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オルト教の教義

外から見ても大きな建物だったけど、中もやっぱり広い。

ここは来賓を迎えたり、神殿に仕える神官たちが寝起きしたりしている宿舎兼事務所だって説明された。


「実は、特区代表より親書を頂いた数日後、エルグラート王家の印が押された封書が届けられました」


王家からの封書?

まさかそれって―――セレスの次の兄君が、ベルテナが関係しているのかな。


「ですがご芳名は記されておらず、こちらへ身を寄せたいと申す者が現れたなら即座に王家へ連絡せよという旨のみがしたためられておりまして」

「差出人の名がない?」

「はい、お名前を賜りませんことには、王家の名を騙った不埒な悪戯の可能性もございます、ですので封書は破棄させていただきました」


ロゼがフフっと笑い声を漏らす。

リューも呆れた顔をしている。

差出人の名前が無い手紙なんて確かに変だよね。


「特区の代表には毎年多額のご寄付を頂いております、我らの教義の神髄は愛故に、恩義には恩義を持って報いるのが道理」

「有難い限りです」

「いえいえ、困っている方々を放ってなどおけません、オルト様の愛を求めるもの、これすなわち皆同胞です、貴方がたは如何ですか?」

「はい、お助け願いたいと思っております」

「でしたら貴方がたも私どもにとって大切な同胞、改めて、よくお越しくださいました、オルト様の愛と共に在らんことを」


司祭様の足取りはゆっくりだ。

建物は中も青く塗られていて、なんだか水の中にいるような気分になってくる。


「皆様は、ここベティアスにおける差別をご存じでいらっしゃいますか?」

「はい」

「先ほども申し上げましたが、我らが教義の神髄は愛です、オルト様の愛を求めるならば、人であろうと、獣人であろうと、我々は等しく受け入れます」


それって普通なんじゃないかな。

だって人も獣人も何も変わらない、同じように生きている同じ命だ。


「しかしそれを快く思わぬ者たちがいる、とても嘆かわしいことです」

「それはもしや」

「いえ、おやめください、私の口からどなたと申し上げることは憚られます」


リューの言葉を止めて、司祭様は小さく首を振った。


「しかし、そのような声に忖度し、我らが教義を貶めるなど決してあってはならぬこと、我らはただオルト様の愛を受け入れ、愛されるだけの存在、そこに政など無用です」

「少し不思議に思っていたのですが」

「なんでしょう?」

「ベティアスには根強い獣人差別がある、それなのに、オルト様の神殿が何故ディシメアーにあるのか」

「それはこの海こそがオルト様に愛されているから、そして」


不意に足元に青い光が差し込んだ。

見上げると、天井に青いガラスの嵌った大きな明り取りの窓がある。

うわぁ、綺麗。

なんだかネイドア湖を思い出す、水中から空を見ているみたいだ。


「ディシメアーに在って人も獣人も問わず受け入れる、この神殿こそが、ベティアスが目指すべき未来と皆に理解していただくため」

「未来」

「ええ、特区代表は我らの考えに賛同してくださいました、寄付の件もありますが、あの方も我らが同胞、この神殿より愛を伝播するため、ここベティアスの首都にこそ我らはいるのです」


つまり、オルト教の神官や司祭様、信者たちのように、ベティアスで暮らす全ての人と獣人が愛情をもってお互いを受け入れられるようになって欲しい、そういう話かな。

すごく壮大な願いだ、でもきっと叶う、私も信じるよ。

特区の代表、スノウさんも話していたよね、オルト様はとても愛情深い女神だって。そのオルト様に見守られてベティアスの人と獣人が手を取り合えるなら、凄くいいことだと思う。


「かつてのディシメアーに差別などなかったと古い文献には記されております、今こそ、友愛を失せし胡乱な者たちにその愛を取り戻して欲しい」

「俺もそう願います」

「おお、我らが同胞よ―――しかし、昨今は少々込み入ったことになっておりまして」


歩きながら司祭様は廊下の窓の外に広がる海へ目を向ける。


「近頃オルト様の愛を感じられないのです」

「何かあったのですか?」

「分かりません、ですが日々我々の周囲に満ち満ちていたご加護を感じられない、それがとても辛い、我々が至らぬせいかもしれませんが」


さっきのロゼの意味深な呟きや、海を怖がっていたモコを思い出す。

ラタミルが感じ取っている異変を司祭様方も気付いたんだろうか。


「近海で船が魔物に襲われるなどと、嘆かわしい事案も発生しております、以前はこのようなこと決してありませんでした」


ディシメアーの海にはオルト様の加護が『あった』ってロゼは言っていた。

もしかして、今はないの?

