『ダメ』になって戻った獣人
村の家にも温室があった。
母さん、兄さん達と一緒に色々な植物を育てていたんだ。
でもこの南区の温室はその数十倍は大きい、天井も高くて、沢山の植物が活き活きと生い茂っている。
手入れが行き届いていて森みたいに雑然とした雰囲気じゃない。
知っている植物、知らない植物、色々な香りが漂ってきて、目だけじゃなく鼻まで情報が多いよ。
調べていたら一日なんてあっという間だ。
こんな宝箱みたいな場所に来られるなんて、すごく嬉しい!
「あ、ハルあったよ、ほら、リュビデ!」
リーサが呼ぶすぐ傍に特徴的な花弁の赤い花が咲いている。
リュビデだ、本物を見るのは初めて。
近付いて花をじっくり観察して、匂いを嗅いでみる。
姿は炎のように情熱的なのに、香りはとても穏やかで優しい。
『南国の貴婦人』の異名を持つリュビデは、全草に微弱な神経毒を持っている。
リュビデから芳香成分を抽出してオーダーのオイルを作ったら、火の精霊イグニや、もしかしたら毒の精霊ミュネスを呼べるかもしれない。
「綺麗だね」
「でしょ、街中リュビデで飾ったオニックスは最高に派手で盛り上がるんだ」
そうだね、いつか見てみたいな。
温室に植えてある他の植物も見て回っていると、さっきの番人がもう一人獣人を連れて戻ってきた。
「こんにちはお嬢さん、代表のお知り合いだとか、いやあ、まさかオーダーの使い手とは存じませんでした」
「あの、どなたですか?」
「これは失礼、私は特区の魔術研究所でエレメントの研究をおこなっております、オーダーは齧った程度ですが、貴方の腕前を是非拝見させていただきたく」
そこまでたいしたものじゃないけど。
香炉を取り出そうとすると、リーサが急に「待った」って獣人たちの方へ一歩踏み出す。
「ちょっとオッサン、その前にハルの頼みを聞いて来たんでしょ、リュビデの花は貰えるの?」
「ああ、多少であれば構わないが、オーダーのオイルを調香できるだけの芳香成分を得られる量は流石にあげられないよ、ここに咲いている全部の花を使っても足りないだろうからね」
「ハル、それでもいいの?」
「うん」
問題ない、私にはロゼが作ってくれた高性能な抽出器がある。
でもそれは言えないけど。
「香りと花の性質を調べたいんです、いただける量で充分なので」
「分かりました」
それで、と改めて切り出してくる獣人に頼まれて、もう一度オーダーを唱えた。
今度もまた来てくれたのは風の精霊ヴェンティだ。
温室内に吹いたそよ風で植物がさやさやと揺れる。
「これは、素晴らしい!」
「有難うございます」
「お嬢さん、もしやエレメントを唱えることも出来ますか? 可能であれば是非そちらも」
「ダメッ、ダメ、ダメーッ」
身を乗り出してきた獣人をリーサが押し返す。
体の毛を逆立てて、もしかして怒ってる?
