オニックスにはびこる黒い影
「はい、言葉通りの『汚染』です」
シアンは話す。
「聞いた話なので僕も詳細までは分かりませんが、元の人格は破壊され、狂暴化して、肉体は本来であれば活動不能なほど破損しているそうです」
「それって、その、どこか欠けているとかそういう?」
「五体満足なこともあれば、どこかしら欠損していることもある、ですが内臓は完全に使い物にならなくなっていて、それなのに尋常でない力を奮って暴れるんです」
「肉体と精神の暴走、ですか?」
「恐らくは」
うげっとリーサが呻く。
シアンはすぐ振り返って「このことは誰にも言っちゃダメだよ」と真剣に言い聞かせる。
リーサは真っ青な顔で頷き返した。
「中央の研究機関に知り合いがいて、その伝手で教えて貰った極秘情報です、民間へは混乱を防ぐためまだ公表されていません」
「そんな話を私達に教えてもいいのか?」
「何かしら現状打開に繋がれば、と思って」
シアンは耳を伏せる。
「遺体の解析は難航しているそうです、いまだ原因の究明に至っていません、それどころか手掛かりすら掴めていない」
「オニックスの研究機関じゃ難しいだろうな」
「ご存じなんですか?」
「詳しくは知らない、だが、国立の研究機関や、中央、エルグラートの研究機関と比較すると人員も機器もまるで足りてないだろ?」
「仰るとおりです、でも諦めるわけにはいかないんです、絶対に」
特区は苦肉の策として、居住者の特区外全面外出禁止と、外部からの完全閉鎖を敢行したそうだ。
確かに、今の状況で取れる対策っていったらそれくらいしか思いつかない。
「僕たちは、そもそも誘拐なんて非人道的な行いを惰性で見過ごすべきじゃなかった、もっと早くから声を上げて国に対策を求めるべきだった」
かける言葉がない。
私は人だし、そもそもこの国の住人じゃない。でも、今のシアンの気持ちは痛いほどよく分かる。
「失くしてからじゃダメなんです、意味がない、誰にだって起こり得ることなんだ、もし、もしもリーサがそうなったら、僕はッ」
「シアン!」
リーサが立ち上がってシアンに抱きつく。
「本当にごめんッ、ごめんなさい、二度とあんなことしないよ、ごめんねシアン、ごめんッ」
「いいんだ」
シアンは目の辺りを拭うと、リーサの背中をトントンと叩いて優しく微笑みかける。
「リーサは僕のために特区の外へ出たんだ、だから僕こそごめん、君に心配をかけた」
「違うよ、私がッ」
「無事に帰ってきてくれたんだ、それだけで十分さ」
「シアンーッ」
泣き出したリーサの傍へ行ってハンカチを渡す。
リーサは涙を何度も拭いて、鼻をかもうとしてから、そのハンカチでシアンの目元を拭うと「ありがと」ってハンカチを返してきた。
「へへッ、格好悪いところ見せちゃった、急に泣いたりしてゴメン、でも、シアンにも、オヤジにも母さんにも心配かけたこと、今更だけど反省したよ」
「うん」
「バカだったなぁアタシ」
「バカじゃないさ」
セレス?
「確かに無茶したが、大切な人のためなら私だって何も惜しくない、きっと君と同じことをする」
「そっか」
「ああ」
「そうだよね、セレスはそうするよね」
私も同じだ。
でも、前にカイから強く叱られたから、それは最後の手段だって思っている。
―――私が傷つくことで大切な人を間接的に傷つけてしまう、そんなのは不本意だし、ただの自己満足になったらそれこそ本末転倒だ。
「その汚染されて戻ってきた者たちは、捕らえても翌日には亡くなってしまうそうだな?」
セレスに訊かれて「はい」とシアンが答える。
リーサは鼻を啜りながら座っていた椅子へ戻っていった。
「保護した房内で暴れるそうです、鎮静剤や筋弛緩剤も殆ど効果が無くて、拘束しても収まらず、そのうち肉体が限界を迎えて崩壊する」
「そのまま亡くなるってわけか」
「恐らくは」
「どういう意味だ?」
「その、ほとんど肉塊のような状態になっても暫くは生きているようなんです、もっとも精神は狂ったままでしょうが」
「それは、怖い話だな」
「はい、ですがこの怖い話にはまだ続きがあるんです」
シアンは膝に置いた両手をぐっと握る。
「閉鎖が行われて、被害は以前より減りました、ですが減っただけなんです」
「まさか」
「いまだに行方不明者も、汚染されて帰ってくる者も、出続けているんです」
ゾッと寒気がした。
震えたら、モコが飛んできて肩にとまって、フワフワの羽を摺り寄せて慰めてくれる。
どうして閉鎖中の特区内で今も行方不明者や、汚染されて戻ってくる獣人がいるの?
一体どこから。
まさか―――誰か中から手引きしている?
