ディシメアー襲撃1:リュゲル視点
「リュゲル、起きてくれ、リュゲル」
揺さぶられて目を覚ました。
照明を灯していない部屋の中で、そこだけぼんやり光を放つようなロゼの姿が俺を覗き込んでいる。
「すまない、ハルを止められなかった」
「えっ」
「行ってしまった、恐らくは海底のあの建物へ向かったのだろう」
上掛けを跳ね除け飛び起きる。
まさか、魔人が建てたとかいう、あの建物へ?
「すぐ追いかけるぞ、ロゼ、連れていってくれ!」
「落ち着きなさい、ひとまず案ずることはないよ」
「だがッ」
「半人前とアサフィロス、ハーヴィーも共について行った、半人前は僕が直々に仕込んでいるし、アサフィロスには加護を授けてある、滅多なことにはならないさ」
モコとセレス、それからあのカイとかいう少年も一緒なのか。
それにしたって危険なことに変わりはない。
第一、ハルはどうしてあの場所へ向かったんだ。
一体何が、また夢を見て呼ばれたのか、どうして俺に声を掛けなかった、どうして。
「それより、こちらもよろしくない状況だ、窓の外を見てごらん」
混乱したまま促されて窓辺へ向かう。
覗き込めばそこには暗い夜の海が広がって―――何だ? なにか沖の方から気配がする。
嫌な感じだ、よく目を凝らしてようやく気付く。
魔物の群れがこちらへ向かってきている!
「お、おい、待て、何だあれは、ロゼ!」
「ああ、行こうリュゲル、ひとまずは浜へ、用意するといい」
すぐさま着替えて、剣を腰に下げ、恐らく必要になるだろう道具を幾つか備えた。
扉へ向かおうとする俺に、ロゼは「こっちだよ」と窓を指してニコリと微笑む。
「走るよりずっと早い、受け止めてあげよう、僕の胸へ飛び込んでおいで!」
そう言って窓の外へ飛び出すと同時に、眩しく輝く白い翼を広げた。
羽の先が赤く染まっている事さえ目を奪われるほど綺麗なロゼの翼、一瞬呆けて、だがすぐ窓枠に脚を掛け俺も夜の空へ身を躍らせる。
「おっと! ふふッ、やはり君は重くなったなあ」
「ふざけてる場合じゃない、急いでくれ!」
「いいとも」
浜を目指し飛び始めてすぐ、ロゼは「こちらまでか、やれやれ」とディシメアーの街を眺めながら呟いた。
何だ? 何か聞こえてくる。
大勢の人や獣人たちが走り回って―――違う、あれは襲われているんだ!
路上のあらゆるものを破壊し、逃げ惑う人々を追いかけ、狂ったように暴れまわる人や獣人。
まさか、あの粉か?
しかし人までおかしくなっている、あの粉は獣人にしか効果がないんじゃなかったのか。
それに、だとすればここへ彼女が来ている可能性がある。
―――魔人の供を連れて。
「おっと!」
ロゼが突然俺を抱えたまま急旋回した。
すぐ脇を銀の軌跡が薙ぐ。
夜の闇に浮かび上がる姿―――やはりそうなのか、特区ではベルテナに付き従っていた従者、魔人だ。
「魔人も空を飛べるのか?」
まさか、とロゼが笑う。
「空は天空神ルーミルと眷属ラタミルのもの、アレは魔力で力場を産み、一時的に浮いているだけさ」
「そんなことができるのか」
「出来るモノと出来ないモノがいる、出来るモノは―――」
再び振り下ろされる鎌の斬撃をひらりと避けて、ロゼは赤い瞳を眇める。
「それなりの力を持っている」
「ロゼ」
「君を浜へ降ろそう、海は恐らく大丈夫だよ、僕はコレを少しからかうとしよう」
低く振動するような音が響いた。
目を向けると海上に覗く大岩、甲羅岩が動いている。
飛沫を上げて浮かび上がった大首は、ひと声吠えて向きを変えると、迫りつつある魔物集団を迎え撃つように身構える。
あれはオルト様のもっとも古い僕、カルーパ。
ロゼが教えてくれた、随分前に海で泳ぎの研究をしている最中、親しくなった友人だと。
そして、波が打ち寄せる岩場からも二艘の船が漕ぎ出していく。
海賊船だ、恐らくあの妖精たちの船だろう。
「君は街でヒト助けをするといい、困ったらお兄ちゃんを呼びなさい」
「あ、ああ、だが」
「僕なら心配は要らない、ハルも今のところ大丈夫だ」
飛び続けるロゼを狙い魔人は執拗に斬撃を繰り出してくる。
その全てを躱しながら悠々と羽ばたいて、ロゼは間もなく俺を浜へ降ろしてくれた。
