6 不死隊のその頃
「ロシュト。ゴブリンの群れの討伐ご苦労だった」
「はっ……」
コンドンブル領、領都ボナリス。
ロシュト・コンドンブルは父であるコンドンブル伯の前に片膝をつき、戦勝の報告を行っていた。
しかし、その顔に武勲を立てた誇らしさはカケラも見えない。
あるのは焦りと、こんなはずではなかった、という困惑のみ。
「……が、ワシの言いたいことはわかるな?」
「こ、心得ております……」
「たかが三十匹そこらの最下級魔物に、その名をとどろかせた不死隊が二十名中負傷者三名。由々しき事態だ」
普段通り、真正面から攻撃をしかけた。
勇猛果敢な突撃で、これまで不敗神話を築き上げてきたというのに。
なぜ、ゴブリンごときに。
「いかな筆の達人であろうと書き損じる。マーマンが溺れることも、飛膜猿が木から転落死することもあろう。今回の件は特別に不問とする」
「あ、ありがたき――」
「だが、そなたが不死隊の無敵神話に泥を塗ったこともまた事実。二度とこのようなことがないよう励むのだぞ」
「……ははっ!」
「うむ。下がってよい」
深く頭を下げ、ロシュトは退室する。
父の屋敷をあとにして自分の屋敷へと戻る道中、脳裏にチラつくのはあの時のネリィの言葉。
「……時を止める? それで不死隊を守ってた? そんなわけあるか、そんなわけ……っ!」
絶対に認めるわけにはいかない。
認めてしまえば、自らの誇っていた武勲は、名声は、全てがネリィの手によって作られたものになる。
自分には何一つ残らなくなる。
「何かの間違いだ、偶然だ。そんなバカな話、認められるか……!」
〇〇〇
「はふぅ……、やっぱりここの温泉さいこぉ……」
「あはは、顔がとろけちゃってるねぇ」
大歓迎が終わって、宿屋にもどってきた私たち。
なんとなく肌寒くなった気がしたので、今は温泉に肩までつかっている。
「生き返ったってカンジがするよ。ますますここから離れられなくなるな……」
「い、生き返った……って、さっき入ってからまだ一時間くらいだよね……?」
私の正面で、アイナが指を折ってカウント。
ちなみにこの子、今回はいっしょに温泉に入ってる。
「だね、ちなみに入ってた時間は10分くらい。今度はとりあえず30分入ってみる」
「の、のぼせないのかなぁ……?」
「さっきも言ったけどさ、なぜかのぼせる気配ゼロなんだよね」
ガマンするまでもなく、その気になれば何時間でも入ってられそう。
「それにしても、ネリィって強いんだねぇ。びっくりしちゃった」
「私もびっくり。生まれてはじめて出せた全力が、あそこまでとは思わなかった」
「あの力は生まれつき?」
「いいや、たしかあれは――」
あれは、そう。
まだコンドンブル家に拾ってもらう前。
飢えて死にそうになった時、空から氷の魔石が降ってきた。
その魔石は、普通の氷の魔石とちがった。
石というよりは氷に限りなく近かった。
見たこともないような透き通った青には神々しさすら感じたんだ。
「その魔石、どうしたのぉ?」
「食べた」
「食べた!!?」
「腹が減りすぎて死にそうだったから、ナイフで削って食べた。冷たくておいしかった」
「えぇ……。あ、もしかしてそれから?」
「そう、それから。この体には異常な魔力と冷え性が宿って、そのおかげで貴族の家に拾ってもらえたんだけど、冷え性はずっと治らないままだった」
あの時からついさっきまで、ずーっと寒かった。
あったかいなんて感覚、ホントに久しぶり。
「だから感謝してるんだよ、この温泉にはさぁ」
体の力を抜いて、思いっきり足をのばす。
「あったかくってきもちいぃし、もうさいこぉ……」
両手も上にのばして胸をそらして、お湯の揺れにぐったりと体をあずけた。
全身ポカポカにつつまれて、これ以上の幸せってあるのかな。
「う、浮かんでる……。すごい、浮かんでる、波にゆれてる……」
「ん? なにが?」
胸のあたりに食い入るような視線を感じた。
特に隠さないまま、アイナの顔に目をむける。
「な、なんでもないよぉ! あ、そうだ! あたし30分も入ってたらのぼせちゃうから、先に出てるねぇ! ネリィの暮らす部屋も用意しなきゃだしっ!」
指摘したとたん、なぜか顔を真っ赤にして、あわてて出ていくアイナ。
もしかして、私の胸が気になってるのか?
あの子の胸、無いわけじゃないけどひかえめだったから、大きめの胸が珍しいのかな。
だったら減るもんじゃないし、好きに見てくれればいいのにね。
たっぷり30分お風呂であったまったあと、宿屋の中を軽く案内してもらった。
レンガ造りの三階建ての宿の中は、やっぱり貴族屋敷みたいな広さ。
たくさんの客室が並んでいて、最大で何人泊まれるのかさっぱりわからない。
そして、どれだけ歩いても人の気配がまるでしない。
「他の従業員は?」
「いないよぉ、あたし一人」
「こんなに広い宿を、たった一人で?」
「この宿はね、三年前に亡くなったおじいちゃんから譲り受けたものなの。その頃にはもう新しい街道ができてて、働いてる人も誰もいなかった。けど、おじいちゃんがどれだけこの宿を大切にしてたか知ってるから……」
……たくさん、苦労してきたんだろうな。
お客さんがこない宿、たった一人で温泉や客室の掃除をやって。
生活も苦しいだろうに。
「だからね、ネリィが来てくれてとってもうれしいよぉ!」
ぎゅっ、と両手をにぎられた。
この子、距離感が近いな……。
そんだけ人恋しいってことなのか。
「いっしょに頑張っていこうねぇ! ……お給金は払えないけど」
「寝床をどうにかしてくれるだけでじゅうぶん。給金は儲かり始めたころにまとめていただくとするよ」
「えへへ、そうしてくれると助かるな。情けない若女将でごめんね……」
「気にしなさんな。私が勝手に転がりこんで来たんだから」
案内が終わって、私には一階の従業員用の部屋が与えられた。
貴族屋敷の一室みたいな広々とした空間に、クローゼットやベッド、暖炉まである。
ロシュトのとこで働いてたころの、従者用の小さくて汚い部屋に比べればまさに天国だ。
夕食をごちそうになったあと、私はふかふかのあったかベッドの中で眠りについた。
そして翌日、起きぬけの体に肌寒さを感じながら朝風呂へ。
あったかいお湯の中でぬくぬくしていると……。
「……ひゃぁぁぁぁぁ……」
朝ごはんを用意してるはずのアイナの悲鳴が、遠くから聞こえてきた。