表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
144/555

東区火災

「モコ、誰かに見られるかも、火が燃えている真ん中へ降りて!」


ぐんぐんと迫る炎に包まれた東区を見下ろしながら、モコへ呼びかける。


「だいじょぶ?」

「大丈夫!」

「わかったーっ」


セレスは何も言わない。

私を信じているんだ、よし、頃合いを見計らって香炉を取り出し、オーダーを唱える。


「フルーベリーソ、おいで!」


フワリと現れたのは、水の精霊アクエだ。

そしてもう一つ、この荒々しい魔力は、まさか高位精霊の嵐の精霊テーペ?


「来てくれたんだ」


アクエとテーペは滑空しながら徐々に高度を落としていくモコの周りをくるくる飛び回る。

熱い、こんなところまで炎の熱が届く。


「アクエ、テーペ、お願い、あの炎の中へ突っ込む私達を守って!」

「いくよーっ!」


モコは躊躇わず燃え盛る街中へ飛び込んでいく。

あちこちから迫る火の手や、降りかかる火の粉を、アクエとテーペが防いでくれる。

そのたびに起こる水蒸気で目の前が真っ白く染まった。


「つくよ」


フワリと風を孕んで、モコの蹄が軽やかに、コツ、と地面を叩いた。

音も振動も殆どない綺麗な着地だ。

シアンを担いで降りたセレスが、つくづく感心したようにモコを見る。


「すごいな、こんなことまで師匠は教えてくださるのか」

「うん!」

「やはりあのお方はラタミルに匹敵する、いや、まさしくラタミルそのもの!」

「う」


モコが固まった。

私も、うっかりモコの言葉をそのまま聞き流していたことに気付いて全身からドッと汗が噴き出す。

セレスはロゼがラタミルだって知らないんだ。


「せ、セレス!」


咄嗟に声を上げる。

辺りは火の海だ。

それに―――なんだろうこれ、酷い臭い。

色々なものが焼け焦げる臭いとは別に、何とも言えない、気持ちの悪い臭いが充満している。


「早く兄さん達を探しに行こう!」

「そ、そうだった、感心している場合じゃない、急ごうハルちゃん!」

「うんッ」

「ぼく、りゅーのばしょわかるよ!」


モコがポンッと小鳥に姿を変える。


「ついてきて!」

「わかった!」

「ハルちゃん、モコちゃんも、火事の煙は吸うなよ、昏倒して倒れるぞ!」


羽ばたくモコの羽が燃えてしまわないか心配だけど、案内してもらおう。

炎や煙を避けながらセレスと駆け出して間もなく、逃げ惑う獣人たちに遭遇した。

誰かに襲われている?

襲っているのも獣人だ、もしかして、昼間に遭ったベティと同じで、おかしくなった獣人かもしれない。

押し倒した相手を散々嬲って、血まみれで振り返った獣人はこっちに気付くと同時に牙を剥きながら飛び掛かってくる。


「ハルちゃんッ」


セレスがすかさず蹴って獣人を跳ね除けてくれた。


「こいつらは昼間のベティって獣人と同じみたいだ、狂暴化している」

「だけど、なんだか大勢いるよ」


こんなに沢山の獣人が攫われていた?

ううん、何かおかしい、違う気がする。


「多勢に無勢だ、ハルちゃん、私もシアンを背負ったままじゃ捌ききれない」

「逃げようセレス、モコ!」

「あんないする、こっちだよ!」


炎の中、人気の少ない場所をモコに先導してもらって進むけど、それでも時折獣人たちが襲ってくる。

街中悲鳴と叫び声が溢れておかしくなりそうだ。


「フルーベリーソ、咲いて広がれ、おいで、おいで、私の声に応えておくれ!」


雷の精霊トートスが来てくれた!


「お願いトートス、私達を守ってッ」


私とセレスが駆ける後方の地面が広範囲でバチッと光って、追ってきた獣人たちがバタバタ倒れていく。

ごめんなさい、だけど今は早く兄さん達と合流しないと!


