008
拝啓、お父さん、お母さん、莉羅へ。
いかがお過ごしでしょうか? 昨日はお風呂に入りましたか? 歯は磨きましたか? 八時に全員集合しましたか? 僕はというと、お風呂にも入っていませんし、歯も磨きませんでしたし、八時頃は御猫様とモモイロペリカンをもし漢字表記するならどんな字になるのかという議論をしていたと思います。
それはそうと、現在僕は見ず知らずの家で朝を迎え、ベッドの上で全裸の長身美女に足を挟み込まれつつ腕を完全に決められて動けない状態でいるのですが、三人はこのようなとき、どのような対処法を取ることが正解だと思いますか?
「……あ、やっと起きたわね」
どうやら僕が意識を取り戻す以前に長身美女であるナイトソードさんは目を覚ましていたようですね。そうでもなければ、こんなにタイミングよくカイガン! することないでしょうから。
どちらにせよ脱出を試みようとすれば起きていたでしょうし、些事ですから気にすることなく頭に直接語り掛けましょう。
(これはこれはナイトソードさん、斬新な抱き枕の抱き方を思いつきますね)
「我ながらいい抱き方だと思うのよ。こうしておけば本能的に抱き枕は身動きすることなく、ずっと抱き続けられるからね」
念話は繋げてくれているようで、滞りなく伝わったようで何よりです。
(道理ですね。それはそうと、背後をルックミー)
斬新な人を抱き枕にする方法については賛同したあと、助け舟であるルルさんにナイトソードさんの視線を向かせました。
「何をしているんだ?」
「彼にその気になってもらうために、親密度を上げようかと思ってね」
腕を組んで仁王立ちしているルルさんを見ても動じることなく、コミュイベントを進行中だと語るナイトソードさんには僕もツッコミを入れずにはいられませんでした。
(全裸でアームロックとは、斬新なスキンシップの仕方ですね)
「焦らしプレイとしては上等なモノだと思うのよね」
「いいからアサヒを離せッ!」
痺れを切らしたルルさんはナイトソードさんに空手チョップを放ちます。
ですがナイトソードさんは軽やかな身のこなしでコレを回避。ベッドの向こう側へと着地しました。その間、僕を離すことはなかったのでコミュイベントは継続中です。
「空手チョップでアタシと彼を引き離そうなんて、考えが甘いわね」
(アームロックは外れたので、その気になれば離れられますけどね)
「なんでそうしないの?」
(謎の光を発生させないため&本能が離れないように体を動かすからですね)
「ああ、あるわよね。あのどこからともなく発生する謎の光。それと本能に忠実なのはイイコトよ!」
空手チョップを回避した末に僕はナイトソードさんに背中から腕を回されて抱き上げられている状態になっているのですが、柔らかい感触がとてもトレビアンなので離れる気がないと伝えたら全力で賛同してくれました。
おかげでベッド近くの椅子の上で丸まって寝ていた御猫様も目を覚ましました。
「うっさいわね……。朝っぱらからなんなのよ……」
開口一番に文句をこぼしながら気怠そうに体を伸ばし、状況把握のために僕たちとルルさんを見やった御猫様はジト目を僕に向けて言ってきます。
「モザイクの代わりになるってどんな気分なのかしら?」
(至福!)
「アンタ意外と欲望に忠実……いや、意外でもないわね。最初から欲望に忠実だったわ」
今更なことを再認識して自分の発言を否定している御猫様。攻撃範囲を見誤ってバトルに負けたような顔をしていますね。たった一度のしょうもないミスで負けたときって、凄まじく落ち込みますから掘り下げないようにしてあげましょう。
代わりと言ってはなんですが、というかこっちの方が重要ですが、状況把握をしていきましょう。
(それはそうと、ココはどちら様のお宅なのでしょうか? この整理整頓されている感じからすると、ルルさんですか?)
「残念賞ね。ココはアタシの家よ」
エルフさんたちの集落も近かったので、一番可能性の高いモノを選んだのですが、意外も意外な回答が返ってきましたね。意外過ぎて信じられないので、疑いの目をナイトソードさんに向けます。
(……猿ぐつわのひとつもありませんけど、本当にですか?)
「拷問部屋は地下にあるわ」
(なるほど)
これ以上ない説得力のある言葉に僕は納得すると、御猫様の呆れた声が飛んできます。
「ドロッとしていることをサラッと言うんじゃないわよ。まだ朝の九時前だってのよ」
(大きいお友達は目的のヒーローたちの活躍を見て二度寝する頃なので大丈夫ですよ)
「バカね、最近の日アサは八時半からよッ!」
(――ハッ!?)