「最近は守備隊や治安機関に世間から疑惑の目が向けられ始めています」
「この件に一枚噛んでいるんじゃないかって怪しまれているのか」
「それもありますし、被害が無くならないことでまともに機能しているのかと疑う声も増えているようです」
ふと、宿まで案内してもらった時のことを思い出していた。
居心地の悪いあの視線は、私達だけに向けられていたものじゃなかったのかもしれない。
「そうだ、ねえシアン、アタシそろそろ詰め所に行かないと」
「あっそうだったね」
「詰め所?」
「調書を取らせろって、もーうるさいったら、シアンの付き添いするから後でって待たせてるんだ」
「行こうリーサ、僕も付き合うよ、日暮れ前には済ませておこう」
「そうだね、ありがと、シアン」
窓の外はうっすらオレンジ色に染まり始めている。
リーサとシアンは椅子から立ち上がると、それぞれ私とセレスにお礼を言って部屋を出ていった。
「また後でね、ハル、セレス!」
扉が閉まって、セレスがやれやれと肩をすくめる。
「何だかとんでもないことになっているみたいだな」
「そうだね」
「今の話、師匠とリュゲルさんにも伝えておこう」
「うん」
「しかし汚染者か、不気味な話だ―――被害は獣人だけなんだろうか」
「え?」
「ここは獣人特区だよ、ハルちゃん、外部から伝わってくる情報に時差があるかもしれない」
その可能性は確かにある。
仮にそうだとしたら、ベティアス内の他の場所でもこんなことが起きているかもしれないんだ。
「ハルちゃん」
隣に来たセレスにギュッと抱きしめられた。
巻き込まれたモコが私とセレスの間で「むぎゅう」って苦しそうな声を出す。
「あっごめん、大丈夫?」
「へーき、せれす、はるこわがってるよ」
「ああ」
「それは」
「ハルちゃん、君のことは私が必ず守る」
ドキッとした。
真剣な眼差しに見詰められて急に心臓の音が早くなる。
「君には師匠もリュゲルさんも、モコちゃんだっているけれど、私もいるんだ、頼りにして欲しい」
「いつもしてるよ」
「私は、君のためなら何でもできる」
「うん、私もできる」
「えッ」
「だから私も頼りにしてね」
赤くなったセレスはコホン、コホンと咳払いして「有難う」って微笑んだ。
やっぱり美人だな。
結構長く一緒にいて、もう見慣れたと思っても、やっぱりこうして見惚れる。
サラサラの髪に綺麗な笑顔、セレスは明け方の太陽みたい。
「頼りにさせてもらうよ、本当に君には敵わないなあ」
「ふふッ、兄さんに鍛えられたからね」
「リュゲルさんか?」
「そう、厳しいよ、妹だからって容赦しないんだ」
「それは想像つかないな」
少し気持ちが落ち着いた。
セレスがいてくれて本当に心強いよ。
不意に部屋の扉がまたトントンと叩かれて、外から「入っていいか?」って今度はリューの声が聞こえてきた。
噂をすれば、だね。
「ハル、起きたか」
「うん」
「セレスに、モコも、そろそろ夕食にしよう、宿の主人の厚意で厨房を貸してもらえることになった」
「おおっ、では今夜もリュゲルさんの手料理を堪能させていただけるのですね!」
「わーい、ぼくりゅーのごはんすき、うれしー!」
「ハハ、有難う、いつも通り手伝いよろしくな」
「了解です!」
「ぼく、ぼくは、どうしよう」
今は部屋以外の場所で羊の姿に戻るわけにいかないか。
俯いたモコは、ハッと顔を上げて翼を広げながら「あじみ、てつだう!」なんて言い出す。
それって手伝いなの?
食いしん坊だなあ、ロゼと喧嘩になりそうだよ。
そういえば兄さんはどうして門番に正式に名乗らなかったんだろう。
さっきの話をする時にでも訊いてみよう。
隣の部屋を覗いて、ロゼにも声を掛けて一緒に一階の厨房へ向かう。
厨房で待っていたリーサの父さんが、リーサの母さんを紹介してくれた。
小さくて丸い耳と丸い顔、リーサの母さんはイタチの獣人なんだね。
「娘が世話になりました、厨房にあるものは道具でも食材でも好きに使ってくださいな、他に必要な物があれば買い物にお付き合いします」
「有難うございます、助かります」
「いえいえ! うちのおてんばがご迷惑をおかけして、だけど無事に戻ってくれて本当によかった」
「皆さんにはいくら感謝してもし足りません、こんなことくらいでしか恩返しできませんが」
「十分ですよ、これ以上はどうかお気遣いなく」
「はあーッ、人徳だねえ、お兄さん人なのに、ますます気に入っちまうよ、ねえあんた」
「ああ、リーサは運がいい、そうだ、今なら当たるかもしれないからクジを買わせようか?」
「あんた!」
リーサの母さんにギロリと睨まれて、リーサの父さんは縮こまる。
えーっと、前にも同じ話を聞いた気がするな。
それにしてもリューって会う人みんなから気に入られるよね。
ふふ、自慢の兄さんだ。
ロゼもリューの後ろで得意そうにしているけど、認識阻害の眼鏡をかけているからリーサの両親には気付かれていない。
代わりに私が腕組みしておこう、えへん。




