002
『――助けて』
また同じ声が頭の中に響いてきました。しかも今回は先ほどよりハッキリと聞こえてきますね。
(……たぶん、アナタですよね)
恐怖でほとんどの人が身を震わせていたり縮こまっているなかで、強い意思を感じさせる真っすぐとした瞳で僕を見ているただ一人の女性。
不純物をすべて排除したような真っ白で長い髪にサファイアを連想させる碧眼。汚れてしまっている肌でもわかるほどのキレイな肌に否応にも目を引く魅力的な肉体。けれどそれ以上に彼女の凜として美しい顔つきは目を奪われてしまいますね。
そんな彼女は僕を真っすぐ見ながら頭の中に声を響かせてきます。
『ええ、そうです。どうか私たちを助けてくれませんか?』
最低限の言葉だけで伝えているのは、ボスさんに会話を悟らせないようにするためなのでしょうね。頭の中に声を届けている仕組みについて興味があるんですけど、そんな会話をしている暇はなさそうで……いえ、もう答えは決まっていますし、逆に訊いてもいいのでは?
『……ダメ、ですか?』
(いえいえ! 違います違います! ダメとかじゃないですよ。助けることはあなたたちを見てすぐに決めていました。ああ、でも、『いまはダメ』という意味であれば正解です。少しの間時間をください。ボスさんからも話を聞いておきたいんです)
すぐに返答しなかったせいで不安にさせてしまったようなので、僕の考えをすべて伝えました。
これに対して御猫様が反応しないということは、この言葉は彼女にしか伝わっていないか、空気を読んでスルーしてくれているかの二択ですけど、御猫様の性格からして聞こえていたら間違いなく反応するでしょうから前者でしょうね!
なぜわかるのかと問われれば、それほど僕と御猫様の間には深い絆があるからと答えざるを得ません。顔を合わせてまだ一時間も経ってませんけど。
ともあれ、彼女からの返答はというと、
『わかりました。待っていますよ』
信じて承諾してくれました。……いや、彼女たちの立場からして、信じざるを得ないと言った方が適切ですね。
それでも――いえ、だからこそ期待を裏切ることはできません。すぐにでも始めま……っと、その前に確認しておかなければならないことがありました。
(彼女たちは、エルフですか?)
特徴的な長耳から連想したという安直なものなので、間違っていたら嫌でしたから御猫様に訊いてみると、
「………………」
無反応。返事がないただの屍のようだって言ったら引っ掻かれそうなので、真面目に訊きますか。
(どうしたんです御猫様? そんなピンポン玉を咥えたような顔して)
「どんな顔よ! せめてポカンとした顔って言いなさいよ! そうじゃなくて、アンタが怒らないのが意外なのよ!」
そのことで驚いていたんですか。もー、人をブチギレキャラみたいに言わないでくださいよ。ちゃんと話を聞く方ですよ僕。
そりゃ「ゲヘヘヘ」とか笑いつつヨダレたらしながら、「上玉ですぜ旦那ぁ」とか言われたら少し怒ったかもしれませんけど、ボスさんは冷静にVIP待遇で連れてきてくれましたからね。
それに、ここで僕が激怒して彼女たちを逃がすよう要求したり、連れ去ってきた町まで帰してあげるようお願いしても、盗賊さんたちも生き抜くためにやっていることですから拒否されてしまうでしょう。
――けどそれは、この場で言えばの話です。ボスさんのいままでの紳士的な態度や、この場に連れてきた理由。それらを加味すると彼は話せばわかってくれる可能性を示唆していますから、まずは話し合う必要があります。
考えがまとまったところで、まずは僕がまったく怒らないことを摩訶不思議に思っている御猫様の疑問を解消しなければいけませんね。
(盗賊さんたちが悪いことしてるのは事実です。ですけど、そこに『何かしらの訳』がないとは思えません。僕に成長を促すためだと言ってきたのがその証拠です)
「意外ね。アンタは正義感グルグルパンチャーだと思ってたわ」
(なんですそれ?)
「ツッコミ入れなさいよッ! ワタシは突っ込んであげたじゃない!」
(ともあれ――)
「あるんだからワタシのボケを処理しなさいよ!」
(一方からしか物事を見ないというのは損しますし失敗の元にもなります。時間はありますし、ボスさんとお話ししたいですね)
「はぁぁぁ、なんでこうも面倒な方向に……」
また御猫様ってば頭抱えてしまいましたね。このポーズ、ガチャガチャとかの景品にしたら売れそうな気がするんですよね。この世界ガチャガチャありますかね?
