夢の繰り糸
「ねえりゅー、はるいかないなら、ぼくもるすばんだよ」
そう言うモコに、リューは頷いて「お前にはハルとセレスを守ってもらいたい」って返す。
「いーよ、わかった!」ってモコは元気に返事した。
「ハル」
不意にロゼに覗き込まれる。
燃え盛る炎よりも赤く煌めく綺麗な瞳に私の姿が写り込む。
「僕らの愛しい妹、君はとても強く、逞しく、美しく実った、今の君ならば憂いはない」
「ロゼ兄さん」
「この地に根付く命を守ってやるといい」
「はい」
「だが困ったならいつでも僕を呼びなさい、僕の翼は君とリューのために在る、いつでも傍にいるよ」
優しい声がくすぐったい。
隣のリューを見上げると、頭をぐいぐい撫でられた。
信じて、任せてくれて有難う、兄さん達。
一緒に戦うってこういうことだよね、しっかり役目を果たすよ。
「師匠、リューさん、私も務めを果たします、ハルちゃんと集落はお任せください」
「頼む」
頷くリューにセレスも誇らしげだ。
「ワン! お嬢さん方、俺も居残り組だワン、よろしく頼むワン!」
ワフリスも一緒なんだね、こちらこそ、よろしくお願いするよ。
話が一段落ついた辺りで目を覚ましたカズサがむくりと起き上がった。
頭をしきりに振って、難しい顔をしている。
他の獣人やワウルフたちはまだ倒れたままだけど、様子を窺っている皆にあまり心配する様子はない。
毛布をかけたりしているから、もしかしたらそのまま寝たのかも。
酒も入っていただろうし、すっかり夜だからね。
「先ほど目を焼かれる程の鮮烈な光を目の当たりにしたんだが、何が起きた?」
「そいつはとある御方のご威光だワン、これに懲りてもう調子に乗るんじゃねえワン」
「むッ、ワフリス、俺は常に真剣だ、それでそのご威光とはどなたのものだ?」
「こちらのハルの兄上だワン」
「そうか、成程、然り」
「あのなぁカズサ」
ワフリスが呆れ顔で「もしお前に妹がいたとして、会って間もない野郎が求婚してきたらどうするワン?」と尋ねる。
カズサは「殺すな」と即答した。
聞いていたリューがちらっとロゼを見るから、私も見上げると、ロゼは無表情で静かに頷く。
―――怖いよ、流石にそこまではしないで欲しい。
「ふむ、つまり俺は、明日、兄上方に俺がハルの夫として相応しい男であると証明しなくてはならないということか」
「どうしてお前は明後日の方向へ全力投球しがちだワン、俺の話ちゃんと聞いてたかワン」
「違うのか」
「あーもういいワン、何言っても無駄だワン、まあ精々死なんでくれワン」
「無論だ、俺には長としての務めと責任がある、それに、ハルとセレスを娶る前に寡婦にするわけにはいかない」
「いい加減にしろ! この野郎ッ、また殴られたいか!」
拳を握りながら立ち上がろうとするセレスを、モコが慌てて「だめ、だめ!」って止めようとする。
困ったようにこっちを見るから、私もロゼの膝から立って傍へ行く。
「ダメだよセレス、喧嘩しないで!」
「止めてくれるなハルちゃんッ、アイツ、一度きっちり分からせてやらないとッ」
「もういいから、落ち着いて」
「せれす、はるこまってるよ、ぼくもおこるよ!」
「うぐッ」
「セレス」
「うう、う、分かった」
もう寝た方がいいかもしれない。
振り返ってリューに声をかけると、集落の女の人が来て「では、寝所へご案内いたします」って案内を申し出てくれた。
メルも「じゃあ私も一緒に休むとしましょう」ってついてくる。
案内された場所は、先代族長の奥方が使っている洞穴、つまり、カズサの母さんの私室だった。
出入り口を覆う厚手の毛織物を除けて中へ入ると、案内の女性が明かりを灯してくれる。
「カズサさまよりこちらをお使いいただくよう言われております、入用な物などあればお声がけください」
「いいんですか?」
「はい、その、代々の長の奥方は共にお過ごしになられるのが習わしですので」
セレスが何か言いだす前に、女の人に「有難うございます」ってお礼を伝えて、私達だけにしてもらった。
気に入らないって顔しているけど、好意で泊めてもらうのに、場所を変えてくれなんて言えないよ。
「アイツ、ここを立ち去る前に一発殴る、じゃないと気が済まない」
「あらあら、物騒ねえ」
はあ、その時はまた止めないと。
だけどここは綺麗に整えられた素敵な部屋だ。過ごしやすい雰囲気で落ち着く。
カズサの母さんってどんな方なんだろう。
さっきの獣人の女性がまた来て、毛布と暖房器具を置いていってくれる。
天井がある場所で眠るのは砂漠越えを始める前以来だ、嬉しい、ゆっくり休めそう。
