ディシメアー襲撃4:リュゲル視点
「ぐぎゃッ」
俺はベルテナを切りはしなかった。
切ったのは騎獣だけ、青いドレスに染みた血も騎獣のものだけのはず。
「いたぁいッ、どうして、どうしてみんなベルテナを虐めるんですの? こんなに可愛くて、特別で、何にも悪くないベルテナを!」
「貴方、さっき『おつかい』って言っていたわね」
メルの問いかけに「そうよ!」とベルテナは憤慨して返す。
「ベルテナはお父様とあの方に頼まれて『おつかい』をしただけッ、なーんにも悪くありませんわ!」
「その言葉と態度こそが貴方の罪よ」
冷たく言い放つメルへ、ベルテナは地面に倒れたまま義手の銃口を向ける。
「知らない! ベルテナに意地悪する貴方こそ悪者ですわッ、しねぇッ!」
ドン、と発砲音が響いた。
咄嗟に盾となってメルを守ろうとした俺を、けれど弾が貫くことはなかった。
魔力の防護壁だ。
いつの間にこんなものを、俺は勿論、メルもエレメントもマテリアルさえ唱えていないのに。
「なんッ、なんで死なないんですのッ、どうして守るのよッ、なんでッ、なんでどうしてッ、なんでぇッ!」
「あらあら、大騒ぎねえ」
「嫌い! 貴方のことベルテナだいっきらい!」
「ウフフ、よかった、私も貴方みたいに醜いヒトは嫌いよ」
激昂するベルテナがメルと言い争っている間に、気付かれないよう傍へ近付く。
落下した時に傷を負ったのか、いつまで経っても起き上がらない様子から察するに、動けないのだろう。
まずは拘束して話を聞かせてもらう。
傷の手当くらいはしてやろう。
粉の出どころ、指示した者、さっきから度々口にしている『あの方』の詳細。この娘に訊きたいことはたくさんある。
「ベルテナは偉いのよ! お父様も特別だって仰ったのよ! なのにこんなのおかしいッ、絶対におかしいですわ!」
叫びながら悔しげに地面を叩くベルテナを―――突然空から飛来した何かが貫く。
「ぎゃッ!」
彼女まであと少しの距離にいた俺も息を呑んで立ち止まった。
急所は外してあるようだが、青ざめ、ぐったりと横たわったベルテナの下に血が広がっていく。
「こーら、だめですよベルテナぁ、あっと、様」
傍らに瘦身の男がふわりと降り立った。
あれは、ベルテナの従者。
「余計なこと喋らんでおけって言われてるでしょ? 仕方ありませんねぇ」
「アガ、ガァッ」
「あらら? ちょっとやりすぎたかね、これじゃ失血死するかもしらん」
カルーサと呼ばれているこの男、ロゼの話では魔人だ。
海上で鎌を奮い襲ってきたのをロゼが引き受け、戦っていたはず。
一体どうしてここに、ロゼはどうしたんだ。
「ってことでボクらこれで失礼させていただきますわ」
「まッ、待て!」
「アハハ、いやいやぁ、ボクらよりもっと面白いモンが海におるよ」
そう言われ、カルーサを警戒しつつ海の方を窺う。
―――なんだ、あれは。
巨大な黒い影が海上で暴れている?
「じゃ、また」
慌てて振り返るとカルーサは血濡れたベルテナを抱えてふっと姿を眩ました。
幻惑の魔法か、しかし気配も殆ど消えてしまった、高速で離脱したのか。
ベルテナを地面に縫い留めたのは巨大な鎌の刃だった。
あいつは、ロゼはどうしたんだろう。
まさか何事もないと思うが。
「リュー!」
物陰から現れた姿を見て、思いがけず力が抜けそうになった。
「ロゼ!」
「無事だね、では、僕は行く」
「ま、待てッ、どこへ行くんだ、お前怪我は!」
「無いよ、心配させてすまない」
「そんなものはしていないッ、だがどうして」
「―――海」
メルが呟く。
彼女の金色の瞳は、海上の影をじっと見据えている。
「可哀想に、あんな酷いことをして」
「なッ、メル、君まさか、あれが何か分かるのか?」
「分かるわ」
「そうだろうとも」
フンと鼻を鳴らすロゼに、メルが驚いた様子で振り返った。
俺も、状況も話の流れも見えず、ロゼを見上げる。
「お前はラタミル」
ロゼから告げられたメルはたじろぐ。
ラタミル、だと?
