ドライアの大森林にて 2
「フルーベリーソ、おいで、おいで、モコの足に風を運んで、歩くのを手伝って」
ヒュウッと風が吹いて、現れた光がモコの足の周りをくるくる飛び始める。
あっと声を上げたモコは、光をじっと見てから軽く脚を躍らせて「かるいよ、はる!」って嬉しそうに私を振り返った。
「すごい、すごい、かるくなったよ!」
「よかったね」
「優しいな、偉いぞ、ハル」
リューに頭をグリグリ撫でまわされる。
うわっもう、また髪がグシャグシャだよ。
「そんなじゃないってば、リューだってオーダー使えるでしょ?」
「まあな、でも機転が利いてえらいぞ」
「やめてってば、もう」
リューはお構いなしに笑って、それからモコに「大丈夫か?」と訊く。
「うん!」と元気に頷き返したモコを見て、安心したように微笑んでからまた歩き出した。
私とモコもまたリューの後をついていく。
「はるっ、はるすごいね、りゅーもすごい、すごい!」
「ハハ、有難う」
「えへへ、ありがとう!」
「どういたしまして」
モコ、尻尾がピルピル揺れてる、嬉しそう。
こうしているとやっぱり羊にしか見えないんだよなあ。ラタミルだっていうこと忘れそうだよ。
「ハル、モコ、あの辺りにしよう」
それから暫く歩く途中、リューが指し示したのは少し開けた場所だった。
倒れた倒木が重なって目隠しみたいな空間を作っている。
辺りを確認してから荷物を下ろして、拾い集めた枝を組んで火を点けている間に、リューが周りに簡易の結界を張ってくれた。
「これで一晩程度なら凌げる、魔除けと警報の効果を兼ね備えた結界だ、弱い奴は入ってこられないし、結界を破れるほど強い奴なら警報が鳴って、ついでに爆発する」
「私達は危なくないの?」
「内部に被害は及ばないから安心していい、さて、むしろ枝の方が足りなくなりそうだな、もう少し集めてこよう、ハルとモコはここにいるんだ、いいな?」
「はーい、いってらっしゃい」
「はーい、いらっしゃい」
モコ、それはちょっと違う。
だけどリューはニコッと笑って、私とモコの頭を撫でてから結界の外へ出ていった。
茂みの向こうに姿が見えなくなると急に少し不安になる。
「はる」
モコが擦り寄ってきた。
私の気持ちが伝わっちゃったのかな。
「大丈夫だよ、リューが戻ってくるまで待とう」
「うん」
私もオーダーを使おう。
魔物避けに使っている方はオイルを足して、もう一つの、さっき使った香炉を取り出し熱石に魔力を通してセット。
「こんどはなーに?」
「火の精を呼ぶんだよ」
呼びたい精霊が決まっている時は、その精霊が好む香りのオイルを使う。
火の精霊はスパイシーな香りが好き。
オイルを垂らしてゆっくり香炉を振ると、独特の香ばしい匂いが辺りに漂い始める。
「フルーベリーソ、おいで、おいで、この火が明日の夜明けまで消えないよう番をして」
赤い光が現れて、焚き火の傍をフワフワ飛び始めた。
指を伸ばすと爪の先にチョンッと触れてくる。ふふ、ちょっと温かい。
これで燃やすものさえ絶やさなければ、明日また陽が昇るまで火が消えることはない。
「よし」
「はる、すごいね」
「オーダーは香りで精霊を呼んで、願いを聞いてもらう魔法だから」
「そっか」
「でも精霊が香りを気に入らないと現れてくれないし、現れても言うことを聞いてくれるかどうかは精霊の気分次第だから、その辺りのさじ加減がちょっと難しいんだよね」
「へーっ」
「だから母さんは、オーダーで誰でも安定して効果を得られるようにする研究をずっと続けていたんだ」
魔法鉱石で作った魔法の道具でも魔力を持たない人が魔法を使えるようになるけれど、鉱石自体が希少だから凄く高価で、よっぽどのお金持ちじゃないと手が出ない。
だけどオーダーなら、香りを使って精霊を呼び寄せるから、専用のオイルの効果を安定させれば誰でも手軽に精霊を呼んで魔法を使うことができる。
どうしてそうしたいのか、理由を訊いても母さんは曖昧にはぐらかすばかりだった。
だけど皆が便利に暮らせるようになるなら、良いことなんじゃないかって思う。
私も、一般的な魔法の『マテリアル』や『エレメント』はあまり得意じゃない。だからオーダーを使っているところもあるし。
「あっ」
ひょいっと首を上げたモコが「りゅーだ!」と声を上げる。
沢山の枝だ、それにさっきお弁当が入っていた袋をまた提げている。枝はあれだけあったら一晩くらいなら十分だろう。袋には何が入っているのかな、仄かに血の臭いがするけれど。
「ハル、オーダーを使ったのか」
焚き火の上でフワフワ浮いている光に気付いて、リューに訊かれる。
「うん、明日の日の出までの火の番を頼んだよ」
「そうか、助かる」
「えへへ」
褒められちゃった。
「ウサギを捕まえてきた、晩飯にしよう、俺の荷物から香草を出してくれ」
そこのポケットだと言いながら、リューは袋からウサギを二羽出して並べた。
茶色のウサギだ―――森に入ってすぐの光景を思い出す。
生きるため、食べるために他の命を奪うのは、仕方のないことだと思う。
でも魔物はただ襲ってくる。
捕食の目的もあるだろう、でも殆どの場合はその凶暴性により牙を剥くって本に書いてあった。あのウサギも単に目に入ったから襲ったのかもしれない。だから怖い。
道理の通じない相手って怖いよ。
森に入ってから本物の魔物をたくさん見て、そのどれもが知ったつもりになっていた私の理解や想像をはるかに上回る迫力で、正直に言えば怖かった。
魔物は怖いんだ。
そんな当たり前のことさえまともに受け止めていなかった私は、村の外の世界を何も知らない。
リューが帰ってこなかったら今頃どうしていた?
