油断大敵
柚津との久々のデート、もとい、ただの食事会の日、梨樹人の心は朝から憂鬱に彩られていた。
別に何かあったわけではない、柚津との食事会を素直に面倒に感じており、一日仕事に身が入らなかっただけ。
そんな一日も他のタスクが終わり、あとは柚津と飯を食いに行くだけ。
「はぁ〜やっぱ面倒だなぁ〜」
ため息とともに独りごちると、それを聞いていた詩から激励の言葉が入る。
「まぁまぁ、この一日を乗り越えたら終わりじゃない。頑張って!」
「ですね、ちょっとしゃべって、さくっと帰ってきます」
約束の時間が近づいていたので、雑談もそこそこに切り上げて予定の場所に移動を始める。
今回は場所も柚津が指定する場所でいいと伝えており、大学の最寄りの駅から電車で40分程度の繁華街にすることになっている。
電車に揺られ、目的の駅に着くと、待ち合わせ予定の改札の前に、柚津と思しき女性が目に入る。
あれから4年経っているが、高校3年生から大学4年生では人の相貌は大きく変わらないらしい。
当時とはほとんど変わらない容姿に、あのころとは違う大人っぽい洋服を纏って、スマホの画面を見つめている。
見間違えではないだろう。
そう判断して、声をかける。
「あの、柚津......か?」
声をかけた瞬間、「あっ!」っと言っていそいでスマホを手に持ったかばんに収納する。
「りっくん!ほんとに久しぶり〜!今日はごめんね、急に誘っちゃって」
「いや、全然いいよ」
挨拶もそこそこに、目的のレストラン、というか居酒屋に向けて歩きだす。
ニコニコと、あの頃と変わらない、いや年齢を重ねて大人らしさと可愛らしさに磨きをかけた満面の笑みで謝罪してくる柚津を見ていると、ここまで感じていたトゲトゲした気持ちが少し削がれていくのを感じる。
あぁ俺はマジで単純な男だなぁ〜、なんて考えていると、すぐに目的の場所についた。
*****
「値段は安い割に結構美味しいなここ」
日中の思いとは裏腹に、予想以上に美味しい料理と酒に梨樹人のテンションは上昇していた。
「でしょ?私のお気に入りなんだ〜♫」
意外と普通に会話できている。
会う前は、梨樹人自身、もっと刺々しい態度しかとれないんじゃないかと思っていたが、案外時間が解決してくれてたみたいだ。
その後数時間、お互いのこれまでや近況、これからのこと、同級生の話などでひとしきり盛り上がった。
昼間の憂鬱な気持ちはどこへやら、話題はいくらでもあり話足りない気持ちもどこかにあったが、心の底に灯る恨みつらみの炎がそのココロに静止をかける。
途中からは柚津が1人でマシンガンのように話し続けており、梨樹人は相槌を打つだけになっていた。
飲みすぎたかな。普段これくらいじゃここまで酔わないんだけど、疲れてるからかな。頭が少しぼやけるな。すごく眠い。
そろそろいい時間だし、早く寝たいし、完全にホダされる前に帰らないとな。
柚津の話が適当に落ち着いたころに会計を頼もう......。
そんなことを考えて、柚津の話が落ち着くのを待ちながら相槌を打つが、彼女の話が切れることはない。
すげぇ話のストックあるな、などと感心しながらも、うつらうつらと眠気は限界に近づく。
こんだけ眠そうにしてんだから、帰宅の提案してくれてもいいのにな......。
心のなかでちょっとした悪態をつくも、間もなく梨樹人の意識は段々と暗い眠りの海に沈んでいった。
*****
まどろみの中、肩をトントンッと叩かれる感触と声が聞こえてくる。
「お.........て......きて......てば。ねぇりっくん、そろそろ起きてってば!」
「はっ!」
急激に意識が覚醒する。
「ごめん、寝てた!」
「うん、寝てたね。でも、それだけ疲れてるんだよね。むしろそんな日に呼んじゃってごめんね」
「いや、申し訳ない」
「全然いいんだってば!でも、そろそろお会計して出ないといけないみたい」
そう言われて、どれくらい寝ていたのか確認しようと手元の時計を見てみると、時刻はすでに25時に迫ろうとしている。
「うわ!こんなに寝てたの!起こしてよ!」
「えー!起こそうとしたよー!でもりっくん起きないし、気持ちよさそうに寝てたからそのままにしちゃった」
テヘペロという擬音が聞こえそうなおどけた顔をしてみせる柚津。
「ってか、もう終電もねぇよ!」
「......あー......そうなんだ?......でもタクシーとかだと結構お金かかっちゃうよね?」
「だなー。そのへんのネカフェにでも泊まるか」