「旦那はどう言ってるんです?」
ああ、そうでした。ボスさんには僕の言葉は伝えられてないんでした。こういう所でたまに弊害が出てしまうので、どうにかして直接伝える方法ないですかねぇ……。
「アンタと話がしたいそうよ。それで、どういう行動を取るのか決めるんじゃないのかしら」
頭を捻っている間に御猫様がボスさんに僕の意志を伝えてくれると、彼は自嘲気味な笑みを浮かべました。
「……旦那は、あっしと違って、こんな状況でも物事を様々な方向から見れるんですねぇ。その歳で大したもんです」
(え? そうです? そうですか? 聞きましたか御猫様? 僕ってばすごいらしいですよ?)
「デレデレしてるんじゃないわよッ! そんなんだからアンタはバカから抜け出せないのよッ!」
(褒められたんだから嬉しがって当然だと思うんですけど)
「アンタの場合は嬉しがり方がバカっぽいのよ」
「本当、あんさんたちは仲いいですねぇ」
(はい!)
「そんなわけないでしょッ!」
否定されることはわかり切っていたので、僕は御猫様が叫ぶと同時に満面の笑みでうなづきました。
すると、ボスさんはなぜか自嘲的な笑みを浮かべてきます。
「……白状すると、コレを見せたのは旦那にブチギレてもらって、あっしを殺してほしかったからなんです。話した限りだと旦那は善人のようでしたから、可能性は高いと思ったんですが、あっしがただ無様を晒しただけになってしやいやしたね」
(…………御猫様、ボスさんが中二病的ボケをかましましたよ。ツッコミ入れなくていいんですか?)
「今回はマジのやつだからいいのよッ!」
いくら待っても御猫様がツッコミを入れる気配がなかったのでコッソリ教えてあげたんですが、まさか本気と受け取っているなんて!?
正気を疑いたくなっていると、ひとつため息を挟んで御猫様は言います。
「だけど、それは半分かそれにも満たない期待でしょう。アンタはそれ以上にコイツに救ってほしかったんじゃないの?」
……つまり、ある種のツンデレということですね! なんだ~、そうならそうと最初から言ってくれれば、黄色い救急車呼ばないといけないのかなとか悩まなくてよかったんですけど……って、アレ? なぜにボスさんは目を見開いて驚いているんですか?
「……そう、だったんでしょうかね。もう、自分の気持ちがわからなくなって久しいですから、図星を突かれたのか、そうじゃないのかも、わかんなくなってしやいやした……」
再度、自嘲的な笑みを浮かべるボスさん。
……最初は中二病発言によるボケだと思ったのですが、演技では絶対にないであろうこの反応。つまり、先ほどの発言はすべて真実であり本心だったということなのでしょうね。
「行きやしょう。寝るにはまだまだ早い時間だ。多くを語り合えるでしょう」
そう言って、歩き出したボスさんの心情は読み取ることはできませんが、僕が想像している以上に何かボスさんは抱えている匂いがプンプンしますね。
案内されたのがこれまたアジトの中でも大きい方のテントであり、布団も用意してもらっています。僕たちなんかにこれほどのもてなしをしてくれる優しい御仁が盗賊の首領に身をやつしているのですから、やはり僕が想像できない問題があるのでしょう。
どんなモノでも受け止めてみせるという気概を持ちながら、促されるまま僕と御猫様はベッドに腰かけると、ボスさんはその正面に座って語りだしました。
「こう見えてもあっしは二年ほど前まで王都で騎士団で副団長をしていやしてね」
(王都?)
「地図にあった真ん中の町よ。この大陸では一番大きな町で、この国の中心地。そこで副団長をしているってことは、超エリート街道を突き進んでいたのね」
「昔の話でさぁ。あの頃のあっしは若かった。だからこそ、取り返しのつかないミスを犯した」
(取り返しのつかないミス……。塩と砂糖を――)
「どこの料理音痴よ」
(じゃあ、塩が足りないと戦力に――)
「どこのコック長よ」
(じゃあ、どう塩と関係してるんです?)
「塩から離れなさいよッ! 塩関係ないのよッ!」
(取り返しのつかないミスなのに塩が関係ないんですか!?)
「アンタの中で塩は呪いのアイテムか何かなの!? 前世がナメクジだったりするの!?」
(どちらかと言えばカタツムリかと)
「完全には否定しないスタンス!」
(毎度毎度激しく突っ込まれるので、何もかも否定するのはどうかと思いまして。人は日々成長するのです!)
