22 あたしの名前は
グラスポートに元貴族の人がいて、今もあそこで暮らしてる。
そんなの初耳だ。
「あの、それってホントの話なんですか?」
「あら、ウソはつきませんわ。清廉潔白に生きろって、父から教えられていますもの!」
胸に手を当てて、誇らしげにおっしゃられるお嬢様。
アホっぽい……じゃなくて正直そうだし、ウソではないんだろう。
でも、これまで村に暮らしていて元貴族の人なんて見たことない。
「……でも、遷都したのって五十年も前の話ですよね? その貴族の人、とっくに亡くなってるかも」
「あら、その可能性もありましたわね! ともかく、あの村にはそんな歴史があるんですの。あなた、村の人間なのにご存じないんですのね」
「住んでまだ日も浅いので……」
……そういや、私が貴族を嫌いだって言ったとき、アイナが少し変な感じだった。
元貴族の人、あの子は誰か知ってたんだろうか。
だからあんな反応を……?
「……あ、申し訳ありません。あなた、貴族の人ですよね。貴族が苦手だなんて面とむかって言っちゃって……」
「かまわないわ。わたくし、貴族じゃありませんもの」
「えっ?」
でも、そんな恰好した平民がいるわけないし……。
「わたくしはエルサベーテ=フォン=ボクスルート。この国の第三皇女ですわっ」
「え、えっ、えぇ……っ!?」
貴族を通り越して、まさかの王族……!?
今まで私、とんでもない人と紅茶を飲みながらおしゃべりしてたのか……。
「今後ともお見知りおきくださいませね、『氷結の舞姫』さん?」
なんかお見知りおかれたし。
そしてその二つ名、王族にまで知れ渡ってるんだね……。
〇〇〇
グラスポートの村に戻ったころには夕暮れ時。
ちょっと肌寒い感じだけど、体が冷え切る前には戻ってこられた。
早く温泉に入ってあったまらないと。
そう思いつつ入り口のドアを開ける。
チリン、チリン。
当然呼び鈴が鳴って、
「お客さん、ようこそいらっしゃいましたっ。――あ、ネリィだったぁ。おかえり、そしてお疲れさまぁ」
アイナがほんわか笑顔で出迎えてくれた。
はぁ、落ち着くなぁ。
ここが帰ってくる場所だって実感できる。
「んぅ? どうしたの、ホントに疲れた顔してるよぉ?」
「ちょっとね……。お偉いさんにつかまって、話とかさせられちゃって」
「……貴族?」
「貴族じゃなくて王族。まぁ、つまんない話だから」
「王族……!? え、えっと、あとでお話聞かせてもらうねぇ」
「うん、とりあえず温泉に入ってくるから」
アイナと別れて、あったかい温泉が待つ露天風呂の方へ。
途中、繁盛してる食堂の前を通りすぎる。
キッチンではミアがものすごい速さで料理を作っては配膳していた。
……料理を運ぶ係、適当に雇うべきだね、これ。
〇〇〇
その日の夜、宿のお客さんたちがみんな眠りについたころ。
「……ふいぃぃ」
寝る前の日課として、私は星空の下で貸し切りの露天風呂を満喫する。
なんにも考えずにのびのびと。
帰ってきたときに入ったけど、温泉は一日に何度入ってもいいモンだ。
それから、温泉以外に期待してることがもう一つ。
「あ、ネリィやっぱりいたぁ」
「アイナこそ。決まってこの時間だよね」
この時間帯になると、一日の仕事を終えたアイナが温泉に入ってくる。
二人だけでゆっくり話ができる時間、限られてるからね。
忙しいアイナの時間を独り占めできるのも、悪い気がしないし。
「えへへ、ネリィに会いたいからだよぉ」
笑顔でそんなこと言われたら、嬉しくなっちゃうじゃん。
アイナは私のとなりにやってきて腰を下ろし、お湯につかった。
「今日は本当にお疲れさまぁ。ごめんね、いろんな雑用押しつけちゃって」
「気にしないでよ。出来ることならなんでもしたいんだ、この宿のために」
「……宿のためだけ?」
「……アイナのため、でもあるかな」
ちょっと照れ臭い。
でも、正直に言ってみる。
「あ、ぅ……。あ、ありがと、ね……?」
「う、うん……」
そしたらちょっと気まずい空気に。
まずったかな……。
よし、ここは話題転換だ。
「あ、あのさ。昔は貴族がこの辺を治めてたんだよね。その貴族、まだこの村にいるらしいじゃん」
「えっ? そ、それどこで聞いたのぉ?」
「お偉いさんにつかまったって、夕方にちょっと話したでしょ。その時に聞いたんだ」
「そ、そっかぁ……」
うーん、この話題もまずかったか?
アイナが困ったような顔してる。
「あ、と……、黙ってたとかそんなの気にしないでよ。おかげで貴族屋敷でのこと忘れて、楽しく暮らせてるんだからさ」
「うん……」
「それに、今は貴族じゃないんでしょ? だったら誰がそうだって関係ない。むしろ誰だか知りたいくらいだよ」
「……本当に? 本当に、変わらず接してくれる?」
いつになく真剣な眼差しで、アイナは私に問いかけた。
思わず言葉につまってしまうほど、真剣な表情で。
「アイナ……? もしかして……」
一つの可能性が、思い浮かんだ。
まるで貴族屋敷みたいに大きなこの宿。
この村で生まれ育ったはずなのに、なまりのないアイナの喋り方。
そして、私はそもそもアイナの姓をまだ知らない。
ミアと違って、この国で生まれたこの子には姓がある。
なのに私はアイナという名前しか、それだけしか知らないんだ。
「……あたしの本当の名前は、アイネクライス=フォン=グラスポート。かつてこの地を治めていたグラスポート辺境伯の……、孫娘、です」




