海辺の再会
水着店を出て、他の買い物も済ませて大神殿脇の建物へ戻る途中、リューが「見るだけなら海へ行ってもいい」って言ってくれた。
「俺は先に戻るが、何かあったらロゼを呼べ、それから絶対一人にはなるなよ、セレス、ハルとモコをよろしく頼む」
「お任せください!」
「君も気をつけるように、君にも何かあっては困る」
「えッ、あ、はい」
「じゃあ後でな、陽が暮れる前には戻ってこいよ、夕食に間に合わなかったら置いてくからな」
「やだーっ」って声をあげたモコの頭をよしよしって撫でてから、リューは買った荷物の中からサンダルを取り出してモコに履かせる。
私とセレスの分もある!
「砂浜はこっちの方がいいと聞いた、痛くないか?」
「平気」
「私の分まで、有難うございます」
「ああ、それじゃ後で」
行ってしまうリューを見送って、三人で海へ向かう。
時々吹き抜けていく潮風が気持ちいい。
海って不思議な匂いだ、色々なものが混ざった命の匂いがする。
「リュゲルさん、やっぱり格好いいな」
「でしょ?」
「ああ、ハルちゃんが羨ましいよ」
「えへへ」
「兄さんってあんな感じなんだろうな」なんて呟くセレスの視線は、どこか遠いところへ向けられている。
王家の、兄君や姉君のことを思い出しているのかな。
ギュッと手を握ったら、こっちを見て笑ってくれた。
「ハルちゃん、モコちゃん、ここから浜へ降りられるぞ、すぐそこが海だ!」
「海!」
「うーみぃー!」
駆けだそうとして、パタッと転んだモコに慌てて手を伸ばす。
モコは砂まみれになった顔を上げて「えへへ」って笑う。
「はしるのも、まだちょっとむずかし、でもぼくがんばる」
「そうだね、少しずつ慣れよう」
「大丈夫かモコちゃん」
「だいじょぶ、ぼく、へーき!」
一人で立ち上がって、今度は砂を踏んでサクサク歩いていく。
モコ、本当に成長したな。
―――数か月前、あの嵐の夜に傷だらけで現れた思い出が、ずっと昔のことみたいだよ。
西に傾きかけた日を受けて、海はキラキラと輝いている。
広くて、どこまでもただ海で、まるで果てが無いようだ。
浜辺にザザーン、ザザーンと波が寄せて返す。
砂の中に覗くこれは貝?
サササッと走り抜けていった小さな生き物はカニだ、モコが喜んで追いかけようとしてまた転んだ。
セレスが笑いながら起こしに行く。
海、すごいなあ。
綺麗だなあ。
「ねえセレス」
「何、ハルちゃん」
「ずっと気になっているんだけど、あの向こうの方に見える黒いのって何?」
「あれか」
海の、ずっとずっと向こうに黒くて大きな何かが海面から覗いている。
モコと一緒に傍に来たセレスは、その何かを眺めながら「アレはこの辺りの海を見守っていると言われている甲羅岩だよ」と教えてくれた。
「こうらいわ?」
「そう、盛り上がり方が亀の甲羅みたいだろ」
「言われてみれば、そんな感じだね」
「あの岩を境に、急に海が深くなるんだ、だから遠泳するのもあの辺りまでって言われている、その先へ行くとハーヴィーに襲われるってね」
「ハーヴィー?」
「ああ」
「この海にハーヴィーがいるの?」
「海ならどこにでもいるさ、奴らの主である海神オルトは海の全てを司っておられるからな」
カイも、この海から来たんだ。
なんだか不思議な感じがする。
海から空へ視線を向けると、モコが「はる?」って体をぺたりとくっつけてきた。
「それじゃ、空にはラタミルがいるんだね」
「そういことになるな」
「天空神ルーミル様の眷属がラタミルで、海神オルト様の眷属がハーヴィー」
「ああ」
「それじゃ、大地神ヤクサ様の眷属って、私たち人や獣人ってことになるのかな?」
「うーん、どうだろう」
腕組みして「考えたこともなかった」なんてセレスが唸る。
ヤクサ様に眷属はいないのかな。
それとも、誰にも知られていないだけなのかな。
私とセレスを見上げていたモコが、不意に振り返って「だれ?」と近くの岩場に呼び掛ける。
そっちへ目を向けると―――岩陰から、ぴょこぴょこっと小さな姿が幾つか飛び出した。
「見つかったクゥ!」
「でも、あれはラタミル様だクゥ」
「ヒトと一緒だクゥ、あのヒト、いい匂いがするクゥ」
「恩人の気配だクゥ、とにかく傍まで行ってみるキュ!」
「大丈夫だキュ?」
「怖いッキュ」
「ビビってんじゃねーッキュ、親分に知られたら耳をギュッとされるキュ!」
喋る、ウサギ?
ううん違う、あの姿、この感じ、間違いない。
妖精だ!
