噂話
ディシメアーへ向かう途中で、色々足りなくなってきた物を買い足すために街へ立ち寄った。
特区を出てからまたずっと野宿続きだ。
だけど町で宿を取って、またベルテナが来たら何をするか分からないから仕方ない。
街道から離れて少しでも人気のない場所を選びながら進んでいる。
色々不便だけど、野宿自体は嫌いじゃないよ。
でもやっぱりベッドが恋しい、ディシメアーに着いたらまたベッドで眠れるかなあ。
「むっ、ハルご覧、屋台でカニを売っているじゃないか」
「カニ! 美味しそう!」
「ぼくたべたい!」
リューとセレスは買い物中。
私はロゼとモコと一緒に街を見て回っている。
「海で獲れるカニ初めて見るよ」
「ハハッ、お嬢さん旅行客だね? どうだい、淡水のカニより大きいだろう」
店員がニコニコと教えてくれる。
ベティアスの名産品の一つは魚介類で、海が近いとこうして茹でたカニを売る店があるんだって。
「足をもいで殻を取り、身を食べるんだ、胴にはミソが詰まっていてね、こっちのソースをつけて食べると美味しいよ」
「ください!」
「ぼくも!」
「はいよ、まいどあり」
屋台で買ったばかりの茹でたカニを、座れる場所を探して、適当に腰掛けて食べた。
身がプリプリして美味しい、酸味のあるソースともよく合うし、ミソも濃厚でたまらない。
「うん、とてもいい、手間のかかった料理もいいが、こうして素材そのものを味わうのもまたオツなものだ」
「おいしーね、はる」
「そうだね、モコ」
モコは眼鏡を掛けている。
ロゼと同じ周囲の認識を阻害する魔法道具の眼鏡、度は入っていない。
どうやらモコも魅眼持ちで、裸眼だと周りを際限なく魅了してしまうんだって。
初めてモコが人の姿になった時、私も魅了されたんだよね。
でもロゼには眼鏡なしでも魅了されたことがない。
理由を訊いたら、それは秘密だってはぐらかされた。どうしてだろう?
「ぼくもはるのこと、みりょーしたくない、だってぼく、はるすき」
「いい心がけだ、では僕が指南してやろう」
「ありがとししょー!」
なんてやり取りがあって、モコも、私とリュー、それからセレスにだけは魅眼を発動しないようになれたらしい。
ロゼは元々効かないんだって。
「僕にそんな小手先の技が通用するものか」なんて言ってた。やっぱり流石ロゼだなあ。
でも、二人とも眼鏡の形が同じで、雰囲気もよく似ている。
こうしているとロゼとモコって兄妹みたい。
それじゃ、やっぱり私の妹ってことになるのかな、ふふ、ラタミルのお兄ちゃんと妹か、ちょっとすごいよね。
モコの服はまだ布に穴を開けただけのワンピースみたいな恰好で、リューから借りたマントを羽織っている。
ディシメアーに着いたらちゃんとした服を用意しようなってリューが言っていた。
確かに今のままじゃちょっと物足りないよね、モコは可愛いから、可愛い格好をしたらきっともっと可愛くなるよ。
「このカニ、後でリューにも食べさせてあげよう」
「はる、せれすもかにすきかな?」
「好きだと思うよ、セレスにも教えてあげようね」
「うん!」
ふと、近くから話声が聞こえてきた。
ベンチに腰掛けた男の人二人組だ。
「それでそいつ、本当にピンクのイルカを見たらしいんだよ」
「えっ、あれってただの噂じゃないのか?」
「そん時はビビッて逃げちまったらしいんだが、どうにも忘れられないから今度またディシメアーまで行ってくるって」
「魚の姫ねえ、ハーヴィーとは違うんだよな?」
「まさか、姫なんて呼ばれているのに、ハーヴィーなわけないだろ」
「それもそうか、で、どんな奴だったんだ?」
「いやあ、それがさ、ここだけの話、女神かって見間違うくらいのメチャクチャ美人でエロい女だったって」
「うっ、気になる、俺もディシメアーまで行ってこようかな」
ピンクのイルカ?
