シアンの熱意
「ポーションの値段?」
「うん」
ロゼはきょとんとして、不意にクスクス笑いだす。
おかしなこと言ったかな?
「すまない、そうか、なるほど、確かに僕らには無用の道具だ、君が一般的な価格を知らないというのも頷ける」
「リーサのご両親、すごく気にして見えたから」
「気にするだろうさ、薬草のままでは一束精々五百ラピ程度だが、成分濃縮されたポーションともなると価格は概ね底値で十倍の五千ラピ程度するからね」
「五千ラピ」
「君も知っているだろうが、ポーションは原料となる薬草の種類、質、使用量、そして製造過程にかけた手間で品質が大きく異なってくる」
ええと、ポーションは、並のピア、上のルプス、そして特上はルイテって、品質によって名称が異なるんだよね。
特上よりもっと上もあるらしいけど、そのポーションが何て呼ばれているかは知らない。
「ピア・ポーションが先の例えだ、最低価格でおよそ五千ラピ程度する」
「そうなの?」
「ハル、ポーションや僕らが使う治癒魔法というものは、一般的に利用されている傷薬などとは根本から異なるものだ」
「それは知ってる、傷薬は治癒を補助するもので、ポーションや治癒魔法は傷を癒し治すもの、更には欠損を補えるもの、でしょう?」
「そうとも、流石は僕のハルだ、素晴らしい」
「だからポーションは貴重で高価なの?」
「ああ、治癒魔法同様にね、いわば具現化された奇跡のようなものさ、それを金で買えるのだから五千ラピ程度など安いものだろう」
「ハルちゃん、さっき私がベティに使ったのはルプス・ポーションだよ」
腕の切断箇所にかけていたポーションだね。
ルプスだとピアより価値が高いから、もしかして数万ラピくらいするのかもしれない。
「この宿の娘を拾った時の状態であれば、ポーションならルイテ数本、ルプスはその倍は必要になっただろう」
「そうなんだ」
「つまり、僕らはそれだけの価値を持つ品を獣人相手に惜しげもなく使う奇特な人と思われたわけさ、フフ、ここがベティアスであればこそ彼らはより驚き、一層感謝したに違いない」
「それで色々と気を遣ってくれたんだね」
「まあ、始めに話を聞いた地点では、対価の要求を恐れたのだろう」
「どうして? そんなことしないよ」
「ああ、僕の愛しく美しい君たちはそんな卑しい真似などしない、僕は当然熟知している、君たちのお兄ちゃんだからね、しかし彼らは違う」
「先に提案して交渉の余地を求めたんだ、そうですよね、師匠?」
「僕はお前とは話していない」
萎れたセレスは、だけどすぐ顔を上げて「はい、師匠」って笑顔を見せる。
すっかり打たれ強くなったな。
ロゼはもう少しセレスに優しくしてくれてもいいのに。
「さて、ハル、僕は君の質問に答えられただろうか?」
「よく分かったよ、有難う兄さん」
「それは何より、君に頼りにされると僕はとても嬉しい、これからも僕を君の好きに役立てておくれ」
「ふふッ、いつも頼りにしてるよ、ロゼ兄さん」
ロゼはすごく嬉しそうにニコッと笑う。
同時にセレスが椅子ごと倒れた。
モコも私の肩からポロっと落ちて、そのまま卓上にポカンと座り込んでる。
「ふむ、喜びが溢れてしまった、お前達は自身の軟弱さを自覚するといい、この程度で目を回してどうする」
えーっと、もしかして今、ロゼの『魅眼』がうっかり発動したのかな。
私だけ平気なのは耐性がついているのかも、兄妹で、見慣れたロゼの笑顔だから。
でもモコまで中てられるなんて、ロゼってやっぱり凄い。
「む、リューの奴、本当に僕を手伝いに呼ぶとは、やれやれ」
不意に呟いたロゼは、外していた眼鏡をかけて椅子から立ち上がると、私にだけ「少し出てくるよ、何かあったら呼びなさい」って声を掛けて部屋を出ていく。
セレスがようやくフラフラしながら起き上がった。
モコも興奮した様子で「すごいっ、ししょーすごいっ」って翼をパタパタ羽ばたかせる。
「う、まさかラタミルのモコちゃんまで魅了されるとは、やはり師匠は偉大だ、あの神々しい微笑みの前では万物は畏怖しひれ伏すのみ」
「セレス、大丈夫?」
「流石に君は何ともないようだな、羨ましいよ」
「兄妹だからね」
「いや、違うな? ハルちゃん自身が師匠に匹敵する魅力の主だから効果が相殺されたんだろう、きっとそうだ、そうに違いない」
セレス?
頭を強く打ったかな、真顔でブツブツ呟き始めたけど、本当に大丈夫?
「ハルちゃんの愛らしさと師匠の美、比類なき世の至宝がこの場に揃って、いや待て、リュゲルさんも貴い御方だ、つまりこの部屋を早急に聖域として認定すべきじゃないか? 私の権限で即刻認定機関を召喚して」
「はる、ねえはる、せれすおかしいよ、だいじょぶ?」
「うーん」
モコも不安がってる。
ポーションについてはよく分かったけれど、セレスのことはちょっと分からないかもしれない。
とにかく、ロゼのおかげで色々理解できた。
ポーションにそれだけの価値があるなら、治癒魔法が特殊なのも納得がいく。
つまりお金になるんだ。
母さんは簡単に病気や怪我を治せたら人が殺到して騒ぎになるって理由を話していたけど、それだけじゃない、金銭が絡むとよくないことに巻き込まれる可能性もあるから、だからあまり人前で使わないように言うんだろう。
前に森の地下でカイを癒した時にも忠告された。
カイも事情を知っていたんだ。
―――パナーシアについて、兄さん達が教えてくれない理由もこれなのかな。
セレスをどうにか正気に戻して、モコも一緒に三人で話しながら待っていると、廊下から美味しそうな匂いが漂ってきた。
扉を叩く音に駆け寄って開く。
現れたリューは、ロゼと一緒に料理をたくさん乗せた盆を持って部屋に入ってくる。
わぁ、おいしそう!