「シリアス会話中にボケるヤツは成長なんてしてないわよッ! けどまあ、その心掛けだけは認めてあげるわ。コイツの上司はそういう心掛けもできていなかったようだからね」
あごでボスさんを指す御猫様。
僕はそんな御猫様に笑みを向けます。
(上手く話を戻せましたね♪)
「そう思うなら心の内だけに留めておきなさいよ。あとその笑顔止めなさい。引っ掻きたくなるから」
そう言われてしまうと黙るしかなくなりますね。痛いの嫌ですから。
口にチャックならぬテレパシーにシャッターを下ろしたことで、騒がなくなった御猫様を確認したあと、ボスさんは口を開きました。ここまで黙って待っててくれるとは本当にいい人ですね。
「別段珍しい話ではないんでさぁ。ただ誰もが見て見ぬフリをしていた王都でも超が付くお偉いさんの悪事を知ってしやいやしてね。どうも元同僚たちはあっしの耳に入らないよう配慮してくれていたらしいんですが、それでもカバーできない部分というのは出てくるもんで、耳に入ってしまったんですよ」
「それで、感情の成すがままにその悪事を暴き立てたってところかしらね。何の準備もなく、猪突猛進するように」
(イノシシの被り物をして)
「…………」
社会現象にすらなった題材を使ったボケをスルーですか!? ボスさんは僕の声が聞こえていないので仕方ないですけど、御猫様は聞こえてますよね!? 頭の中に直接声が響いてますよね!? それなのにスルー!?
「ええ、仰るとおりでさぁ。あっしはすぐにお偉いさんの悪事を暴き、捕まえたんでさぁ。おかげで上司からは大目玉を食らった挙句に仕事はクビになって、大陸中にあっしの名は身に覚えのない悪名と共に知れ渡ったってわけでさぁ」
僕の声なんて聞こえていないボスさんは御猫様の言葉にうなづいて、人生が転落した経緯を話してくれると同時に御猫様の狙いがここにあったことを僕は察します!
シリアスを壊したくなかった御猫様は僕の声がボスさんに聞こえていないのをいいことにツッコミを放棄。何も言わなければボスさんは平然と会話を続けて僕のボケはなかったことになる! そういう算段だったというわけですね! してやられたとはまさにこのことです。ここは敗北を認め、僕もシリアスになるとしましょう。じゃないと延々と無視されそうなので。
「アンタが正義感グルグルパンチャーだったわけね。自分の目線からしか物事を考えないからそうなるのよ。どうせ捕まった大臣が色々と根回ししたんでしょう。で、結果的にはアンタの首が飛んだだけってオチね」
御猫様の非情ともいえる言葉に、ボスさんはうなづきました。
「一般的に言う善行は世の中には通じやせんでした。あっしみたいなちっぽけな正義感野郎はたぶん、他にもいたと思うんでさぁ。そんでいらないことをする都度、黒い力に潰されていった。……本当、アイツを巻き込まなくて正解でした」
共に歩もうとしてくれる人がいたんですね。でも、その人を巻き込まない選択をしたボスさんは一人で悪をくじいた。
「で、立ち直れなかったアンタはいま、そのお偉いさんのような人物が好むエルフのような亜人の女を捕まえては奴隷市に流す盗賊になり果てたと。滑稽ね」
……御猫様の言っていることは事実なのでしょうけど、言い方というモノがありますよ! ボスさんは優しいのでうなづいてくれてますけど!
「自分もそう思いやす。守るモノもない自分はこのような状況になればすぐに死を選ぶと思ってたんですがねぇ。……どうしても、それができやせんでした。自分でも不思議に思ってしまうほど死を拒んで、野垂れ死ぬつもりのはずが、足掻いて足掻いていまや盗賊団の頭になってしまったというわけでさぁ」
「はっ! 愚の骨頂とはまさにこのことね! 死ぬのなんて誰でも怖いのよ! 特に生きる理由があるヤツは生にしがみつくものなの! それなのにアンタは生きようとする理由を理解できずに不思議とすら思っているあたりが救いようのない――ッギャアアアアアアアア!」
生き生きとボスさんを口撃する御猫様をさすがに看過できず、僕はヒゲを思いっきり引き抜きました!
もちろん御猫様のですよ。ボスさんの髭をむしり取ったら、激痛で気絶しかねないほどの毛量なのでしません。
「な、何すんのよッ! 猫のヒゲは平衡感覚保ったりするための大切な器官なのよ! あと抜かれるとなまら痛いことが発覚したわ!」
なぜ急に道産子になったのかは知りませんが、こうされても仕方ないですよ御猫様! アナタは保護観察中なんですからね! わからないのであればわかりやすく説明してあげます!