それって前にリューが酒場で聞いた噂話だ。
魚の姫がいる楽園へ連れていってくれるイルカで、額に星の形の模様があるらしい。
「兄さん、ここからディシメアーまで、あとどれくらいかかるの?」
「ふむ、街道を辿るなら恐らくは二週間程度、僕たちもそれくらいだろう」
騎獣はウマよりずっと足が速いけど、私達は街道を使えない。
回り道することになるから余計に日数がかかる。
「そっか、まだ先だね」
「いずれ辿り着く、今の話が気になるのかい?」
「うん、イルカって図鑑でしか見たことないし、それがピンク色なんて興味あるよ」
「なるほど」
「いるか、おいしかなあ」
「どうだろうね、でも食べちゃダメだよ、モコ」
「僕もイルカは未体験だ、少々気になる」
うーん、ラタミルってもしかして食いしん坊なのかな。
それ以前に、魚の姫の使いって言われているイルカを食べてもいいの?
「だけどちょっと変だったね」
「何がだい?」
「だって、イルカの話をしていたでしょ、なのに美人とか、その、エロい? だとか」
「ふむ、イルカと共に姫も現れるのかもしれないね」
「魚の姫がいる楽園へ連れていくのに?」
「殊勝に出迎えているのかもしれない、まあ、元より噂話などあてにならないよ」
確かにそうかもしれない。
あの人たちの話に根拠はないし、本当か嘘かも分からない。
でもディシメアーでピンクのイルカに会えたら嬉しいな。
―――街の外れ、クロとミドリを繋いだ場所で、リューとセレスが私達を待っていた。
セレスが紙袋から「ほら」って取り出した実を手渡してくれる。
果物?
「足が速いからベティアスでしか食べられないんだ、ティパラージャだよ」
「匂いが甘い、色も綺麗だね」
「おいしそ!」
セレスは私からティパラージャを預かって、手元でナイフを使いサクサクと切ってくれる。
「そのままかぶりつくんだ」って言われたから、また受け取ってパクッと食べてみた。
「おいしい!」
「あまーいっ」
一緒に食べたモコも空色の目をキラキラと輝かせる。
「これ、すごくおいし! てぃぱらーじゃ、すき!」
「甘くて蕩けるみたい」
「気に入ってもらえてよかった」
ロゼもリューが切ったティパラージャにかぶりついている。
皮は赤いのに実は金色、柔らかくて、果汁たっぷりで瑞々しい。
「ベティアスでは果物も多く穫れる、今頃でもノイクスよりずいぶん温かいからな」
「確かにそうだね」
「ねえせれす、りゅー、ぼくね、はるとししょーといっしょに、かにたべた!」
「そうか、あれ美味いだろ、私も好きだよ、酸味のあるソースもカニの身によく合うんだ」
知ってるんだセレス、フフ、流石だね。
店の人は海に近い街ならどこでも売っているって話していた。
次は俺も食べてみたいってリューが言う。
やっぱり美味しいものはみんなで楽しみたいよね。
クロとミドリの鞍に荷物を積みなおして、騎乗してまたディシメアーへ向かって進みだす。
ポフッと小鳥の姿になったモコが私の肩にとまった。
「そういえば、ねえリュー兄さん、さっきまたピンクのイルカの噂を聞いたよ」
「あの話か、俺も聞いたな」
「兄さんも?」
「ああ、この頃よく耳にする、噂している奴が増えているんだろう、どうも場所はディシメアーらしいな」
「そうだね」
「魚の姫の話も聞いたぞ、お前はどうだ?」
「聞いた、美人でエロいって言ってた」
リューがちょっと顔を顰める。
エロいって、いやらしいって意味だよね。美人で色っぽいってことかな。
「まあ、なんであれ所詮噂だ、今のところ真偽のほどは定かじゃない」
「そうだよね」
「ねえりゅー、いるか、おいし?」
モコに訊かれてリューは苦笑した。
