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水面の裏の闇

「皆様」とヴァニレークが立った。

一緒に子分たちもピョンピョンッと立ち上がる。


「我々はそろそろお暇させていただきますクゥ」


全員でぺこりと頭を下げる。

ヴァニレークのお辞儀は綺麗だ、子分たちは可愛い。


「皆の無事を確認してきますクゥ、この度のこと、後ほど改めて礼をさせていただきますクゥ」

「それは気にしなくていい」


リューが返すけど、ヴァニレークは首をゆっくり横に振った。

子分たちも「つれないこと仰らないでくだせえクゥ!」「ニャモニャは宴を開いたそうじゃないですかクゥ!」ってピョンピョン跳ねる。


「今の我らでは宴など開けませんが、アイツも、バニクードもきっと礼をしたいと言うでしょうクゥ、ですから是非」

「君たちがそう言うなら、楽しみにしているよ」

「有難うございますクゥ、では改めて、妖精の恩人であり、我らの恩人であられる偉大なる皆様に感謝と敬意を!」


ウサギの海賊たちは揃ってお辞儀する。

こんなに可愛いけど、戦っている最中は勇ましくて頼もしかった、バニクードたちもきっと同じだったろう。

オルト様は目覚められたし、二つの海賊団は、あの浜で人目につかないよう会っていたヴァニレークとバニクードも、そう遠くないうちにまた一緒にいられるようになるよね。

ボートに乗り込んだ海賊たちは笑顔で手を振って遠ざかっていく。


「またお会いしましょう、お元気でクゥ!」

「頑張ってくだせえクゥ! この海から応援していますクゥ!」

「いつでも遊びに来てくださいクゥ! 歓迎させていただきますクゥ!」

「この恩は必ずお返ししますクゥ! 有難うございましたッキュ!」


私も手を振り返して、ボートが岩陰に見えなくなると、リューが改めて「さて」と話を切り出した。


「俺達も今回のことについて情報を整理しよう、まず何があったか聞かせて欲しい」


そうして先にリューが見聞きしたこと、体験したことを、私とセレス、モコに聞かせてくれる。

外洋から押し寄せてきた魔物の大群、ディシメアーの街で起きた暴動。

大津波が起こった時、魔物たちは散り散りに逃げていったらしい。

この辺りの海の生態系は今回のことでかなり被害を受けたけれど、オルト様が目覚めたし、回復にはさほど時間はかからないだろうってロゼから聞いてホッとした。

むしろディシメアーの街の被害の方が深刻だ。

また人がたくさん亡くなった。


ベルテナ、と聞いてセレスの表情が曇る。

だけど大丈夫かな、従者に鎌でくし刺しにされたって、あの男の人だよね?