「では励みたまえ、君の美しい雄姿を見られないことはとても残念だが、僕はお兄ちゃんとしての務めを果たそう」
「怪我しないでくれよ、ロゼ!」
「アッハハ! 君のそういうところが堪らなく愛しいよ、リュゲル!」
斬撃から繰り出された衝撃波を、ロゼは翼の羽ばたきだけで消し去ってしまう。
完全に規格外だ、心配無用なことは分かっているが、それでも声を掛けずにいられない。
「さあ、行っておいで、僕の可愛い弟!」
俺にそう告げて、ロゼは魔人に迫る。
間合いを取ろうとした魔人に笑いながら魔力の矢をつがえ、同時に複数本撃ち出した。
光の軌跡を描いて飛ぶ矢は全て魔人に命中する。
体勢を崩し、落下しかける魔人へロゼは「どうした! つまらないぞ、その程度ではお前の存在意義など皆無だ!」なんて言葉で煽る。
途端に魔人はギラリと目を光らせ、猛烈な勢いで鎌を奮い再び宙へ浮かび上がった。
この戦いの方がよほど見惚れてしまうが、今はそうも言っていられない。
ロゼはああ言っていたが、ハルのことはどうしたって心配だ。
だが今、ここで俺にしかできないことがある。
「いやッ、やめて、殺さないでぇッ!」
「なんだお前たちはッ、よせ、やめろッギャッ」
「誰かァッ、助けて、助けてくれぇ!」
浜を駆けあがると惨憺たる状況が広がっていた。
誰もが予想もしなかった出来事に混乱し、悲鳴を上げて逃げ惑い、そんな人々を暴徒たちは容赦なく襲う。
あの娘はどこだ。
粉はどこで撒かれている。
早く見つけだして今度こそ取り押さえる、彼女の、いや、彼女を含めた得体のしれない個人、もしくは集団のやり口は酷く卑怯で残酷だ。
獣人を暴走させベティアス国民の獣人に対する嫌悪感を煽るならまだ分かる。
だが今回の暴徒には人が混ざっている。
―――何故だ?
特区の一件から、俺は獣人の自由を奪い貶める政策を推し進めようとしているガナフが例の粉に一枚噛んでいるのではないかと睨んでいた。
今もそれは妥当な推察だろうと思っている。
しかし、彼が票を集めようとしている人まで巻き込む理由が不明だ。
ベルテナの暴走だろうか?
彼女は酷く利己的な考え方をする娘だった、そして被害者意識も強い。
俺達がここにいると聞かされたら、真っ先に考えるのは仕返しだろう。
だが粉の効果としては獣人のみを暴走させるはず、人をも暴走させるよう改良を施したのだとしたら狙いは何だ。
「皆! 高台へ逃げろッ、政府施設のある高台が安全だ、そこへ行け!」
ディシメアーは大まかに四つの区画に分かれている。
オルト様の大神殿がある神殿区画、繁華街のある商業区画、この街の住人たちが暮らす居住区画、そして、高台にあるのが行政区画だ。
海に面したこの街は津波に襲われることも多い。
街には当然その対策が取られているが、中でも一番重要な行政区画は高台にあり、物理的にも魔術的にも堅牢な守りを施されている。
恐らくディシメアーの行政からも治安部へ住民と観光客の救助及び避難要請が緊急で発令されているだろう。
ディシメアーの繁華街には遅くまで営業している観光客相手の店も多い。
収益の多くを観光業が占めるこの街ならではだが、逆にそこを狙われてここまでの大混乱に陥ったのか。
「数が多過ぎるな、キリがない」
切っても切っても湧いて出る。
ロゼが鍛えてくれたこの剣はどれ程奮おうと切れ味が鈍ることはないが、扱う俺の方は順当に疲弊する。
しかしこの状況でオーダーは使えない。
手っ取り早いんだけどな。
地道に戦うしかないか、だからこそ混乱の大本を早急に突き止めて仕留めなければ。
「石の精霊よ、我が希う声に応じて来たれ、汝の力をもって我が欲する望みを叶えよッ、ルッビス・レミューイ・ラングス!」
無数の礫が暴徒たちを打ちのめす。
襲われていた人々へ「高台へ逃げろ」と繰り返し、いよいよ大勢の悲鳴や怒号であふれる繁華街へ向かおうとした。
「皆さん、どうか落ち着いてください!」
―――ん? この声、覚えがある。
特区代表の対抗馬、疑惑の男ガナフだ。
ディシメアー編もあと少しとなりました。
楽しんでいただけておりますでしょうか。
何かしら反応いただけると、執筆のモチベーション上がりますのでよろしくお願いします。