「それは流石に分からないな」ってモコを撫でる。
「なんでも一部のイルカやカメはオルト様の使いとみなされているらしい、迂闊に食べると怒られるぞ」
「そうなの?」
「お前といい、ロゼといい、本当に食道楽だな、仕方のない奴らだ」
「くいどーらく」
「食べることが好きな奴のことだよ」
「ぼく、くいどーらく!」
「おい」って聞こえて、振り返ったらロゼが渋い顔していた。
後ろに乗ったセレスはロゼの腰の辺りを少しだけ掴みながらニコニコとその渋い顔を見上げている。
「君、誰が食道楽だ、僕は食を楽しんでいるだけだ」
「お前も道楽だろ」
「むッ」
ラタミルって食事の必要ないんだよね。
それなら道楽か、なるほど。
「これも聞いた話だが、たまに店でイルカの肉を売っているそうだ」
「えッ」
「当然オルト様の使いじゃない、ただのイルカだよ、使いには印があるらしい」
「それが星の印?」
「そうだよ」
ロゼがクロを寄せてくる。
「星に限ってはいないが、特徴的な印がついている」
「そうなんだ」
「流石、博識ですね師匠」
「御印を抱く者たちは皆僕さ、彼らはオルトとハーヴィーに仕えている」
「眷属とは違うの?」
「ああ違う、そうだな、僕が呼ぶ鳥のようなものだよ」
そう言ってロゼは片手を軽く挙げる。
すぐに鳥が飛んできて、手のひらに小さな実を落とした。ベリーだ。
「ほらハル、おあがり」
ポイッて投げられた実をリューが受け取って渡してくれる。
甘くて酸っぱい、美味しい。
「師匠、すごい、はわわッ」
「このように働くのが僕だ、オルトの一番古い僕は大きなカメだよ、確か数百年ほどディシメアーの海にいる」
「カメ!」
淡水のカメなら知っている。
でもウミガメはまだ見たことがない。イルカと同じくらい興味ある!
「そのカメがイルカ達を束ねている」
「師匠は何でもご存じなんですね」
「お前はさっきからうるさいぞ、僕の話に口を挟むな、静かにしていろ」
「はい師匠」
セレス、相変わらずだな。
黙ったセレスと入れ替わりで「そのウミガメと魚の姫とやらは繋がりがあると思うか?」ってリューがロゼに尋ねる。
「さてね、前にも言ったが僕はその魚の姫とやらに心当たりがない、だがイルカが関わっているのなら、カメは事情を知っているかもしれない」
「話せるのか?」
「流石に無理さ、アレはずっと眠っている、起こすのはしのびない」
「そういう理由か」
リューがなんだか呆れている。
ディシメアーの海で眠るオルト様の僕のウミガメか、神秘的な話だな。
「しかし、女神が司る海で『姫』を名乗るなど、なかなかに豪胆なことだ、美醜の程度はともかく面の皮が厚そうだな」
「オルト様と関わりはないのか?」
「それについても不明だよ、だが僕は知らない、眷属のハーヴィーはまかり間違ってもそう名乗りはしないだろうからね、どんな『姫』なんだか」
「美人でエロいって」
「こらハル、その言葉はもう使うな、お前が口にするようなものじゃない」
リューに叱られた。
使いなれない表現だし、もう言わないようにしよう。
クロの背中で揺られながら、何となく空を見上げる。
西の果てに雨雲が見えた。
もうすぐ雨が降りだすかもしれない。
「兄さん」
「ん? ああ、雨雲だな」
「どこかで雨宿りする?」
「降りだしてから考えるとするか、ロゼ」
「いいとも」
雨はいつもロゼが防壁を張って防いでくれるから、濡れる心配はない。
―――ディシメアーまであと二週間。
どんな街なんだろう。
海も楽しみだ、やっと見られるんだ。
すごく楽しみで、少しだけ不安もある。でも、兄さん達とセレスが一緒だから大丈夫だよね。