「ヒーローを見なくなった年代がバレたわね! これこそ墓穴!」
(僕、父さんが録画してくれていたのを見てたので)
「……リアルタイムで見なさいよアホンダラ!」
(録画って概念がなかったんですね。心配しないでください、VHSは知ってますよ!)
「同情はいらないのよおおおおおおおおおおおおおお!」
気遣ったつもりが逆に心を抉る結果となってしまったようで、御猫様は走り去ってしまいました。
命のリンクがあるので遠くへは行かないでしょうから追う必要もないでしょうし、話を戻しましょう。
(それで、どうして僕たちはナイトソードさんの家にいるんです?)
「エルフどもが拒否ったから、ウチに連れてきたわ」
(なるほど)
理由としてこれ以上ないものですね。住民に断られては仕方ありません。行く当ても必然的にナイトソードさんの家になるというものです。
「すまない。説得したんだが、どうしても首を縦に振ってもらえなかった」
ひとつも悪いところがないのに心底申し訳なさそうに頭を下げるルルさん。
そこへ僕がフォローする隙を与えずにナイトソードさんが続きます。
「まったくよね。本当なら浴槽のお湯に変わっていたはずの命を救ってくれた恩人を悪魔だとか鬼気迫る顔で言ってたから、思わず何人かバッサリしちゃった☆」
(ルルさんは悪くないので頭を上げてください。そしてナイトソードさんは我慢できずについ課金しちゃったみたいな言い方で人を殺しちゃいけませんよ)
「そう言われると思ってちゃんと生かしてるわよ。ちょっと袈裟斬りしただけで、すぐに治してあげたわ。それにアタシ欲しいキャラがピックアップされるまで石は溜める派だから」
「おかげで説得できる余地すらなくなったんだがな」
「高圧的な人間ほど命の危機に瀕したときの顔は滑稽で見てて面白いから、ついやっちゃうのよね」
ナイトソードさんの欲求に忠実すぎるところには困ったものですね。ただでさえエルフさんたちの正気度はカツカツだというのに、少しは自重して欲しかったです。
ですが、そうなるとルルさんが一緒にいてくれることが不思議になりますね。恩返しはもうしてもらいましたし、目的も達成しています。何より仲間を袈裟斬りした相手と一緒にいるのは嫌はなず。僕としては付いて来てくれたことに喜びは感じますけど、理由が見当たりません。
なので僕は続けて(では、どうしてルルさんも一緒にいるんですか?)と訊ねてみたのです。
すると直後、武人然とした態度を崩すことのなかったルルさんが今にも泣きだしそうな少女の顔になって、か細い声で「え?」とだけもらしたのです。
刹那、ナイトソードさんはガッツポーズと共に歓喜の叫びを上げてきます。
「素晴らしきナチュラルSね!」
(ブレンドの方なら知ってますよ)
「コーヒーの話はしてないわよ?」
(外角低めにボールを投げ込んでしまったようなので、話を戻しましょう。なぜルルさんはそんなこの世の終わりみたいな顔をしてるんですか?)
思っていたよりサブカルの知識はないようで、ナイトソードさんには少々控えようと心構えを決めつつ、僕はルルさんがなぜ男装がバレてしまったヅカ系女子のようになっているのか知るため訊ねたのですが、また頭上から歓喜の叫びが響いてきます。
「天然の刃が無慈悲にルルちゃんの心を穿つ!」
(僕ってばそんなにひどいこと言ってますか? ただ普通に思ったことを言っただけなんですけど?)
「いいわねいいわね! ボクシングならテンプルに突き刺さってるわね!」
(楽しんでないでわかってるなら教えてくれません? ルルさんなぜか泣きそうなんで)
「イヤ! 面白いから!」
(そんな新しいおもちゃを買ってもらった直後の子供みたいな顔してゲスの極みみたいなこと言わないでくださいよ。相手は可憐な乙女ですよ)
「アタシ以外アタシじゃないから問題ないわ!」
拒否はされそうだなと思ってましたけど、そんな当然な理由で拒否されるとは思いませんでした。物事の原因というのは想像より遥かに単純な場合もありはしますが、ここまでとは……。
ルルさんが精神的ダメージを受けている理由も、ナイトソードさんの理由ほど単純であれば僕でも理解できるのですが……。
などと、考えている間にも彼女の表情は泣くぞ、すぐ泣くぞ、絶対泣くぞ、ほら泣くぞと言わんばかりになってしまっています。
「……すまない。アサヒの助けになろうと思って付いて来たのに、ひとつも話を拾えず、役に立たない私はとっとと帰った方が良いよな。……本当にすまない」
(どうしてです? 一緒に来てくれたことはとてもうれしく思っています。逆になぜ僕がルルさんを邪魔だと思ったのでしょうか?)
