寝台列車ナフォール号 7(前編)
今回長くなったので、一話を前後編に分けております。
「はーる」
トントン、と扉が叩かれて、モコがピョコッと顔を覗かせた。
そのまま目をまん丸くすると、セレスの傍へ駆け寄ってクンクン匂いを嗅ぎまわる。
「いーにおい! せれす、うつくしー!」
「ははッ、ハルちゃんが香水をくれたんだ、ほら、これだよ」
「わぁ! きれーだ、ぼくこれすき!」
モコはニコニコしながらセレスに体を擦り付け始めた。
もしかして匂いを移してるの?
セレスは笑って「くすぐったいよ」なんて言いながらモコの髪を撫でる。
「あ、はるぅ、めるがね、しょくじがすんだから、いまからいくよ、だって」
「え?」
こっちへ来るの?
驚いている間に、開けっぱなしの戸口からメルとカイが部屋を覗き込んだ。
リューも一緒だ。
「何かすげぇ匂いがするな」
「いい香りねぇ、とても美しいわ、ハルちゃんが造った香りかしら」
「ああ、いい匂いだ、もしかして昨日セレスから貰ったバラか?」
流石兄さん、すぐに気付いた。
全員が入ると部屋は少し狭い。
不意にリューがモコをひょいっと抱え上げて「それじゃ俺達はまた後で」って外へ出て行く。
「えーっ、なんで、りゅーなんで?」
「ロゼがお前にまだ用があるってさ、だから我慢しろ」
「ししょー」
閉じた扉の向こうからモコの悲しそうな声が聞こえる。
用が済んだら戻っておいで。
元気出して、モコ。
「しかしいい部屋だな、二等車はこっちより狭いうえに二段ベッドだぜ」
「私が上よ」
「俺も高い場所なんざ御免だ、けどまあ、そもそもこいつは寝る必要ないんだが」
「ウフフ! 寝台列車って楽しいわねえ」
二人はリューが口添えして特別にこっちの車両へ通してもらったんだって。
調香の道具を片付けてお茶を淹れている間、セレスとメルは私が贈った香水の話でずっと盛り上がっていた。
「ドニッシスでこの香水に相応しい瓶を選ぶつもりだ、今の小瓶のままじゃ、ハルちゃんに悪いからな」
「そうねえ、価値あるものは相応しい状態にあってこそよね」
「それもなんが、これは彼女がオーダーのオイルを作るために使っている貴重な瓶の一つだ、それをずっと使わせてもらうわけにはいかないだろ」
「まあ、健気なことを言うのね、貴方ってやっぱり可愛らしいわ」
「それはどうも、ハハ」
気にしなくていいのに。
瓶は、セレスと一緒に選ぼう。
そして私からプレゼントさせてもらおう、調香したオーダーのオイルを売れば瓶の代金程度にはなるはず。
いつも色々して貰っている恩返しだ。
「ねえ、もう一つ瓶があるけれど、こっちはオーダーのオイルかしら?」
「そうだよ」
「これもいい香りねぇ、セレスの香水とは少し違う、輝くような香りだわ」
メルが卓に置いたままだったオーダーのオイルが入った小瓶を摘んで香りを嗅いでいる。
その様子を眺めていたカイがセレスに「おい、ちょっといいか?」と声をかけて、二人で部屋から出て行った。
どうしたんだろう?
