オニックスの怪事件
シアンが守備隊を連れて戻ってきた。
丁度近くを警邏していて、騒ぎを聞きつけてこっちへ来る途中だったらしい。
リーサの知り合い、洋服屋の店長ベティは守備隊が病院へ運んでくれることになった。
「状況について詳しく聞かせてもらえますか?」
「ああ」
セレスが守備隊に対応してくれている間、ずっと泣き止まないリーサをシアンと慰める。
知り合いがあんなことになって、信じられない想いでいっぱいだろう。
私はベティのことをよく知らないけれど、悲しむリーサを見ていると辛い。
「べ、ベティ、いつもメチャクチャ元気で、明るくって、あ、あんな怖い顔して、暴れたりなんて、絶対しないんだッ」
「そうだね、リーサ」
「シアンの話だって、たくさん、たくさん聞いてくれてッ」
「僕の?」
「そうだよ、いい彼氏だねって、ほ、褒めてくれた」
一瞬ピンと立った耳を伏せて、シアンは俯く。
「そうだったんだね」
「アタシ、あんなッ、ど、どうして、嫌だよ、ベティッ」
攫われて、戻ってきた獣人は、たとえ捕らえることができても翌日には死んでしまう。
そう聞いたことを思い出す。
ベティはどうなるんだろう、これ以上リーサが苦しむようなことは起きて欲しくない。
「おねがい、誰か助けて」
小さく掠れた声でリーサが祈る。
私も目元が滲むけど、ぐっと堪えた。
一緒になって泣くのは簡単だ、でもそれだけじゃ何も解決しない。
リーサにはシアンがいる、シアンの方が私よりリーサの気持ちに寄り添える。
だから私は、他に出来ることはないか考えるんだ。
宿に戻ったら兄さん達に話してみよう、何かいい案が出てくるかもしれない。
「ハルちゃん、二人とも、お待たせ」
セレスが戻ってきた。
「取り調べは済んだが、何かあればまた調書を取りに来るそうだ」
「うん、セレス、大丈夫だった?」
「まあね、同じ事件が多発しているから、現場の状況なんかを一通り尋ねられただけだったよ」
そう言って心配そうにリーサの様子を窺う。
原因は今も分からないんだよね。
一体何が原因で狂暴化するんだろう。獣人たちは攫われた後で何か施されているのかな。
「リーサ、セレスも戻ったことだし、家に帰って少し休もう」
「うん」
「ほら、僕につかまって、大丈夫? 歩ける?」
リーサはシアンに肩を抱かれながら歩きだす。
その後ろをセレスと並んで歩きながら、丸められた背中を見ていると辛い。
「はる」
肩にとまっているモコが、耳元で話しかけてきた。
「さっきのじゅうじん、べてぃ、かわいそだよ」
「うん」
「なか、ぐちゃぐちゃになってた」
「あっ」
つい足を止める。
隣にいたセレスだけ気付いて立ち止まり、振り返った。
「モコ、それ、見えたの?」
「うん、べてぃのなかみえた、ぐちゃぐちゃだった、だからよんでもきこえない」
「聞こえない?」
「うん、でもね、べてぃまだいたよ、かわいそ」
どういうこと?