「だって、どうして付いて来ているのかと言ったから」
(単純に目的を達成したのだから、ルルさんにとって僕はもう用済みのはずなのにどうして付いて来てくれたのかなと思って訊いたんですけど?)
「恩人にひとつも恩返しできていないのに、そのままお別れするわけないだろう!」
(話し相手になってもらったじゃないですか。欲しかった説明もしてもらいましたよ?)
「その程度で報いられたと思っているほど、私は恥知らずじゃない!」
「そこまで武士道を貫くっていうのもすごいわね。仲間良ければすべて良しのエルフの中でも異質すぎて少し引くわ」
(そんな酷いこと言っちゃダメですよ)
「アサヒはもっと酷いこと言ってたけどね!」
嬉々として言われましてもどこが? と首を傾げるしかできないんですよね僕。いまの一連の会話でもヒントすら掴めませんでしたし、テストの問題で出題されたら数分悩んだ末に飛ばして次の問題に移るぐらいわかりません。
それでも僕が答えを出さないと、ルルさんの表情は曇ったままで……はないですね。いつもの凜とした表情に戻りかけています。なぜに?
「この期に及んでわかってないのはある種の才能だと思うわ」
首を傾げた僕を見て、ナイトソードさんは楽しげに褒めてくれました。
とりあえず(ありがとうございます)と返事した後、どうしても答えがわからない僕はダメ元で再度答えを教えてくれないかとお願いすると、ナイトソードさんは意外にも「いいわよ」と二つ返事で承諾してくれました!
「わからない内に正解選んじゃったから、アタシの望んだドロドロ展開はもう期待できないしね」
ロクでもない理由が明らかになりましたけど、やっと難解だった問題のネタバラシをしてくれます。
「別に難しい話じゃないわ。どうして一緒にいるの? なんて訊き方したから、用もないのになんで一緒にいるのかって受け取られても不思議じゃないわよね?」
(なるほど! 恋愛漫画などで生じるすれ違いみたいなものですね!)
「みたいというか、あのまま選択肢をミスすればそのとおりだったんだけどね!」
嬉々とした声音がそうなって欲しかったと物語っていますね。無自覚ながら阻止できて良かったですけど、認識できたいまだからこそルルさんには謝罪しないといけませんね。
(すいません、悪い訊き方をしてしまったようですね)
「いや、こちらこそすまない。アサヒがそんな酷いことを言わないことはわかっていたつもりだったんだが、どうにも感情の制御が利かなくてな」
許してもらえてホッとしましたが、なぜ少しだけ恥ずかしそうなのでしょう? それに制御できないほどの感情が出てきた原因は何でしょうね?
「生理ね」
「違うが」
(反抗期ですかね)
「違うが」
「空腹」
「違う」
(深爪しすぎた)
「違う」
「ダブリーしたのにアガリ牌が全然こない」
(それです!)
「まったく違うが! というかなんだその呪文みたいな単語の羅列!」
「麻雀すらない! そんな世界でいいのか!?」
(超能力がある世界ですから、麻雀しても平然と透視とかすり替えが横行して別ゲームになると思いますよ?)
「いいじゃない。超次元なサッカーも世の中にはあるぐらいだし、超能力麻雀が……あるわね。もう既に全国大会すらやってるわね」
そっちは知ってるんですね。守備範囲の問題でしょうか? まあ、そのあたりはゆっくりと把握していけば問題ないでしょう。
それよりも重きを置かないといけないのは、ルルさんが感情を制御できなくなった原因ですね。下手な鉄砲も数撃ちゃ当たると言いますけど、すべて外れてしまいましたからね。忍者の卵が投げる手裏剣が如くです。
他にも寝不足や片頭痛、手汗が止まらないなどが思い当たりますけど、どれもかすってすらいないような気がしてならないんですよね。
……意外にも僕に不要だと思われたこと自体が原因だったりしますかね? 最初に除外してしまった可能性ですけど、決めつけは視野を狭くして悪い方向にしか働きませんから、あり得る可能性として提示してもいいかもしれません。当たりだと思っていたモノがことごとく間違いだったことですし、ダメ元で訊ねてみるのもありでしょう。
……そのためにも、ひとつ発生中の問題を解決すべきですね。
(何やら妙な視線を感じますね)
「アサヒがアタシとばかり話してるから嫉妬の炎がビブラートを利かせながらメラメラと燃え盛ってるからじゃないのかしら?」
「わ、私は別に嫉妬なんてしていない!」
(そんなに必死に否定せずともわかっていますよルルさん。それに僕が視線を感じているのは――背後からなので)
――そう伝えた直後のことでした。
パリィィン!
