深く静かに進行する危機
「相変わらずお前は口の利き方ってものがなってないようだな」
「はン、なんだよヤルか? そういや前は決着つく前に預かりになっちまったよなぁ」
「いいだろう、礼儀ってものを教えてやる」
カイが槍を包む布をするする解き始めて、セレスも服の下から両手で短剣を引き抜く。
待って、待ってよもう、二人とも!
ネイドア湖で少しは仲良くなってくれたと思ったのに、根本的に相性が合わないのかな。
「やめて! セレス、カイ、喧嘩しないで!」
間に割って入ると「ハルちゃん」「ハル」って二人の視線がこっちに向く。
このまま気を逸らそう。
カイに教えて欲しいこともあるし。
「ねえカイ、さっきのウサギって、やっぱり妖精?」
「―――お前、どこかで妖精を助けたな」
「えっ」
ニャルディッドが言っていたとおりだ。
印を持っているのはリューだけど、それでも分かるんだ。
「恩人の気配だ、だからアイツらもノコノコ現れやがったのか、ったく、相変わらずのお人好しかよ」
「ハルちゃんを悪く言うな!」
「言ってねえだろうるせぇな、ただ厄介なことに巻き込まれちまったようだから忠告してやろうとしてんだ、テメエは黙ってろ」
「なッ」
言い返そうとしたセレスを見詰める。
セレスはギリッと歯を噛んで、だけど言葉を呑み込んでくれた。ごめん、でも有難う。
「妖精に目を付けられたんじゃ、知っといた方がいいだろうな」
「え?」
「奴らそう簡単に諦めねえぞ、しかも前より状況は確実に悪くなってるしな」
ゆっくり海を見て、カイが呟く。
「今、この海に、海神オルトの加護はない」
言葉の意味が時間差で伝わってドキリとした。
え、どうして?
セレスも唖然とカイを見ている。
海の女神を祀った大神殿のあるこのディシメアーの海に、海神オルトの加護がないってどういうことなの?
「そこのラタミルは気付いてるんじゃねえか?」
「ぼくもこだよ」
「はいはい、それよりどうなんだ」
「うん、ない、おるとのかごない、でも、おるといる?」
「やっぱり分かるか、ちくしょう、おかげでラタミル共が調子に乗りやがって腹立つんだよな」
舌打ちして頭をガリガリ掻くカイは随分苛立っている。
海で何が起きているんだろう。
ハーヴィーのカイは事情を知っているのかもしれない。
「ねえカイ、教えて、海で何が起きているの?」
ザザン、ザーン、と波が寄せては返す音が砂浜に響く。
うっすらオレンジ色に染まり始めた空を鳥の影が飛んでいった。
「長い話になるぜ、聞かせてやるが、ここじゃない方がいい」
「ついていくよ、どこへ行けばいい?」
「ああ、こっちだ、来い」
ざくざくと砂を踏んで歩きだすカイの背中を追いかける。
セレスは後ろから、モコは私と手を繋いで一緒に歩く。
暫く進んだ先の岩場の奥、周りを岩で囲まれたその場所も砂浜だった。
「この辺りはハーヴィーの浜って呼ばれてる禁足地だ、まあヒトが勝手に言ってるだけだが、誰も来ないんで便利だから俺達も陸へ上がる時よく利用している」
「私達が入ってもいいの?」
「別に、立ち入った奴は呪われるだの、ハーヴィーに食い殺されるだの言われているが、全部作り話だ、第一俺らはハナッから陸の奴らなんかに興味ねえしな」
またちょっとムッとするセレスの手を握る。
振り返ったセレスは困ったような顔で、私の手を軽く握り返してくれた。
「さて、話してやるぜ、まずは現状オルト様の加護が失われているってことに関してだな」
「うん」
「その前に確認しておきたいんだが、そこのラタミル」
「ぼくもこだよ!」
「うるせえ、お前、他のラタミルと通じてたりしねえだろうな、もう雛じゃねえんだ、そこんとこハッキリさせろ」
「してない」
うちにはもう一人ラタミルがいるけど―――ロゼは『ラタミルだった』って言っていたし、そもそもラタミルを嫌っている。
モコも「ぼく、らたみるいや」って唇を尖らせた。
「は? お前もラタミルだろうが」
「でもやだ、だって、ししょーおこってた、はるのことなかせた、だからやだ」
「師匠?」
「ぼくのししょー、すごくきれいでねえ、すごくつよいんだよ、ぼく、ししょーみたいになりたい!」
「ラタミルの師匠ねえ、そいつもラタミルなんじゃねえのか?」
「ちがうっ、ししょー、らたみるじゃないよ!」
「じゃあ何なんだよソイツは、まあいい、今の言葉信じるぜ、嘘はラタミル共にとって耐え難い醜い行為らしいからな」
そうなんだ、でも、確かにロゼもモコも嘘を吐かない。
カイがここまで慎重になるってことは、ラタミルに聞かれると困る話なのかな。
海からオルト様の加護が失われたことと、ラタミルと、どう関係しているんだろう。
考えても何も思い浮かばない。
とにかく今はカイの話を聞こう。
「半年、いや、そろそろ一年経つか、海に満ちていたオルト様の気配が急速に薄れ始めた」
「どうして?」
「眠りに堕ちてしまわれたんだ、しかもある日突然、どうにか目覚めていただこうと色々試したが、どうにもならなかった」
「眠り?」
「神は滅びないからな、ヒトで言うところの死、いや、消滅されてはいないから仮死状態で留まってるってところか」
女神が仮死状態?