だとしたら理由は、どうして加護が消えてしまったんだろう。


「近頃は御使い様が海底へ人を連れ去ると、そのような噂話まで流布しておりまして」

「私も聞きました」

「これはオルト様の愛の試練なのでしょうか、いえ、貴方がたに申し上げても詮無いことですね、忘れてください」


立ち止まった司祭様が「こちらをご利用ください」と二部屋の扉を指し示す。

青く塗られた扉は艶があって頑丈そうな作りだ。


「男性と女性に分かれてご利用なさるといいでしょう、鍵はこちらです」

「感謝します」

「まずは旅の疲れを癒されて、ご用向きがあれば何なりと、いつまで滞在していただいても結構ですよ」


司祭様は礼をして立ち去った。

私に鍵を一つ渡して、兄さん達は「後でな」「ハル、また後で」と部屋へ入っていく。

私もセレスとモコと一緒に、もう一つの部屋の扉を開いた。


部屋の中は青くない、白い壁に木の床、綺麗に掃除されている。

ベッドが二台、椅子も二つ、書き物机も二つあって、それからタンス、卓。

そして窓の外は海!


「すごいよセレス、窓の下にまで海がきてる!」

「この建物も神殿と同じように海上へせり出した作りになっているんだろう、ハルちゃん、窓から落ちないでくれよ」

「平気だよ!」


ベッドも嬉しい、久々に柔らかい寝床で眠れる。

後でお湯を借りられるかな。

じっくり体を洗いたいんだよね、いつも綺麗にしているけど、野宿が続くとやっぱり臭ってくるし。


「ねえセレス、今夜は一緒に寝る?」

「えッ、い、いや、このベッドは一人用だから、二人だとその、狭いよ」

「くっついて寝ればいいよ」

「だめだ! そんなことをしたら殺されるッ、じゃなくて、久々のベッドなんだからさ、一人で使った方が疲れが取れると思うよ、うん、お互いゆっくり寝よう、なッ?」


それはそうかも。

セレスにとっても久々のベッドだし、無理を言ったら悪いよね。


「あ、いや、違うぞハルちゃん、私としては全然構わないんだ、ただ、明日の朝日を拝めなくなるかもしれなくてだなッ」


慌てるセレスを見ていたら、モコがポンッと音を立てて人型に姿を変えた。

フワフワの銀髪、空色の瞳、やっぱり可愛い。


「じゃあぼくがはるといっしょにねるーっ」

「いいよ、一緒に寝よう」

「やったー!」

「うぐぐ、羨ましいッ、ぐッ、ダメだダメだッ、堪えるんだ私ッ」


セレスもモコと寝たいのかな。

でも今夜は私と一緒だよ、モコ。

ポフッとまた小鳥の姿になったモコは、そのままパタパタ飛んでセレスの頭の上に乗ると、ご機嫌で歌いだした。

セレスはしょんぼりしている。

もしかして、お腹が空いているのかもしれない。


「ねえセレス、そろそろ昼だね、ディシメアーって何が美味しいの?」

「え? ああ、そうだな、海の幸かな、あとフルーツ」

「兄さん達にご飯行こうって、声を掛けに行こうよ」

「ぼくおなかすいた、ぼくもたべる!」

「そうだな、確かに腹が減ったな、よし、お声を掛けに行こう」


食べたらきっと元気になるよね。

荷物を置いて、部屋を出て、兄さん達の部屋の扉を叩く。


「どうしたハル」

「兄さんお腹空いた」

「ぼくも!」


リューは苦笑して「分かった分かった」って私の頭をぐいぐい撫でる。


「セレスもいるな、よし、繁華街へ行こう、今丁度ロゼと話していたところだ」

「やあハル、もう昼時だからね、お腹が空いたのだろう、僕もさ」

「ついでに布も見に行こう、モコにまともな服と靴を用意してやらないとな」


「ぼくに?」

モコはまたポフッと人の姿になる。

リューが慌てて「こらこらっ」って部屋へ引き込んだ。

私とセレスも一緒に兄さん達の部屋に入る。


「お前は頭数に入っていないんだ、少なくとも神殿の方々にはその姿を見られないよう気を付けてくれ」

「はーい」

「でもリュー兄さん、採寸とかあるだろうし、モコはこのままがいいと思うよ」

「それは問題ない、服と靴はロゼに作ってもらう」