(人をバカにした罰です。もっと優しく接しないとダメじゃないですか)
「こんなバカに優しく接してメリットなんてないわよ! まだ話に出てきた悪徳大臣に媚びた方が良い目見られるわよ!」
(たしかに、それもしなければいけませんね。その大臣さんには昔の純粋で頑張っていた頃に戻って欲しいものです。そうすれば、自分の罪を償ったあとには真面目な誰からも慕われるような人になるはずですからね)
「話のキャッチボールができない! 助けて!」
「い、いやぁ、あっしに言われましても……」
おっと、いけない。話が少しだけ逸れてしまいました。助けを求められてボスさんも困っているようですし、話を戻……す必要はないですね。ボスさんの境遇は教えてもらいましたし、僕がそれについての回答をするだけですから。
でも、この言葉を御猫様に代弁してもらうのは少々どうかと思いますね。僕の想いなんですから、どうにか僕自身の言葉でボスさんに届けたいですね。
……とはいっても方法なんて思いつかないので、御猫様にしているようにボスさんに伝えたいと思いながら言葉を浮かべることしかできませんけど、願いが通じることを信じて僕はボスさんと目を合わせます。
(話が少しズレてしまってすいません。話を聞く限り、僕にはボスさんが愚かには思えません。どんな世界でも一番してはいけないことは『自殺』です。授かった命を自ら断つほど悲しくて愚かな行為は他にありませんから)
「「………………」」
二人とも黙ってるので、伝わってるのか伝わっていないのかわかりませんけど、伝えたいことは最後まで伝えないとですよね。
(ですから、ボスさんの罪は一生消えることはありませんが、生きている限りは罪を償い、また自分の信じる正しい道を進んでいくチャンスが与えられているのです)
「ですけど、あっしにはもうこの道しか残されていやせん」
ボスさんから直接反応してくれた! これは僕の願いが届いたと言うことですね!
「……ん? ちょっと待ちなさい。アンタ、コイツの声が聞こえて――」
御猫様も気づいたようですけど、そんなことどうでもいいので僕は遮ってボスさんの言葉を否定します。
(それは違いますよボスさん。その道しか残されていないのではなく、アナタはその道しか見ようとしていないだけです)
「……ですが、それを選んだらあいつらが道を失ってしやいやす」
(その考えが間違いです。なぜ一人だけで解決しようとするのです? アナタにはアナタを慕う多くの仲間がいるではありませんか。どうして彼らと共に行こうとしないのです?)
「たしかにあっしを慕ってくれる奴らもいやすが、生きるため仕方なくあっしの下についた奴らだっていやす。そんな奴らに一緒に死地に赴いてくれと言っても、無理な話ではありやせんか」
(……ふむ、どうやらボスさんは最初から諦めている節があります。もしくは、ぶつかることを恐れているのかもしれませんね)
ボスさんの問題に気付いた僕はそう伝えると、御猫様は小馬鹿にするような笑みを浮かべました。
「今更ね。こういう一度ドン底を味わったヤツは思慮の時点で負けてるのよ。それか怒りに任せて復讐を誓うかのどちらかね。どちらにしろ滑稽で笑えるわ! ハッハー!」
(ボスさん、人はぶつかってみないとわからないことが多いです。切り出す側からすれば、どうしてあっちから切り出してくれないのかと怒りを覚えたり、拒絶されたことを想像して恐怖することもありますけど、それでも絶対に『結果』は得られるんです。ボスさんにいま一番必要な『結果』が)
「旦那……」
「ハッハー!」
無駄に嘲ってきたので無視したんですが、それが御猫様の癇に障ったのか肉球でビンタされてしまいました。
まったく痛くなくて、むしろ気持ち良かったので、ビンタしてきた手を取り、とりあえずプニッときましょう。
(にきゅにきゅして気持ちいいですね。それとも、親父にもぶ――)
「もはや定型文と化しているソレを言う必要ないわよ」
(鉄板ネタはいくら擦り倒してもイイモノだと思いますよ。というか、なぜビンタ?)
「無視するからよ」
(それで肉球ビンタとは、御猫様は優しいですね。爪で引っ掻くこともできたはずなのに)
「うっさい黙りなさい! 別に思いつかなかったわけじゃないんだからね! 手加減してあげたことに感謝しなさい!」
(おー、ツンデレの定型文ですね!)
