第四章 始まりの終わり
イコは撃たれた。
だが、被弾したが直撃は免れ、肩と額の表面を銃弾が深くではあるが掠めていった。
それだけだった。
しかし、その銃弾は敵が思い描いた通りにヘッセへと向かい、命中してしまう。
倒れたイコという盾が居なくなり、銃弾はヘッセを襲う。
糸が切れた操り人形みたいに倒れるヘッセ。
イコは気合だけで立ち上がり、支給された銃剣を抜いてイラク兵へと襲いかかる。
額を掠めた結果、軽微な脳震盪と脚を撃たれて上手く歩けない。
視界は出血で片目がよく見えない、そんな最悪な状況だ。
対するイラク兵も小銃を捨てて、拳銃へと切り替えてはイコへと銃口を向けた。
ふらつきながらも、今出せる最速の速さで近づくイコは銃口が向くや否や、組みつくみたいに倒れては、ナイフで銃を握る指に刃を立てて切り落としてやった。
異国語の叫び声が響き、銃が床へと落ちた。
ナイフを彼が奪おうとするも、イコは胸をどついて距離を取る。
その距離を詰めてくるイラク兵。
軽く弱々しいタックルをしては、彼女を押し倒してナイフを握る手を床に叩きつけてやる。
その行動に、ナイフを手放してしまう。
イラク兵はイコへ馬乗りになり、力いっぱい拳を繰り出す。
その拳を顔面をガードするように耐える。
周りを見る。
何が見えるか。
倒れたヘッセ。
手が届かない拳銃や小銃。
手が届くコードリール。
これだ。
直ぐに、コードリールを手を伸ばしては掴み、思い切りイラク兵の顔面に振りかざしてやった。
スチール製の本体が彼の横顔に当たり、イコから離れさせた。
痛む身体の痛覚という電気信号は脳内麻薬により抑えられている。
イコは、コードリールを両手に持ち、今度は仕返しを言わんばかりに頭へと打ち付けた。
打ち付ける度に、器材には返り血が付着していき、男の顔面は陥没していく。
それに反比例して動かなくなっていく人間。
それは、人間から肉塊へと変貌を遂げている証である。
それを彼女は知っている。
それが殺人であることも知っている。
それのことが、世界から見れば犯罪であることも知っている。
それは成すべきことではないが、今はこれが成すことであり、それ以外は違う。
そして、人間が肉へと変わった。
最後に、一心不乱に前髪の生え際を掴んでは、床へと後頭部を打ち付けてやる。
何回も、何回も。
出血し、床に血が広がりを見せていく。その血溜まりに、打ち付ける波紋が広がり、打ち付ける度に出血量が増える。
コイツは、コイツが、コレが。
ヘッセを撃った。
許せない、生かしておけない。
殺してやる。
殺して、殺して殺してやる。
死ぬまで殺してやる。
膝まで血溜まりが広がり、手が赤く煌めく。
「ぁ、ぁああ!ヘッセ!ヘッセ!」
イコはフラつき転びながらも、ヘッセの元へと走り寄る。
彼女は自分で止血作業をしていた。
「イコ、遅いよ」
「ヘッセ、今手当を、手当するから」
「手当してもらうのは、アンタだよイコ。満身創痍じゃん」
「待ってて、今ファスートエイドキットを」
自分の怪我より、他人の怪我を気にするイコを無言で静止する。
手が真っ赤で、顔面も流血だらけ。視線も揺らいでるイコは、ヘッセが止めることに意味が分からなかった。
彼女も自分の血の海の中に居るのだ。
「出血量見て、もう間に合わないよ」
「大丈夫、大丈夫だって。だってほら、ヘッセだって止めてたし、痛がってないじゃん」
動揺するイコにヘッセは空の注射器を2つ見せた。中身はモルヒネ。
「実は、もう助からないんだよね」
「はぁ!だったら、なんでそんな余裕なんだよ!ヘッセ!」
深い溜息をつく彼女に、イコは頭を抱える。
「まだ、まだ助かる!そうだ、大尉!大尉!」
無線機で外へ待機している大尉へと救援を要請した。
その行動にヘッセは、またもや溜息をついた。
大尉と部下は直ぐに駆けつけてくれて、二人は直ぐに応急処置を受けては、外へと搬出される。
搬出され、目標の建物から離れると建造物は爆破された。
その余波を感じながら、イコは何人にも処置を受けているヘッセの見つめていた。
衛生兵が大尉に向かって、首を横に振ったのが見えた。
血の気が引いた。
痛む身体を無理やり動かして、ヘッセの元へと寄るイコ。
階級なんか気にしないで、衛生兵に詰め寄った。
「ヘッセは、ヘッセは助かるんだろ!」
「彼女は、無理だ」