「それにしても、砂漠で暮らす人々がいるなんて、流石に知らなかったな」
「うん、私も、砂漠を守護する一族なんて聞いたことなかったよ、書いてある本を読んだことだってない」
「それはそうでしょう」
敷物の上にゆったりと座ってメルが言う。
「砂漠に『無限の底』を守る一族がいると知れ渡るのはよろしくないわ」
「どうして?」
「そうね、恐らく調査団が派遣される、そしてよからぬことを企てる輩の襲撃を受ける、最悪、西か中央、もしくは両国から制圧目的の兵団が送り込まれる」
「えッ、兵団って」
「なるほど、つまり『人が暮らしている』ことを足掛かりに、永らく手付かずだった砂漠を攻略しようと考える者達が現れかねないってことか」
頷くセレスに、私も少しだけ事情を理解した。
ここは『試練の砂海』と呼ばれる魔境。
魔獣がひしめく砂の世界は旨味どころか、常に危険と隣り合わせだ。
でも、住人がいると分かれば事情が変わってくる。
カズサたちが生きるための知識や知恵を利用して、この未開の砂漠を解明し、可能であれば掌握しようと考える誰かが現れるだろう。
そんなことになれば、カズサたちは利用されて、今の暮らしを踏み荒らされかねない。
「危険を冒してまで私達を招いた彼らの想いを、裏切るわけにはいかないわね」
「そうだな」
「カズサたちのこと、誰にも言わないでおこう」
「ああ」
「はーい」
メルが微笑んで「それじゃ、貴方たちはもう寝なさい、ハルちゃん、セレス」って毛布を広げる。
「私とモコちゃんに眠りは不要だから、貴方達の夜を守りましょう」
「ぼく、はるといっしょにねる」
「あらあら、それじゃモコちゃんもおやすみなさい」
「はーい、おやすみ、める!」
クスクス笑ってモコを毛布で包んだメルは、横になった私とセレスにも毛布を掛けてくれる。
何となく小さな頃を思い出した。
懐かしい、母さんは今頃エルグラートでどうしているだろう。
「おやすみ、メル」
「ええ、おやすみなさい」
目を閉じると傍にセレスの吐息を感じる。
くっついて、いい匂いのする温もりに顔を埋めながら、とろとろと眠りへ落ちていった。
――――――――――
―――――
―――
漆黒の空。
その下に広がる砂の海。
遠くに大きな影が見える。
何か叫んで暴れている。
その周囲に、幾つも、幾つも転がる、ヒトの形をした『何か』
怖い。
不意に乾いた風が吹いた。
大きな穴が開いている。
底が見えないほど深い、ううん、違う―――底が無いんだ。
これが『無限の底』?
声が聞こえる。
歌声。
温かくて優しい、命が響いて巡り、深い眠りへ誘う。
包み込まれて目を閉じていたら、不意に視線を感じた。
見てる。
誰か、私を見ている。
じわりと不快感がまとわりつく。
―――嫌だ。
探ろうとしている、見透かそうと、やめて、やめて!
『お前は』
貴方は。
気付くと足元に穴が広がっていた。
堕ちる!
伸ばした手を誰かがギュッと掴んだ。
そのまま引き寄せられて、しっかりと抱えられる。
広くて温かな胸。
いい匂い。
安心する、この温もり、私、知ってる。
時々だけど、傍にいてくれたよね。
優しい眼差しを覚えているよ、あの、綺麗な緑色の瞳。
懐かしい。
貴方は、私の。
『待っていた』
うん。
『いつも見守っているよ、私の』
うん、有難う。
頑張るからね、大丈夫だよ、今度はきっと―――きっと。
――――――――――
―――――
―――
目を開いたら大きな膨らみがあった。
谷間に顔を埋めると「ううん」って眠そうな声が聞こえる。
落ち着く匂い。
見上げた寝顔は口元から涎を垂らしてる、ふふ。
「ん、んむ、むにゃ?」
長いまつげが震えて、うっすら覗いたオレンジの瞳がふにゃりと緩む。
「おはよう」
「おはよう、セレス」
「寝起きの君も可愛いね」
「ふふ、セレスもだよ」
「ん、よく眠れたか?」
髪を撫でられながら、また胸に顔を埋めると「よしよし」って背中を優しく叩かれる。
「大丈夫だ、私がいる、心配いらない、もう怖くないよ」
何のことだろう?
もしかして、私、またうなされていたのかな。
そういえば夢を見たような気がするけれど、内容は全然思い出せない。
隣で寝ていたから、セレスは気付いて安心させようとしてくれていたのかも。
心配かけてばかりだ。
いつも有難う、セレス。
「セレス、起きよう、きっともう朝だ」
「ああ、そうだな」
今日は、大切な役目がある。
兄さん達とカズサが魔獣の討伐へ出ている間、この集落をセレスとモコと守るんだ。
何も無ければそれが一番いい。
でも覚悟だけはしっかりしておこう。




