表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
196/555

女神の目覚め

※津波の描写があります、ご注意ください。

生臭い潮風に響く嗤い声。


「ちょっとだけ、あぶない」


モコが私を庇うように体の向きを変える。

直後、カルーパ様を包むように光の柱が現れてドンッと爆発音が響いた。

今のは雷?

絶叫と肉の焼け焦げる臭い、眩しくて咄嗟に瞑った目を開くと、全身から煙を昇らせるカルーパ様の動きはさっきより鈍くなっている。


夜空にいつの間にか一際眩しい光を放つ星が現れていた。

背中には羽の先だけ赤く染まった純白の大きな翼、あれは、ロゼだ。

その傍にも誰かいる?

黒い髪、黒い翼の―――まさかラタミル。

どっちも遠くて表情はよく見えない。

ただロゼが片腕を上げてカルーパ様を示すのが分かった。


カルーパ様とロゼは友達なんだよね?

ごめん兄さん、こんなことになって、止められなくて。


「はる、やろう」


頷いて、カルーパ様の頭の上で叫び続けている姿を見詰める。

ラクスは酷いことを沢山して、私も、私の大切な人たちのことも何度も殺そうとして、正直憎い。

だけど少しだけ可哀想とも思う。

あの建物で何をしていたのかとか、どうしてここへ現れたのかとか、まだ分からないことばかりだ。


カルーパ様の両目を覆っていた肉の蔦がずるりとずれて、大きな目がゆっくり開いた。

私を静かに見つめる。

あの目は、オルト様を目覚めさせて欲しいと頼まれた時見た目と、同じ目だ。


「フルースレーオー」


声が出る。

今こそ咲かせよう、届け―――貴女へ。


「花よ咲け、愛よ開け」


モコに掴まる私の胸の辺りから紫色の花が溢れ出す。


「ポータス!」


ブワッと咲いた花が宙に舞った。


「声よ響け、トゥエア!」


今度は青い花。

数えきれないほど咲いた花が海上を埋め尽くす。

紫と青に染まってうねる海。

その中で悶え、苦しみ、叫び声をあげるラクスと、憑りつかれてしまったカルーパ様。


ああ、聞こえる―――


誰かの声が波紋のように響いた。

深く暗い海の底から、何かが緩やかに浮上する。


そうか、君が―――待っていた、ずっとずっと待っていたよ、我らがいとし子。


急に高くなる波に、二艘の海賊船は木の葉のように翻弄される。

船の下から現れた手の平が溜めた水に船を浮かべて掬い上げると、唐突に海が割れて、頭が、肩が、体が現れていく。


それは、胸から上の、髪の長い女性の姿。

少しずつ落ち着いていく波の上へ海賊船を戻し、優しく微笑む。


『愛しい私の(しもべ)たち』


―――海神オルト様。

見ただけで理解して、腑に落ちた。

海を統べる女神、遍く海の創造主であり、世界を創造された三柱の神の一柱。


『何ということだ』


そのどこまでも青い瞳が、カルーパ様を見詰めて哀しげに眇められる。


『カルーパ、忠心厚き我が(しもべ)、最も長く仕えてくれた、我が無二の友よ』


憑かれて操られていたカルーパ様は、振り返ってオルト様を静かに見上げた。


『もったいなき、おことばに、ございます』


その口が動いて、掠れた切れ切れの言葉を紡ぐ。

オルト様の瞳から涙が溢れて零れ落ちた。


『ときが、みちたの、です』

『そうか』

『けいあいする、わが、かみ、よ』

『愛しい私のカルーパ』


抱き寄せられた腕の中で、カルーパ様は静かに目を瞑り、憑りつくラクスは悲鳴を上げてガタガタ震えだした。


『あなたの、めざめが、そのあかし』

『ああ、分かっている』

『いずれ、ふたたび、まみえましょう、そのときは、かならずや、また、おそばに』

『待っているよカルーパ』

『かみよ、いだいなるかいしんおると』


何かに亀裂が入るような音がした。

オルト様の姿が少しずつ石に変わっていく。

背中の甲羅だけじゃなく、脚も、首も、全身に絡みつき張り巡らされたラクスの肉の蔦も一緒に。


『あなたへ、とこしえにかわらぬ、ちゅうせいと、あいを』


鼓膜が破れそうなほどの絶叫が夜の海に轟く。

ラクスが抵抗しながら離れようとしている、だけどもう遅い、きっともう逃げられないんだ。

今になって気付いた。

成す術もなく憑りつかれたわけじゃない、カルーパ様はこうするため、ラクスを自分に憑りつかせたんだ。


「いやぁ、おねがいよぉッ、どうしてこうなるの? わたしはここよ、ここにいるわッ、どうして、わたしはいるのに、みてッ、ねえみてッ、おねがい、わたしをみて、みて、みて」


