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貴き瞳

「ふッ、ふざけるなッ!」


いきなり腕を引かれて、わぷっ、苦しい!

胸の谷間から見上げたセレスはすごく怒ってる。


「いきなり何を言っている! ハルちゃんと結婚? 冗談じゃない!」

「むっ、何故だ?」

「そりゃそうに決まってんだろワン、このアホぉ」


銀の毛のワウルフも歩いてきた。


「すまねえなぁお嬢さん方、俺はワフリスっていうんだ、こいつの相棒やってるワン」

「相棒?」

「ここじゃ見ての通り、妖精と獣人が一緒に暮らしてるワン、んで、俺とカズサみてえに相棒組む奴もいるんだワン、俺達は協力して戦うのが性に合ってるからな」


それはやっぱりイヌだからなのかな。

銀の毛に赤茶色の瞳のワフリスは何となくカズサと雰囲気が似ている。


「おいアホ、知り合って間もないお嬢さんにいきなり結婚を申し込むなんざ何事だワン、順序ってもんがあるだろ、ちっとは弁えろワン」

「だがハルは『貴い瞳』の娘だ、それに先ほどの奇跡を起こせるだけの力を持っている」

「お前、俺が言うまで気付いてなかっただろワン」

「それは仕方がない、俺は目付きが鋭いから、恐れさせてはいけないと目を合わさないよう心掛けていた、礼を欠いたことは謝罪しよう」

「そういうことじゃねえんだよワン」


呆れるワフリスは、私をぎゅうぎゅう抱きしめて離そうとしないセレスを見てフッと笑う。

実は結構苦しいんだけどな、セレス、胸が大きいから。


「大体よく見ろワン、こっちのお嬢さんの様子、ただごとじゃねえワン」

「そうか?」

「なあ、アンタたちいい仲なんだろワン?」


「えっ」ってセレスと同時に声が出た。

いい仲って、どういう意味?

それってあの、友達とは、違うよね?


「まッ訊かなくても分からぁワン、好き合う奴らの間に割り込むなんて野暮な真似するもんじゃねえぜ、それくらいお前でも理解できるだろワン」

「つまり二人とも妻に迎えるべきということか」


「違うッ」ってワフリスが牙を覗かせながら唸る。

ええと、そもそも結婚を申し込まれた理由が分からないんだけどな。


「俺は好みというなら気の強い女が好きだ、お前は腕っぷしも強そうでなおいい」

「は? バッカ野郎! 誰がお前なんかと結婚するかッ、いい加減にしろ!」

「うん、いい、そしてお前もハルも美しいな、俺は果報者だ」

「ふざけるなッ! 結婚しないって言ってるだろ!」

「不安なのか? 案ずることはない、俺は甲斐性がある、妻は何人いても問題はない、亡くなられた親父殿にもこれでようやくご安心いただける」

「こッンの野郎!」


セレスがカズサに飛び掛かる!

