秘された署名
「件の場所では生物の強化実験が行われていたようだね」
「もう少し具体的に頼む」
「記されていた内容に僕の推論を加えても構わないかな?」
「ああ」
「では話そう、行われていた実験に関しては文字通り生物の強化だ、より強い肉体、より強い精神を備えた、現存する生物を遥かに凌ぐ生物を生み出そうとしている」
「目的は」
「いくつか考えられるが、最も現実的なものとしては『器』だろうね」
「うつわ?」
「そう、『器』だ、何者かが宿るための肉の器、妥当な線としては魔人だろうか」
「待ってくれロゼ、魔人は現存する物質に宿ると」
「完全に消滅する恐れがある、故に強化された肉体を手に入れようとした」
「何故だ」
「肉体があった方が安定するからさ、概念なんて曖昧なものは簡単に覆されてしまうからね」
ロゼが笑う。
でも、ラタミルって確か概念寄りの存在なんだよね?
その気になれば永遠に存在できるけど、大抵はいずれ摩耗して消滅するって前に聞いた。
ロゼもモコもメルも、不安定な存在なのかな。
「おや、僕の賢しい弟と妹は疑問点に気付いたようだ」
私の髪を撫でて、リューの頭もポンポンと軽く叩いて、ロゼはなんだか楽しそうにニコニコしている。
「僕やそこのソレ共も概念寄りだが、魔人とは根本が異なる、肉の器など必要としないよ」
「そうなのか」
「ああ、ラタミルが何かに取り憑くなどという荒唐無稽な話、聞いたこともないだろう?」
「まあそうだな」
「そういうことだよ、この姿かたちは既に完成されている、不足も過剰もない、それがラタミルなのさ」
そうだよね、ラタミルは天空神ルーミルの眷属で、魔人は魔物の一種、根本が違うなんて当たり前だ。
ロゼは私とリューが納得したのを見てまた話し始める。
「強化生物製造の過程で、副産物として件の『粉』が作られたようだ」
「それで、有効利用しようってことになったわけか」
「ああ、主成分はヒトの脊髄から抽出される―――おっと、この辺りは詳しく語る必要は無いね」
ちらりと向けられた視線に、あの建物へ入った直後に見た光景を思い出して少し震える。
ロゼは私の肩を抱いて、肩を手でポンポンと優しく叩いて宥めてくれた。心配してくれて有難う、兄さん。
「オルトから魔力を吸い上げていた裏も取れたよ、しかし一番の発見はそこではないだろうな」
「なんだ?」
「僕は興味ないが、君たちは驚くだろう、その紙束の一番下を取り出して裏返してごらん」
言われた通り取り出した一枚を裏返して暫く眺めてから、リューは「何も書いてないぞ」とロゼに言う。
「あるさ、特定の魔力に反応するインクだよ、ほら、貸してごらん」
受け取った書類の紙面にロゼはフッと息を吹きかける。
すると文字が浮かび上がってきた、すごい!
内容は何かの契約書みたいで、文末に直筆らしいサインが走り書きされている。
「ノーディス、ガナフ?」
リューの隣から覗き込んでいたセレスが唖然と呟く。
「ガナフって、あのガナフか?」
「そうです、ノーディス・ガナフ、あのガナフ候補のことです」
「内容は資金援助と研究成果の譲渡、待て、連名でもう一人署名している」
「バロクス・ペッグ」
「知っているか?」とリューに訊かれて、セレスは「いいえ」と首を振る。
メルも「私も聞いたことはないわね」と顎に手をやった。
「だが恐らく西の、商業連合の商人の名だろう」
「状況からして可能性は高いと思います」
「確かにそうね、選挙の利権が絡む国内の協力者より、商売絡みの国外協力者の線が濃厚だわ、こうして事が明るみに出た時の被害と、協力の旨味を比較して、国内の協力者じゃ損の方が大きいもの」
「何より今回のこと、ベルテナは父親に命じられてディシメアーを襲撃したと言っていた、ガナフにとっては大きな痛手だったろう」
「この事件を上手く利用するつもりかもしれません」
「特区の時とはわけが違う、単純に獣人に罪を着せるというわけにもいかない、つまりガナフも所詮は捨てゴマか」
内乱を起こすための下準備として利用された、そういうことなのかな。
ため息を吐いたリューは、手元の書類をクルクルっと丸めて「ロゼ」とロゼ兄さんへ手渡す。
「特区代表に届けて欲しい、それと手紙を書くから、そっちはフェルディナント様へ届けてくれ」
「君は相変わらず僕使いが荒いな、まあいいさ、可愛い弟に頼まれては断れないよ」
ロゼは丸められた書類に魔力で封をして、空へ掲げて「誰か」と呼んだ。
すぐ大きな翼を持つ鳥が飛んで来て書類を受け取る。
「これを特区代表へ届けるように、親書だ、確実に本人へ渡せ」
鳥はひと声鳴いて、空へ飛び去っていった。
「さて、リュー、手紙を書いたら僕におくれ、届けさせよう」
「助かる」
不意に啜り上げるような声が聞こえて、見たらセレスが口元を両手で押さえながら泣いてる。
ど、どうしたの?