ラクスも石に変わっていく。

みて、みてと、唇が石になって動かなくなるまで繰り返して、とうとう髪の先まで完全に石化した。


直後にカルーパ様と、憑りついたラクスも同時に崩れ、細かい破片になって海へ落ちていく。

腕の中から失われていく姿をじっと見つめていたオルト様は、両手を顔に押し当てた。


『ああ、カルーパ、なんて―――かなしい』


海が膨らむ。

波が高くなる。

海賊船が船首を返し、それぞれオルト様の傍から逃げ出すように離れて行く。

海上に姿を見せたハーヴィーたちが、船を追って魔力で障壁を張った。

ロゼとあの黒い翼のラタミルももういない。


海が、膨らんでどんどん大きくなっていく。


不意に光が見えた。

ディシメアーの海岸沿いに大規模な障壁が展開される。

あれはきっとロゼだ。

皆、一体何に備えているんだろう。

モコが私を抱えなおしてもっと上へ飛んでいく。


『ああ』


オルト様が囁くようにもらした、その吐息交じりのひと声と同時に、大きく膨らんだ海は波になって一気にディシメアーへ押し寄せる。

ロゼの防壁がもっと高くなった。

街一つくらい簡単に飲み干してしまいそうなほどの波は、障壁にぶつかって轟音と共に砕ける。

ディシメアーに海水の大雨が降り注ぐ。

街のあちこちでちらついていた赤い光は全部一瞬で消えた。

その後―――薄くのぼる煙を見て気付く。


空が明るくなり始めている。


大波が落ち着いて、水没していた浜が現れると、障壁も消えた。

サマダスノームの時と同じように、今度はディシメアーを守ってくれたんだ、有難うロゼ兄さん。

モコが羽ばたいて私をオルト様の傍まで連れていってくれる。


顔を覆っていた両手を静かに下ろしたオルト様の、深い海色の瞳と目が合った。


『満ちし子、ようやく会えたね、ハルルーフェ』


どうして?

名前を呼ばれて、驚いて、訳が分からなくなる。

どうして私を知っているんだろう。


『待っていた、まずは感謝を、深い眠りの中で君の声を聞いた、目覚めさせてくれてありがとう』

「は、はい、オルト様、あの」

『なんだ、ハルルーフェ』


差し出された手の平に、モコはゆっくり私を下ろす。

わっ、うわぁ、か、神様の掌だよ、いいのかな。


「もう、泣かないでください」


オルト様は不思議そうに私を見詰める。


「カルーパ様に言われたんです、貴方が悲しむだろうから、涙を拭って差し上げて欲しいって」

『そうか、カルーパが』

「お辛い気持ちを理解できる、なんておこがましいことは申し上げません、でも、私も悲しいから、慰めることをお許しください」

『許そう』


微笑むオルト様を見上げて、今度は私が泣きだしてしまいそうだ。

唇を噛んで目元をギュッと擦る。


『ハルルーフェ』

「はい」

『君に導きを授けて欲しいと頼まれている』

「えっ」


誰に?

そう訊ねる間もなく、オルト様は語り始めた。


『エノアが君へ託す種子は五つ、二つは既に受け取っているだろう』

「は、はい」

『残りは三つ、一つは西の地、一つは北、そして一つは中央に、それぞれ竜と、そして、白銀の翼が種子を抱き君を待つ』


竜と、白銀の翼?

竜はもう二度会った、ネイドア湖のネイヴィ、シェーラの森のリューラ。

名付けて、エノア様から託されていた種子を受け取った。

白銀の翼は何だろう、竜とは違うのかな。


『全ての種子を君が受け取り、君とあの子の花を咲かせる、君にしかできない、故に君に託す』

「あのっ」


どうして私なんだろう。

「―――どうして私なんですか!」

思い切って叫んだ、ずっと教えて欲しかった。


花は私の何かを消費させる。

ポータスなら愛、トゥエアなら声、他の種子から咲かせる花だってきっとそうに違いない。

だとしたら、全ての花を集めたら私はどうなるんだろう。

どうして私が選ばれたのか、エノア様は私に本当は何を託そうとしているのか、知りたい。


『君は、有限なるもの、無限なるもの、命の全てを備えしもの』


白み始めた夜明けの空を背景に、オルト様の波のようにうねる髪が時折飛沫を散らす。

その髪を透かして陽の光が差した。

長く暗い夜の果て、海の彼方に陽が昇り始める。


『エノアでは、まだ満ちていなかった、しかし君は満ちた、愛しい子、そういえば君への贈り物がまだだったね』

「えッ」

『加護を授けよう』


私を乗せている手の平とは別の、もう片方の手の指先に髪を撫でられる。

耳元で波の音がした。

自分のものじゃない魔力が体に流れ込んで溶けていく。


『エノアの導きは君の足元に種子への道を描く、委ね進むといい、私たちはいつでも君を見守っているよ』

「オルト様」

『なんだ』

「あの、有難うございます」


フフ、とオルト様は笑う。

取り敢えず加護のお礼を伝えたけど、さっきの言葉だけじゃ何も分からない。

満ちるって、何が?

(あの子)は多分エノア様のことだろうけど、建国の女王エノア様はとっくに故人だ。

共に咲かせるってどういう意味?

それに、どうして花を集めて、どうして咲かせるのか、その行為にどんな理由や必要性があるのか、もっと具体的に教えて欲しい。


「はる」


不意に後ろから抱えられて、体がふわりと浮かび上がった。

私が乗っていたオルト様の掌が沈み、お姿が海へ還っていく。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