子だ」
「そろそろ領主様がお見えになる、ハル、あまりはしゃぐんじゃないぞ」
「はい」
「ロゼ、お前は余計なことを口にしかねないから用が済むまで黙っていろ」
「はいはい、君が言うならそうしよう」
コンコン、と叩く音がして、扉が開いた。
「やあ、こんにちは」
身なりのいい男の人が入ってくる。優しそうな雰囲気、姿勢もいい、目の端に柔らかなシワがある。
リューが立ち上がって会釈するから、私も慌てて真似をした。ロゼだけ座ったままだ。
「ごきげんよう、レブナント様」
「ごっ、ごきげんよう」
「構わないよ、楽にしてくれたまえ」
この方がレブナント様。
ニコニコして優しそうだけど迫力がある、また緊張してきた。
「君とロゼに会うのは久しぶりだ、元気にしていたかね」
「はい、レブナント様もお変わりなく」
レブナント様が向かいの椅子に掛けると、人が来てお茶を淹れてくれる。お屋敷で働いている人だろう。
とっても香りのいい紅茶だ、カップもお洒落だし、美味しそう。
「さあどうぞ、これは私の一等好きな茶葉だ、よければ召し上がってくれたまえ」
「有難うございます、いただきます」
「いただきます」
今度はロゼも一緒に紅茶を飲む。
うん、美味しい! 旨味と少しの苦みが舌にほんのり残るような深みのある味わい、これって今の時季に採れる茶葉だ。
「どうかね?」
「美味しいです!」
興奮してつい身を乗り出した。
隣でロゼがクスクス笑う声に気付いて、急いで居住まいを正す。
やっちゃった、リューは呆れ顔だ。
でもレブナント様も目尻にしわを作って笑っている。
「す、すみません」
「いやいや、君は少女だった頃のオリーネによく似ている」
オリーネ。
母さんの名前だ、思いがけずドキッとする。
「改めて、初めまして―――ハルルーフェ」
ハルルーフェ。
私の名前、そう呼ばれるのは久しぶり。レブナント様は私のこともご存じなんだ。
「私はここエリニオス領の現領主を務めている、十一代目レブナント、トーマス・レブナントだ」
「は、初めまして、ハルルーフェです」
ハシバミ色の瞳を細くして、レブナント様はゆっくり頷く。
「君のことは、君が母上のお腹の中にいた頃から知っているよ、大きく育ったね」
「はい」
「フラウルーブでの暮らしはどうかな?」
「楽しいです、皆も優しいし、母さんの工房もあるし」
「工房」
呟くレブナント様に、「はい」と答える。
母さんの知り合いだから、母さんがオーダーの研究をしていることも知っているよね?
「君もリュゲルのように、オリーネとオーダーの研究をしていると聞いている」
「あっ、はい!」
やっぱりご存じだった。
レブナント様はにこりと笑い返してくる。
「以前、彼女が話していた、オーダーは可能性に満ちた魔法だと、いつか―――初代女王エノアがまとっていた香りを復元したいと」
「エノア様?」
「ああ、ご存じないかね?」
エノア様の香り?
初めて聞いた。
それにそんな話は本でも読んだことはない。どういうことなんだろう。
「私もオリーネから教わったのだよ、初代女王エノアは誕生したその時から神秘的な香りをまとい、彼女の芳香はあらゆる存在を満たしたそうだ」
「満たす?」
「そう話していた、もしその香りを生み出せたら多くの人の助けになるだろうと、これ以上は私も知らないのだがね」
母さんが教えてくれた目的とは別の目的を、まさか領主様に教わるなんて。
誰でも手軽に安定した状態でオーダーを使えるようにしたいって、私にはそう話していたのに。
なんだか少しモヤモヤする。
どうしてそっちの理由は教えてくれなかったんだろう。
何か事情があるのかな。
もしかして私のため?
色々聞いた結果私が感化されないように、私には自分のオーダーを追及して欲しいって、でもそれは自分に都合のいい解釈だ、事実は母さんに訊くしかない。
分からないよ。
どうして母さんはエノア様の香りを復元したいんだろう、そこが一番気になる。
「君はオリーネの娘だ、彼女に負けずとも劣らない才を持っているだろう、いや、子はいつか親を越えるものだ」
「わ、私は、まだまだです、母さんの足元にも及びません」
「それは今だけの話だよ、ハルルーフェ、いずれ君は必ずオリーネ以上のオーダーの使い手になる」
「俺もそう思います」
「リュー兄さん!」
「そうだね、僕も同感だ」
ロゼまで頷くけど、私はそんな風には思えない。
だってまだ母さんのようにはっきりした目的もないし、オーダーの効果を引き出しきれてもいない、調香の腕だってまだまだ未熟だって分かってる。
「私はオーダーについて明るくないが、それでも君と話して、君が健やかに真っ直ぐ育っていると知ることができた、そんな君のオーダーは、君の心のままに素直な力を宿すのだろう、多くの精霊は清らかで強いものを好む、君ならば、君だけのオーダーをいずれ操れるようになる」
「あ、有難う、ございます」
「おや、照れているのかな? 顔が赤いよ、ハル」
「やめてよ兄さん」
ハハハ、と、私以外の笑い声が部屋に響いた。
母さんを追い越すなんて考えられないけど、同じくらいオーダーを使いこなせるようにはなりたいな。
それにもっとオーダーの可能性を追求してみたい。
調香したオイルを試したい、どんな精霊を呼べるか、何ができるか、もっともっと知りたい。
私に出来るのかな?
きっとできるよね。
少しだけワクワクしてきたかも、今度はどんな香りを作ろう、水の精霊アクエが好みそうな香りかな、それとも、土の精霊ソロウ好みの香りにしようか。
「ハルルーフェ」
「は、はい」
いけない、まだ話している最中だった。
レブナント様が穏やかに微笑みかけてくる。
「ところで、君が着ているそのベストだが」
「えっ」
「とてもよく似合っている」
「あ、はい、有難うございます」
「それは獣人の毛だね、もしかして誰かからの贈り物かな?」
「はい、私の幼なじみが誕生日にくれました、ティーネっていうウサギの亜種型の獣人の子で、白くてフワフワな毛並みの凄く可愛い子なんです」
「ほう」
「人の姿はサラサラした銀色の髪に、白くて長い耳と綿毛みたいな尻尾があって、私のことをいつも気に懸けてくれて、しっかり者で頼りになって、優しくて」
「フフ、そうか、君はそのティーネという娘のことが好きなのかな?」
「はい、大好きです!」
それからまた暫くレブナント様に促されて村での暮らしを話した。
村は特別指定地域で基本不干渉だから、住人から直に話を聞いて、問題が起こっていないか、困ったことはないか、そういうことが知りたかったらしい。
リューとロゼにも同じ理由で時々招いて話を聞いていたんだって。
「だが、このことを村の方々が知ったら、今まで通り二人に接することができなくなってしまうかもしれないだろう?」
「それで秘密にしていたんですか?」
「ああ、だが結果として妹の君にも隠し事をさせてしまった、そのことに関しては申し訳ないと思っている、すまなかったね」
「気にしていません、話してくれたならそれでいいです」
「やはり君はオリーネの子だ、相手を思いやり労わる尊い心を持っている、彼女が懐かしいよ」
なんだか少し恥ずかしい
そうだ、領主様にも母さんのこと、訊いてみようかな。