漫画でよくある窓からガラスを破壊しながら何者かが家の中に侵入してきたではありませんか!
一回転してベッドの上に着地すると、何者か僕とナイトソードさんを視界にとらえました。
「――ッ!」
殺気と言えばいいんでしょうかね。ヤル気満々な眼前の何者か――もとい女性は背負っている刀らしき長物を抜刀して襲い掛かってくるのではないかと思っていたのですが、驚いた表情をして着地した体制のまま硬直してしまいました。まるでオレ、参上! とポージングしているようです。
堂々と登場したということは泥棒のような目的ではないのでしょう。ナイトソードさんは恨みを多く買っていてもおかしくないので、刺客という可能性が高いのですけど攻撃してこないあたり目的が不透明ですが、それよりなによりナイトソードさんは最初に言っておかないと気が済まなかったようです。
「|全身ラバーチャイナ(なんて格好してるのよ)!?」
(モザイク替わりに男を抱きかかえている全裸の女性には言われたくないかと)
とはいえ、すごい格好なのは否定できないんですよね。サラサラの黒髪を後ろ手一束に結び、深いスリットの入った太ももが隠れる程度の長さである青色のチャイナドレスっぽい服。靴もチャイナ靴と言えばいいんですね。アレです。
刀らしき長物はたすき掛けしたさほど太くもない紐一本で背負っており、ここまでであれば、この世界にもチャイナドレスと刀ってあったんだー程度の感想で済むのですが、その下になぜか首からつま先まで全身が隠れるよう黒色のラバースーツを身に着けているんですよね。ピッチリ系の服が好きなんですかね?
まあ、それはそれとして、不審な侵入者であることに変わりはなく、いち早く対処に動いたルルさんは背後から作り出したライトなセイバーをラバーチャイナさんへと突きつけました。
「なんのつもりだ。そこの痴女と同類だと考えて差し支えないのか?」
たしかにスレンダーな体つきや端正な顔立ちに切れ長の目など、似ているところは多いですが、ラバーチャイナさんは韓流的美人でナイトソードさんはジャパニーズクールビューティって感じなので、一緒くたにするのは少し違う気がしますね。イロモノという枠組みにはめ込むのなら同意しますけど。
「断じて違うアルね」
「(アル!?)」
あまりのもコテコテのキャラ付けにナイトソードさんとハモってしまいましたが、問題はそこじゃないですよね。ナイトソードさんとは違うと断言したからには、無意味に人殺しをしに来たわけではなく、ちゃんとした目的があるということでしょう。……ルルさんの真意が伝わっていれば。
「私は全裸で男子を抱きかかえて生活したりしないネ!」
伝わってなかった! ですよね! だって痴女と同類かと問われれば、そういう回答になりますよね!
「……すまない、訊き方がわるか……はっ!? そうか! さっきのアサヒはこのような気持ちだったのだな!」
「なんでアタシが痴女呼ばわりされてる間に人生経験積んでるのかしらね、あのダークエルフ」
(成長することはイイコトですよ。今日はお赤飯にしましょう)
「……もう攻撃していいアルか?」
コミカルなBGMが流れてきそうな雰囲気に気を使ったのか、なぜか確認を取ってくるラバーチャイナさんは間違いなくいい人ですね。ルルさんの警戒も緩んでいましたから、容赦ない人なら何も言わず切りかかってくる場面でしたよ。
「だ、ダメに決まっているだろう。貴様の目的がただ人を殺したいだけだというのなら、容赦なく首を刎ねる」
急に真面目モードに戻ろうとしたせいで、ちょっとどもってしまったルルさんですけど、ちゃんと最初に訊きたかったことをラバーチャイナさんにぶつけると、彼女は首を横に振ります。
「そんなバケモノのような思考回路はしてないアル。私はそこの『吸血鬼』を殺そうとしただけネ。抱きかかえられてる少年はちゃんと助けるヨ」
「なら良し」
標的がナイトソードさんだけだとわかると、ルルさんは瞬時にライトなセイバーを消滅させました。
これにはラバーチャイナさんも呆気にとられてしまっています。
「……お前、奴の味方じゃないアルか?」
「私は彼の仲間ではあるが、そこの痴女とは無関係だ。正直言って殺してくれても差し支えない」
「……複雑な家庭環境アルね」
突入してきたラバーチャイナさんから見てみれば、全員がひとつ屋根の下にいたわけですから、家族だと判断しても不思議はないですね。
ルルさんとしては大変に不本意な勘違いだったようで、「ちが――」と否定の言葉を口にしようとしていたのですが、ラバーチャイナさんはそれを聞かずに僕とナイトソードさんに突進してきました!
