壁を抜けて
街の奥まったところへ入り込み、家の間をこっそり抜けて、追ってきているだろう人達の目を眩ますようにしながら進んでいく。
途中でセレスに言って下ろしてもらった。
いざという時に手が空いていた方がいいだろうし、私を抱えたままだとセレスの動きが制限されるから。
「ここ、どの辺りかな」
「街の大分外れのほうだろうな、シーリクの外壁は比較的低いから助かったよ」
まさか乗り越えるつもり?
セレスにはできるだろうけど、私は登れるかな。
頼んで担いでもらって、ええと、そうしたら私も風の精霊ヴェンティを呼んで少しでも負担を減らすべきだよね。
一応、覚悟だけはしておこう。
「はぁーるぅーっ」
上から声がして、見上げた青空を白い小鳥がパタパタ飛んできた。
「モコ!」
「みつけた! せれすもいっしょ、だいじょぶ?」
「ああ、大丈夫だよ、有難うモコちゃん」
モコは私の肩にとまって「ふう」と一呼吸吐く。
「ぼく、ししょーにいわれてきたよ、まちのそとでまってるって」
「そっか」
「ぼくあんないする、かべのそとにいるから、ついたらよびなさいって」
「し、師匠ッ」
よかった、やっぱり兄さん達は頼りになる。
セレスも安心したように少しだけ笑顔を見せてくれた。
「あのね、ししょー、すごくおこってた、こわいよ」
「えっ」
「おんなのこのうで、おった」
「えッ!」
女の子って、もしかしてあのベルテナって子の腕を、折ったの?
「にらんでねじっておったよ、あとね、きもちわるいのは、あしがぐしゃってなったよ」
「気持ち悪い、もしかしてあいつか? あいつの足を師匠が?」
「ぼくもおこったから、みんなにつっついてもらった!」
「皆って?」
「とりだよ、ししょーがおしえてくれたよ、よべばいうことをきくって」
ラタミルは百鳥を統べるらしい。
実際にロゼはサマダスノームで野生のドーを呼び寄せたし、それ以前から鳥を呼んでおつかいを頼んでいた。
モコもラタミルだから同じことができるんだ。
「ねえモコ、もしかしてレースの最中に飛んできたカラスやトビもモコが呼んだの?」
「そうだよ、わるいことしたらおしおきするようにって、ししょーにいわれたよ」
「凄いな師匠は、そんなことまで出来てしまうのか」
モコがレース会場を見渡せるような場所にとまっていたのって、見物のためだけじゃなかったんだ。
さっきからセレスはしきりに感心している。
結構とんでもない話をしているけど、ロゼのこと尊敬しているから気にならないのかもしれない。
「あいつら自業自得だな、俺の大切な人に散々暴言を吐いて、師匠とリュゲルさんにも後で―――謝らないと」
「セレス」
「俺が、いや」
パッと桜色の欠片が散って、セレスの姿が女の子に戻る。
「私が至らないばかりに、君の尊厳を傷つけた」
「もう気にしてないよ?」
「だけど周りは君によくない感情を抱いたかもしれない、師匠とリュゲルさんはきっとお怒りだろう、償うためなら何でもするよ」
「言われたのは私だよ、セレスや兄さん達の気持ちも分からなくないけど、だからってそういうのは嫌だよ」
「ハルちゃん」
肩で膨らんでいるモコを撫でる。
モコも私に羽を摺り寄せて喉をクルクル鳴らす。
「仕返しはいつか自分でする、兄さん達にもそう言う」
「あ、ああ」
「そんなことにならないのが一番いいんだけどね」
「それは、そうかもしれないな」
あの時、聞いたこともない暴言をたくさん吐かれて咄嗟に頭が働かなかった。
彼女は私がセレスと一緒にいたことが気に食わなかったんだろう。
だけどセレスのことを好きって雰囲気でもなかった気がする。恋愛的なことはよく分からないから、こっちはいまいち自信が無いけど。
今更になって悔しい。