私一人で、モコを連れて、この森を抜けることができた?
改めて色々と勉強していかなくちゃ、私に出来ることをもっと増やしたいよ。
「どうした、ハル」
「えっ、ううん、なんでもない」
ついリューを頼りにしちゃうけど、甘えてばかりじゃいられない。
だってこの旅は長い。
せっかく見たこと無いものを色々と見られるのに、守られてばかりじゃ醍醐味を味わい尽せない。
「はい、これでいい?」
「ああ」
荷物から香草を取り出してリューに手渡す。
リューは捌いたウサギの肉に構想を揉み込みながら「長旅になるほど食事は大切なんだ」って話し始めた。
「健康でなければ旅は続けられない、そして旅中で体を壊す旅人はたくさんいる、だから食事は疎かにできない」
「うん」
確かにその通りだよね。
美味しいご飯は明日への活力だもん。
リューはウサギの肉を串焼きにしてくれた。
毛皮は血と脂を拭い落して乾燥させて、町に着いたら売るんだって。内臓なんかは炭になるまでしっかり焼いて捨てる。血の臭いは魔物を呼ぶからって作業していた辺りに臭い消しの粉をまんべんなく振りかけていた。
本当に手慣れてるな。つくづく感心するよ。
「モコ、焼いただけの肉でも食えるか?」
「うん! おにくすき!」
「やれやれ、すっかり生臭になって」
「それどういう意味?」
リューは振り返って軽く肩を竦める。
「ラタミルは基本物を食わないんだ、食べる必要がないから、特に肉類は好んで食べない、まあ例外もいるようだけどな」
「モコはその例外ってこと?」
「お前がスープだ何だと色々食わせたから味を覚えたんだろう」
「そうか、いけないことしちゃったのかな」
「いや、単純に好みの問題なんかもあるだろうし、気にするほどのことでもないさ」
「うーん、そっか」
確かに、天空神の眷属なら地上の物を食べないよね。
だけど勿体ない、食べるってことは美味しいものを口にして感動する以外に、誰かに食べてもらうために料理する楽しみも含まれているから、そういうことを知らないのって損している気がするよ。
モコはリューの手から美味しそうにウサギの肉を食べている。
私ももうひと串、ん~っ美味しい! 焼いただけの肉なのにこんなに美味しいなんて、またリューに感謝だ。
「前にティーネが言ってたよ、いいお嫁さんになれるって」
「お前がか?」
顔を顰めるリューに、どういう意味か訊こうとしたら、また地面がズズズンッと揺れた。
「地震多いね、どうしたんだろう」
「ああ」
「リュー?」
さっきから何かを気にしているように見える。どうしたのかな。
周りの木もザワザワ揺れて、落ち着かない気配も臭いも段々強くなっているように感じるし、ちょっと嫌だな。
「ハル、モコ、大分陽が傾いてきたから、そろそろ休んでおけ」
気付くと辺りはいつの間にかすっかり暗くなっていた。
パチパチ爆ぜる火をリューが枝で突くと、周りを飛び回る赤い光がその枝の周りをフワフワ飛んだ。
「旅の最中は交代で休むんだ、俺もお前たちの後で少し休ませてもらう、まだ眠くならないなら目だけでも瞑っておけ」
「うん」
「ハル、こっちだ、モコも」
言いながら荷物の中から大きな布を取り出して、傍に行った私とモコにフワッとかけてくれる。
その上から肩の辺りを優しくポンポンと叩かれた。
「今日はよく歩いたな、偉いぞ、お疲れ」
褒められてちょっと気恥しい半面、やっぱり嬉しい。
服越しに感じるリューの温もりにホッとする。居心地よくて安心するな。
「目を瞑っていろ、俺もオーダーを使う」
「うん」
「モコも目を閉じておけ、眩しいかもしれない」
「わかった」
モコ、ちゃんと瞑ったかな。
間があって、柔らかくて優しい匂いが漂ってきた。辺りがふわっと温かくなる。
リューのオーダー、あまり使いたがらないのは、いつもこうなるからなんだよね、フフ。
「やれやれ、またか」
「今日は何?」
「鳥だ」
「いいなぁ、私も呼んでみたい」
「お前だってそのうちできるようになるさ、オーダーは俺より得意だろ?」
「エヘヘ、母さんには負けるけどね」
「あの人は規格外だよ」
凄く温かい、急に眠くなってきた。
昨日の夜もあまり眠れていないし、自覚してないだけで思っているより疲れているのかも。リューが傍にいてくれるから、ちょっと気が緩んでいるかもしれない。
モコもペッタリ体を寄せてきた。
ふわぁ、大きな欠伸を一つ。
「ゆっくり休め」
「うん、おやすみ」
「おやすみ」
「おやすみぃ」
意識がゆっくり溶け出していく―――有難うリュー、おやすみなさい。




