ドライアの大森林にて 5
ヴェンティ、風の精霊。
正しくは風の精霊の総称、精霊って個々に意志を持たないから、特定の個体を指す名称もないんだよね。
精霊は、この世に存在するあらゆる物質に宿る意志のようなもので、中でも土、水、風、火の精霊を四大精霊って呼んでいる。
他にも色々いるけれど、エレメントで呼び出すのは主にこの四大精霊だ。
「うっくぅうぅッ」
間接的に力を借りず、精霊そのものを召喚するこのやり方は、一歩間違えれば暴走した精霊に術者自身が傷付けられる。
だからあまり使われないそうだけど、私はこっちの方が何だかしっくりくる。
「猛れ!」
周りでゴウゴウと吹き荒れる風に叫ぶ。
「ラム・パージフーレ!」
魔力を込めて唱えると、風はグランドクロウラーめがけて勢いよく吹いていった。
その衝撃と細かな真空の刃で体のあちこちを切りつけられて、グランドクロウラーは悲鳴のような声を上げながら後退する。
カイが追撃の一撃を繰り出すと、穴中に反響するほどの大絶叫を残して、凄い勢いで暗闇の奥へ逃げだした。
「おい!」
カイが駆け寄ってくる。
「はるぅ!」
モコも来た、怪我していないかな。
「だいじょぶ、はる?」
「うん、平気」
「お前やるな!」
そう言われて、改めてカイを見る。
「わっ、君、それ」
あちこち傷だらけだ。大きな怪我はないようだけど、血も出ているし、結構痛そう。
カイは頬の切り傷を服の袖でグイッと拭って「大したことない」なんて言う。
「それより、お前とんでもないな、今の精霊召喚だろ」
「だ、だって、エレメントって本来はそういう魔法じゃない?」
「それでも人で使ったヤツ見たのはお前が初めてだ、オーダーまで同時に使いこなすなんて、お前何者なんだよ」
「えっと」
そんなの訊かれたって分からないよ。
母さんやリュー、ロゼもできるし、私よりずっと凄いし、騒がれる程のことをしている感覚は無かったんだけど。
返答に困る私と、カイの間にモコが割って入ってきて、カイの脇腹を鼻面でドンッと突く。
「いって、おいコラまたかよ、このチビラタミルッ」
「ぼくはもこだよ!」
「だから何だ、散々聞いたしもう知ってる!」
「はるにいじわるしないで!」
「してねえ、ホント何なんだ、いい加減にしろよ」
睨み合うモコとカイを見ていると、少し気持ちが落ち着いてきた。
さっきは必死だったけど、私、魔物と戦ったんだ。
森ではずっとリューが守ってくれた、でも今はカイと一緒に自分の力で戦った。
私にもできた、私も戦えるんだ。
「ねえ、あの」
呼ぶと、振り返ったカイが私に青い目を向ける。
「有難う」
「礼なんかいい、俺もお前も自分の身を守っただけだ」
「でも、やっぱりお礼を言わせてよ」
カイはギュッと眉を寄せてガリガリ頭を掻く。よくやるけど癖なのかな?
「ああそう」
プイってそっぽ向いちゃった。
相変わらず素気ない、でも、ちょっと慣れてきたかも。
「それより、奴は追っ払っただけだから、そのうちまた戻ってくるぞ」
「えっ」
「あのデカブツを相手するにはここじゃ狭すぎる、暴れ回って穴が崩れたら俺達は生き埋めだ、退治はほぼ不可能だろうな」
「そ、そうだね」
あの大きな魔獣を退治っていう発想が既に無茶だけど、それじゃ出口が見つかるまで逃げ回るしかないのかな。
私も、カイだって怪我をしているし、モコも一緒だから難しいよ。
遭遇するたびに戦って追い払っていたら消耗してそのうち押し負ける。
もし負けたら―――やっぱり食べられるのかな。
「おい」
ハッと我に返る。
手が冷たくなって震えていた。ぎゅっと握り締めたら、モコがモフッと体を寄せてくる。
「はる?」
フワフワした柔らかい感触に少し気持ちが落ち着いた、有難う、モコ。
「悲観するのはまだ早い、現状俺達は一蓮托生だ、お前が思っていたより戦えるのも分かったし、作戦を立てる」
「作戦?」
「そうだ」
頷いて、カイは話し始める。
「この先に外へ出られるだろう場所がある」
「そうなの?」
「ああ」
「どうして分かるの?」
「細かいことは訊くな、時間が惜しい」
「う、うん」
確かにそうだよね、気になるけれど、逃げだしたグランドクロウラーがいつ戻ってくるか分からないし。
「俺がその場所へ先導する、お前はオーダーであいつを引き寄せながらついてこい」
「えっ」
カイに「できないのか?」って訊かれるけど、そのことじゃないよ!