「けど、手間が省けて助かったアルよッ!」
僕たちに向かって攻撃を仕掛けながら、ルルさんに感謝を述べるという高等テクニックを披露するラバーチャイナさんは背負っている長物を抜刀すると、的確にナイトソードさんの頭部をぶった斬ろうとしてきます。
もちろん黙って殺されるナイトソードさんではないので、破壊された扉から外へと離脱し、距離を取りながら体制を整えました。
「ハハハ! いいわねいいわね! 滾るわぁ……」
目が血走ってヤル気満々なナイトソードさんですが、当然ながら看過することはできないので、僕は彼女が従わざるを得ない脅しをかけます。
(殺しちゃいけませんよ。もし、殺しちゃったら僕はあなたを封印しますからね。身動き一つとれずに時間だけが過ぎていくのは苦痛でしょう?)
当然ながらウソです。封印はどう屁理屈をこねても時間という縛りが付きまとう代物ですからね。最大で一〇分程度しか持続できません。ですが、そんなことを知る由もないナイトソードさんは真実として受け取り、笑いながら訊いてきます。
「アッハハハ! アタシの扱い方をよくわかってるわね! ラバーチャイナを無力化したら襲っていいかしら?」
(傷ひとつなく、彼女を無力化して話を聞いてもらえるように説得してくれたら、いいですよ)
「アサヒ!?」
「キタキタキタアアアアアアアア! それじゃ、秒で終わらせるわッ!」
ちゃんと玄関から外に出てきたルルさんは僕がナイトソードさんの要求を呑んだことに驚いていましたけど、僕を襲う程度のことがアメとして機能するのなら安いモノです。
おかげで気力も充実したナイトソードさんは張り切って、僕たちを追いかけてきたラバーチャイナさんにかまいたちを放ち……うん、僕との約束守る気ゼロですねこの人。
昨日ルルさんの体を切断したであろう技。それを躊躇することもなくナイトソードさんは突進してくるラバーチャイナさんに放ちました。
風を凝固させて飛ばしているのか、それとも半透明な謎の物質を斬撃のように飛ばしているのか、仕組みはわかりませんけど、明らかに殺傷能力は高そうなソレは回避する素振りすら見せなかったラバーチャイナさんに直撃――したはずが、体をすり抜けていき、彼女は無傷のまま僕たちに肉薄してくると、先ほどと同じようにナイトソードさんの頭を狙ってきました!
「……メンドクサッ!」
攻撃が効かないラバーチャイナさんを目にして苦虫を噛み潰したよう顔をするナイトソードさん。攻撃は容易く片手で受け止めながらも、自分の攻撃は無意味だと察しているようで手を出すことはなく、代わりに問いを投げかけます。
「どうやって耐性を会得したのよ? 姦淫パーティーしたいから、さっさと無力化されなさいよッ」
「それはこっちのセリフネ。どうやったら刃物を平然と手で受け止められるアルかッ」
「魂を燃やせばいいのよッ」
「急な熱血ゼリフは寒いアルよッ!」
「その寒さで動けなくなってくれないかしらッ!」
見るからにホモサピエンスなので、手先がしもやけするのが関の山でしょうね。リザートマンのような存在がもしいるのであれば、彼らが近くに居なくてよかったです。いたずらに死者を増やすことは避けたいですから。
それに現状ではどちらも決め手がありませんから、自然と手を止めてくれる可能性が高いので待ちましょう。鳴かないホトトギスも鳴くまで待つのが正解だと歴史が証明していますしね。
――で、攻防が止まるのを待って二分ぐらい経ちましたけど、一向に止まる気配ないんですよね。ラバーチャイナさんの執念たるや凄まじいですよ。完璧に防がれているにもかかわらず、諦めることなく打つべし打つべしですからね。メンタルつよつよとはまさにこのことです。
逆に何より退屈を嫌うナイトソードさんにとって、ワンパターンで一切脅威を感じない攻撃を淡々と防ぐのは二分程度でも苦痛に蝕まれてしまったらしく、限界に達したようで怒りを爆発させます。
「……ああ、ああああ! あああああああッ! つまんないわ! 代わり映えのない攻撃ばっかり! 面白味の欠片もない! ただでさえ、この後待ってる姦淫パーティーがお預けになってるのに、こんなの面倒でしか…………」
