ディシメアー襲撃2:リュゲル視点
「皆様にもいずれ救助が訪れますので、ご安心ください!」
「だからってお前だけ先に逃げるのか!」
「こっちは子供がいるのよ、ねえお願い、子供だけでも一緒にッ」
「ダメだ、邪魔をするな、離れろ!」
「年寄りもいるんだぞ! 俺たちを見捨てて逃げるなんて、アンタ政治家として恥ずかしくないのか!」
揉めてるようだな。
武装集団に守られながら移動していたガナフを、暴徒に襲われ逃げ惑っていた人々が見つけた、そんな状況だろうか。
ガナフを守るように囲んでいるのは恐らくディシメアーの治安部員たちだ。
彼らに大勢の傷つき血を流した人たちが助けを乞うて縋っている。
子供、年寄りもいるな、彼らよりガナフの方がよほど無事そうに見える、目立った怪我もない。
「うわぁあああッ! ギャッ」
「ひッ、いやぁッ!」
襲い掛かってきた暴徒を切りつけた職員が、それを見て悲鳴を上げた民間人にまで切りつける。
人々は青ざめてガナフたちから距離を取った。
「お急ぎくださいガナフ様ッ」
「あ、ああ!」
その動揺に紛れて逃げ出そうとするガナフに、人々は再び追いすがる。
「子供だけでも、どうかッ」
「お願いしますッ、女性と子供だけでも!」
また暴徒が現れ、その暴徒を切り、騒いだ民間人も切られる。
治安部員たちも経験のない状況で混乱しているのか、全員目が血走っている。
「でっ、でしたらぁ!」
周囲を忙しなくキョロキョロ見まわしていたガナフが、とてもいいものを見つけたかのように表情をパッと輝かせた。
「皆さんッ、あの獣人たちを盾にされるといい!」
全員が振り返る。
ガナフが指した先、みすぼらしい格好の一団が避難途中の様子で固まっていた。
獣人だ、小さな子がいる、赤ん坊を抱えた母親、老人もいる。
互いに身を寄せ合い、男たちがどうにか守りながらここまで逃げてきたのだろう。
「我々にはその権利があります! 獣人の命などゴミより軽い、さあ皆さん、あれを囮に! お逃げください! 皆さんの生命が第一です!」
興奮気味にまくしたてるガナフ以外に、何か言う者はいない。
狙われた獣人たちもそうだが、彼らを見詰める人々もまた真っ青になって言葉も無く立ち尽くしている。
「わっ、私は皆さんが無事避難されることを高台にて祈っております、それでは!」
ガナフたちはそそくさと、しかし結構な速さで高台の方へ逃げだしていった。
入れ替わりのように暴徒の波が再び押し寄せる!
クソ、今更なりふり構っていられるか!
「ヴィーラセルクブレ、応えよ、我が助けとなれッ」
懐に手を突っ込み、取り出した香炉を揺らしながら唱える。
傍らで風が渦を巻いた、よく来てくれたな、これなら多少は誤魔化せるか。
「あの暴徒たちをこちらへ近寄せるな、吹き飛ばしてくれ!」
風はゴウッと竜巻のようになり暴徒たちへ向かっていく。
まだ固まっている人々へ「逃げろ!」と叫んだ。
「高台だ! 走れる男は子供と老人を背負え! 動ける者たちで負傷者と女性を守りながら移動しろ!」
ようやく我に返り、怯えつつ移動を始める人々を窺いながら、暴徒を蹴散らし獣人たちの傍へ駆け寄る。
「お前たちも急げ、高台だッ」
「だ、だが」
「命に貴賎はない! 高台で受け入れを拒まれたらそう言え、誰のための命だ、急げ!」
獣人たちも震えながら頷き、また子供や老人、女性を守りつつ高台へ向かう。
彼らを盾にしろなどと、あの男よくも言えたものだ。
浅ましい本性がよく分かったよ、人の罪悪感は誰も見ていなくても、知らなくても、本人だけは偽ることなどできない。
ベティアスには差別がある。
だが同じ命だ、青ざめた彼らの良心をもガナフは穢そうとした。
幾ら騒動の最中でやむを得なかったとはいえ、もし彼らが言われた通り行動したなら、きっと二度と下ろすことのできない重荷を生涯負うことになっただろう。
そんなことが許されるものか。
「ふうッ」
この辺りの避難はもうよさそうだ、繁華街へ急ごう。
風が戻ってきて俺の周りをクルクル回りながら消えていく。
有難う、助かったよ。
駆けだしながら見据えた先では、燃え上がる炎が夜空を赤く照らし、黒煙で煙る空に星さえも輝かない。
また火事か。
―――特区でも見た景色だ、二度とは見たくなかったんだけどな。
繁華街へ近づくほど人の数が増えて身動きがとりづらくなっていく。
この混乱で俺に手加減できるほどの技量はない。
暴徒は容赦なく切りつけていく、『粉』で強制的に狂わされたのかもしれないが、どうしようもない。すまない。
