特区観光
何はともあれ朝ごはん!
皆で一緒に部屋を出ると、美味しそうな匂いが漂ってくる。
お腹空いたな。
どんな時でもしっかり食べる。
それが健全な肉体と精神を保つ秘訣だって、前にリューが言ってたっけ。
「今朝ね、南地区から新鮮な肉が届いたんだよ、もー何日ぶりだろ!」
「そうなんだ」
「まあ、アタシはアンタたちと一緒だったから、何だかんだ色々食べさせてもらったけどさ」
ヘヘッとリーサが舌を出す。
野宿の時は獣を獲ったり、キノコや木の実、食べられる草を採ったりして食べていたからね。
もしかしたら食事に関しては今の特区の状況より充実していたかもしれない。
「あら、おはようございます皆さん」
「おはようございます、お待ちしておりましたよ、ささッ、どうぞこちらへ」
厨房の隅に置かれたテーブルの上ではたくさんの美味しそうな料理が湯気を立てている。
昨日もここで食事をとらせてもらった。
「表でも軽食なんかは用意しているんですがね、こっちで食べるのは普段は家族だけなんで」
「そうですか、わざわざすみません」
「いえいえ! これくらいしかできずむしろ申し訳ないです、さあさ、気兼ねなく召し上がってください!」
うーん、昨日から持て成してくれる理由が分からないんだよね。
治癒魔法を使えることは言えない、言わないようにって釘を刺されているから。
だからリーサは回復薬、多分ポーションで傷を治してもらったって、リーサもリーサの両親も思っているんだろう。
普通はそうらしい。
治癒魔法の使い手はとても貴重で、どこへ行っても重宝されるそうだ。
それなら、もしかしてポーションって結構高いものなのかな。
私はポーションの作り方も、どういう目的で使うのかも知っているけど、売買の具体的な金額までは知らない。
これまで立ち寄ったどこかで見かけたかもしれないけれど、多分興味が無いから記憶にも残らなかった。
どれくらいの価値があるんだろう。
今日はリーサとシアンが特区内を案内してくれるって言っていたから、その時に店を覗いてみようかな。
「ねえハル、今日だけどさ、行きたい場所ある?」
「南の農耕区域を見に行きたいな」
「ええーッ、あんな畑と厩舎しかないような場所? ほんっとハルって変わってるよね」
「そうかな?」
「女の子なんだからもっとオシャレに興味持たないとダメでしょ、勿体ないよ、ハルは目も髪も綺麗なんだから」
「ふふ」
「なに?」
「褒めてくれてありがと」
「んもーッ、アンタって子は!」
リーサにギュッとされる、ふふ、フワフワだ、それにいい匂いがする。
「こらリーサ、遊んでないでこっちを手伝ったらどうなの!」
「いーやッ、アタシはハルをオモテナシしてんの、ねッ、ハル?」
「そうだね、私お腹空いちゃった」
「アタシも! ねえ、一緒に食べてもいいでしょ、ね?」
「こらリーサッ」
「なによ、いいじゃない、母さんのケチッ」
結局リーサと半分こして食べることにした。
モコとも半分こしようとしたら、リューが「モコには俺の分をやるからいい」って。
そうしたらセレスも、ロゼまで自分の分も食べていいって言ってくれて、結局皆で分け合って食べた。
やっぱり食事は皆で食べるともっと美味しくなるね。
ロゼだけはちょっと不満そうだったけど。
「僕は僕の可愛いリューとハルにだけ分けるつもりだったのに、君たちときたら」
「有難う、ロゼ兄さん」
「ロゼ、有難う」
「うんまあ、僕は君たちのお兄ちゃんだからね、やれやれ、人のいい弟と妹を持つと苦労する」
私からすればロゼだって十分優しいと思うよ。