「にゃああああああ!」
(照れ隠しに暴れないでくださいよー。ほら、プニプニー♪)
「は、離しな……に、にゃぁ~」
暴れようとする御猫様の肉球をプニるのではなくマッサージするように揉むと、へにゃへにゃになって僕の膝の上にへたり込んでしまいました。こうなると、やっぱり猫は可愛いですね~。
「……旦那たちは、昔からそんなに仲いいんですかい?」
(いえ、つい数分前に出会ったばかりですよ。そうですよね?)
「に、ニャー!」
あらら、へにゃへにゃになっているところを見られるのが嫌だったのか、無理やり振りほどかれてしまいました。
「当然よ! こんなビチグソ顔面野郎野と一緒にいることすら嫌なのに、仲がいいわけないでしょ! 怖気が走るわ!」
しかも全力で否定されてしまいました。まあ、照れ隠しだってわかってるので、気にせずに(またまた~)と伝えながら頭を撫でてみたり~。
「だー! 鬱陶しいッ!」
(そんなこと言って、気持ちいいんでしょう?)
振りほどこうとする御猫様の肉球をかわしながら頭だけでなく喉や体も撫でていると、何やらボスさんが驚いた様子で言ってきます。
「……さっき会ったばかりなのに、そこまで打ち解け合っているなんて……」
「どこがよッ! 目ん玉食品サンプルにでもなってるんじゃないの!? どう見てもコイツが一方的に絡んできてるだけじゃない!」
(人間の眼球は食品じゃありませんよ? ああでもマグロの目玉は甘くておいしいって聞いたことありますね)
「え、そうなの? 今度食べてみたいわね」
「……やっぱ、仲いいじゃないですかい」
御猫様は「仲良くない!」と異議を唱えていましたが、ボスさんの耳には入っていないようで、何か考え込んでいる様子です。
「……あのとき、アイツを頼っていれば、少しは変わっていたんでしょうか?」
おお! いい傾向です! ボスさんはなんでも一人で片付けようとする節が見受けられたのですが、その考えを改めてくれようとしています!
「ハッ! コイツの戯言に感化されるなんて滑稽ね! そんなの、犠牲者が一人増えただけよ。権力に勝つには相応の準備と人数がいる。たった一人増えた程度で変わるほど現実は甘くないわ」
(それでも可能性はあったはずです)
「だから、戯言だって言ってんでしょッ! たった一人だけ加わったところで何も変わらないわ」
(だとしても、ボスさんの行い自体は否定しないんですね)
「――っ!」
御猫様ってば何をそんなに驚いているのでしょう? あそこまでボスさんを馬鹿にしていれば気づかれないとでも思っていたのでしょうか? 逆に馬鹿にしながらも否定はしていないその言動では、気づいてくださいと言っているようなものだと思うのですけど。
「……言われてみれば、否定はされていやせん」
いままでの御猫様の言動を振り返って、ボスさん気づいたようですね。当人である彼が気づけないのは仕方ないですけどね。
「……ふん、滑稽極まれりなことに変わりはないわ。それでも、見て見ぬフリをする二酸化炭素どもよりは数万倍はマシよ」
そう言いながら御猫様の頬は真っ赤になってそうですね。黒い体毛でまったくわかりませんけど。
それとひとつ、先ほどの発言には苦言を呈さざるを得ません。
(そこは空気でいいのでは? 変にアレンジを加えようとするとスベりますよ? ほら、料理でも変にアレンジしたら不味くなるのと一緒です。わかります?)
「アンタ、ワタシには煽り性能極大ね!」
(御猫様だけ特別です♡)
「キショイ! うれしくない! とりあえず滅べ!」
(もう少しデレの成分欲しいです御猫様)
「アンタに対してデレの成分があるとでも思ってるのかしら?」
(まあ、八割ぐらいなら)
「アンタの中でワタシはどれだけチョロイ女になってるのよッ!」
(最近のラノベではチョロイン枠は必須だと思いますよ?)
「アンタの個人的な意見は聞いてないのよッ! あとワタシはチョロインじゃない!」
なんて、僕と御猫様が話の腰をへし折って和気藹々としていたら、不意にボスさんが言ってきます。
「……初めて、です。あっしのしたバカを肯定してくれたのは、あんさんたちが、初めてです」
表情を確認したらボスさんは非常に驚いているようで、詰まりながらの言葉もそれを如実に物語っていますが、発言の内容は訂正をしなければならないものですね。
(いやいや、そんなことは絶対にありませんよ。ボスさんを慕ってくれている人たちは絶対に言っていたはずです。ボスさんがただ冗談だと受け止めていたり、聞き流していたせいで覚えていないだけですよ)
盗賊であろうとトップをしている人が慕われていないわけありませんし、僕たちをもてなすという選択をしたボスさんに反対意見が出ていなかったのがいい証拠です。
ただ自己評価の低いボスさんは称賛の言葉を真に受けず、右から左に受け流していたのでしょう。
でも、いまなら僕の声はボスさんの深いところまで届く。そんな気がするので、僕はボスさんに思いの丈をぶつけます!