「無理じゃない!」
「無理なんだ、今の状況では」
「ふざけんな!」
「そう思う気持ちはわかる!けども、内蔵を破損しているんだ!助けるには、大量に静脈内輸液を行い、失われた血液を補充。それと平行して、損傷を受けた臓器の修復や止血のため、手術が必要だが、今のこの状況では」
イコの顔色が蒼白になっていく。
「迎えは!大尉、救援は!」
「要請したが、現地が砂嵐の為に、その為に」
最後まで言葉を聞かずに、イコは担架の上に横たわるヘッセへと寄って、頭を抱えた。
「イコ、聞いてた通りだってさ」
「アンタがそんなでどうするんだよ!」
「幸い、今は鎮痛薬で痛みはないけど、身体の感覚がないんだよね」
イコは力強くヘッセを抱きしめた。
「ぉおう、アンタにしては熱い抱擁だこと」
少しは茶化してみるも、無言が返ってきた。
ヘッセは、近くの隊員を見た。
その視線を察したのか、隊員達は無言で彼女達から距離を取った。
「なんで、なんでヘッセなんだよ」
「神様が、私を呼んだのかな?現世には勿体無い逸材だからさ。来世は天使だからよろしくねイコ」
「崇め奉るのは、イチローで充分だから!」
「イコがここまで、取り乱すのも珍しいね」
「ヘッセ、ヘッセ」
「とりあえず、イコが生きててよかったよ」
「ふざけんな、アタシが良くない」
イコの眼から、涙が流れ落ち、ヘッセの顔へと落ちた。
「爆弾女の涙はニトログリセリンみたいに甘く、甘くなかった。しょっぱい」
笑いながら、空を見た。
そして、急に彼女も顔を曇らせて、涙を流し泣き声が聞こえた。
「嫌だよ、私だって。私だって、まだ死にたくない。死にたくないよぉ」
「分かってる、分かってる」
そうして、二人は声を出して泣いた。
死は生きていれば訪れる。
出会いが有れば別れがあるのと同じであり、生きていれば死ぬ。
そのタイミングは、皆同じではないというところが、不平等であはる。
そして、それは戦場、戦争となると当たり前となる。
ヘッセはイコと一緒に泣いた後、静かに彼女の腕の中で、看取られながら静かにこの世を去っていった。
アメリカ合衆国陸軍所属 キャリー・ヘッセ二等軍曹。
戦死。
帰国後、二階級特進。
◇
アメリカ合衆国陸軍所属 イコ・マクダネル特技兵。
作戦参加及びその成果により昇進。
夕焼けが綺麗なイラクの空。アメリカ軍駐屯地。
外では半裸の男性兵士がフットボールをして賑やかに余暇を過ごしていた。
笑い声や喜びの奇声を上げているのを聞くと、自然と笑み溢れる光景だ。
そんな中に1人だけ、ちょっと暗い顔をする女性兵士が居た。
一応、軍服姿ではあるが医療用眼帯に、肩にはギブスを着けている。
幾つかの棺桶並ぶ死体安置所で彼女はパイプ椅子に座り、ある棺桶に向かっている。
「ねぇ、ヘッセ。報告する事があるの」
彼女は自虐気味に笑いながら棺桶に話し掛ける。
「この度、本国の狙撃手育成訓練センターに行ける事になったんだよ。大尉がさ、もっとアタシに輝ける場所があるって言って推薦してくれたんだよ?凄くない?私が、狙撃兵やるんだよ?」
勿論、棺桶の中からは何も反応はない。
彼女はわかって話し掛けている。
その行為自体に意味などないことも分かっている。
「ヘッセはコレから、本国へ帰るけどさ1人じゃないよ?私も一緒に帰るから、大丈夫。心配しなくても良いよ」
段々目に涙が溜まり、時たま視線を外に反らして堪える。
「ただ、いつも一緒の時と違ってアンタがアタシを近くで見ていてくれていないという事だけ。それだけかな」
左手で涙を拭い、鼻をすする。
彼女の目は充血していた
「よく考えるんだ、なんであの時アンタが狙われて私が庇って、だけど、それなのになんでアンタが死んだのか。アンタ庇って死ぬ分には、何ともないと思うけど、体張って庇って、だけどアンタは死んでさ」
目を固く閉じて、込み上げる涙と感情を抑えてる
「なんで、アンタなんだよ畜生、クソ後味悪りぃ」
暫く、拳を固く握り締めて彼女は何回か分からないが、嗚咽共に涙を流した。
別れ際、棺桶に湿った手を置いて話す。
「MDプレイヤーあげる。天国でこれ有れば、ちょっとはさ暇つぶしにはなるでしょ」
返事も反応もない棺桶から離れ、彼女は建物を出ていった。
「バイバイ、ヘッセ。向こうでまた組もう」
こうして、イコ・マクダネルの魔女の釜の底のような人生が幕開けたのだった。