おや、どうやら感情任せに発した自分の言葉で気付かされたようですね。現状がどれだけナイトソードさんにとって望んだ状況にあるのかを。
「めんどう。そう、面倒! 面倒くさい! メンドクサイ! アッハハハハハハハハ! 面倒くさい! そう! 面倒くさいのよ! サイッコーだわ! 久しぶりの面倒事! この世界に来てから一度も感じることのなかったこの苛立ち! 快感を求めるために必要な行動! ああ、素晴らしき面倒事! もはや愛おしくすら感じるわ!」
暇が何よりの毒であるナイトソードさんにとって高揚を得るための障害は、捉え方をひとつ変えれば毒を摂取せずに済む格好の道具ですからね。感情がハッチャケフィーバーしても不思議じゃありません。おかげで僕は彼女の飛沫と呼ぶにはあまりにも大粒でべちゃべちゃと降りかかってくる唾液をシャワーのように浴びてしまっているわけなのですけどね。
「……何かキメてるアルか?」
狂気的な笑いを上げたナイトソードさんを警戒し、距離を取った敵であるラバーチャイナさんにすら心配されるとは、いまの彼女はどれほどヤベーイ感じの顔をしているのでしょうか? もしくは全身黒くなったりしているのでしょうか?
「エンドルフィンが出っ放しなだけよ! おかげで楽しい楽しい時間に変わったわ! 感謝の代わりにコレをあげるッ!」
愛情の代替品が殺意というプレゼントを初めて見ました。とはいえ、先ほどと同様のかまいたちですから、ラバーチャイナさんには効かないでしょう。
――そう思ったのもつかの間、育成出身のエースが投げるフォークボールを彷彿とさせるほどの変化によって、かまいたちはラバーチャイナさんの足元に着弾し、手榴弾でも投げ込まれたのかと勘違いするほどの爆発を発生させました!
無数に飛び散る石や土はラバーチャイナさんの体をすり抜けることなくヒット。咄嗟に顔はガードしているので致命的なダメージを受けることはありませんが、初めて彼女に有効な攻撃がとおりましたね。
「ビンゴ~! 楽しくなると考えも柔軟になるものよね~! そうは思わない?」
気持ちに余裕が生まれれば、柔軟な発想ができるようになるのは事実でしょう。苛立ちや焦りは視野を狭めるとよく言いますしね。
「チッ、ふざけた攻撃アル!」
致命傷を受けることのない攻撃ではあれど、効果のある攻撃を発見されたことに毒を吐くラバーチャイナさん。このままいけば攻守逆転と言っても差し支えない展開になりそうですが、それを阻止すべく彼女は僕とナイトソードさんに突進してきました。
「……やむを得ないアル。少年、すごく痛いけど我慢するアルよ、後で完璧に治すアルから!」
合理的な判断ですね。僕を治療する方法を有しているのなら、引け目を感じることもあまりなく、劣勢になりかけている状況といえどナイトソードさんは決め手に欠けているままですから、流れを引き戻すには良いカードです。
僕としても治してもらえるのなら甘んじで攻撃を受けてもいいのですが、僕を恩人と慕ってくれている彼女としては、看過できないようですね。
「痴女はともかく、アサヒを傷つけようとするのなら、黙っておけるわけないだろう」
ずっと狙っていたナイトソードさんの頭ではなく、僕もろとも串刺しにしようとした一撃は間に割って入ったルルさんのライトなセイバーによって防がれてしまいまいました。
すなわちこれ、ナイトソードさんからすれば好機であり、もちろん見逃すことなく彼女は邪悪な笑みを浮かべます。
「も~らい♡」
これほど甘い予感のしない艶めかしい声もないですね。
ルルさんの背後からそっと手を伸ばし、ラバーチャイナさんの右肩に手を置くと、もたらされた結果は激痛だったでしょう。それ以上のことは僕には説明ができません。
どんな原理か方法かもわからないまま、ラバーチャイナさんの右上半身は業火にでも焼かれたかのような傷を負っているのですからね。
(……凄まじいですね)
目の前の現象に思わず驚嘆をもらしてしまっていると、続けてルルさんが叫びました。
「どういう作りなんだその服!?」
そう! まさにそうなのですよルルさん! よくぞ僕の気持ちを代弁してくれました!