(だからこそ、僕はそんな優しくて正義感が強くて部下からの信頼も厚いボスさんにはやり直してほしいんです。罪を償って、アナタの思う正しい道を今度は一人だけではなく、皆と一緒に歩んで欲しい)
「本当、キレイゴトすぎて反吐が出るわね。……けれど、その他大勢よりマトモなことをしたアンタが腐ってる方が見るに堪えないわ。さっさと復活して、生きたいと思った理由を達成することね」
御猫様もツンデレしながらもエールを送ってくれてますね。根が善人ですからね。
「……旦那とあんさんがあっしらの前に現れたのは、神様からの贈り物だったんでしょうなぁ」
何か吹っ切れたような笑みを浮かべ、ボスさんはそう言ってきました。
その言葉に御猫様はとてつもなく不機嫌そうに言い返します。
「あんの、バカ姉に感謝するぐらいならワタシ本人に感謝しなさい!」
「ええ、あんさんにも感謝していやすよ。もちろん旦那にも」
僕にも感謝を伝えてくれるボスさん。僕はただ笑みを返すのみにとどめました。なにせ、彼が頑張らなければいけないのはいまからなのですからね。
「アイツらを集めます。しなきゃあいけない話ができやしたからね」
立ち上がるボスさんの表情は晴れやかです。これならうまく事が運んでくれるでしょう。
――そう思った刹那、彼の表情が一変しました。
「そんなバカな!? 結界がすべて破壊された!?」
それは間違いなく、このアジトに展開していた凶暴な獣などから発見されないための結界のことで間違いはないでしょう。
そして、その結界を壊せるということは、認識を阻害されないほどの何かが襲来したことを意味していますね。
『ぎゃあああああああああ!』
テントの外から野太い悲鳴! 間違いなく盗賊さんたちが襲われています! ボスさんもそのことを瞬時に理解して、テントを飛び出していきました! いまからやり直そうというときに、なんて間の悪い!
(御猫様、僕たちも行きますよ! 盗賊さんたちを助けます!)
御猫様を右脇に抱きかかえて、僕はボスさんを追いかけるため駆け出します!
「コラ! 勝手に持ち上げるんじゃないわよ!?」
(緊急事態なんですよ! 状況は一刻を争うんです!)
「そうかもしれないけど、いまのワタシは喋れるただの猫なんだから戦闘能力皆無なのよ! 連れて行ったところで邪魔になるだけ――って、聞きないさよおおおおおおおおお!」
(聞いてますよ! 聞きながら走ってるんです!)
「聞けの意味合いが違うのよ! ワタシは言うことを聞けって言ってるのよ! 話だけを聞けとは一言も言ってないわよッ!」
(ニホンゴムズカシイ)
「バカ言ってる場合じゃなわよ――って、何よコレ!? まだ一分も経ってないわよ!?」
未だ止まぬ悲鳴の発生地に到着した僕と御猫様が目にしたのは――血だらけで瀕死になっている盗賊さんたちの姿でした。……認めたくはないですが、見る限りだと既に死している人もいるでしょう。
ボスさんが到着してからは死傷者が出ていないようですが、それでも甚大な被害です。ボスさん自身も既に手負いの状態になってしまっています。
その原因を作ったであろう人は僕たちを目にして、意外そうな表情を浮かべます。
「……おや、キミたちは見る限りだとコイツらの仲間ではないように見えるが、どうなんだろうか?」
一瞬にして大勢を屠った人物とは思えないほど穏やかな口調と声音ですが、その右手には両手でもやっとの思いで振れそうなほど巨大な両刃の剣が握られており、その人はそれを軽々と振るっています。
しかも、それをさらに現実離れさせているのは、その人物が細身の女性だと言うことです。格好も一狩り行きそうなゴリゴリの鎧姿ではなく、革のグローブやブーツ、薄手のコートやへそを出したファッションなどなど、動きやすさ重視どころか防御力を上げる気がまったく見受けられません。
背中が隠れるほど長い濡れ羽色の髪に傷ひとつない白魚のような肌。凜とした端正な顔立ちは男の僕でも少しかっこいいという印象を受け、殺気立っている印象などはまったくなく、それどころか吸い込まれそうな琥珀色の瞳も合わさって、見惚れてしまうほどです。
けれど、それらの要因で現実味を感じなかろうとも彼女が盗賊さんたちを倒そうとしていることに変わりはありません。せっかくやり直すチャンスが巡って来たのに、ここで途絶えさせるなんてあってはいけない!