私のお腹の虫もいよいよ大騒ぎだ、恥ずかしいよ。
「ハルちゃん、健康的で可愛いね」
「言わないで」
「ハル、おかわりもまだあるぞ、お前の分も大盛りにしておいたからな」
「も?」
「僕のスープも大盛りだよ、ハル、お揃いだね」
ロゼ兄さん、このお揃いは素直に喜べないよ。
ついでにモコとセレスのスープも大盛りだ。
リューのスープは普通の量だと思うけど、私達の皿と比べると少食に見える。
兄さんは私よりずっと背が高くて体格もいいのに、うぅ、微妙な気分。
でも、リューが作ったスープはやっぱり凄く美味しい!
根菜と豆たっぷりのスープ、ダシが効いた優しい味だ。
焼きたてフワフワのパンにはトロッと蕩けたアツアツのチーズが挟んであって、分厚く切ったベーコンに酢漬けの野菜、甘く煮た豆まである。
わぁッ、こっちはベリージャムのパイだ、やった!
「ねえリュー兄さん」
「うん? 何だハル」
「あのね、南区の温室で、特区の中央にある魔術研究所の職員から、所長を連れて伺っていいかって訊かれたんだ」
「何の用だ?」
「その人はエレメントの研究をしているそうなんだけど、私にオーダーの話を聞かせて欲しいって」
「オーダーを使ったのか?」
「リュビデの花を譲ってもらう条件だったんだ」
「なるほど、そういうことか」
リューは少し間を置いて「明日、俺が対応しよう」って言う。
「頼まれたのは私だよ、いいの?」
「俺もオーダーを唱えられる」
「でもリュー兄さんのオーダーは」
「今度は先方からの依頼だ、見せて欲しいと言われても応じる義理はない、話だけなら俺でも構わないだろう」
「そうだね」
もし今日連絡が来たら、明日にして欲しいって伝えることになった。
食事が済んで、片付けも終わって、そろそろ中央へ地図を探しに行こうかって話をしていたら、扉をコンコンと叩く音が聞こえてくる。
「あの、すみません、僕です、シアンです」
どうしたんだろう。
リューが扉を開くと、廊下に立っていたシアンはぺこりとお辞儀をした。
「お忙しいところすみません、折り入ってお話ししたいことがあって、中へ入っても構いませんか?」
「ああ、どうぞ」
「有難うございます」
部屋に入っても扉の近くでモジモジしているシアンに、セレスが「どうぞ」って椅子を譲る。
「あ、すみません、気を遣っていただいて」
「気にしなくていい、それより、リーサはどうしてる?」
「はい、ご心配いただいて恐縮です、さっきよりは落ち着きましたが、その、まだ塞ぎ込んでいて、今は疲れて眠っています」
「そうか」
リーサ、元気になって欲しい。
私達に今できることは寄り添って見守るくらいだ。
黙り込むシアンに「それで?」とセレスが要件を話すよう促す。
「あ、はい、あの」
またモジモジしてる。
言いづらいことなのかな。
やっと顔を上げたシアンは、リューをじっと見つめた。
リューも不思議そうにシアンを見つめ返す。
「先ほど、その、中央区に書店はあるか尋ねられましたよね、特区近辺の地図が欲しいとか」
「ああ」
「何故ですか?」
シアンに書店の場所を教えて貰ったのか。
リューは「どうしてそんなことを訊くんだ?」って逆に尋ねる。
私達は旅をしているって伝えてあるから、地図が必要でもおかしなことはないと思うけど、シアンは何が気になったんだろう。
「リーサが言ってました、皆さんがシェーラの森を気にしているようだと、あの森の奥には、僕の見立てでは恐らく遺跡があります」
「遺跡?」
驚くリューにシアンはしっかり頷き返す。
遺跡なんて、私が見たあの夢とますます関連ありそうだ。
もしかしたらその遺跡はネイドア湖の時みたいにエノア様が関わっているかもしれない。
「このことは僕も古い文献を読み漁っていた最中に気付いたので、恐らくまだ誰も知りません」
「それは」
「かつて建国の女王エノアは東の地より現れ、エルグラート全土を巡り様々な奇跡を起こした、その際に立ち寄られた場所の一つがどうもシェーラの森のようだと」
シアンはそこで言葉を区切ると、自分を落ち着かせるように深呼吸をした。
「僕は、この仮説を自分の目で確かめたいんです」
「それでどうして俺達に声を掛けて、そんな話までするんだ」
「皆さんはシェーラの森へ行かれるんじゃないかと思ったんです、リュビデの花のことといい、もしや旅の目的はそれじゃないかって」
「俺達は観光目的でベティアスへ来た、地図が必要なのはその危険なシェーラの森に踏み込まないためだ」
「えっ、そんな」
当てが外れたようにシアンは俯く。
ごめんね、だけど危険だと分かっていて、なおさら連れていけないよ。
本当の事情を話すわけにもいかない。
―――巻き込むことになってしまうかもしれないから。
「それに特区は閉鎖中だ、君は特区の住人だから外へ出る許可は下りないだろう」
「許可がなくても出る手段ならあります」
リューがぴくりと肩を揺らす。
「リーサが教えてくれたんです、それと」
もう一度顔を上げたシアンは、諦めきれない眼差しをリューへ注ぐ。
「僕なら皆さんをシェーラの森まで案内することができます、だからお願いです、僕も一緒に連れて行ってください」