ナイトソードさんの攻撃の原理や威力とかはどうでもいいのですが、ラバーチャイナさんのチャイナドレスがどういう作りになっているのかは気になって仕方ありません! 下に身に着けているラバースーツは火傷している箇所と同等の部分が破れてしまっているのですが、チャイナドレスは無傷! 焦げるどころか傷ひとつできていません!
「――――ッ!」
ラバーチャイナさん自身も目を丸くしていますし、本人ですら驚きの耐久性だった……というわけではなさそうですね。彼女の表情からは驚きというより焦りがにじみ出ています。何か良くないことが発生したということなのでしょう。
「ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
予想の的中を告げる獣のような咆哮がラバーチャイナさんから発せられました。
晒された肌には禍々しいデザイのタトゥーが浮き上がり、瞳は真紅の輝きを放っています。そして言わずもがな理性が消し飛んでしまっているようですね。さっきまで感じられなかった殺意が明確に向けられていることがわかります。これにはルルさんも距離を取って戦闘態勢に入りましたね。僕も警戒を強めますが、ラバーチャイナさんの変化に喜びを感じている人が一人だけいます。
「いいわねいいわね! すごくいいわね! どんなカラクリか知らないけど、さっきより数段は楽しいことになってるじゃない! 試しに一回、殺りにきなさい!」
ナイトソードさんはあえて攻撃を受けようという構えのようですが、是非ともやめて欲しいですね! 一番被害を受けるの僕なので!
その願いが通じたかどうかは不明ですが、ラバーチャイナさんからの攻撃は来ることはなく、少し苦しむような素振りを見せた直後、瞳に宿っていた真紅の光と殺意が消え去りました。
「がぁ……っ。ふざ、けたこと……言ってるんじゃないアル! 私は絶対にバケモノにはならないアルッ!」
息切れや額に滲んだ汗など、見るからに疲弊しているラバーチャイナさん。暴走を無理やり抑え込んだといったところでしょうかね。僕としては称賛の限りを尽くしたい功績なのですけど、ナイトソードさんからすると面白くないようですね。
「戻っちゃうの? もっと暴走して、醜くて楽しいパーティーをしましょうよ?」
「ほざくなアル。私は貴様のような吸血鬼なんかには絶対にならないアル!」
強く言い放ったラバーチャイナさんからは確固たる決意がうかがえますけど、どうにも引っかかる単語がずっと出てきているんですよね。
「最初っから気になってたんだけど、吸血鬼ってなに? アタシ、普通の人間だけど?」
ナイトソードさんも僕同様に気になっていたようで『吸血鬼』に言及すると、ラバーチャイナさんはなぜか強く否定してきます。
「ウソつくなアル! その全身から振りまいている血液の臭いが吸血鬼の証明アル!」
「それは、ただ人間を大量に殺しまくったり、血液風呂に入ったりするからじゃない?」
(そうですね。ナイトソードさんは吸血鬼ではなく、大量殺人鬼ですね。鬼は鬼でも種類が違いますね)
「エリちゃんよりは殺してないからセーフよ」
(世界有数のヤベーイ人を基準にしたら、大抵の犯罪者が可愛く見えてしまうので、一般的な善人を基準に物事を計ってください)
「おばあちゃんが言っていた。有名な偉人を目標にするといいって」
(天に向かって土下座して欲しいですね)
「何を開き直ってるアルか!? しかも一人でブツブツとわけのわからないことを言うなアル!」
言われてみれば、ラバーチャイナさんとは念話を繋げていませんでしたね。
「アナタ、念話は使える?」
ナイトソードさんも思い出したようで、ラバーチャイナさんにそう問いかけますが、当然ながら警戒されてしまいます。
「なんでそんなこと訊くアルか?」
「いいから。そういう駆け引きとかじゃないから」
「……使えないアル」
素のテンションで言われたとはいえ、答えてくれるラバーチャイナさんはイイ人ですね。警戒はしているようですけど、ナイトソードさんは構うことなくパパッと僕と彼女の間に念話のパスを繋ぎました。
(あーあー、聞こえてますかー? 聞こえているのなら、いまから僕の伝えたとおりにポーズしてみてください)
マイクテストのように僕はラバーチャイナさんにしか聞こえないように意識して、やって欲しいポーズを伝えます。
右足を一歩引き、左手でナイトソードさんを指さしてもらいます。
欲を言えば決めゼリフも言って欲しいのですが、それを伝えると「なんでアルか?」と真顔で訊かれて終わりになりそうなので、代わりに僕が言いましょう。
(さあ、おまえの罪を数えろ)
「ありすぎて無理ね!」
「……私はいま何やらされてるアルか?」
(かっちょいい決めポーズですけど?)
