試練の砂海 1
大体予想通りに、陽が沈むころに岩山を下山して、麓で野宿することになった。
夜の間はロゼが結界を張ってくれるから、昼よりむしろ安全だ。
「なあ、改めて訊くけどよ、なんだってあのクソヤバいラタミルがお前らの兄貴なんだ?」
「ヤバい?」
「怖いとかそういう意味だ」
「ロゼ兄さんは怖くないよ?」
「怖いだろ、お前は身内だから分かんねぇンだよ」
「師匠は恐ろしくなどない、だが畏怖という意味なら理解できる、あの方は稀なる貴い御方だ」
「ぼく、いまもときどき、ちょっとろぜこわいよ」
「この能天気どもめ、お前らよりコイツの方がよっぽどまともじゃねえか」
私とセレス、モコ、カイで話していると、メルが来た。
カイの隣に座って「そうね、確かに私も御方は恐ろしいわ」とこっちを見る。
「これまで話に聞いたことしかなかったけれど、お会いして実感した、あの方は異質よ、最早ラタミルでさえない」
「うん、兄さん、自分でもラタミルじゃないって言ってる」
「少し違うわ、ハルちゃん、御方は我らより遥かに格上の存在であられる」
どういう意味?
まさか神だなんて言わないよね?
流石にそれは違うよ、それに神は人に干渉しないんでしょう?
「だがまあ、お前の兄貴でいてくれるのは、こっちとしては正直有り難いぜ」
「そうね、とても心強いわ」
「ふふんッ、そうだろうとも、師匠はこの世の奇跡であられるからな!」
「うん、ししょー、つよくていちばんきれーだよ!」
「分かるわ」
「何なんだお前ら、俺はなるべく関わり合いになりたくないぜ、どっちにしろヤバいってのは変わらねぇからな」
こればかりは仕方ないかな。
怖いかどうかはともかく、ロゼをどう思うかはカイの自由だ。
私としては好きになって欲しいけど、無理強いはできないよ。
「お前たち、もう寝ろ」
リューが来て、毛布代わりの大きな布を私とセレス、モコに被せる。
「明日の朝も早い、お喋りはそこまでだ」
「うん」
「はーい」
「すみませんリュゲルさん、お先に休ませていただきます」
「カイも休むといい、それからメル、君は」
「私も適当に休んでおくわ」
「ああ、分かった」
頷いて、ロゼがいる方へ戻っていくリューを見送った。
メルも立ち上がって「少し夜風にあたってくるわね」って翼を広げて飛んでいく。
光沢のある黒い翼に目を奪われる。
月明かりを受けて羽ばたく姿は、まさしく『夜月』って印象だ。
「美しい」
「そうだね」
「める、きれー」
ふと気付くと、カイが場所を移して布に包まっている。
「カイ?」
「俺はラタミルと違って多少休まないと持たねえ、だから寝る、おやすみ」
「こっちで一緒に寝ようよ」
「バカ言え、お断りだ」
そっぽ向かれた。
セレスが「気にするなよハルちゃん、私と一緒に寝よう」って体を寄せてくる。
う、これはこれで、少し落ち着かないかも。
セレスとは何度も同じ部屋で寝泊まりして、同じベッドで眠ったこともあるけど、最近はつい意識してよくないな。
だってセレスがあんなこと―――『愛してる』なんて言うからだよ。
「ハルちゃん?」
「うん、寝ようセレス、モコも、寒くない?」
「へーき、はる、せれす、さむかったら、ぼく、はねだすよ」
「大丈夫だよ、それじゃおやすみ、モコ、セレス」
「うん、おやすみ!」
「おやすみ、二人とも」
砂漠の夜は昼間よりぐっと冷え込む。
でもみんな一緒だとあったかくて安心だ。
明日から移動する砂漠で何が起こるか分からないけれど、無事に商業連合に辿り着こう。
そして必ず、カイの妹のアティを見つけ出すんだ。
――――――――――
―――――
―――
昏い。
何も見えない。
何も聞こえない。
何も―――無い。
視線?