「おおッ、凄いなハルちゃん!」

「うん、でもそんなに強い電流じゃないからすぐ動けるようになるよ、急ごう」

「ああっ、リーサもご両親もきっと無事だ、なんたってリュゲルさんがついておられる」

「うんッ」


きっとロゼはもうリューのところにいる。

兄さん達は心配いらない。

―――それにしても、これだけ被害が拡大しているのに、まだ消火活動すら始まっていない。

暴れる獣人達もそのままだし、消防や救助する機関に問題が起きているのかな。

この騒ぎは急に起きたのかもしれない。

だとしたら原因は? どうしてこんなことになっているんだろう。


「おい、君達!」


不意に呼び止められた。

武装した獣人が駆け寄ってくる。


「人? ああそうか、君達は代表のお知り合いか、何故こんな場所にいる?」

「あ、あのッ」

「逃げ出したんですが、炎にまかれて方向が分からなくなって」

「そうか、そちらは?」

「彼は友人のシアンです、煙を吸って気を失っています」

「それはいかん、今すぐ守備隊のテントへ来なさい、こっちだ!」


近くの建物がバキバキと音を立てて、燃え盛る屋根材が落ちてくる!


「うわぁッ」

「危ない!」


セレスがシアンを放り出して、武装した獣人を庇い屋根材を受ける。

火はそのままセレスの背中へ燃え移った。

うずくまるセレスに急いでエレメントを唱える。


「アクエ・アグ・レパ!」


水の精霊アクエの水膜がセレスの背中を包んで炎を消す。

だけど酷い火傷だ、屋根材が当たった場所が裂けて傷にまでなっている。

早く癒さないと、見られているけど治癒魔法を使うしかない。


「ピィーッ!」


モコがいきなり大声で鳴いて、辺りの音がかき消された。


「うわッ、なんだ!」


武装した獣人は慌てて耳を塞ぐ。

その間にセレスの背中を獣人から隠して傷を癒した。


「こんな夜中に鳥? 一体なんだ、まさか魔物じゃ」


立ち上がったセレスがシアンを担いで私の手を取り駆け出した。

モコの白い翼が炎の向こうへ羽ばたいていく。


「あッ、待ちなさい君たち! そっちは危険だ、こちらより大勢の獣人が暴れてッ」


武装した獣人の声が遠ざかる。

熱い。

空気が焼けて、息さえ苦しい。


「ハルちゃん」

「なに、セレス」

「後で守備隊に事情聴取されるだろう、師匠とリュゲルさんに相談して、対策を練っておかないと」

「分かった」

「こんなことになったのも、元を糺せば私のせいだ」


セレスは辛そうに吐き捨てる。


「私のせいで、ハルちゃんは無用の恨みを買って、刺客に襲われて、特区に立ち寄るハメにもなって、挙句このざまだ」

「違う、セレスのせいじゃない」

「自分が不甲斐ないよ、ごめんハルちゃん、本当にごめんッ」

「セレスのせいじゃない、絶対に違う、だからそんなこと言わないで」

「だけどハルちゃんッ」


「フルーベリーソ、咲いて広がれ、おいで、おいで、私の声に応えておくれ」


オーダーを唱えると、水の精霊アクエが来てくれた。

アクエの霧で包んでもらうと熱は幾らかマシになる、湿った体にそれでも炎はどんどん迫って肌が炙られる。


「あのね、セレス、私はセレスが好きだよ」

「えっ」

「だから好きな人が辛いと、私も辛い、セレスの後悔はセレスのものだけど、苦しみは私と半分こしよう」

「でも」

「私は平気、だって、セレスが嬉しいと私も嬉しいから」

「ハルちゃん、君は」

「それにセレスは格好いいよ、だから、私の好きな人を不甲斐ないなんて言わないで」

「ッあ、ああッ!」


セレスが鼻を啜る。

大丈夫だよ、今なら泣いても、アクエの霧が隠してくれるから。


不意に冷たい風が吹いた。

驚いて立ち止まったら、セレスも唖然と何かを見上げている。

いつの間にか着いていたんだ、すっかり様子の変わってしまった風景に一件だけ佇むスズラン亭。

パタパタ飛んできたモコが私の肩にとまる。


「ついたよ、あれ、りゅーのだ、すごいね!」


宿の屋根に、大きな、すごく大きな氷のトカゲがいる。

トカゲは冷気を吐き出して、迫ってくる炎を防ぎ、宿を守っている。


「ハル!」

「リュー兄さん!」


いた、兄さんだ!