どうしてそんなことしたんだろう。

二人は主従関係じゃないのかな。

混ざった騎獣の話、ネイドア湖の大蛇やサマダスノームのキメラを思い出す。

父親に言われてディシメアーを襲撃したベルテナ、そして魔人ラクス。

セレスの兄君のサネウ様も無関係じゃないはず。

商業連合は本当に内乱を起こそうとしているのかな、だとすればサネウ様は何をお考えになって、それに、魔人はどうして関わっているんだろう。


リューの話を聞き終えて、今度は私達の番。

私がしっかり説明しなくちゃって思っていたんだけど、先にセレスが話を切り出してくれた。

今、きっと辛いのに、有難う。

何があったか、何を見たか、しっかり説明できるセレスは強くて格好いい。

改めて素敵だな。

私もセレスみたいに頼もしくなれるよう、頑張らないと。


「ラクス?」


名前を聞いて反応したリューに、セレスが「ご存じなのですか?」と尋ねる。


「ああ、だがその魔人はロゼが暫く再起不能になるよう潰しておいたと」

「だからあんな肉塊のような姿をしていたんですね」

「しかし復活していたそうじゃないか」

「オルトから魔力をかすめ取ったのだろう」


ロゼが言う。


「建物自体がオルトの魔力を動力源としていたなら、件の魔人もおこぼれにあやかっていたに違いない」

「不敬な輩だ、カイが怒るのも当然です、師匠、ではあの建物も件の魔人が」

「あれは別の魔人が建てたものだ」

「それはオルト様を眠らせた奴なのか?」

「いいや、魔人ごときに海神をどうこうなどできないよ」

「では一体誰が」

「さてね、しかし魔人の動きが妙だ、まるで何かしら企みごとでもあるかのようじゃないか」

「粉に一枚噛んでるんだろう」

「魔人がヒトに協力するなどありえないよ、よくて使い捨てのコマさ」

「カルーパに取り憑いたラクスとかいう魔人は、まさしく使い捨てにされたのもしれませんわね」


考え込むリューとセレスを見て、メルが口を開いた。


「幻術を使えたそうですし、獲物をおびき寄せ、ヒトを目的のため利用させていたけれど、破綻したので捨てられた」

「カルーパは巻き添えを食ったわけではない」

「ええ、覚悟されておられたと、見ていて伝わってまいりましたわ」


え、と思わず声が漏れる。

兄さん達が、セレスが、モコも、メルも、私を見る。


「カルーパ様って、ご自身が命を落とすって分かっていてラクスを取り憑かせたの?」

「ああそうだよ」


ロゼの手が私の髪をゆっくり撫でる。


「ハル、魔獣と魔人の定義が異なることを知っているね?」

「うん」

「物質寄りの魔獣に対して、魔人は概念寄りの存在だ、故に単に器を破壊しただけでは完全に消滅させることは出来ない」

「既存の物質と同化させて破壊、もしくは、存在の根本的な否定、だよね?」

「その通り」


ニコッと微笑んだロゼは、ふと遠い目をして海を見詰めた。


「これは僕の推論だが、カルーパはあの騒動の結末を知っていた、故に運命を受け入れたと、そう思う」

「未来を予知したの?」

「ああ、だが恐らく予知は何者かから授けられた、カルーパはその予知に向けてずっと覚悟を定めていたのだろう」


僕にすら明かしてはくれなかったが、そう呟いた声を海風がさらっていく。

少し寂しそうなロゼに体を寄せる。

また私を見て、ロゼは薄く笑って紫色の瞳を柔らかく眇めた。


「オルトもカルーパの覚悟を理解したからこそ、この辺り一帯は水没せずに済んだのさ」

「でも物凄い津波だったよ」

「かの慈悲深き女神が何者にも代え難い特別な(しもべ)を失い、しかしあの程度の乱心で自制した、僕はむしろカルーパの見事な幕引きに改めて感銘を受けたよ」

「カルーパ様は海だけじゃなく、この辺り一帯の陸も守ったってこと?」

「彼はもっと多くのものを守ったのさ」


急に胸にこみあげるものがあって、そんなつもりなかったのに涙がこぼれる。

同時に何かがはらりと落ちた。

あれ、これってポータスの花びらだ、どうして?


「ハル、どうした」


リューが目を丸くしている。

セレスも、メルも驚いた顔をしていて、ロゼはほう、と吐息を漏らすと「美しい」って指で私の目元を拭う。


「加護を受けたね、君からオルトの気配を感じる」

「うん」

「あらゆる能力が底上げされているよ、今後はエノアの花を咲かせる負担もいくらか軽減されるだろう」

「そうなの?」

「女神からの贈り物だ、しかしそれでも安易に花を咲かせてはならない、困った時は僕とリューを頼りにしなさい、いいね?」

「はい」


花弁は空気に溶けるように消えていく。

モコが「キレーだね」って笑った。そうだね、不安に思うより、そう考えた方がずっといい。


「リュゲルさん、こちらをどうぞ」


おもむろにセレスが腰に縛っていた袋を外して、中から何か取り出した。

紙束? 濡れてすっかり張り付いている。

受け取ったリューは「イグニ・パレクスム」って唱えて乾かした束に目を通す。


「これは」

「崩壊した件の建物内部で発見した書類です、全てではありませんが、一部だけでも持ち出せました」


あの袋、私に靴やオーダーの道具を持ってきてくれた時の袋だ。

ずっと腰に結んでいたけど、別の用途で使っていたんだね。

リューは険しい表情で「インクが滲んで読めない箇所が多いな」ってぼやく。

それを聞いたセレスが「使えませんか」と少ししょんぼりした。


「いいや、飛び飛びではあるが内容は概ね判別できる、機密文書だな」

「はい」


傍にメルが寄ってリューの手元の紙束を覗き込む。

ロゼもリューの傍へ行くから、私とセレス、モコも、全員で集合した。


「生体強化、副産物としての麻薬物質?」

「これは被検体の数ね、百以上いるわ、こんなに集めていたなんて」

「特区でも獣人の行方不明事件や誘拐が起きていた、内訳の殆どは獣人だろうな」

「何かの投与の数値と経過を記したものがあったはずです」

「―――これか、もしやあの『粉』の実験か」

「製造方法が書いてあるようね、主成分は人体から採取される」


兄さん達とセレス、メルの話を聞いていると、モコがギュッとしがみついてきた。


「どうしたの?」

「はる、ちょっとだけこわいのみえた、よくない」

「え?」

「―――どれ」


ロゼがリューから紙束をひょいっと取り上げた。

中身をパラパラッと見て、またリューに返す。


「こらロゼ」

「大まか概要は察せられたよ、件の建物内で『粉』の製造及び改良をおこなっていたようだね」


リューが「お前の見解を詳しく聞かせてくれ」ってロゼに言う。

「いいとも」とロゼはニッコリ笑い返した。

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