「え」


(聞いてない)って顔するロゼに、モコが「ししょーが?」ってキラキラした目を向ける。


「リュー、待て、勝手なことを言うな、僕は君とハル以外に何かを作り与える気は無い」

「ししょー、ぼくのふくとくつ、つくってくれるの?」

「断ると言っている、お前は既製品でも適当に見繕ってもらえ」

「けどお前、あの時は羽根を作ってやったよな?」

「むっ」

「今と何が違うんだ? ましてモコはお前の弟子じゃないか」

「僕は弟子を取った覚えなどないと何度も言っている!」


サマダスノームで、ニャモニャたちに『ラタミルの羽根』をあげたことを言ってるのかな。

兄さん達は睨み合って膠着状態だ。

よし、私の出番だな。

今着ているこの服も靴も、リューの服と靴だって、全部ロゼに作ってもらった。可愛くて丈夫ですごく気に入ってる。

モコにも作ってあげて欲しい、ロゼ兄さんならきっと素敵な服と靴を用意してくれるはず。


「ロゼお兄ちゃん!」


両手を胸の前で組んで、上目遣いで見上げると、ロゼはぐっと声を詰まらせる。

普段は恥ずかしいから使わない奥の手だ、でもやっぱりちょっと恥ずかしい。


「私も、ハルからもお願いするよ、モコに服と靴を作ってあげて」

「は、ハル」

「頼むロゼ兄さん」


リューも加勢してくれた。

これなら確実にロゼを説得できる!


「弟の俺の願いを聞いてくれないか?」

「ハルのお願い、聞いて欲しいな」

「どうしてもダメなのか兄さん」

「お兄ちゃん、ダメなの?」


「ぐッ、ぐうううッ、ぐううううううううーッ!」


唸って葛藤するロゼを、あと一押し!


「ハル、お兄ちゃんがお願い聞いてくれるとすごく嬉しいな」

「俺も嬉しい、兄さんならきっと叶えてくれるって信じてる」

「ロゼお兄ちゃん、お願い」

「頼むよ、ロゼ兄さん」

「ああーッ!」


大声をあげて、ロゼは髪をうわっと掻きむしった。


「分かった、分かった、分かったとも! 僕の負けだ、作ればいいのだろう、作れば!」


よしっ、やった!

リューと両手をパチンと合わせる。

モコともパチンと合わせて、セレスとも喜んでおいた。

やっぱりロゼ兄さんは頼りになるね。


「有難うロゼお兄ちゃん!」

「ロゼ兄さん、信じていたよ」

「君たちは! まったく、いつからそんな真似をするようになった、とんでもないぞ!」

「まあまあ、それじゃロゼ、よろしくな」

「ダメだ」

「は?」

「まだ暫く僕をお兄ちゃんと呼んでくれないと割に合わない、納得がいかない」

「ししょーありがと!」

「お前は勘違いをするな、僕は可愛い弟と妹にねだられたから骨を折ることにしただけだ、断じてお前のためではない」

「ありがとー、ししょーすき!」

「うるさい、勘違いするなと言っている!」


「いいな」


ぽつんと寂しげな声が響く。

あ、セレス―――少し離れた場所で、ロゼとモコをじっと見つめていた。

でっでも、セレスの服って体質に合わせた特別製なんだよね?


「羨ましいな、モコちゃん」

「セレス、その」

「えっ、ああいや、気にしないでくれハルちゃん、私はその、無関係だし、師匠に何か作っていただくなんてそんな、恐れ多くてハハハ、ハハハハハッ」


無理やり作った笑顔だ、口元が引きつってる。

そうだよね、セレスもロゼの弟子だもんね。

後でセレスにも何か作ってもらえないか、ロゼに頼んでみよう。


とにかく話はまとまって、繁華街へ行って食事をとってから買い物、ということになった。

でもその前に、一番大事な用を済ませておかないと。

オルト様の神殿で、女神オルトへ暫くお世話になりますってご挨拶だ。


ここに着いてから、ずっと波の音が聞こえて、潮の匂いがして、今は不謹慎かもしれないけれど、ワクワクが収まらない。

早く海に行きたい。

海水に触れて、泳いでみたい。楽しみだなあ。

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