僕は意を決して、女性を止めるべく走り出しました!
「ちょ、バカ! やめなさい! 殺されちゃうじゃない!」
(あ、そうでした! 御猫様は戦えないので、置いていかないといけませんでした!)
気持ちが逸るあまり、そのまま突貫しそうになりましたが、今度は御猫様をそっと地面に置いていざ出陣!
「違うわよバカ! アンタが死んだらワタシも死ぬでしょうがああああああああ!」
(そこは我慢してくださーい!)
「できるわけないでしょう! 待ちなさい!」
(あはは~、捕まえてごらんなさ~いって感じですね)
「言ってる場合じゃないでしょう!」
そうは言いましてもですね、こんな状況でもなぜか僕は平然としていられるんですよ。この真っ赤に染められた光景も血生臭さもなぜだか平気ですし、突進しているいまも恐怖心なんてまるでないんです。正直、自分を気持ち悪く感じるレベルです。
「な、なんとも反応しづらい光景だが、止めようとするのであれば少し眠ってもらう」
たしかにこの人には御猫様が一人で騒いでいるなかで、無口な隻腕の男が突っ込んできたという、ありのままを報告書に書けば正気を疑われる状況ではありますけど、それに構ってあげられるほど現状に余裕はありません! 一刻も早く戦いを止めさせます!
乾坤一擲の気持ちで僕は女性にショルダータックルをお見舞いしたはずだったのですが、普通に抱き留められました。あと、ほんの一瞬だけいい匂いがしました。
「あ、オワタ。人生がオワタ」
予測変換で顔文字が出てきそうなことを口走りながら、御猫様は自分の猫生がたったの一時間程度で終わったことを確信していましたが、この女性はそもそも僕を殺す気はないと言っているので終了はしないと思いますけどね。
あと、なぜだかとても驚いている様子なんですけど、なぜですかね。目を見開いて僕のこと見てるんですけど……まさか、口元の鼻くそ付いてたりするんでしょうか!?
「申し訳ありません。まさかこのような場所に居られるとは思わず、気づくのが遅れてしまいました」
……よ、予想外の反応です! 女性は僕からスッと離れると、剣を傍らに置いて片膝をついてこうべを垂れてきました。
僕別に一国の王とかじゃないんですけど、その対応で正解してます? 回答欄ひとつズレてたりしません? 誰か正解を教えてくれないと僕どうしていいかわかんないんですけど、とりあえず御猫様に訊きますか。
(ど、どういう状況なんですかね?)
「こんなことなら、もっとコイツに絶望的な状況を与えるんだった。泣き叫ぶ姿を肴に何杯か飲んどくんだった」
(そこの最低なことを口走ってる元女神の御猫様ー? どういう状況なんですコレー?)
「元じゃないわよ! 現役バリバリよ! ワタシも知らないわよ!」
ツッコミを叫んでいる間に現状を把握するとは、さすがは御猫様ですね。まあ、猫生の終幕だと勘違いしなければよかっただけの話なんですけど。
「こんなのに頭下げるなんて、アンタ何者なのよ?」
御猫様ナイス質問です! そう、まずはそこからですよね。順を追って説明してもらいましょう。その間にやることもやりましょう。
「申し遅れました。私はミーア・ライトと申します。一時でも使徒様方に剣を向けたこと、心よりお詫び申し上げます」
(……御猫様、僕一セリフ中に三回も『申』って字が出てきたの初めて見ました)
「この場合、聞いたって方が適当じゃない?」
(それを言うなら、適当じゃなくて適切では? どこも投げやりな部分無かったと思いますけど?)
「適当って言葉は本来、適切と似たような使われたかをしていたのよ」
(へー、日本語って難しいですね)
「そうねー。で、アンタはいま何してるのかしら?」
(必死にお願いしてたら、体が光りだして、その光が深手を負った盗賊さんたちの傷口を塞いでますね。我ながらスピリチュアルな光景だと思いますよ)
ミーア・ライトさんの話を聞いている間に負傷している人たちをどうにか治せないかと願っていたら、本当に出来たんですよねこれが。
光は負傷していた人たちの元へ飛んでいき、傷口に吸収されていくと、瞬く間に完治していったのです!