笑いながら防いでいたカズサも段々「むッ、これは、なかなかッ!」って真顔になっていく。

どうしよう、セレス、すっかり頭に血がのぼっているみたい、呼んでも止まらないよ。

モコとハラハラしながら見守っていたら、カイが「クソ面倒クセぇことになりやがって」なんて言いながら来てくれた。


「カイ!」

「あーあー、やられっぱなしじゃねえか、まあ求婚相手に手はあげられねえか、やれやれ」

「ねえカイ、お願い止めて、カズサ血が出てるよ」

「お前も何でこう厄介ごとに巻き込まれンだ」

「そんなの分かんないよ、私が知りたいくらいだよ」


「まあそうだよな」ってぼやきながらカイは面倒臭そうに仲裁に入ってくれる。

ワフリスも手伝って、二人がかりでどうにか暴れるセレスを抑え込んだ。


「ふッ、素晴らしい拳だ、速く、正確で、且つ重い、それに尻の形もいい」

「お前いい加減にしろワン」

「おい、そいつ黙らせておけ、ハルはこいつをどうにかしてくれ」


カズサは鼻血と、口の端も切れて血が滲んでいるけど、全然気にしていない。

興奮してフウフウ息を荒げるセレスの前にしゃがみ込んで「落ち着いて」って頬に触れたら、急に涙目になって「ハルちゃん」ってしょんぼりする。


「ごめん、頭に血がのぼって」

「平気だよ、でも、カズサはボロボロだよ」

「あんな奴どうだっていい、自業自得だ」

「その前に俺に何かねえのか、手間かけさせやがって」


有難うカイ、助かったよ。

すっかり落ち込むセレスを、モコと二人でよしよしって慰める。

兄さん達とメルも傍に来た。


「カズサ、『貴い瞳』というのは一体なんだ?」


振り返ったカズサは、リューを見上げて眩しそうに目を細くした。


「そういえばお前も『貴い瞳』だな」

「なんだよ、こっちもろくに見てなかったのかワン」

「出会い頭に目を合わせると威嚇になってしまう、中で話していた時は暗くて分からなかった」

「適当だなワン」


ワフリスは呆れたようにワフッと鳴く。


「『貴い瞳』というのは神の寵愛の証、お前とハルの、その美しい緑の瞳のことだ」

「ここじゃ寒色系の目の色は珍しいんだワン、特に緑は大地神ヤクサさまの恩寵を賜っていると謳われるんだワン」

「ヤクサに愛されし者は豊穣と富を呼ぶ、故に我らは『貴き瞳』の者を伴侶とし、その血を一族にもたらす」

「要は繁栄の象徴ってわけだワン、さっきから皆がアンタらのことを見てるのは客人として珍しいってだけじゃないぜ、俺の一族だって随分懐いてるワン」


もっとも俺たちはそれだけじゃねえがって、ワフリスは鼻をクンクンと動かす。


「アンタたちから何とも言えない、いい匂いがするんだワン、懐かしいっつうか、こう、堪んなくなっちまうっていうか」


オーダーのオイルとか、石鹸とか、洗髪料なんかの匂いかな。

自分の体の匂いってよく分からないよ、でも、クサいって言われるよりは全然マシだ。

ちゃんと毎日綺麗にしていても、野宿でまさか裸になって体を洗うわけにもいかないし、肌着や服だってたまにしか洗濯できないから、本音を言うと気になっていたんだよね。


「だが俺がハルを娶りたいと思ったのは、『貴き瞳』だけが理由ではない」


血を拭い、カズサは胡坐をかいて、改めて私の目をまっすぐ見ながら話しかけてくる。


「お前は深い傷を負った我が一族を労わってくれた」

「えっ」

「皆のあんな笑顔を見るのは久方ぶりだ、俺は族長だが、俺には皆を笑わせてやれなかった、しかしお前は、俺に出来ない事をいとも容易くやってのけた」

「それは、でも自慢するようなことじゃないよ、喜んで欲しかっただけで」

「その謙虚さもいい、ハル、お前は強く、美しく、慈愛溢れる女性だ、是非妻に迎えたい」

「させるかって言ってるんだよ! この野郎!」

「セレス、お前も俺の妻になってくれ、お前の強さも我が一族に欲しい」

「なるかぁッ!」


また怒り出すセレスを慌てて引き留める。

ダメだよ、喧嘩しないで、カズサに悪気はないようだし、断るだけでいいよ。


ふと気付いた。

ロゼ兄さんが無表情だ。

いけない、リューが止めてくれているんだろう、兄さんも怒らないでね?

二人とも本当にもう、無理強いされたわけじゃないし、少しは落ち着いてよ。


「おいカズサ、嫁を貰うのも長の務めだが、その前にやらなきゃならねえコトがあるだろワン」

「む、そうだった」


改めてカズサは「作戦を練ろう」なんて言うけど、すっかりそんな雰囲気じゃない。

「仕切り直しだな」ってリューが首を振った。


「すまないが、こちらとしてはもう少し情報が欲しい、分かっていること全て教えてくれないだろうか」

「構わない」

「ハル、セレス、モコ、それとカイも、話は俺達で聞いてくる、お前たちは外で待っていてくれ」

「はい兄さん」

「はーい」

「分かりました」


厚手の布をくぐって洞穴の中へ戻っていく姿を見送ってから、ふうっと息を吐く。

カイもなんだか疲れた顔だ。

またセレスはしょんぼりしているし、モコだけキョトンとしてる。


「おねえちゃん」


離れた場所から様子を見ていた獣人たちの中から、小さな子と小さなワウルフが何人か駆け寄ってきた。


「ねえ、おねえちゃんはカズサとけっこんするワフ?」

「ううん、しないよ」

「どうして? カズサさま、すごくつよいよ!」

「かっこういいよ、カズサさま!」

「前にかりのしかたを教えてくれたんだよ!」

「ボクにもきれいなトリの羽をくれたワンッ」

「ワタチおっきくなったらカズサさまのおよめさんにしてもらうんだぁ」


カズサは皆から慕われているんだ。

いい長なんだね。

瞳も言葉もまっすぐな獣人だった、結婚はできないけれど、友達にはなりたいな。


「ねえおねえちゃん、さっきのまたやって!」


一人がそう言うと、他の子たちも「やって! やって!」と騒ぎ出す。

元気だね、よし、それじゃもっと楽しませちゃおう。


「じゃあ、今度はね―――」


そして気付けば陽は西へ傾いて、皆と一緒にたくさん笑って、はしゃいで、大人達ともすっかり打ち解けた。

モコはニャモニャの里でもしていたように、羊の姿になって、小さな子たちを乗せてピョンピョン跳ねている。

セレスも、カイは少し面倒くさそうだったけど、一緒に遊んでくれた。

楽しいな。

だけど時々「結婚しないの?」って訊かれる事だけちょっと困ったけれど。


集落のあちこちに松明が灯されていく。

聳え立つ岩の影へ沈んでいく夕日を見送った。

―――夜だ。

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