詳しく聞かせて欲しいけど、ここじゃ人目があってモコと話せない。
不意にセレスが「早く戻ろう」って私の手を引く。
「う、うん」
―――そういえば戦っている最中、おかしな臭いがしていた。
仄かに甘くて酸味のある何か腐ったような臭い。
一体何が起きているんだろう。
改めて、今の特区に充満している不安の奥に潜むものに触れてしまったようで、ゾクリと寒気を覚える。
宿に戻ると入れ替わりで武装した獣人が出ていくところだった。
私とセレスに気付いても、無言で通り過ぎていく。
もしかして兄さん達に会いに来たのかな、昨日シアンが話していた詰所の人達かもしれない。
「ハル、お帰り」
「戻ったか、どうだった、他の地区は?」
「南区の温室でリュビデの花を分けてもらったよ」
「そうか、咲いていたのか、よかったな」
そう言って笑ったリューは、けれどすぐ「何かあったのか?」って私とセレスの様子を窺う。
「向こうの大通りでね、その、様子がおかしくなった獣人が暴れていたんだ、多分、攫われて戻ってきた獣人だと思う」
「なッ」
「ハル、君、怪我は」
「してないよ、私もセレスも、リーサもシアンも、私達は誰も怪我しなかったよ」
兄さん達はホッとする。
宿に戻って、リーサはそのままシアンに自分の部屋へ連れられていった。出迎えてくれたリーサの両親もすごく驚いて、心配していた。
向こうはシアンが事情を説明してくれるだろう。
リューに「詳しく聞かせてくれ」と促されて、改めてさっきの出来事を話す。
私もまだ信じられない思いで胸がいっぱいだ。
「それで、モコが気になることを言ってたんだ」
「どうしたんだ、モコ?」
「モコ、兄さん達にも教えてあげて」
「いいよ、あのね、べてぃ、なかぐちゃぐちゃで、べてぃがみえなくなってたよ」
「それは臓器が壊されているってだけじゃないのか、モコ、どういうことだ?」
「えっとね、ぼくはぼくで、はるははるで、りゅーはりゅーだよ、でも、べてぃはぐちゃぐちゃで、べてぃじゃなかった、でもべてぃいたよ」
リューと私、それにセレスも一緒になって首を傾げる。
三人で意味を考えていたら、ロゼが溜息を吐いた。
「おい、半端者」
「ししょー?」
「お前は人型の獲得も未だままならず、語彙さえろくに育っていないとは、いい加減呆れる、大概にしろ」
「う、だってぇ」
「言い訳無用、僕が説明してやる、その獣人は外的要因による精神錯誤に陥り、暴走状態にあった、しかし自我は残っており自らの行いも状況も認識していたであろうと、そういう話だ」
リューが両目を大きく見開く。
私も、セレスと一緒に息を呑んだ。
「まさか、それじゃベティというその獣人は、自分が何をしているか、どういう状況なのか分かっていて、それでも自身を抑えられず暴れていたと、そういうことなのか?」
「そのようだね」
「うん、だからかわいそ」
惨い。
あの時、ベティは単に狂って暴れているようにしか見えなかった。
だけど自分を抑えられないだけの状態だったなら、心も体もどれだけ苦しんで、どれ程の痛みを味わっていただろう。
黙り込んだリューが苦しそうに吐息を漏らす。
「ここで起きていること、全てがまともじゃない」
「リュー兄さん」
「閉鎖中にもかかわらず誘拐される獣人、攫われた獣人はどこかで何かを施され、その後、誰にも気付かれることなく特区内へ戻されて他の獣人を襲う、こんな真似をする理由は何だ? この非道で誰が利を得る?」
「手段、目的、全てが不明ですね、それとリュゲルさん」
「何だ?」
「あの時、ベティは身体強化を施されているように感じました、到底女性の身のこなしじゃなかった」
戦うセレスを傍で見ていた私も同じように感じた。
人よりずっと強い力を持つ獣人はいる。
でもベティは女の人だ、サルの獣人だから同性の人よりは力が強いだろうけど、あんな細い手足であそこまで大暴れできるなんて、普通の状態では考えられない。
「そうだよ、でもべてぃ、むりやりうごくから、なか、いっぱいこわれてた」
モコにはそれも『視えた』のか。
木の皮の裏にいる虫まで見通すラタミルの目で、ベティの状態を視たんだ。
ロゼが「ふむ」と呟く。
もしかしたら兄さんもそういうものを視ることができるのかもしれない。
「もはや疑う余地もないか、どうやら悪意を持って特区に混乱を招こうとしている何者かがいる」
「はい、しかし目的は何でしょう?」
「そうだな、単純に獣人への憎悪、嫌悪、あとは政治絡み」
「ベティアスでは間もなく次期代表を決める総選挙が行われます、特区の代表も出馬の意向を示していましたね」
「しかしベティアスで獣人は亜種以外選挙権を持たない、こんなやり方で特区代表の足元をすくえるとも思えない」
「では更に別の意図が?」
「判断材料が少なすぎる、現状では分からないことだらけだ、セレスはエルグラートでベティアスに関する噂話など聞かなかったか?」
セレスは首を横に振る。
「そうか、まあ、特区内で問題が起きていたとして、ベティアス政府は積極的に関わろうとしないだろうからな」
「情報が上がってこなかった可能性もあるということですか?」
「そうだ」
険しい顔のリューとセレスを眺めていたロゼが、興味なさそうに顎を手で擦る。
「リュゲル、君は何を議論しているのか、そもそも、僕らがこの件に関わる筋合いなどないだろう」
「ロゼ」
「自治は住人たちが取り組む問題だ、自ら解決するのであれ、外部へ救援を打診するのであれ、彼らが取り決め行うべきだよ」
「しかし」
「求められもしない部外者が首を突っ込んだところで要らぬ世話だろう、それより、君はハルが見た夢の件を忘れていやしないか?」
リューと、セレスも一緒にパッと私を見て、気まずげに眉尻を下げる。
気にしてないよ?