皆でお腹いっぱいになって満足だ。
食事が済んだ頃にシアンが訪ねてきて、セレスとモコも一緒に五人で特区観光へ出かけることになった。
「当然だが特区外へは出ないこと、裏路地には入るな、危ないと思ったらすぐに俺かロゼを呼べ」
「はい」
「君が呼べばどこへでもすぐ駆けつけよう」
「うん、有難うロゼ兄さん」
「構わないよ」
「セレス、モコ、ハルをよろしく頼む」
「お任せください!」
リューに向かって軽く胸を叩いてみせたセレスの頭の上で、モコも「ピイッ」って翼を広げる。
今はリーサたちがいて喋れないからね。
ちゃんと鳥のフリをして偉いよ、モコ。
「じゃあ、まずハルが行きたい南区に行こっか!」
「うん!」
道すがらシアンに「ハルさんは農業に興味があるんですか?」って訊かれた。
観光向きの商業区域より農耕区域を見たいなんて言ったら、確かにそう思われるか。
「ううん、私、オーダーの研究をしているんだ」
「へえ、それはすごい!」
「シアン知ってるの?」
「オーダーは道具さえあれば誰でも使える魔法と言われているけど、実際は誰でも使えるわけじゃないんだ」
「どういう意味?」
「精霊に愛される素質が必要なんだよ、だから素質を持つ人が作ってくれたオーダーのオイルを使うことで、ようやく誰でも精霊を呼べるようになる」
「そうなんだ」
「それにオーダーの効果は一定じゃない、エレメントのように精霊を任意で呼ぶなんて真似はまず不可能だ」
「でもハル、昨日は風の精霊を呼んでくれたよね?」
「うん」
「ええッ」
仰け反ったシアンが慌てて声を潜める。
「そ、それ、本当かい?」
「本当だよ、私、お風呂上りに体を乾かしてもらったんだ」
「すごい」
つぶらな瞳がじっと見つめてくる。
気まずい。
最近やけに調子が良くて、私も自分で不思議に思っているくらいなのに。
「なるほど、ハルさんは精霊に愛されているんだね」
「あ、えーっと、アハハ」
「ちょっとシアン? ハルのことを愛しているのは精霊だけじゃないんだけど」
「え?」
「ねーッ、セレスッ」
「ぐッ」
セレスはプイってそっぽを向く。
どうしたんだろう、耳が赤いよ。
「ええと、他にも誰かハルさんを愛して、ああ、ご兄弟か!」
「うっそでしょこの流れで、はぁ、もうッ、シアンのバカ」
「え、え?」
「ねーセレス、これだから困るんだよね、分かるでしょ?」
「何のことか私には分からないな」
「ちょっと、この裏切り者!」
「なッ、言いがかりをつけるな、誰が裏切り者だッ」
二人ってやっぱり仲がいい。
気が合うのかもしれない、そう思うとなんとなく雰囲気も似ているような気がしてくる。
「ハルさん」
「はい」
「そういうことでしたら、農耕区域の温室へ行きましょう」
「温室?」
「ええ、温室では年間を通して多種多様な花が栽培されています、さっきリーサから聞きました、恐らくリュビデの花も見られますよ」
「ほ、本当?」
それなら頼んで花を分けてもらうことって出来ないかな。
リュビデでオーダーのオイルを作りたい。
エピリュームの時みたいに、もしかしたら呼んだことのない精霊が来てくれるかもしれない!
「是非! 是非温室に案内して欲しいです!」
「ふふッ、勿論です、ハルさんもやっぱり研究者ですね」
「あ、ええと」
「その気持ち分かります、なんだか親近感が湧くなあ」
「はい、アハハ、ちょっと恥ずかしいです」
「そんなことありません、僕も似たようなものですから」
確かに昨日の勢いはすごかった。
顔を見合わせて笑うと、急にセレスとリーサが間に割り込んでくる。
どうしたの二人とも?