「で、できるよ、オーダーで魔物を呼び寄せられるけど、でも、どうして呼ぶの?」
「あのデカさを利用してやるのさ」
「どうやって?」
「奴に穴を開けさせる」
穴?
―――そのあとカイが作戦を説明してくれたけど、所々よく分からなかった。
グランドクロウラーを利用して壁に穴を開けて、そこから外へ出る。
だけどここって地下だよね? 壁に穴を開けたところで意味ないんじゃないかな。それとも、さっき私とモコが落ちたような場所が、天井が抜けて穴が開いている場所があるのかな。
カイはどうして分かるんだろう、考えても見当さえつかないよ。
でも、やるしかないんだよね。
「他に案が無いなら手を貸せ、俺を信用しろ」
「うん、分かった」
「お前相当お人好しだな」
信じろって言ったり、呆れたり、なんだよもう。
隣でカツカツと蹄を鳴らすモコに「ダメだよ」って言いながら頭を撫でて落ち着かせる。
「そのラタミル、あまりラタミルらしくないな、気性が荒いのはラタミルらしいが」
「ラタミルって気が荒いの?」
「大抵はそうだって話さ、ラタミルのことなんか詳しく知るもんかよ」
「そっか」
私が今まで読んだ本には、慈悲深く争いごとを厭うって書いてあったんだけど。
カイと話していると時々不思議な感覚を覚えるよ。
背中を向けて歩き出そうとするカイを「待って」と呼び止めた。
「怪我しているでしょ、手当てしておこうよ」
「いい、これくらい大したことない」
「でも」
「薬も時間も手間も勿体ない、奴が戻ってきたら作戦がおじゃんだ、気にするな、行くぞ」
「血が出てるよ」
「うるせえな、そのうち止まる、ほら行くぞ」
だけど、隠しているみたいだけど、さっきから片足を庇うようにしている。
見えないだけで、本当はかなり痛む傷を負っているのかも。
私が治癒魔法を使えることはもう知られているし、構わないよね?
手当てしてもらったり、助けてもらったりしたお礼に勝手に治しちゃおう。
近付いてそっと腕に触れる。
カイが振り向くと同時に「パナーシア」と唱えた。
「ッツ!」
フワッと光が広がって、カイの怪我が治った。
見えない場所の怪我も全部治っているはず。
「お前、今」
これまでにないほど大きく目を見開いて、カイがまじまじと見つめ返してくる。
まさか、怒った?
いきなり触って驚かせたかもしれない。慌てて手を離して距離を取る。
「今、パナーシアって唱えたのか?」
「う、うん」
「冗談だろ」
どうしてそんなこと言うんだろう。
黙って考え込むようにして、私から背けた顔をまたこっちへ向けたカイは、軽く息を吐いて「おい」と睨んでくる。ちょっと怖いけど、なんだか真剣な雰囲気だ。
「その魔法、軽々しく使うな」
「えっ」
「リール・エレクサは唱えられるか?」
「ええっと」
聞いたことのない魔法だ。
カイが「治癒魔法だ、パナーシアの要領で自分に唱えてみろ」って言う。
「リール・エレクサ」
ポワッと光が現れて、手当てしてもらった傷の痛みが消えた。
「治ったのかな?」
「ああ、パナーシア程じゃないが、さっきの俺程度の怪我ならそれで十分だ」
そうなんだ。
こんな魔法を知っているっていうことは、カイも治癒魔法を使えるのかな。
「お前、魔法は誰から教わった?」
「母さんと、兄さん」
「使える魔法全部か?」
「そう」
また頭をガリガリ掻いて、カイはハーッと今度は長く深く息を吐く。
「おい、お前」
「なに?」
「今後は滅多なことじゃパナーシアは使うな、俺が教えた治癒魔法も人前で使うんじゃない」




