40 決断の行方は
「……そうですわね、わかるように説明する義務があるでしょう。大恩ある一族のあなたには、なおさらですわ」
「……あれ? アイナの家のこと、知ってるですか?」
「えぇ。あなたとお話したあと、調べさせていただきましたの。そこで彼女の住む宿屋がグラスポート辺境伯家の営む宿だと知りましたわ。恥ずかしながら、五十年前になにがあったのかも、その時に初めて……」
「そ、そうだったんですねっ。……あっ、元グラスポート辺境伯ですっ」
「あら、そうでもないですわよ? 望めばいつでも爵位を戻せるようになってましたもの。それだけのことをしたんですから」
「え、えぇっ!!?」
またもビックリして水しぶきを立てるアイナ。
この子の心臓大丈夫かな……。
「すぐにでもネリィさんを引き抜きたかったけれど、彼女は宿の経営の要。グラスポート家に恩を仇で返す真似はしたくない。そこでわたくし、密偵を送り込むことにしました。宿の経営が軌道に乗って、ネリィさんがいなくとも暮らしていけるようになるまで待つことに決めたのです」
「あ、それがサクヤちゃんなんですね」
「えぇ。彼女を送り込んで、宿の状況を細かく報告させていましたわ」
はい、お姫様。
私、その密偵に危うく殺されそうになったことがあります。
「そして、ようやく彼女がいなくても立ち行くようになった。……と、いうわけで、アイナさん」
「は、はい……っ」
これまでゆるゆるだったお姫様の表情が、ふいに真剣なものに変わる。
ピリリと張りつめる空気の中、エルサ姫はアイナをじっと見つめ、言葉をつづけた。
「ネリィさんをわたくしにくださるかしら?」
「えぅ、あ、あの……っ、あたしが決めるんですかっ……? ネリィの意志を聞いた方が……」
「……私は、アイナがいいと思う方にしたがうよ」
「え……?」
私がここにいたいのは、アイナを好きだっていう個人的な感情から。
もしこの問題に私一人がわがままを通していいのなら、ハッキリ嫌だと伝えて終わり。
でも、これは私一人の問題じゃない。
この宿全体の問題だ。
一国のお姫様が私のためにわざわざ足を運んできた。
サクヤを送り込んで、長い間リサーチまでさせた上で。
事の重大さは、アイナもよく理解してるはず。
この決断は、絶対にアイナが下さなきゃいけないことだ。
宿の主人としても、王族に仕えてた元貴族としても。
「えっと……、あの……っ」
しばらく悩んだ末に、アイナが出した結論は――。
「あ、明日の朝まで、待っていただけますか……?」
保留、だった。
〇〇〇
それからあっという間に時間が過ぎて、もう眠る時間。
明日の朝までに結論出せるのかな、アイナ。
「……はぁ、厄介な大事件だよ、ホント。ねぇ、サクヤ?」
誰もいない廊下で、どこへともなく声をかける。
すると、
しゅたっ!
「いやはや、まったくですね!」
いつかのように天井にいたサクヤが、私の前に軽やかに降りてきた。
「雇い主、あのお姫様だったんだね」
「左様です! 驚きました?」
「そりゃぁね」
密書をチラ見した時から、そうじゃないかと思ってはいたけど。
「ではでは、シノビとしての任務は大成功だったということで!」
「……サクヤは、これからどうするの?」
任務完了した今、この子がこの宿にいる理由もなくなるわけで……。
私がいなくても、もうこの宿は平気。
だけどサクヤがいなかったら立ち行かない。
なんとしても引き止めなきゃ、と思ってたら……。
「これからもこの宿で働きますよ? だって、お姉さまがいるんですもの」
何を当然のことを、って顔で答えてくれた。
「……そうだよね。好きな人といっしょにいたいって思うの、当たり前だよね」
「ですよ、乙女としては当たり前のことです。お姉さまもきっと、そう思ってくださってますっ! きゃっ♪」
簡単に言えちゃうサクヤがうらやましいな……。
「でもね、ネリィさん。これまでこの宿に忍び潜んできた私から一つだけ。アイナさん、あなたが思っているよりもずっとあなたのことを大切に思ってますよ?」
「……ソレ、任務のこと黙ってた罪滅ぼし?」
「まさか。同じ恋する乙女としての、精いっぱいのエールですっ」
つん、と私のほっぺをつっついてから、サクヤはくるりと背をむけた。
「……それと私も。命を助けてもらったり、お姉さまとの仲を応援してもらえたり。あなたのこと、あなたが思ってるより好きですから!」
「へ?」
思わずマヌケな声を出してしまった次の瞬間、サクヤの姿が消える。
……照れ隠し、かな?
まぁそれはともかく、さっきのサクヤの言葉。
私が思ってるより、アイナは私のことが好き、か。
「……アイナのとこ、行ってみようかな」
〇〇〇
眠れない。
寝付けないままベッドで何度も寝返りをうつ。
寝れるわけないよね。
私の決断次第で、明日ネリィは王城へ行っちゃうんだもん……。
「どうしよ……。どっちがネリィにとって幸せなのかな……」
王族のお抱え魔導師なんて、誰もが尊敬するすごい職業だよ。
宿屋で雑用やってるよりも、絶対ネリィのためになる。
なる……と、思う。
「うん……。そう、だよね……? そうに決まってるよ……」
それに、おじいちゃんはこの国も、国を治める王族も大好きだった。
尊敬してた。
私だってこの国はとってもいい国だと思ってるし、お姫様も良い人だって思う。
「迷うことなんてない……。ない、はずなのに……」
なのに、どうして……?
ネリィが遠くに行っちゃうと思うと、胸がギュッと苦しくなる。
理由もよくわからないまま、せつなくて、どうしようもなくなるの。
「なんなのかな、これ……。わかんない……」
わかんないのに、ネリィに行ってほしくないって気持ちだけが大きくなる。
どうして……?
わかんないまま、あたしのわがままだけで断って、本当にいいの……?
コンコン。
「ぴゃっ!?」
とつぜんのノックに、びっくりして跳ね起きちゃった。
ドアのむこうからは、申し訳なさそうなネリィの声。
「ごめん、おどろかせちゃった?」
「う、ううん、大丈夫だよぉ。ちょっと考えごとしてただけだから。そ、それで、どうかしたのかなっ?」
「えっと、それなんだけど、その……、今日いっしょに寝てもいいかな……?」