「ねえっシアン、だったらさ、その温室に早くハルを案内してあげよう、ねッ?」
「うん、そうだね」
「私も興味あるな、ねえハルちゃん、リュビデの花が咲いているといいね、いや、きっと咲いているさ!」
「そうだと嬉しいな」
「多分あると思ッわぁ、り、リーサ?」
「早く行こう、早く!」
「ちょ、ちょっと、どうしたの、腕を引っ張らないで!」
シアンがリーサに引きずられていく。
不意に手を握られて、見上げたらセレスにニコッと笑い返された。
二人ともなんだか変だよ。
南区の温室に着いた。
もの凄く大きな温室だ、こんな規模の温室は見たことない。
戸口に立っている獣人とシアンが話をして、中に入る許可を取り付けてくれた。
「入っていいそうですが、その前にオーダーを唱えて見せて欲しいそうです」
「分かりました」
ポケットから香炉を取り出す。
オイルを垂らして、熱石に魔力を込めて底部へ仕込むと、柔らかな香りが漂い始める。
鎖で垂らした香炉をゆっくり揺らしながらオーダーを唱える。
「フルーベリーソ、咲いて広がれ、おいで、おいで、私の声に応えておくれ」
光がふわりと現れた。
見ていたシアンと、入り口の番をしている獣人が揃って歓声を上げる。
風の精霊ヴェンティだね、いつも有難う、私の声に一番よく応えてくれる精霊だ。
「ヴェンティ、そよ風を吹かせて」
私の周りをクルクルっと回ったヴェンティは、髪がそよぐ程の風を起こしてくれる。
緑のいい匂いが漂ってきて気持ちいい。
農耕区域だからかな、草の匂い、土の匂い、ほんの少しだけたい肥の匂いも、全部命の匂いだ。
「す、すごいですハルさん」
シアンが目をキラキラさせている。
傍で獣人もしきりに感心して、ちょっと照れるな。
「本物のオーダー、初めて見ました、すごい、これがオーダーなのか」
「魔力があれば誰でもできます、シアンも試してみる?」
「ぼ、僕には無理です、滅相もない!」
「それじゃ、アタシがやらせてもらおっかなーッ」
リーサが興味を持ってくれた、嬉しい。
香炉を貸して、やり方と呪文を教える。
私の真似してリーサは香炉を揺らしながら「フルーベリーソ」と唱え始めた。
「うわッ、うわわッ、ホントに来た!」
また現れた光、今度もヴェンティだ。
リーサの近くをフワフワ飛び回る。
「リーサ、頼みごとを伝えて」
「えッ、た、頼み?」
「ヴェンティは風の精霊だから、風に関することなら大抵の頼みは聞いてくれるよ」
「えーっと、えーっと、じゃあつむじ風を起こせッ」
ビュウッと風が吹いて、リーサのスカートの裾がめくれ上がる。
私の服の裾も捲れた。
「うわぁッ」
「わッ」
驚いた、急いで押さえたけど、ちょっと見えたかも。
リーサを見ると、リーサも気まずそうにこっちを見て「ごめん」って耳を伏せる。
ふふ、仕方ないなあもう。
「ビックリしたよ、でも、ヴェンティを使役できたね」
「うん、うんッ、すっごい! アタシ魔法使えちゃった、ねえシアン、今の見てた?」
「みみみ、見てないッ、見てないよ、少しも見てないからッ!」
「ええーッ」
慌ててどうしたんだろう。
ふと気付くとセレスも赤い顔して目を逸らしている。入口の番をしている獣人は苦笑いだ。
「なんで見てないかな、アタシ格好良かったのに」
「う、うん、格好は良かったよ、それは見てた」
「えーっ、じゃあ見てないって、もしかして」
「えッ」
「シアンのエッチ」
「み、み、見てないって、本当に見てないからッ」
これは、やっぱり見えちゃったかもしれない。
恥ずかしがるシアンをリーサはからかってつつく。
「ハルさん、でしたね?」
「あ、はい」
入口の番をしている獣人に声を掛けられた。
「どうぞ」って温室の扉を開いてくれる。わぁ、やった、いよいよ中へ入れるんだ!
戸口からはムッと熱気が溢れ出してくる。
「こちらでは主に夏季に栽培される植物を扱っています、リュビデの花をご所望と伺いました」
「はい」
「咲いておりますよ、奥の方です」
「有難うございます、あの、できれば少しだけ花を分けてもらうことって出来ますか?」
「そうですね、こちらの管理者に伺ってまいりますので、少々お待ちください」
「はい、よろしくお願いします」
リュビデの花、もらえるといいな。
肩にとまっているモコが耳元でこっそり「よかったね」って囁いた。
そうだね、実物のリュビデを見られるだけでも嬉しいよ。
「ハルちゃん、行こう」
セレスに手を引かれて歩き出す。
リーサとシアンもついてくる。
ガラス張りの温室の中は、じっとり湿り気を帯びた温かな空気と、むせ返るような緑の匂いで充満していた。