「じゃあさ、柚津の家に来ない?実はすぐそこなんだー。明日おやすみなんでしょ?朝まで飲んだりしない?おつまみもちょっとしたものならあるし!」
柚津からの提案は金銭的にそんなに余裕のない梨樹人にはなかなか魅力的なものであったが、ココロに灯った黒い炎は小さくはなっていても相も変わらず警鐘を鳴らしている。
「いや、さすがにそれは遠慮しとくよ。それに柚津と会うのは今日で終わりにするつもりなんだ。あんまり気持ちを残すようなことはしたくないんだ」
こういっておけば、さすがの柚津もこれ以上言ってこないだろうと思い、正直な考えを話す。
しかし、これが逆効果だったようだ。
「えっ、なんで!?」
「なんでって、柚津と会ったら、昔の辛い気持ちを思い出すからさ。もう会わないようにしたいから」
しばしの沈黙が流れる。
「............そっか......でも、じゃあ。それじゃあむしろ、最後になるなら、もう少しだけでも......家で話させてくれない......かな?」
目元に涙をにじませて、消え入りそうな声で懇願してくる。
「......はぁ。わかったよ。でも、それでほんとに最後な」
あまりの必死さに根負けし、柚津の家で飲み直すのを了承し、会計を済ます。
*****
「遠慮なくあがってね」
先程までの剣呑な雰囲気はどこへやら。
へらっと笑って梨樹人を部屋の中へと誘う。
柚津の家は本当に店からすぐそこだった。
何の変哲もない一人暮らし用の1Kの部屋。
ただ、クマのぬいぐるみだとかアクセサリーなど、所々に置かれている小物には昔と変わらない柚津の趣味が反映されている。
帰宅してすぐ、柚津は手洗いうがいだけ簡単に済ませて冷蔵庫に向かう。
「えっとー、何飲むー?って言っても、ワインか、チューハイかしかないんだけど〜」
「途中でコンビニにでも行けばよかったな。それじゃあ、もう結構十分飲んでるし、チューハイもらおうかな」
「はーい、りょーかいです!おつまみはー?チーズとナッツ、あとはー......作り置きしてたローストビーフがあるよ!」
「おぉ、自家製?すごいじゃん。それならせっかくだしもらおうかな」
「うんうん、おっけーおっけー!」
ふんふんと鼻歌を歌いながら冷蔵庫から取り出したものを小皿に移して、部屋にある小さなテーブルの上に広げ、缶チューハイを手渡してくる。
「それじゃあ、かんぱーい!」
「かんぱい」
テンションアゲアゲの柚津に対し、梨樹人は心身ともに、疲れというか眠気というか、そういうものに支配されつつあり、低めのテンションで缶を合わせる。
2人しかいない小さな部屋で、2つの缶がぶつかりコンッと鈍めの音が鳴り、続いてごくごくと喉のなる音が小さく響く。
「これ、食べてみてよ」
自信作なのだろうか、柚津が小皿に乗せたローストビーフを進めてくる。
一切れつまんで口に運ぶ。
「おぉ、うまいな!」
「でしょ!」
あからさまなドヤ顔を叩きつけてくるが、それも納得してしまうくらいには美味く作られていた。
パクパク、ごくごくと勢いよく食べて飲んでしまい、すぐに缶が空になる。
「せっかくだし、ワインもちょっと飲まない?」
何のせっかくかはわからないが、飲み物は空いているし、別に断る理由もない。
「うん、じゃあもらおうかな」
柚津が再び台所に向かい、ややあってグラスに注がれた赤ワインが提供される。
「ありがと」
「どういたしまして♫」
そのときの柚津の顔は、自然なニコニコとした表情にも、広角が若干不自然上がったニヤッとした表情にも見えたが、気になるほどではなかったので、引き続き食事と会話を続けるのだった。
*****
「はっ!」
梨樹人がベッドで目を覚ましたとき、あたりは朝日に包まれていた。
部屋の隅に置かれたデジタル時計は午前11時半と表示されている。
今、正直混乱している。
部屋の中での会話もそれなりに盛り上がった記憶はある。
だけど、昨晩、午前3時ごろに時計を見たときあたりを最後に、その後の記憶がない。
普段どれだけ飲み散らかしても記憶をなくしたことはなかったので、そのこと自体に対する驚きと混乱もあることには違いない。
だが、今まさに梨樹人を混乱の渦に沈めているのは、そのことではない。
最大の原因は、こちらを向いて自分の腕に頭を置き、スヤスヤと寝息を立て、そして......布団をかぶっているので上半身しかわからないが、おそらく全身何も身に纏っていないのであろう柚津が、隣で眠っていることだった。