「それも、潮の臭いを纏う物好きなラタミルだ」
「どう、して」
すっと目を瞑ったロゼの背にふわりと翼が開く。
真っ白な、羽の先だけ真紅に染まった、闇の中でも輝くように美しい翼。
それを見たメルは息を呑み、フラフラと後退りしてから、その場に膝をついた。
―――彼女の背にも黒い翼が開く。
「夜月だな、珍しい」
「あ、貴方様はまさか、そんな、だって」
「先に言っておく、僕はもうラタミルではない」
ロゼは翼をしまう。
「今の僕はロゼ、ここにいるリュゲルと、可愛い僕らの妹、ハルルーフェの兄のロゼだ」
「ロゼ、様」
「様を付けるな、お前達と僕の間に関わりなどない」
名乗れ、とロゼから告げられて、メルは深く頭を下げる。
「はい、私はメル、いいえ、メリーエルと申します」
「あのハーヴィーがお前の語る『弟』だろう」
「そのとおりですわ、ロゼ、様」
様はいらない、そう呟いて憤慨するロゼに、なんて声を掛けたらいいか分からず戸惑う。
ロゼはラタミルの中でも抜きん出た実力者だ。
だがこうして実際に同族から畏れられ、敬われる姿を見ると、改めて言いようのない感覚に囚われる。
兄になって欲しいと頼んだのは俺だが―――ロゼにとって、あの時のことは真実救いになったんだろうか。
「メル、いや、メリーエルさん」
「メルでいいですわ、リュゲル」
「なら俺もリューでいい、なあ、今コイツが言ったハーヴィーっていうのは、もしかして」
「貴方たちがカイと呼ぶ彼よ、私たち、二人でずっと旅をしているの」
「ラタミルの君と、ハーヴィーが?」
俄かには信じがたい、二つの眷属の間には彼らの神が絡む深い確執がある。
「そうね、でも本当よ」
メルは小さく溜息を吐く。
背中の翼をしまって、立ち上がると黒く長い髪を緩やかに掻き上げた。
「理由は、私からは言えない、弟に、カイに訊いてちょうだい」
「分かった」
「それより、あの可哀想なオルトの僕をどうにかしてあげないと」
三人で再び海を見る。
今、メルはあの影をオルトの僕と呼んだ。
―――あれほど大きな僕を俺は『彼』しか知らない。
「まさか、カルーパなのか」
「そうだよ」
振り返ったロゼと目が合う。
赤い瞳が寂しげに眇められている。
「どうにもならないと理解していても、それなりに辛いものだね」
「ロゼ」
「彼に魔人がとり憑いてしまった、分離は出来ない」
「魔人?」
「名前など知らないよ、何だったかも覚えていない、どうでもいい、アレで十分さ」
「だがそいつがカルーパに憑りついたんだろう?」
「ああ、腹立たしいことにね」
「本当にどうにもならないのか」
ロゼは一呼吸おいて「ならない」とはっきり言いきった。
「だが僕は、幕引きの手伝いを頼まれている」
「何だそれは」
「詳しいことは僕にも教えてくれなかった、それでも、僕は友人として誓いを果たさなければ」
夜の闇にまた白く赤い翼が開く。
「行ってくるよ、君は浜へおいで、恐らくはハーヴィーたちが救助したヒトを連れてくるだろう」
「救助?」
「海底の建物が壊されたのさ、ハル達はやり遂げたようだね」
「ハルって、おい、どういうことだ、ハルは無事なのか!」
「無事だとも、そうでなければ、こうはなっていないのだから」
ロゼはまた海を見て、ふわりと羽ばたいた。
その姿を見上げたメルも翼を開いて「私も行ってくるわね」と飛び立った。
「メル!」
「街のことはここの者たちに任せて、貴方も海岸へ行くといいわ、あの方がそう仰ったのだから!」
二人の姿はあっという間に遠ざかっていく。
俺は、俺だけは人だ、この足で地面を駆けるしかない。
ハルのこともカルーパのことも気がかりだが、今はロゼに言われた通り浜へ向かおう。
振り返り、絶命した騎獣と、そして遠くの黒煙を眺める。
ベルテナにカルーパ、彼らは王都へ逃げ帰ったのか。
今、王室はどうなっているんだろう。
分からないことが多過ぎて油断すると不安がこみあげてくる、クソッ、考えている場合か、行くぞ!
俺がオーダーで呼んだ水の狼たちは、役目を終えて消えたようだ。
繁華街に火の気配は無く、焼け焦げて崩れ落ちた街の惨憺たる様だけが広がっている。
焼けて死んだ者、誰かに殺された者、数多の死体も転がっている。
今頃ディシメアーの治安部隊は居住区の消火にでもあたっているんだろう。
あの人々や獣人たちは逃げられただろうか。
―――ガナフもきっと無事だ、だがその醜悪な内面を多くの人に知られてしまった。
自業自得だな、ディシメアーの、如いてはここベティアスの民衆がまともなら、奴はもうお終いだ。
「ハル、ロゼ、俺も、お前達の力になってみせる」
つい漏れた泣き言を唇ごと噛みしめた。
無力を嘆くくらいなら、自分に出来ることをするだけだ。