ロゼが大分きつく仕返ししてくれたようだけど、あんな恥を知らない人たち、許せないし、許さなくていいと思う。
「ねえ、はるもおこってる?」
「怒ってる、でも」
モコを撫でながらセレスを見る。
きっとセレスも辛い、自分のせいだって言うけど、だからってあれくらいのことで嫌いになったりしないよ。
相手の品性の問題は、セレスには何も関係無いから。
「平気、モコも、セレスも一緒だから」
「ハルちゃん」
「はるぅ」
「早く兄さん達と合流しよう、きっと心配してる、それにリュー兄さんが心配だよ」
「え?」
「りゅーが?」
二人はいまいち分かっていないようだけど、多分今、一番大変な目に遭っているのはリューだ。
早く行かないと喧嘩になるかもしれない。
モコに案内されて街のかなり外れのほう、周りと比べて比較的新しい外壁の前まで来た。
最近補修したばかりって雰囲気の頑丈そうな石壁だ。
「ここだよはる、ししょーをよんで」
「分かった」
人の気配が全然しないけど、言われた通り壁の傍に立って「ロゼ兄さん」と呼んでみる。
同時に壁に穴が開いた。
壊れたとか崩れたとかじゃなく、地面から綺麗に半円形の穴が開いて、その向こうでロゼが両手を広げて「ハル!」って呼んでいる。
これはすぐに行った方がよさそう。
「ロゼ兄さん!」
色々気になることは脇に除けて、まっすぐ走ってロゼの腕の中へ飛び込んだ!
ギュッと抱きしめながら、ロゼが頬ずりしてくる。
「ああハル、僕のハル、酷い目に遭ったね、でも大丈夫、僕が来たよ、さあ行こう」
「う、うん、ねえ兄さん、リュー兄さんは?」
「そこにいるとも、ほら」
クロとミドリの手綱を持ったリューが疲れ切った顔で立っていた。
目が合うと笑って、小さく溜息を吐く。
「あの薄情者、何故か僕を止めるのさ、僕の君を傷つける全ては僕の敵だというのに」
「兄さん、あの子の腕を折ったって」
「ふむ、あれか、首を飛ばす前に止められてね、しかしなんだい、このところ醜悪なヒトを目にしてばかりで不快だよ、まったく忌々しい」
「セレスの従者の足も潰したの?」
「一本は残してやったさ、仕方なくだが、温情に感謝して欲しいものだ、舌も引き抜かせようとしたがリューに」
「ロゼ」
それ以上は言うな、みたいに首を振って、リューは穴から出てきたところで立ち尽くしているセレスに声を掛ける。
「行くぞ、セレス」
「リュゲルさん、でも!」
「君の荷物も持ってきた、戻るのは得策じゃない、さっさとここを離れよう」
「だけど私が、私のせいでこんなことに、ハルちゃんだって」
「やかましい」
口を挟んだロゼに、セレスはハッと振り返る。
「僕はお前にも腹を立てている、だがリューとハルはお前を許し気遣っている、だから僕もお前を許す」
「師匠」
「僕の可愛い兄妹をこれ以上困らせるな、言うことを聞け」
「は、はい」
「ロゼ、もう少し言い方に気を遣えよ」
やれやれとため息交じりにリューはミドリの鞍に跨る。
あの騒動の中で、すぐ街を出てここで待っていてくれるなんて、兄さん達はやっぱりすごいな。
判断の早さ、正確さと行動力、見習わないと。
「さあハル、行こう、おいで」
私はロゼと一緒の鞍に跨った。
セレスも戸惑いつつ、リューの鞍の後ろに跨る。
「ひとまずここを離れてから今後のことを話し合おう」
「分かった」
「ロゼ、頼むぞ」
「任せておきなさい」
ロゼが軽く手を振ると、全身を魔力の気配が包む。
「これでいい、目くらまし完了だ、さてどちらへ向かおうか?」
「こっちだ、街道から離れる」
「了解した」
リューがミドリを進めて先導する。
後に続くロゼ越しに振り返って遠ざかるシーリクの街を眺めた。
あの人たちのこと、これからのこと、ベティアスに来たばかりなのになんだか大変なことになった。少し不安だな。