「ああ師匠ッ、師匠は真実神であられた、我が神よ、師匠ッ、尊敬します、師匠ッ」
「おい、僕は神ではない、誤った認識を僕に対して持つな」
「いえ神ですッ! 師匠は私の神ですッ、師匠、尊敬します! 崇めます! 師匠!」
「神が師などとおこがましい、身の程を弁えろ」
「もっ、勿論です、なので今後は更に師匠を崇め敬いつつ、その高みへ少しでも近づけるよう精進いたす次第ッ」
「つまりこれまでと変わらないってわけか」
やれやれってリューが苦笑した。
泣いてるセレスを見て、不意に気付いたように「あれ」と呟く。
「そういえばセレス、君、髪が」
「あ、はい」
私も今更だけど、セレスが髪を下ろしていることに気付いた。
助けてくれた時はいつもみたいに高い位置で一つにまとめていたよね、ロゼのシュシュも付けていたような。
「実はあの騒動の最中、切れてしまってそのまま、そのままッ、おァッ、オアアアアアァ~ッ!」
ますます泣き出すセレスに、傍へ行って「泣かないでセレス」って背中をさすってあげる。
あんなに喜んでいたのに、私まで辛いよ。
「師匠がッ、師匠がわだッ、わだしに下さったのにッ、私のためにッ、てづッ、手作りのッ、おッ、ヴオッゥオッ、ヴオオオオオオオォォォ~ッ!」
「おい何とかしてやれないのか、ロゼ」
「道具は役目を果たした、それだけのことだ」
「ロゼ」
「使って壊れるのは当然だろう、騒いだところでどうにもならない」
「ロゼ」
「君は僕にどうしても言わせたいのか、だが断るよ、面倒だ」
リューはため息を吐いて、セレスに「大丈夫だセレス、ロゼがまた新しいのを作ってくれる」って声を掛ける。
「えッ」
「こいつは意地が悪いからな、だからそんなに泣くんじゃない、道具はいずれ壊れる、だが存在したって事実は消えないだろ?」
「は、はい」
「なら覚えておけばいい、あれには加護が掛けられていた、きっと君を守って壊れたんだ」
「加護?」
「ああ」
「師匠が、私に、加護を授けてくださったのですか?」
見上げるセレスの方をロゼは見ない。
腕組みして面倒くさそうに海を眺めている。
「おッ、おおッ、し、師匠ッ、師匠ッ!」
「うるさい」
「ししょおーッ!」
「こうなると思ったよ、言っておくがお前のためじゃない、間接的に僕のハルのためだ」
「はいぃッ、尚更有難いです、わたッ、私にハルちゃんを守る栄誉を授けてくださって感謝します、師匠ぉ~ッ!」
「違う、どうしてお前はそう自分に都合よく解釈する」
「師匠ぉ~ッ!」
「おい何とかしてくれ、僕の手には負えない」
ロゼをこんなに困らせるなんて、セレスってもしかしたら別の意味で凄いのかもしれない。
苦笑するリューがよしよしとセレスの頭を撫でる。
私も、モコも、一緒にセレスをよしよしって撫でてあげた。そんなに泣いたら目が腫れるよ。
メルは私達を見てクスクス笑ってる。
「仲がいいのね、それにとっても可愛らしい」
「彼女はハルの友人だが、まあ、妹が一人増えたようなものだからな」
「そうね、その子も合わせて三姉妹ってところかしら」
モコが「えへへっ」って私の腰にギュッと抱きついてきた。
「でも本当に珍しい、はぐれた雛が成体になっているなんて」
「えっ」
「とても大切にされたのね、それと、ロゼ様がおられたからかしら」
「メルさん、それどういう―――クシュッ」
くしゃみした、少し肌寒いな。
この格好じゃ仕方ないよね。もう洗っても落ちないくらい汚れているし、あちこちボロボロだ。
「ひとまず話はお終いにして戻ろう、ハル、セレス、お前達は着替えて休んだ方がいい、一晩中気を張り続けて疲れているだろうからな」
そうだね、そうしたい。
リューの言葉に頷いたら、気が緩んだのかあくびが出た。
とうとう200話まできました!
ベティアス編も終盤です、のんびり進行ですがよろしくお付き合いください。
次回よりまた基本週末更新に戻ります。
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執筆のモチベーションが上がりますので、どうぞよしなに。




