泡
オルト様の大神殿近くまで送ってくれたカイは、「じゃあな」って今度こそ行ってしまう。
「ねえカイ、明日また会える?」
「いいぜ」
「それじゃ、どこへ行けばいい?」
「昨日のあの浜だ、昼頃に行く、お前達も適当に来い」
「分かった」
夕暮れの風景に溶け込むカイの姿がどんどん遠くなっていく。
明日浜で会おうね、カイ。
待ってるからね。
「なあハルちゃん」
セレスが顔を覗き込んできた。
「なに、セレス?」
「君は奴のこと―――いや、何でもない」
「どうしたの?」
「別に、それより今日は楽しめたか?」
「うん! 有難うセレス、おかげで凄く楽しかった!」
「それは良かった、もうすぐ日も暮れる、帰ってリュゲルさんに今日のことお話ししよう」
「そうだね」
「師匠とモコちゃんは戻られているかな、二人は今日どこへ行かれていたんだろうな」
「気になるよね、訊いてみようよ」
「ああ、それじゃ帰ろうハルちゃん」
「うん」
一緒にお世話になっている建物へ戻ると、兄さん達の部屋にモコもいた。
ロゼも帰っていて、先に「おかえり、今日はどこへ行ってきたのかな?」って訊かれる。
「セレスと繁華街で色々な店を見て、カイに会ったから、一緒に大きな浴槽が沢山ある施設へ行ってきたよ」
「おんせん!」
「ううん、でもね、商業連合製の機器が導入されているすごく大きな施設でね、湯も何種類もあって」
「えーっ」
「ねえロゼ兄さん、熱石を使った循環式湯沸かし装置って知ってる?」
「ああ、知っているよ、サマダスノームで見たような巨大な熱石の上に金属製の筒を通し、その中へ流した水に熱を加え湯にして循環させる、筒にはろ過機がついていて、循環させつつ排水も行い、常に清潔な湯で浴槽が満たされるようになっている、大規模かつ高価な設備さ、どうかな、合っているだろう?」
「そっ、その通りです師匠! 流石! 博識! 師匠おおおおおおーッ!」
ロゼはあからさまに嫌そうな顔でセレスを見る。
「へえ」ってリューが気になったように声を上げた。
「いいな、それ、俺も浸かってみたい」
「ずるい! はる、せれす、いいな、いいな!」
モコは私とセレスの周りをパタパタ飛び回って、リューの頭の上にポスンと降りると、拗ねたように羽を膨らませる。
ごめんねモコ、次は一緒に行こうね。
「モコちゃんは今日師匠とどこへ行っていたんだ?」
「ぼく、ししょーにずっとずーっとおよぎおしえられてた! ししょー、いじわる! ぼくのこと、うみにおっことしておいてった!」
「おかげで泳げるようになっただろう」
「いじわる! ぼく、はーヴぃーにたくさんおいかけられたよ! こわかった! ししょー、いじわる!」
「フン、あの程度、お前もラタミルの端くれなら自力でどうにかしろ」
「いーっ!」
大変だったみたいだね。
でも、モコは泳げるようになったんだ。
私も練習しよう、その前にオルト様を目覚めさせる方法を探さなくちゃだけど。
「さて、そろそろ夕飯にするか」
リューが仕切るように手をパンパンと叩く。
「はる、せれす、きょうね、さかなだよ!」
リューの頭の上でモコがパッと翼を広げながら得意そうに胸を張った。
「ぼく、たくさんつかまえた、ししょーもたくさんつかまえた!」
「これの倍以上だ」
「なに張り合ってるんだ、でもおかげで今夜は新鮮な魚尽くしだぞ、せっかくディシメアーに来たのにまだ食べていなかったからな」
「新鮮な魚料理! それはもしや、たたきやあらいですか!」
「食べたいなら作ろう、二人とも手伝ってくれ」
「はい!」
「はーい!」
そういえば、新鮮な生魚をそのまま食べるのってネイドア湖以来かもしれない。
商店に醤油が置いてなくて、代わりに私がリューへのお土産で買ってきたハーブや香辛料を使うことになった。
「酒に塩を入れて煮詰めてダシを入れたもの、酢も刺身に合うな、香辛料入りの果実油、ゴマ油、レモン汁に香辛料と塩を混ぜたソースで食べるのも美味いんだ」
「酢にも香辛料を入れるの?」
「試してみよう、刻んだ香草を香辛料で和えて、刺身に乗せて食べても美味そうだ」
ロゼとモコのおかげで今夜は新鮮な魚尽くしの夕食になった。
二人とも有難う、神官たちは「何かの祝い事ですか?」って驚いていた。
刺身にたたき、あらい、焼き魚に煮魚、蒸し物、揚げ物、オイル漬け、魚のアラを使った汁ものや、普段食べないちょっと珍しい魚料理まで、リューは思いきり腕を奮ってくれた。
お腹も気分も大満足だ。
モコの機嫌もいつの間にかすっかり直っていた。
「すごいねえりゅー、さかなおいし、きれー、うれし!」
「モコ、感想ありがとう、だけど今はシーだぞ」
リューに囁かれて、モコはピッと鳴いて返事する。
可愛い。
私たちと同じ卓で、料理に頭を突っ込むようにして食べるから、時々羽を拭いてあげた。
モコってどの姿でも本当によく食べるんだよね。
食事が済んで、部屋へ戻る。
神官からまたお湯を頂いて、だけど今日は軽く拭くだけ、昼間たっぷり湯に浸かってきたからね。