残念ながら既に死亡した人たちを復活させることはできませんけど、これでもう死者を増やさずに済みますからね。
「そんなことしたら、コイツがまた戦闘態勢に入っちゃうじゃない! 今度はワタシたちも抹殺対象に認定されちゃうわよ!?」
騒ぎ散らす御猫様ですが、ライトさんは首を横に振って否定してきました。
「いいえ、それは決してあり得ません。使徒様方の意向に背くなど、私のような者にできるはずがありません。どうぞ、御心のままに」
真剣に向き合ってくれるのはいいんですけど、全投げって反応に困るんですね。初めて知りました。
そもそも『使徒様』っていうのが謎ですよね。別に僕赤色のコア持ってたりしないですし、死んだら十字架の光を出したりもしませんからね。
もしかしたら僕は他人からバケモノとして認識されていて、見た目も相応のものに変わっている可能性もありますけど、それを問う前に御猫様は納得の言ったようにライトさんへと言います。
「ああ、わかった。良くわかったわ。アンタ『信狂者』ね。しかも『加護持ち』。それは強いはずだわ」
(なんです『信狂者』って?)
「この世界には『加護持ち』って呼ばれる存在がいるの。まあ、文字通りの意味よ。女神から加護を与えられた者たちで、そいつらは常人では考えられない力を有しているわ。コイツのように見た目からは想像できないほどの怪力だったり、異常とも思えるほど頭が良かったりね。で、そういう奴らは基本的に『加護持ち』か『加護持ち』じゃないかを判別できて、相当強い加護を得ているヤツに限れば加護の強さをも判断可能になるらしいわ」
(へぇ、じゃあ僕の加護はすごいってことですね)
「すごいって可愛らしいものじゃないわ。文字通り頂点に位置するモノよ。アンタ以上の加護の所有者はこの世界に誰一人として存在しないわ。だからこそ、コイツのようなバカ姉を崇拝している『信狂者』はアンタを神の使いである『使徒』って思ってる。そういうことでしょ?」
「はい、そのとおりでございます」
崇拝している女神様をバカ姉扱いされたにもかかわらず、文句のひとつも言わずに顔も上げないまま肯定するライトさん。
使徒というのは、彼女にとってそこまで圧倒的な存在のようですね。だから僕が盗賊さんを助けようと肯定するのみだったわけですか。これで疑問がひとつほど解消されました。
そして、もうひとつもたぶん、御猫様に直接訊けば解消されるでしょう。
(あの、ひとつだけ思うことがあるんですけど――)
「何よ?」
(『信狂者』じゃなくて、御猫様が言いたいのって『狂信者』ではないですかね?)
シンキョウシャなる存在がこの世界にはいるんだと思っていましたけど、話を聞く限りだと女神様を崇拝して、女神様から最強の加護を与えられた僕と元女神様である御猫様を使徒様と呼ぶ。
これらの情報から導き出される結論は――御猫様が『狂信者』を『信狂者』と間違えて覚えていたというものです。
「……そ、そうね」
どうやら正解だったようで、御猫様は真っ黒な毛で覆われていながらも丸わかりなほど顔を真っ赤にしてか細い声で肯定してきました。
(最高潮の赤面って、真っ黒な体毛に覆われててもわかるものなんですね)
新発見を共有しておこうと思い、僕は御猫様に伝えると、
「うっさいッ!」
迫力なく怒って……いえ、怒るとも言えないですね。照れ隠しと言った方が適当でしょう!
そうなると、ツンデレだけでなく御猫様は天然属性をも所持していると言うことになりますね。中々のヒロイン力です。
まあ、そんなどうでもいいことはさて置き、盗賊さんたちも生きている人は完全回復している様子ですから、亡くなった方たちについては仲間である彼らに任せたいですね。ボスさんは僕たちと同席した方がいいと思うので、そのあたりのことをお願いして、動いてもらえないか試してみましょう。
(ボスさん、ここは部下さんたちに任せられないでしょうか?)
「ええ、わかっていやすよ。あっしも同席した方がいいって言うんでしょう。当然、そうさせていただきやす。おまえら――」
さすがはボスさん。もう僕の言いたいことを理解して部下さんたちに指示を出しています。状況判断が素早く的確ですね。まあ、これが正解かどうかは定かではありませんけど、それでも僕が想像しうる限り最善の選択だと思います。
「……また、状況が悪化したわ……」
一人、御猫様は嘆いていますけど、僕は構わず彼女を抱きかかえて、ライトさんにいろいろと話を聞くため、部下さんたちに指示を出し終わったボスさんと共に先ほどのテントへと移動するのでした。