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声を響かせる花

「消えた?」


唖然と呟いたセレスの声は、獣人たちの唸り声、叫び声にすぐ吞まれた。

ベルテナたちがいなくなっても狂ったままの獣人たちと戦い続けるセレスに、手を翳して詠唱を済ませて「イグニ・レーヴァ・コンペトラ!」とエレメントを唱える。

切れかけていたヴェンティの障壁に代わって、火の精霊イグニの炎がセレスを包み込む。

加護を受けた対象に触れた相手を炎上させるエレメントだ。


どうしよう。

あの粉が特区の空でばらまかれてしまった。

このままじゃ、東区以外の場所も、それどころか特区の外にいる獣人たちまでおかしくなってしまう。

被害の規模に見当もつかない、どうしようッ。


「ロゼぇッ!」


リューが叫ぶと、特区の空を魔力の膜が包み込んだ。


「もう大丈夫だよ、さて、それではこちらも片付けてしまおうか」


そう言ってロゼは「そらっ」と片腕で宙を薙ぐ。

同時に生み出された衝撃波が辺りの獣人たちを吹き飛ばした。

瓦礫にぶつかったり、火の中へ落ちたりして、襲ってくる獣人の数が一気に減る。


「ハル、オーダーを唱えろ!」

「は、はいッ」


エレメントじゃなくていいの?

内心戸惑いつつ、手早く香炉を取り出してオーダーを唱えた。

とにかく、リューの判断を信じよう。


「フルーベリーソ、来て!」


呼び掛けると光が二つ現れる。

二種同時召喚、またできた!

こっちは氷の精霊ガラシエ、そしてこっちは、嵐の精霊テーペ!

どっちも上位精霊だ、すごい、目が眩みそうなほど強い光を放ちながら精霊たちは飛び回る。


「ガラシエ、テーペ、お願い、この辺りの火を消して!」


お願いすると、光は重なってもっと強く輝き、たちまち辺りに吹雪が吹き荒れる。

あんまり寒くて自分の体をギュッと抱いた。

モコも私の髪の陰で羽を膨らませながらぴったり寄り添ってくる。


「ハルッ、セレス、怪我はないな?」

「リュー兄さん!」


リューが駆け寄ってきた。


「ハル、お前ならやれると思ったよ、これならこの辺りはもう大丈夫だ」

「うん」

「寒いのか、ほら、おいで」


広げた腕の中に納まるとホッとする。

いつものあったかい匂いだ、よかった、兄さんも怪我はない。


「リュゲルさん、火が」

「ああ」


周りで燃え盛っていた炎が、強烈な冷気に晒されてどんどん勢いを失っていく。

宿の屋根で冷気を吐き出していた氷のトカゲもフッと光に変わって消えた。


「ハル、セレス、さっき空で爆ぜたあの光を見たな?」

「うん」

「はい」

「粉の特区外への飛散はロゼに防がせたが、状況は恐らく悪化しただろう、俺はこれからロゼを連れて他の区域の様子を見てくる」

「分かりました、ハルちゃんのことは私に任せてください」

「ああ、頼む」


リューは腕を解いて、私の頭をゴシゴシ撫でる。


「ハル、セレスと一緒にこの辺りの獣人の救助にあたってくれ、だが襲われたら躊躇うな、いいな?」

「分かった」

「それじゃ行ってくる」

「兄さん、ロゼ兄さんも、気をつけてね」

「ああ、心配するな、後でな」


リューは向こうで待っているロゼの方へ駆けていった。

ロゼも、こっちへ手を振って「ハル、何かあったら僕を呼ぶといい!」って私に言うと、リューと一緒に行ってしまう。


「ハルちゃん」

「セレス」


気付くと冷気は収まり、焼けた残骸から煙が昇っている。

スズラン亭だけは無事だ。

一軒だけ、まるで奇跡みたいに、多少あちこち煤けているけど変わらない姿で佇んでいる。


「リーサの宿以外、全部焼けたね」

「そうだな」


唸り声がして身構えた。

ロゼが吹き飛ばした獣人たちだ。ボロボロの体を引きずりながら、まだ蠢いて唸り続けている。

誰も苦しそうで、死にかけて、中には小さな子供までいる。

傷だらけの体から血を流し、牙を剥いて、私達へにじり寄ってくる。


グッとこみあげてくるもので胸が詰まった。


昨日、ベティに襲われた後でモコが言っていたことを思い出す。

なかがぐちゃぐちゃ、よんでもきこえない―――


あの粉のせいで獣人たちは理性を失っているだけかもしれない。

もし、まだ意識は残っていて、自分を抑えられないだけで、何をしているか、どういう状態か、分かっていたとしたら。


「酷い」


目の前が滲む。

この辺り一帯、全部燃えてしまった。

たくさんの建物、たくさんの思い出、たくさんの命、同じものは二度と戻らない。

ベルテナのせい?

それとも、私やセレスのせい?