耳の長いウサギの妖精たち、半袖のシャツにズボンを履いて、腰には短剣を下げている。
「ヘイ、お嬢さん方、ちょっとよろしいですクゥ?」
「お嬢さん達から何やら恩人の気配がしますクゥ、もしやどこぞの妖精とお知り合いですクゥ?」
「は、はい、サマダスノームのニャモニャ族と」
「ニャモニャ!」
ウサギたちはピョンピョン跳ねまわる。
可愛い。
サフィーニャ達も可愛かったけれど、このウサギたちも凄く可愛い。
「ニャモニャといえば、あのッキュ?」
「ニャルディッドだキュゥ! 先代様と飲み比べをして唯一勝った、あのッキュ!」
「うわばみのニャルディッド!」
えっ!
ニャルディッドって、そうだったの?
思いがけない展開に呆気にとられる私の隣で、セレスもポカンとしてる。
モコは不思議そうだ。
「お嬢さん方、あのニャルディッドとお知り合いですクゥ?」
「はい」
「おおーッ!」
「それじゃ、現里長のサフィーニャもごぞんじですクゥ?」
「サフィーニャとは友達、です」
「おおおーッ!」
歓声を上げたウサギたちは、急に集まってひそひそと相談し始める。
時々「親分に」「そうだ」「きっと力を貸してくれる」「オルト様の思し召し」なんて言葉が聞こえてきた。
「実は、お嬢さん方に折り入って頼みがあるッキュ!」
振り返ったウサギたちが、改めて私やセレス、モコを囲むようにして話しかけてくる。
「我々に力を貸して欲しいキュッ!」
「ひとまず親分に会って欲しいッキュ!」
「俺達は今困っているクゥ、妖精の恩人のよしみで助けて欲しいプゥ」
「お願いするクゥ」
「親分のところへ連れていくキュ、ついてくるッキュ!」
「行くキュッ、行くキュッ」
わ、うわわッ?
早く早くとウサギたちがフワフワの手で脚を押す。
くすぐったい!
それに事情も分からず一緒には行けないよ。
セレスもあたふたしながら「ど、どうしようハルちゃん」って訊いてくる。
「やめて、やめないと、おこるよ!」モコがそう声を上げると、ウサギたちは慌てて距離を取った。
「オイお前ら、何してる!」
不意に声がした。
驚いて目を向けた先にいたのは―――カイだ!
「ピイッ」
途端にウサギたちは、今度はカタカタと震えだす。
じりじり後退りをしながら「マズい、マズい」って口々に言い始める。
「は、は、ハーヴィー様だ、マズいッキュ、叱られるキュ!」
「耳をギューッてされるキュ、ハーヴィー様は怒ると怖いッキュ、どうする? どうしようキュ!」
「逃げるしかないキュ」
「逃げようクゥ」
「ううっ、怖いッ、ハーヴィー様とラタミル様に叱られたら、ビビって毛が禿げるッキュ!」
「俺もうチビッちゃいそうッキュ!」
「にげろぉーッキュ!」
ワーッと散り散りになって走り出すウサギたちに、カイはもう一度「おいッ」って強く呼びかけた。
でもウサギたちはあっという間にいなくなった。
やっぱりウサギだけあって足が速い。
今のは何だったんだろう。
訳が分からない私のところへ、カイが砂をサクサク踏んで近付いてきた。
―――本当にカイだ、また会えるなんて。
嬉しくて笑ったら、カイはちょっと困ったような顔で立ち止まった。
「ここで何してる」
「カイ! 久しぶりだね!」
「ああそうだな」
「元気にしてた?」
「見りゃ分かるだろ、お前こそ、相変わらず無駄に元気だな」
「うん」
「で、こんな場所で何してんだよ」
「泳ぎに来たんだ、でも今日は泳ぐのはダメって言われたから、見に来ただけ」
「ああそう」
ため息を吐いたカイの視線が、ゆっくりモコへ向けられる。
「ソイツはようやく成体になったようだな」
「あ、うん」
「前よりはマシになったじゃねえか、だがまだ全然ちんちくりんだけどな」
「ちんちくりんじゃないよ、ぼく、すぐもっときれーになるよ!」
ムッと頬を膨らませるモコも可愛い。
カイは「あっそ」って素っ気ない。
次にセレスを見て、面倒くさそうに視線を逸らす。
「おい」
「お前とは口を利きたくねえ、キャンキャン煩いからな」
「なんだと」
「相変わらずハルにベッタリだな、おい、あの時のデカい剣はどうした」
「荷物になるから部屋だ、武器なら他に持っている」
「ふーん、あっそ」
「そういうお前は、その槍、いつも持ち歩いているのか?」
カイが片手に持っている、布でぐるぐる巻きにされた棒状のもの。
あれは槍だ、先端が三又に分かれた珍しい槍で、ハーヴィーが好んで使うものだって聞いた。
「陸の奴らは信用ならねえからな、お前らみたいなボンヤリは意識もしてねえだろうが」
「なんだとッ」
ハーヴィーのカイは、陸では気が休まらないのかもしれない。
だってハーヴィーってだけで大抵の人は怖がるから、正体を知られたらどんな目に遭うか分からない。
それなのに、海を出て旅を続ける理由は何だろう。
人の事情を探るなんて趣味じゃないけど気になるよ。