それにやっぱりロゼもいた、よかった、二人とも無事だ。


「無事か、怪我は?」

「私もセレスも何ともないよ、でもシアンだけ、ロゼ兄さんに眠らされた」

「そうか、まあ仕方ないな」


リューはため息を吐いて、セレスにシアンを宿へ運ぶよう言う。


「中にリーサとご両親が立てこもっている、ひとまずシアンを預けたら、この騒動を収める手伝いをするぞ」

「どうするんですか?」

「俺はロゼと他の場所の火を消して、騒動を鎮めてくる」

「はい」

「セレス、君にはハルと一緒にこの辺りの消火と、獣人たちの鎮圧を頼みたい、できるか?」

「分かりました」

「ハルもやれるな?」

「うん、頑張るよ」

「ぼくもがんばる! はるとせれすのてつだいする!」


リュー兄さんは本当に頼もしいな。

やることが決まったなら、あとは行動するだけだ!


セレスがシアンを背負ったまま宿の中へ呼びかけると、扉が開いて、リーサの父さんが恐る恐る顔を覗かせる。


「シアン!」

「気を失っているだけです、安静にしてやってください」

「わ、分かりました、それで皆さんは」

「まだやることがあるので、さあ早く中へ、話は後です」


セレスに急かされて、リーサの父さんはシアンを受け取ると、深く頭を下げてから宿の中へ戻っていった。


「師匠、リュゲルさん」


戻ってきたセレスは兄さん達に、ここへ来る途中で守備隊に会ったことを伝える。


「お二人も取り調べを受けることになるかもしれません」

「どのみち呼び出されただろう、その辺りはこうなった地点で織り込み済みだ」

「そう、ですか」

「ああ」


リューは燃え盛る景色の中で、唯一ほとんど被害を受けていないスズラン亭を見上げる。


「ここだけ無事なのもおかしな話だ、それに俺達が特区へ来て間もなくこんなことになった、なら誰の仕業と思われるだろうな?」

「そんな、まさか」

「ここは獣人特区、俺たち人は本来立ち入れない場所だ、今は封鎖中だから尚更だろう」

「しかし、だとすれば非は俺達だけにあると言いきれない、滞在許可を出した特区代表も―――あ」

「問題は誰が得をするかだ」


「理由に目星はついたが、黒幕が分からない」

そう言いながらリューは剣を構える。

あちこちから唸り声が聞こえてきて、また様子のおかしい獣人たちが現れだした。


「見つけ、ましたわよ」


―――不意に声が響く。


「こんなところにいらっしゃいましたのね」


湧いた獣人たちの一角が強制的にこじ開けられる。

獣人たちを跳ね飛ばし、押しのけ、作られた通路をゆっくり歩いてくる姿がある。

炎の照り返しを受けてより色濃く染まった黒のドレス。

茶色の巻き髪と、炎を映して爛々と輝く瞳。


ハッとセレスが息を呑んだ。

兄さん達も怪訝な様子でその子を見ている。


「コソコソと逃げ隠れするなんて、セレス様は斎君なのに、なんてみっともない」

「君、どうして」

「うふ、うふふ、うふふふふ!」


黒いレースの手袋を嵌めた手を口元にあてて笑い、その子は突然私を指さし叫ぶ。


「そこの魔女の仕業ですわね!」


怒りに顔を歪ませながら佇む、見覚えのあるその子は―――シーリクで会った野爵令嬢、ベルテナ・グレマーニだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