―――原因はベルテナだ、招いたのは私とセレスだ、悔しい、不甲斐ない。


「ハルちゃん、火が消えただけでここはまだ安全じゃない、場所を移動しよう」

「うん」

「大丈夫だ、アイツらはもうすぐ動けなくなる、リーサたちは心配いらないよ、だから」

「うん」

「ハルちゃん?」

「はるぅ?」


膨らんだ涙が決壊して溢れた。

モコが羽を摺り寄せてくれるけど、苦しい気持ちが止まらない。

両手をゆっくり、前へ差し出す。


届け。

響け。


「フルースレーオー」


どうかこの声を聞いて。


「花よ咲け、声よ響け―――」


『トゥエア』と、胸に咲いた花の名を呼んだ。

両掌から青い花が溢れ出す。

リュビデに形の似た花だ、たくさん咲いて、足元を埋め尽くして、それでもまだ溢れて夜風に乗って飛んでいく。


届いて、聞いて、狂った音の中から拾って。

目を覚まして。

いつまでも怒りに、苦しみに、捕らわれないで。


フッと視界が暗くなる。

色々な感覚が急に曖昧になって、そのまま何も分からなくなった。


――――――――――

―――――

―――


暗い。

暗くて、何もない。


「ポータス」


花が咲いた。

綺麗な紫の花だ。


「トゥエア」


また花が咲いた。

今度は鮮やかな青い花。


他の花の色はよく見えない。

辺りに満ちる暗闇が蠢く。

何かの気配が膨らんでいく。


誰?


―――もうすぐ。


「えッ」


闇は一気に膨張して私を飲み込んでいく。


――――――――――

―――――

―――


「ハルちゃんッ」

「ハルッ、よかった、目が覚めたね、分かる? アタシだよ、リーサだよ!」


ここどこだろう。

なんだか見覚えがある、そうか、スズラン亭だ。

床に敷いた敷物の上に寝かされている。

起き上がろうとしたら、セレスが慌てて支えてくれた。


「わたし?」

「倒れたんだ、その、火事が収まった後で」


歯切れの悪いセレスに、自分が何をしたか思い出した。

また『花』を咲かせたんだ。

トゥエア、それがシェーラの森でリューラから受け取った、エノア様の二つ目の花の名前。

不思議な感覚だった。

気を失っている間に夢を見たような気がするけど、どんな内容だったか全然覚えていない。


「ハル、アンタのアニキすごいね、本当にうちの宿だけ焼けなかったし、アタシたちのことも守ってくれた」

「ええ、感謝いたします、本当に有難うございました」


リーサの父さんだ。

傍にリーサの母さんもいて、エプロンで涙を拭っている。

リーサまでちょっと涙目になりながら私の手を握って「マジで有難うね」って鼻を啜った。


「正直ダメかと思った、でも、おかげで命拾いしたよ」

「うん」

「あ、シアンも大丈夫だよ、気絶してるって聞いて焦ったけど、まだグースカ寝てる、アイツって昔から結構図太いんだ」

「はは」

「あれ、ハルちゃん?」


セレスが顔を覗き込んでくる。


「もしかして、声が出しづらいのか?」


言われてみれば、なんだか喉の調子が悪い。

無理やり声を出そうとしたら咽た。


「やめなって、待ってて、水持ってくる!」


リーサが駆けていく。


「大丈夫か? 気を失う前は普通に話せていたのに」

「うん」

「後で師匠に診ていただこう、リュゲルさんにもお伝えしないと」

「にいさんたち、は?」

「多分もうすぐお戻りになられるよ」


セレスは声を潜めて私にだけ話す。


「君が咲かせた『花』に触れた獣人たちが正気を取り戻したんだ」

「え」

「自分の状態もある程度把握しているようだった、今は守備隊が来て救助活動にあたっている」

「そう」

「きっとあの『花』がベルテナの撒いた粉の効果を打ち消したんだ、他の場所へも飛んでいったようだから、この騒動はもうすぐ収拾がつくだろう」


特区の空を覆っていた魔力の防壁も消えたらしい。

ロゼがもういらないと判断したなら、多分セレスが今言ったとおりだ。

よかった。

ホッと息を吐いたところへ、リーサが水を注いだグラスを持ってきてくれた。


「ハル、これ飲んだら部屋に行ってベッドで休みなよ、あっちの方が疲れが取れるから」

「ありがと、リーサ」

「取り合えずここに寝かせたけど、どこか痛いところとかない?」

「ないよ」

「そっか、よかった」


リーサの笑顔に少しだけ報われた思いがする。

この手で守れた精いっぱいだ。


水を飲み干して、空になったグラスをリーサに返すと、セレスが私を抱き上げて部屋まで運んでくれた。

ベッドに横になると急に眠気が襲ってくる。


―――トゥエア。


最初の花のポータスは、私の愛を消耗するってロゼが言っていた。

それならトゥエアは、もしかしたら私の声を消耗するのかもしれない。


「はる」


パタパタと顔の傍に飛んできたモコが、柔らかな羽を頬に摺り寄せる。


「ねえはる、またさいたね、とぅえあ、きれいだった」

「うん、そうだね」

「うみでまってるよ」

「え?」


海はベティアスに来た一番の目的だ。

その海で、一体何が、誰が待っているんだろう。


「モコ?」

「まってるよ、はるをまってる、ずっとまってる」


―――ああ、ダメだ、眠い。

今の話、詳しいことは起きてから訊こう。

ベッドが軋んで、近くに座った気配が私の髪を優しく撫でながら「おやすみ、ハルちゃん」と囁いた。

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