「あのねえオッサン、アタシらも暇じゃないんだ、ほら、ハルはちゃんとオーダーを使ったんだから、さっさとリュビデをよこしなよ」
「あ、ああ、だが」
「だがもへったくれもないっての! 次行くところあるし、ここにばっかりいられないんだってば、早くしてよね!」
「しかし」
「うるさいなあもう、ハル?」
少しくらいなら構わないかなって思っていたけど、そうだよね、リーサたちは付き合ってくれているんだ。
私のせいで待たせるのはよくないか。
「あの、すみません、この後も用事があるので、それはまた別の機会でいいですか?」
「そうですか、残念ですが、仕方ありませんね」
「少々お待ちください、リュビデの花をご用意します」
すぐに納得してくれてよかった。
フンって鼻を鳴らすリーサを見てシアンが苦笑いしてる。セレスは呆れ顔だ。
「君は本当に強引だな」
「だってなんか嫌だったの、ハルを都合よく使われてるみたいでさ、見世物じゃねえっての」
「確かにそうだな」
「だからアタシが怒る前にアンタが動かなきゃダメだったんでしょ、何ボーっとしてんのよ、使えないな!」
「なッ」
そうかな。
でも、リーサが私のために獣人たちに言ってくれたことは嬉しい。有難う、リーサ。
温室の番をしている獣人が渡してくれた袋は結構大きい。
研究所の獣人が口添えして、少し多めに分けてくれたって。
「有難うございます」
「いえいえ、どうぞ研究のお役に立ててください、今は東区のスズラン亭にご逗留中なんですよね?」
「はい」
「日を改めてこちらの所長と窺ってもよろしいでしょうか、ぜひオーダーについて詳しく伺いたい、どうでしょう?」
「兄達と相談します」
「よろしくお願いします、それでは、私はこれで失礼いたします」
所長って、思いがけず大事になったかもしれない。やっぱりオーダーが珍しいからなのかな。
用も済んだことだし、私達も南区から東区へ戻ることにした。
さっきまで不機嫌だったリーサも、やっとまた楽しそうに笑ってフカフカの尻尾を揺らす。
「やっぱり東区だよ、オニックスで一番賑わってるし、イケてる店もいっぱいあるから!」
「そうなんだ、楽しみ」
「ハルの服、アタシが選んであげよっか?」
「獣人の服だろ?」
「そこ、水を差すな、獣人の服全部に尻尾穴が開いてるわけじゃないからね!」
オニックスで売ってるならやっぱり獣人の服か。
でも獣人って色々な人種がいて、リーサとシアンみたいに尻尾と毛が生えているだけで体型的には人と殆ど変わりない獣人もいれば、全体の大きさや関節の位置から違う獣人もいる。
それだけ服の種類も沢山あるんだろう。
「ねえ、ところでハルの服ってさ、結構可愛いけど、どこで買ったの?」
「これはロゼ兄さんが縫ってくれたんだよ」
「えッウソ」
「し、師匠が?」
リーサとセレスが同時に驚く。
「これを、この可愛いのを、あの怖いアニキが?」
「うん」
「ひょっとして料理上手なアニキの服も、怖いアニキが縫ってんの?」
「ロゼ兄さんは何でもできるから」
「うわーッ、怖いアニキってますます謎ッ、あんな怖いのに、綺麗だけど」
綺麗って褒めてくれたことだけロゼに伝えておこう。
セレスは大きく何度も頷きながら鼻を啜ってる。気付いたリーサに「あんたねえ」って呆れられた。
ロゼが大好きで尊敬しているから、すぐ感動するんだ。いつものセレスだよ。
東の商業区域は、南の農耕区域より規模的には小さいらしい。
でも人口密度はこっちの方がずっと高いそうだ。
物資が行き交うオニックスの物流の要でもあるんだって。
「改めて、ここが東区の中央通りだよ」
「店が沢山並んでるね」
だけど扉に『閉店』の看板を下げている店が多い。まだ昼間なのに。
行き交う獣人の数も何となく少ないし、雰囲気そのものが閑散としている。
「前はもっと賑わってたんだけどなあ」
「封鎖のせいだね、観光客の受け入れもやめてしまったし、何より今の状況で不特定多数を相手にする仕事は怖いんじゃないかな」
「そうだな、確かに」
私もシアンの言葉に同感だ。
封鎖をおこなっても攫われる獣人がいて、更にはおかしくなって戻ってくる。その原因が分かっていない状況で、不安になったり警戒したりするのは当然だよ。
まして不特定多数を相手にする仕事なら尚更だ。
商売って何であれ相手との信頼関係の上で成り立つものだから。
「うわッ、ベティのショップまで閉まってる、最悪!」
「ベティ?」
「ほらここ、アタシのお気に入りの店、あーッもうこれからどこで服買えばいいのよ」
ハルと一緒に見たかったのにって、拗ねて呟くリーサに嬉しくなる。
私も、リーサのお気に入りの店の服が見たかったな。
「トロッピー屋だって閉まってるしさぁ、はあ、マジでいつまでこうなんだろ」
「トロッピー?」
「へえ、トロッピーか」
セレスは知ってるの?