淹れかけていたお茶を、仕方なく卓に置いて、メルと向かい合うように長椅子に腰を下ろす。
「あら、ごめんなさいね、せっかくお茶を淹れてくれたのに」
「ううん、メルだけでも飲んで、私が作ったお茶だよ」
「ハルちゃんの作るものは何でもとても香りがいいわ、きっと嗅覚が優れているのね」
「そうかな」
「ええ、私にはとてもじゃないけれど、こんな繊細な香りは生み出せないわ」
そこまで褒められると照れる。
これは消化をよくするハーブと清涼感のあるハーブを混ぜて作った、食後におススメのお茶だ。
二人も冷める前に戻って飲んでくれないかな。
美味しいのに。
「このオイルをね、昼に列車が補給で停車した時、駅の近くで試そうと思っているんだ」
「まあ素敵、そういえば昼を一緒にどうかって、さっきリューに誘われたわ」
「うん、私も一緒がいいけど、どうかな?」
「勿論よ、喜んでお受けさせていただくわ、どんな美味しいものが食べられるのかしら、ウフフ」
「ねえ、もしかしてラタミルって、食いしん坊なの?」
「あらあら、そんな風に見られちゃったかしら、恥ずかしいわ」
そうじゃないのよってメルは笑って、食事は『美しさ』を味わう娯楽なんだと教えてくれた。
同じ様なことを前にロゼも言っていたな。
食事をする器官は備わっていても、必要性自体は特にないラタミルにとって、美食も価値ある『美』の一つだそうだ。
美しさを至高の価値としているから、美食の追及にも余念がない、そんなところなのかな。
そもそもの前提が私達とは異なっているから、理解は出来ても実感するのは難しいかもしれない。
「ねえ、このオーダーのオイルでどんな精霊を呼びだすつもりなの?」
「虹の精霊ラクァス」
「まあ!」
「もしくは陽光の精霊エオーラかな」
「随分野心的ね、だけど可能性は高そう」
「本当?」
「これは特別な香り、愛する人への深く強い想いが込められている」
ドキッとした。
愛する人への想い。
―――あのバラに込められていた、セレスからの想い。
「愛は美しいわ、その輝きに魅せられない者はいない、精霊だって同じよ、だからきっと呼べるでしょう」
「うん」
「ふふ、今のハルちゃん、とても美しい顔をしている」
「えッ」
「どうしてかしらね、ウフフ」
分からないよ、もう。
探るように見つめてくるメルの金色の瞳から目を逸らす。
その時扉が開いて、セレスとカイが戻ってきた。
卓上のお茶に気付いたセレスが「あッ」と声を上げて、慌てて私の隣に座る。
「ごめん、ハルちゃん!」
そう言って、すっかり冷めたお茶をグイーッと飲み干した。
カイも淹れかけのお茶を飲んで「悪ぃ」って呟く。
二人とも気にしなくていいよ、あったかいのを淹れなおすね。
「なんであのタイミングで呼び出すんだ、せっかくハルちゃんがお茶を淹れてくれたのに、どういうつもりだ!」
「だから謝っただろうが、うっかりしたんだよ、悪かった」
「そうやってお前はいつも配慮が足りない、そのふてぶてしい態度といい、少しは自覚して改めたらどうだ」
「お前にだけは言われたくねえよ、この万年発情期野郎、いつもいつもうるさく騒ぎやがって、少しは奥ゆかしさってモンを身につけやがれ」
「なんだとッ、私は十分奥ゆかしいだろう!」
「俺だってお前らにどれだけ気を遣ってやってると思ってる、配慮が足りねえのはどっちだ!」
「やるかオイ!」
「上等だ、ヒト相手だろうがお前に関しちゃ容赦しねえ、覚悟しやがれッ」
待ってよ、もーッ!
どうしてすぐ喧嘩するかな、メルも笑ってるよ? 二人ともやめてったら。
パッと男の人に変わったセレスに慌てて抱きついた。
セレスはビクッと震えて、小声で「ハルちゃん?」って呼び掛けてくる。
見上げたら顔が赤い。
つられて私までなんだか顔が熱くなる。
「けッ、喧嘩しないでッ」
「はい」
「カイもだよッ、ここは列車の中だよ、喧嘩なんかしたら怒るからねッ、兄さんを呼ぶよ!」
「おい、お前とんでもねえぞ、なんつう脅しだ」
多分、ロゼって呼んだらすぐ来てくれる。
もしかしたら今も隣の部屋で様子を窺っているかもしれない。
本当にもう、二人は仲良くなってくれたはずなのに。
お茶を淹れなおす間に、セレスは女の子に戻って、カイも落ち着いてくれた。
改めて四人で色々と話していたら、外から車内放送が聞こえてくる。
もうすぐ補給駅に着くらしい。
停車時間は三時間、戻るのが間に合わなくても待ってくれないらしいから、時間に気を付けないと。
「それじゃ、私達は下車の準備をしてくるわね」
「お前ら、また後でな」
カイとメルは立ち上がって部屋を出て行く。
それからすぐ入れ替わりで飛び込んできたモコが「はるぅ」って私の膝に抱きついた。
「おかえりモコ、ロゼ兄さんは何の用事だったの?」
「いえない」
「え?」
「まだいうなっていわれてる、ごめんね、はる」
「う、ううん、いいけど」
何だろう、気になる。
だけどそれより今は駅に着いてからのことだ。
近くに観光案内所があるらしいから、人気の店を教えてもらって参考にしよう。
ついでに広くて人の少ない場所があるかも訊かないと、作ったばかりのオーダーのオイルを早速試したい。
サクヤは喜んでくれるかなあ。