というより、私自身すっかり頭から抜け落ちていた。
「すまない、そうだったな、お前が見た夢について調べる方が先だ」
「ごめんハルちゃん、忘れていたわけじゃないが、許して欲しい」
「ううん、リーサの大切な人まで被害に遭ったし、私も心配だよ」
「しかし今はお前の方が優先だ、シェーラの森へ行く方法を考えよう」
「まず具体的な場所を調べないとですね、特区近辺には密林が沢山あります」
「そのどれがシェーラの森なのか、分かるかロゼ?」
「すまないが僕にも不明だよ」
一番手っ取り早いのはリーサに教えて貰うことだけど、リーサ、答えてくれるかな。
それ以前に理由を訊かれたらなんて説明すればいいだろう。
まだ落ち込んでいるだろうし、余計に刺激したくないよ。
「宿の客に訊くか、店主に訊くか、誰かに尋ねるより地図を探す方がいいかもしれない」
「余計な勘繰りを避けられますからね、ですが恐らく商業区域の東区に地図を扱うような書店はありません、探すなら中央にある書店か図書館がいいと思います」
「では中央へ行ってみよう」
「はい、今からなら日暮れ前には戻れるでしょうから」
リューは元から頼りになるけど、セレスも、流石王子様だな。
私は自分のことなのにさっきから聞いているだけだ。
何となく窓の外へ目を向けると、モコが頬に羽を摺り寄せてくる。
「ねえはる、ごはんはいいの?」
「え?」
「おなかすいたよ、ごはんたべよ、はるもすいた?」
「リュゲル、出かける前に君もハルも食事をとるべきだ、僕も君の料理が食べたい」
意識した途端に私のお腹まで(そうだ、そうだ!)って鳴いて騒ぎ出した。
わッ、は、恥ずかしい!
「あ、あの、ええと、その」
不意にリューが椅子を引いて立ち上がる。
傍に来て、私の頭をわしゃわしゃッと撫でて、ついでにセレスの頭も軽くポンポン叩く。
「食事にしよう、厨房を借りてくるよ」
「うん」
「私も手伝います!」
「いやいい、手が必要になったら『お兄ちゃん』を呼ぶ、君もハルも色々あって疲れただろう、休んでいなさい」
顔を顰めたロゼの背中をポンと叩いて、リューは部屋を出ていった。
ロゼはため息交じりに「仕方ない」なんてぼやいてる。
セレスはなんだか嬉しそう。
ポンポンされた場所を触って、こっそりニコニコしてる。
ふふ、ちょっと可愛い。
「あ、そうだ、ロゼ兄さん」
「なんだい、ハル」
「さっき宿の入り口で武装した獣人を見かけたけど、あの獣人達って兄さん達に用だったの?」
「ああ、道具をいくつか売って欲しいと交渉に来た者たちさ」
やっぱりそうだったのか。
いい機会だし、ロゼにポーションの値段を教えて貰おう。