「そんな悠長なことさせてる場合アルか!? キミはいま捕まっているアルよ!?」
(それに乗ってくれるあなたは僕の中で好感度が爆上がりしましたけど、少し早とちりが多いようですね。僕は別にナイトソードさんに捕まっているわけではありませんし、彼女は本当に吸血鬼ではありません。ヤベーイ人なのは間違いありませんけどね)
人質だと思っていた人物からのカミングアウトなので、信じてもらえる可能性は高いはずです。疑われる可能性も十二分にありますけど、こればっかりは信じてもらうしかないですね。まあ、信じてもらえたとしても、吸血鬼ではないだけでナイトソードさんが危険人物なことには変わりないので、戦いが止まることはないと思いますけど。
「けどさっき、この場所を教えてくれたネコを名乗る四足歩行の喋る小動物が教えてくれたアルよ? 少年が吸血鬼に襲われてるって」
素直に信じてくれてたラバーチャイナさんは、たきつけた人物をも教えてくれましたね。全然姿を現さないと思ってはいましたが、黒幕だったということですか。
「少し違うわね! ワタシは凶悪な女が少年を襲っているって言ったのよ! 吸血鬼とは一言も言ってないわ!」
僕たちに見つからないよう隠れていたのであろう家の陰から出てきたかと思えば、求めてもいないのに自白をしてしまう御猫様。直後に「あ、しまった!」と声を上げて自爆に気づくまでセットでやってのけるあたり、さすがと言わざるを得ませんね。
「墓穴」
「アホだな」
(そういう正直なところは御猫様の美徳だと思います)
「だ、黙りなさい! こんな辱めを受けるいわれはないわ! それに殺人鬼なことに変わりはないのだから、とっとと首チョンパするなり腹に風穴開けるなりして、殺っちゃってちょうだい!」
三人で一斉に褒めたせいか、御猫様は照れ隠しとしてラバーチャイナさんにナイトソードを殺させようとしますが、彼女は首を横に振って拒否します。
「残念ながら吸血鬼じゃない相手を殺すことはできないネ」
「なんでしょ!?」
「噛んだ」
「嚙んだわね」
(締まらない所が御猫様のチャームポイントですからね)
「いちいちうるさいわね三バカ!」
御猫様の愛くるしさになごんでいるだけなのですが、本人としてはなぜか気に入らないようで「なんで殺せないのよ!」と、ラバーチャイナさんに詰問をし、
「簡単に言えば呪いアル」
一言で納得のいく説明をされました。それっぽい片鱗は垣間見えてましたから、これ以上は食い下がることもかなわないと判断した御猫様は回れ右した後、主にナイトソードさんに向かって叫びます。
「……今回は人選を間違えたようね。けれど、次はこうはいかないわよ!」
小悪党の捨て台詞としては一〇〇点近い点数を叩きだせそうですけど、それは正義の味方に言うからこそ逃げれるのであって、ラスボスレベルのヤベーイ人には通用しない代物です。
「……あ、あれ、動かないんですけど!?」
見るからに逃げる態勢に入っていたので、ナイトソードさんが何かしらの方法で止めたのでしょうね。
そして、じりじりと御猫様に歩み寄る彼女はとても邪悪な笑みを浮かべていることでしょう。
「なに平然とすたこらさっさーしようとしているのかしら? アタシを殺すために刺客をたきつけておいて、タダで済むと思っているの? アナタの脳はアヘン漬けにでもされてるのかしら?」
「ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
どうやら精神年齢が幼いと悲鳴を上げてしまうぐらいには、いまのナイトソードさんの顔はヤベーイようです。放っておいたら取り返しのつかないことになりそうですし、釘を刺しておきましょう。
(傷つけちゃダメですよ)
「……アンタ……」
(他は何しても問題ありませんけど)
「この人でなし!」
(御猫様に言われると、どこか人間になりたい人たちのことを思い起こさせられますね)
実に考えさせられる言葉が瞬時に出てくる御猫様の頭の回転の速さに脱帽している間にも、ナイトソードさんの魔の手は襲い掛かります。
「大丈夫、アタシは約束だけは守る女だから、傷つけることはないわ。ただちょっと同人誌的なことをするだけだから」
「ひどいことはするんじゃない! や、やめなさい! こっちこないで! や、やめ……いにゃああああああああああああああああああああああああ!」
悲痛な叫びがあたり一帯に木霊します。
まあ、自業自得なので誰も助けることはしませんけどね。