振り返ったリーサが「すっごい飲みたかった!」って言うから、飲み物の名前らしい。
トロッピー、どんな飲み物なんだろう。
「ねえ、トロッピーって何?」
「ハル知らないの?」
「うん」
「すっごい流行ってるのに、あ、そうか、アンタってノイクスから来たんだもんね、トロッピーっていうのは」
キャーッと悲鳴が上がった。
驚いて振り返る私の傍にセレスがスッと身を寄せて構える。
セレスの頭の上にとまっているモコも羽をブワッと膨らませた。
「えッなに? 何なの?」
「リーサ」
シアンもリーサに寄り添ってる。
悲鳴が上がった場所を探すと、大通りの先の方から獣人が何人か必死に走ってくるのが見えた。
「で、出たッ、出たぞ、気狂いだ!」
「向こうで暴れてる、お前達も逃げろ、襲われるぞ!」
更に悲鳴が大通りに響く。
逃げてきた獣人たちの向こうで、獣人の一人めがけて躍りかかる影があった。
奇声を発しながら鋭い爪を振るって、あれはまるで魔物だ。
「ハルちゃんッ」
息を呑むとセレスに鋭く呼ばれた。
モコが肩にとまる。
急いで香炉を取り出して、オイルを垂らし、熱石を握りしめながら様子を窺う。
「ね、ねえちょっとハル、セレスも、逃げようよ、なに構えてるの?」
「背中を見せたら間合いが取れない」
「戦うなんて無茶です、ハルさんもセレスさんも、危ないですよ!」
「大丈夫だ、それよりシアン、君はしっかりリーサを守れよ、いいな?」
「それは勿論、ですがッ」
ケガ人が出ている。
死んではいないようだけど、見捨てたりなんてできない。
今の優先順位はリーサとシアンを守ること、それからここにいる獣人たちを守って、あの暴れている獣人をどうにかする。
「行くぞ!」
セレスは今、あの大きな剣を持っていない。
どうするんだろうって思った直後、服の影から一対の短剣を両手にそれぞれ握って取り出した。
二刀流だ!
「援護頼む!」
「はい!」
まずはオーダーを唱える!
「フルーベリーソ、咲いて広がれ、おいで、おいで、私の声に応えておくれ!」
また来てくれた、今日は皆勤賞の風の精霊ヴェンティに「リーサとシアンを守って!」と頼んで、セレスの後を追いかける。
風の壁の加護に包まれた二人の声はもう聞こえない。
大丈夫、今の私ならヴェンティの守りだって前より固いはずだ。
暴れている獣人は、ひょろりとした体形に長い尻尾、サルの獣人だと思う。
でも目を充血させて牙を剥く様子は多分元の姿とまるで違う、知り合いでも誰か分からないかもしれない。
突っ込んでいったセレスが、別の獣人へ襲い掛かろうとしていたサルの獣人の爪を届く寸前で弾いた。
今度はセレスを襲う獣人の攻撃を除けつつ、短剣を交互に繰り出して刃で突いたり薙いだりする。合間合間に蹴りまで入れている。
凄く綺麗、戦っているのに、まるで踊っているみたい。
つい見惚れそうになって、慌てて首を振ってエレメントを唱える!
「石の精霊よ、我が希う声に応じて来たれ、汝の力をもって我が欲する望みを叶えよ!」
「ルッビス・レミューイ・ラングス!」と唱えて石の礫を飛ばす。
体勢を崩したサルの獣人へセレスが短剣を突き立て、引き抜いて間合いを取ったところで続けてエレメントをもう一度!