あまりのことに息を呑む。
「とにかく、それで少しずつ加護が弱まって、今はもう殆ど消えかけてる、だからこの辺りの海に限らず、そこらじゅうの海が無法地帯になりかけてンだ」
「女神が眠りについた原因は何だ」
セレスに聞かれて、カイは「知るか」って足元の砂を蹴った。
「こっちが教えて欲しいくらいだ、海において万能なあの方が俺達を放り出して眠りにつかれる? ありえねえんだよ、それこそ訳が分からねえ」
「ハーヴィーでもそうなのか」
「ああ、今は自分たちで身を守るしかねえからどいつも海底に逃げ込んでる、海面近くまで浮かぶとラタミル共がちょっかいかけてくるしな」
「お前は大丈夫なのか?」
「ハハッ、ヒト風情が俺の心配?」
カイの青い目がキラリと光る。
「見てのとおりさ、俺は強いからな」
それは知ってる、でも心配だ。
前に連れがいるって話していたけど、その誰かも多分ハーヴィーだろう。
どうして危険を冒してまで旅を続けているのかな、そうまでしないといけない何かがあるんだろうか。
「ラタミル共も気に喰わねえが、近頃魔人がこのディシメアー近海の海底に何か建てたって話だ」
「魔人?」
「ああ、数か月前だったか」
「海の底に建物だと?」
「魔人ならやれんだろ、だが何の建物か知らねえし、まだ見てないから何とも言えねえ、ラタミルだけじゃなく魔人にまで舐められてんのかと思うとホント腹立つぜ」
「ハーヴィーたちは何もしないのか?」
「今すぐにでもブッ壊したいよ、けど、オルト様が眠られて以来、前みたいに力を奮えねえんだ、だから迂闊に手出しもできねえ」
何か、私にも出来ることがあればいいけど。
海の中まではいけないし、神様に関係する事にはきっと力にさえなれない。
心配しかできなくてもどかしいよ。
「あ、ねえカイ、さっきのウサギは?」
「アイツらはラヴィー族、お察しのとおり妖精だ、元はオルト様や俺達の使いっ走りをやってた奴らさ」
「ラヴィー族」
「オルト様のことで奴ら意見が真っ二つに割れちまって、今はそれぞれ海賊になって争ってやがるぜ」
「なんで海賊に」
「元々が武闘派だからな、それに海賊名乗っちゃいるが、やってんのはこの辺りの魔物の駆除だ、どっちも目的のためのカギを探してんのさ」
「カギ?」
「お前らのことだよ、はあ、妖精なんか助けたせいで、奴らにも完全に目を付けられちまったぞ、お前、面倒ごとに巻き込まれたって分かってんのか?」
「それは―――」
「まあいい、忠告はしてやった、後はどうにかしろ」
そう言って立ち去ろうとするカイを慌てて呼び止める。
「ま、待って、カイはどうしてここに?」
オルト様が、海がそんなことになっているなら、ハーヴィーのカイだって無関係じゃないはずだ。
カイはこっちをじっと見て、溜息を吐いて、また頭をガリガリと掻く。
「俺は別件だ、そっちはお前らに関係ない」
「でも」
「ヒトのことより自分の心配でもしてろ、とにかくそろそろ陽が暮れる、俺が行ったらラヴィー共がまた来るぞ、さっさと浜から離れろ」
じゃあな、って今度こそ行ってしまった。
カイはディシメアーで何をしようとしているんだろう。
気になるけど、今は言われた通り戻った方がよさそうだ。
オレンジ色だった空はすっかり暗くなっているし、またラヴィー族に囲まれても困る。
さっきの話を兄さん達にもしておきたい。
「行こう、ハルちゃん」
「そうだね」
ポフッと小鳥に姿を変えたモコが、私の頭の上にとまる。
サンダルを脱いで、靴に履き替えて、名残惜しく海を後にした。
明日は泳ぎを教えて貰うつもりでいたのに―――それどころじゃないかもしれない。
やっと海まで来たのに。
浜を離れて振り返ると、星が瞬き始めた空の下で僅かに波打つ海面がキラキラ輝いている。
あの深い底で今もオルト様は眠られている。
群青色の海はただ静かに凪いでいた。