楽しかったなあ。
色々な湯に浸かったり、湯から上がって寛いだりしながら、セレスとカイとたくさん話した。
勿論、お互いの込み入った事情には触れない程度の、どこで何を見たとか、何を食べたとか、そういう他愛のない話ばかり。
サマダスノームの麓でニャモニャたちに会ったって話したら、カイ、呆れてたな。
カイはニャモニャには会ったことないって、だけど他の場所で生活している妖精たちのことを教えてくれた。
商業連合の大銀行には行員の妖精がいるんだって。
西の砂漠では、原住民と助け合いながら暮らす妖精もいるらしい。
北には、噂では希少種の妖精が沢山いるそうだけど、流石に北には行けないだろうな。
中央にも妖精はいるのかな。
カイは中央では妖精に会わなかったって話していた。
王都のあるエルグラート、今、母さんがいる国だ。
「ハルちゃん、準備いいか?」
「うん、寝よう、セレス」
「ぼくもっ、ぼくもいっしょにねる!」
今夜もセレスと同じベッドで眠る。
―――昼間カイに「危機感を持て」なんて言われたけど、女の子のセレスは普通に女の子だから一緒に寝てもはしたなくないし、意識する必要もない、はず。
そもそも兄さん達が許すわけない、婚前女性の貞操観についてはちゃんと教わってる。
カイがあんなこと言うから逆に気になるよ、もう。
「ハルちゃん、今夜はいつも以上にいい香りがするね」
「セレスもだよ、同じ匂いだね」
「ああ、君と同じ香りに包まれて眠れるなんて、幸せだな」
「う、うん、ねえ、楽しかったよね、お風呂」
「ずるい!」
「ハハッ、ごめんモコちゃん、それなら明日は一緒に行こうか」
「ほんと?」
「師匠にお許しいただけたら、だけどな」
「むう、ぼくがんばる、ししょーこわい、きょうね、およげないならこのままおいてくって、いわれた!」
「そんなこと言ったの? もう、兄さんは」
「師匠の愛の鞭さ、むしろ羨ましいよ」
「じゃあせれすもいっしょにおよご、はーヴぃーおっかけてくるよ」
「私はもう泳げるからなあ」
「ぼくもおよげる、だからあした、おふろいく!」
「それじゃ兄さんにお願いしようね、私も一緒に頼んであげる」
「はるがたのんでくれたらだいじょぶ、やったー!」
明日はカイとも待ち合わせしている。
朝の内に湯に浸かりに行こう。
モコにそう言うと「わかった!」って、私とセレスの間にうずくまって羽を膨らませた。
「あした、ぼく、はるとせれすおこすよ」
「そうだな、明日早いなら、今夜はもう寝ないと」
「楽しみだね、モコ」
「うん!」
「それじゃ、おやすみハルちゃん、モコちゃん」
「おやすみセレス、モコ」
「おやすみー!」
なんだか今夜はよく眠れそう。
目を瞑ると波の音が聞こえる。
心配事や不安はたくさん増えたけど、やっぱりディシメアーに来てよかった。
カイにまた会えたし、海も見られた、泳ぎだって教えて貰えたし、海賊船にも乗った。
楽しいな。
明日は早起きして、兄さん達も誘って―――待ち合わせ場所に皆で行ったらカイを驚かせるかな。
食事中、カイから聞いた話を周りには聞こえないよう気をつけながら話したら、兄さん達は難しい顔をしていた。
それからヴァニレークとバニクードのことも。
どうやってオルト様を目覚めさせたらいいんだろう。
ため息を吐くと、モコがクルクル喉を鳴らす。
心配いらないって言ってくれているみたいだ。
目を閉じたまま、ゆらゆらと暗闇に落ちていく。
ゆらゆら、ゆらゆらと、深く、どこまでも深く―――波の奥、海の底まで―――沈む、ああ―――オルト、さま。
――――――――――
―――――
―――
ここだよ。
おいで、おいで。
(誰?)
暗い。
苦しい、体から力が抜けていく。
私のいとし子たち。
(ねえ誰?)
ああ、つらい。
なんて哀しい。
奪われる、壊されていく、こんなにも沢山の、私の愛。
(誰なの?)
君を待っていた。
満ちし子よ。
いずれ、種子が満ち、君が現れると―――あの子は言っていた。
君でなければ。
待っていたんだ。
ずっと、ずっと。
何かが体に絡みつく。
嫌だ、やめて、放して、奪わないで。
寒い。
消えてしまう。
(あの子の花を)
「お願い」
――――――――――
―――――
―――
「ハルちゃん!」
ハッと気づいた目の前は真っ暗だった。
ここどこ?
セレス、どこにいるの?
「はるぅ!」
海?
慌てて振り返ると広い場所だ、薄暗い青で満たされている。ここはもしかして、オルト様の大神殿?
奥からセレスが全力で駆けてくる。
それよりもっと早くモコが飛んでくる。
傍に何か大きなものがあって、見上げたらオルト様の石像だった。
やっぱり大神殿だ。
おかしいよ、さっきまで部屋で寝ていたのに、どうしてこんなところにいるの?
背後で何か跳ねた。
ぐっと引っ張られて、海に―――落ちる!
「ハルちゃんッ」
「はるっ」
伸ばされたセレスの手を掴んだ直後、背中から水に沈む。
塩辛い海水が口から鼻から入り込んでくる。
苦しいッ。
いき、が、でき、ないッ!