「高台へ行け! あそこは安全だ、急げ!」
逃げ惑う人々、その人々に襲い掛かる暴徒たち。
彼らに踏みつぶされる、もう動けない者たちや、苦しみ呻く者、泣いている者、幼い子供、老人の姿もある。
近くの店から噴き出した炎に焼かれた人々が悲鳴を上げた。
「アクエ・アグ・レパ!」
詠唱なしのマテリアルは不安定だ、空中で弾けた水泡がどうにか彼らの火を消すが、建物の火まで消すことはできない。
またオーダーを唱えるか。
目立つ行為は控えたいが、特区と同じでこんな状況じゃ覚えている者もろくにいないだろう。
「あなた、リューッ!」
不意に呼ばれて振り返る。
「メル!」
「どうしてこんな所に! ご兄妹は? お友達はどうしているの?」
「全員無事だ、今はいないが」
逃げてきた様子のメルも無事そうだ。
そういえば彼女にも弟がいたはず。
「君こそ弟はどうした」
「大丈夫よ、あの子は強いから、きっと無事なはず」
「そうか」
現状探すなどと安易に口にできない、俺も信じて頷き返す。
「それより貴方、さっき見たけれど、エレメントを唱えられるのね?」
「ああ」
「剣の腕も立つようだし、私に協力してくれないかしら」
「えっ」
「私もそれなりに戦えるの、これでも弟と二人で旅を続けられる程度にはね」
言いつつ飛び掛かってきた獣人を避け、その顎をつま先で蹴りあげた。
獣人の姿は放物線を描いて飛ぶ。
「近接で体術が使えるわ、でも得意なのは弓よ、エレメントも唱えられる」
「しかし」
「逃げるなんて美しくないもの、そんなこと出来ないわ、だけど私一人じゃ手に余る、だから手伝って、お願い!」
彼女なりの美学なんだろうか。
とにかく考えている暇は無い、「分かった」と頷き返すと、メルは「それじゃお願いね!」と近くの建物の屋根の上へ軽々昇っていく。
まるで翼でも生えているかのように身軽だ。
黒髪のラタミル、そんなのいるのか?
まあいい、俺は俺の仕事をこなそう。
炎と煙渦巻く混乱の最中へ身を躍らせる。
破壊の限りを尽くす暴徒たちを切り倒し、逃げ惑う人々へ「高台へ行け!」と叫んで、倒れている者に誰か手を貸してやってくれと呼び掛ける。
メルの援護射撃にも何度も助けられた、彼女は凄腕の弓引きだ。
思った以上に火の回りが早い。
うっかりすると煙を吸い込んでしまいそうになる、ここで昏倒したら死ぬぞ。
辺りの人影が大分少なくなってきたのを確認して、再び香炉を取り出した。
ここは海神オルトを祀る大神殿のある街、ディシメアー
さっきは風が来てくれた、なら今度は、水が呼びかけに応じてくれる!
「ヴィーラセルクブレ、応えよ、我が助けとなれ!」
遠吠えと共に現れたのは巨大な水の狼だ。
この水は海水だろうか、仄かに潮の匂いがする。
「駆けまわって街の火を消せ!」
狼は吠えて、勢いよく火の中へ突っ込んでいく。
水蒸気を発し、少しずつ小さくなりながら、繁華街中の火を消す勢いで駆けまわる。
あいつ一頭じゃ足りないな、もう一頭呼ぼう。
オーダーを唱えて現れた水の狼に同じ頼みをして放つ。
「貴方って凄いのねえ!」
傍にメルが飛び降りてきた。
「あんなオーダー初めて見るわ、とても美しかった!」
「そうか、メル、君怪我はないか?」
「まあ優しい、フフ、貴方ってやっぱり素敵、とても美しいわ、私好きになってしまいそう」
「からかうのはよせ」
辺りを見渡す。
ここは大分収拾ついたが、居住区の方でも火の手が上がっているようだ。
オルトの大神殿は神官たちが守るだろう。
「メル、居住区へ向かおう、ここはアイツらがどうにかしてくれる」
「貴方が呼んだ精霊たちね、いいわ、行きましょう」
「無理はするなよ、怪我したら言ってくれ、ポーションを持っている」
「大丈夫、この程度では後れは取らない、さあ急ぎましょう!」
駆けだそうとして咄嗟に足を止める。
メルも立ち止まり、僅かに身構えた。
何か聞こえる。
蹄の音だ。
辺りに立ち込める水蒸気の膜を破り、黒い巨体がぬうっと現れる。
ウマ? いや、クマか?
四肢は恐らくウマだ、しかし胴と頭はクマ、咄嗟にサマダスノームで見たキメラが脳裏をよぎる。
しかしそんなことよりも、獣に跨る姿、あれは。
「あら、貴方」
俺に気付いた彼女の瞳がニコリと微笑みかけてくる。
「ごきげんよう、麗しの殿方」
「君は」
「ウフフ、お久しぶりですわね」
「ベルテナ」
ベルテナは嬉しそうにコロコロと笑う。