「火の精霊よ、我が希う声に応じて来たれ、汝の力をもって我が欲する望みを叶えよ、イグニ・レーヴァ・コンペトラ!」
セレスの全身がイグニの炎に一瞬包まれた。
直後に振り下ろされた爪の一撃はセレスに届く寸前で炎に包まれ、そのまま腕全体が燃え上がる。
悲鳴を上げたサルの獣人の腕を切り飛ばして、セレスが「ハルちゃん!」と大声で私を叫ぶ。
「フルーベリーソ、咲いて広がれ、おいで!」
緑の精霊ラーバが来てくれた。
よかった、今はラーバじゃなきゃダメなんだ。
「ラーバお願い、あの獣人をツルで縛って動けなくして!」
ラーバは数回瞬いてから、片腕を失くしても起き上がりセレスを襲おうとするサルの獣人にツタを絡ませた。
全身がんじがらめにされて、動けなくなって、それでもまだ唸って暴れる傍へ近付いていく。
「ミュネス・キファ・クルスプ!」
詠唱なしのエレメントだから効果は弱い。
でも今はあえて詠唱を飛ばしたんだ、狙い通り毒の妖精ミュネスの力でサルの獣人は痺れて声すら出せなくなった。
まともに唱えると致死には至らない毒で長く苦しませることになるエレメントだ。
こんな状況でもなかったらずっと使わなかったかもしれない。
「有難うハルちゃん」
セレスが短剣の汚れを振って鞘に納めて、また服の内側へしまい込む。
まさかそんな場所に護身用の剣を隠していると思わなかった。大剣だけじゃなく短剣まで扱えるんだ。
そういえば、前に魔法が使えない代わりにあらゆる武術や剣術を習ったって話していたっけ。
「助かったよ」
「うん、でもこの人の腕」
「ああ」
人目があるけどパナーシアを唱えてしまおうか。
迷っている間にセレスが切り落とした腕を拾ってきて、慎重に角度を見極めながら切り口同士をくっつけると、そこへ荷物からポーションを取り出してかけた。
ポーションじゃ切断された部分はくっつかない。
でも傷口同士に治癒効果を促せるから、この後適切な処置を施せば元に戻る可能性はある。
戻ってもパナーシアで癒したり再生させたりするのと違って、まともに動かせるようになるまで訓練が必要だろうけどね。
「とりあえずこれでよし」
「有難う」
「いいや、それよりハルちゃん、君はやっぱりすごいな」
「凄いのはセレスだよ、さっきの戦っている姿、格好良かった」
「えッ、ほ、本当?」
「うん、見惚れて援護が少し遅れたよ、ごめん」
「ごごごめんだなんて、そんなッ、あッ、あり、有難う、うぅッ」
顔が真っ赤だ、照れたのかな。
ちょっと可愛いかも。
それにしてもこの獣人、何があったんだろう。
さっき「出た」とか「気狂い」だとか逃げる獣人たちが叫んでいたから、もしかして攫われて戻ってきた獣人かもしれない。
「ハル、セレス!」
「お二人ともご無事ですかッ」
リーサとシアンが駆け寄ってくる。
気付けば怪我で動けない獣人以外は辺りに誰もいなくて、ずっと遠くの方で無事逃げた獣人たちが恐々と様子を伺っている。
「ホンッとアンタたち無茶するよ! 強いからってやめてよね、友達が怪我するトコなんか見たくないんだから!」
「ごめんリーサ」
「謝んないでってば、こっちこそ守ってくれてありがと!」
「うん」
「それにしてもさ、二人って息ピッタリだよね」
「ええ、驚きました、それに本当にお強いんですね、本物のエレメントも初めて見た」
「ちょっとシアン、感動してる場合じゃないって」
「そ、そうだねリーサ、僕は守備隊を呼んでくるよ」
「よろしく!」
シアンはまた駆け出していく。
後姿を見送ったリーサが振り返ってサルの獣人に目を向けると、不意に眉間を寄せた。
「え?」
近付いて顔をまじまじと覗き込む。
どうしたんだろう。
「この人って」
呟いた直後に息を呑んで、大きく目を開きながら後退りする。
「ウソ、でしょ」
「まさか、知ってる人なのか?」
「ベティ!」
その名前をついさっき聞いた、リーサのお気に入りの店の名前だ。
振り返ったリーサの両目からボロボロと涙が溢れだす。
「これベティだよ、私の行きつけのショップの店長! なんで、どうして? ウソ、やだぁッ!」