ハッと振り返る。
何も無い、誰もいない筈なのに、誰かいる。
(誰?)
花が咲いた。
キラキラ淡く輝いて眩しい。
この花はポータス、こっちはトゥエア、それから他にもたくさんの花が咲いて。
その花の渦の奥から、誰かの手が、私を。
『貴方で満ちた』
私に、触れて。
『ようやく満ちた、破滅を呼ぶものは既に現れてしまった、全てが失われてしまう前に、どうか』
温かな手。
この手を私は知っている?
『貴方へ、花を』
どうして。
胸が苦しい、すごく懐かしくて、すごく切なくて、すごく―――恐ろしい。
『咲かせて、そして、歌って』
歌う?
『今度こそ、永久に咲く花を、永久の歌声を、満ちた貴方が誘って』
急に闇が膨らむ。
目覚めてしまう。
もうすぐだ、どうしよう、全部消えてしまう。
あの黒い手が目覚めさせる、これは定まっていたこと、どうにもならない、だけど未来はまだ定まっていない。
『ハルルーフェ』
耳元で「待っていた」と囁く声がした。
――――――――――
―――――
―――
飛び起きて肩で息をする。
辺りはまだ真っ暗だ。
モコがパチッと目を空けて、セレスも眠そうに体を起こす。
「どうしたハルちゃん、怖い夢でも見たのか?」
「はるぅ、だいじょぶ?」
「うん、平気だよ」
動悸が凄くて苦しい。
怖い夢、確かに凄く怖かったけれど―――あれ? 思い出せない。
何か良くないものが迫ってきているような夢だった。
「大丈夫か?」
汗で張り付いた私の前髪を除けながら、セレスが覗き込んでくる。
オレンジ色の瞳と目が合うと、少しだけ気持ちが落ち着いた。
「酷い顔色だな、もしかして、また何かを示唆するような夢を見たんじゃないか?」
「そんな気がするけど、思い出せないんだ」
「そうか」
「はる、だいじょぶだよ、しんぱいないよ」
「うん」
「ぼくも、せれすも、ししょーもりゅーも、めるもかいもいるよ、だいじょぶだよ」
「そうだね、有難うモコ」
心配かけたな。
さっきのは夢だ、ただの夢。
内容だって思い出せないし、気にする必要なんてない。
「ハル」
ふと気付くと、後ろにロゼがいる。
座り込んで私を抱き寄せながら「よくない夢を見たようだね」って頭にキスされた。
「この先の夜は僕が君の夢を護ろう、今夜はもう恐ろしい夢など見ないよ」
「うん」
「心配いらない、君についているのはこの僕、君とリューの頼れるお兄ちゃんさ」
「そうだね、有難うロゼ兄さん」
「さあ、眠りなさい、ハル、君に安らかな夜を」
ロゼがいてくれる。
それだけでこんなに安心できる。
広げた翼の内側に、モコとセレスまで「ついでだ」なんて抱き込んで、このまま傍にいてくれるんだね、有難う。
「ふぁああ、ふぁああああッ、師匠、師匠ッ」
「あんしんだね、はる」
「そうだね、モコ」
「師匠ぉッ」
「お前はうるさい、さっさと寝ろ」
ふふ、セレスは仕方ないなあ。
大きな手で髪を撫でられて、また眠くなってきた。
でも今度はきっと怖い夢を見ない、そんな気がする。
目を瞑ると歌声が聞こえる。
―――ロゼが歌う子守唄だ。
久しぶりに聞くな。
世界一安心な腕の中で、暖かな胸に凭れながらとろとろと意識を委ねる。
いつの間にか眠っていたけれど、今度は朝まで熟睡だった。
有難うロゼ。
やっぱり頼もしいよ。




