表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

宿らせの樹と一角鬼

作者: 風連

ここに来てから、山坂ばかりで、自転車に乗る事もなくなった。

歩く方が楽なのだ。

階段を上がる宅配便業者を見た時は、二度見した程だ。

最近は道路も整備されていると言っていたが、階段を登らなければ行き着けない場所もまだまだあるのも事実だ。

眼下に、落ち込む様に海が迫ってくる。

かすんだその先には、島々が点々と連なっている。

石畳を歩き階段を登る。

振り返ると、真下に船が走って行く。

夏が近づいていて、雲の白さが濃く厚い。

軒下をかすめるように、バスが曲がって来るのが見えた。

もう直ぐ、目の前に唐突に現れるだろう。

少し歩みを止め、待つとバスがまるで塀の中から産まれたように表れた。

坂とカーブの妙だ。

カーブミラーが、バスの尻を映している。

バスをやり過ごすと、古い古い手摘みの石垣を左手に見ながら、コンクリートの階段を上がる。

やっと半分。

汗が噴き出す。

木洩れ日が、わずかな清涼感を与えてくれる。

が、そこは墓地なのだが。

墓地の横を抜け、山肌の崖に張り付いた道を登る。

そんな場所に、洋館が建っているのだ。

こういった洋館は、材木も石も全て人の手で、上げたという話を聞いた事がある。

こんな手の込んだ物を、労力を厭わず、よく建てたものだ。

玄関は、開け放たれていて、中が丸見えだった。

ここの1階は、木曜日だけ開くパン屋なのだ。

それに、カキ氷も食べられる。

開店して間もないはずだが中から、人のざわめきが漏れている。

洋館に入ると、空気感が変わる。

スッと涼しさが辺りを包んでいた。

苺練乳を頼み、それを持ち、テラスに出た。

海と空で世界が重なりあっている。

つながった境目で、氷を食べるのだ。

指定席は、高い木の木陰。

白いツルツルした手触りの木は、心を落ち着かせてくれる。

好きな文庫本を読みながら、氷にスプーンをたてる。

いつの間にか、テラスの席もいっぱいになっていたのだろう。

「相席、よろしいですか。」

小豆金時抹茶クリームのカキ氷を、持った青年が立っていた。

「どうぞ、空いてますから。」

1人掛けの椅子が2脚、空いている。

三角の木のテーブルに、カキ氷の丸い輪が染みていた。

サクサクと氷がスプーンで寄せられ、綺麗に食べられていく。

自分の氷もあとわずかだ。

それから、時々この青年と会うようになった。

木曜日しかやってない店だから、出会いやすいのだ。

何故か、この樹の下のテーブルはいつも空いていた。

2人とも、浮気もせず、毎回同じカキ氷だった。

3回目の時、遅ればせながら名乗りあった。

前田篤史まえだあつしと言います。

失礼でなければ、お名前は。」

あわてて、頭を下げ返答した。

加賀直斗かがなおとです。

申し遅れまして。」

あまりの堅い返答に、思わずお互いに笑ってしまった。

「ここ、来週から日曜日も開けますよ。

メニューも増やすそうです。

けど、僕ら、関係ないですね。」

「そうですね。

それでも、氷自体秋にはおしまいになるんじゃないですかね。」

篤史は、おやおやといった顔をする。

「ここは、一年中氷、出しますよ。

だって、アイスクリーム、冬にあるじゃないですか。」

それとこれとは、と思ったが、思い直した。

そうかな、と。

「ここに来る人は、半分ぐらい冬もカキ氷食べてるんです。」

篤史が、ニコニコしている。

「そうなんですか。

夏が終われば、氷も終わる所が多いから。

ヤッパリ変わった店なんですかね、ここ。」

サックリとスプーンが、氷を崩す。

長話を、するわけでもないが、2人はそれからも、樹の下のテーブルで、度々あった。

あっと言う間にひと月がたっていた。

直斗は、ノンビリと木曜日のカキ氷を楽しんでいた。

ここからの景色が、好きだったのだ。

遮ることのない空と海。

青さを増し、夏が終わることを知らせていた。

下にある墓地に、黒揚羽くろあげはが舞いだしたら秋だ。

氷の入った器が、刺さる様に感じられる。

外でカキ氷を食べる人は、ずいぶん減ったようだ。

「こんにちは。」

篤史が、隣に座った。

「久しぶりですね。」

ここ2週間、篤史は現れなかったのだ。

「そうですね。

なかなか、忙しくて。

直斗さんは、いかがでしたか。」

「変わりありません。」

何故か、スッと前がぼやけた。

違和感が、氷の器から、ジワジワと、上がってくる。

落ち着かない。

何を考えれば、良いのだろう。

「この木、ご存知ですか。」

両手で、頭ごと首を回された様に、あの白い幹の樹が、視界をすべて覆っていた。

その先には、空も海も、無い。

目の前が、白い樹の幹だけになってしまっていたのだ。

「そんな、、、馬鹿な、、、。」

痺れたような身体は、動く事が出来ないでいた。

椅子から、尻がずり落ちそうだった。

そうだ。

痺れた記憶の中に、憎しみがあった。

テーブルに乗ってる左手が、痛い。

僅かに動かした視線の先に、左のてのひらが、あらわれた。

そこから、螺旋に削られたような、角が生えている。

これでは、カキ氷の器が持てないではないか。

見当違いな思いが、溢れていた。

甘い氷は、歪んだ角を溶かしてくれるのだろうか。

姿の見えない篤史が、囁く。

「鬼の角です。

気づくと生えているのです。」

と、篤史がつぶやいた。

あれからだ。

唐突に、直斗は怒りから解放された。

夏の始まりの日が蘇った。

そうだ。

自分の墓を見ながら、ここまで来ていた事に、気づいた。

あの日のあの場所から、ここの下の街まで、フラフラと降り、又あがり、そのままここに来ていたのだ。

掌の角は、斑目まだらに色を変えながら、静かに、沈みだし、消えていった。

「角は何も、額に生えるだけでは、ありませんから。」

洞窟の向こうから聞こえるような、声だった。

「気が付いていたのでしょう、ご自分の身に起こった事。」

知ってるし、知らない。

怒りや憎しみから、絶望と哀しみが追いかけてくる。

嘆いていたのは、何処の誰だったろう。

淡々とした記憶は記録でしかなく、今の自分とはかけ離れていたからだ。

それ程、遠くにきていたのだろう。

「御覧なさい。」

樹の幹には、虹色の線が、楕円に広がりだし、やがてそれは、色を変えながら消えていった。

現れたのは、樹の幹にポッカリ空いた空間だった。

「これは。」

空虚な声が耳の奥を漂う。

「あの中に行けるのですよ。

そして、戻るのです。

進んで、探すのです。

あなただけの原始風景を。」

篤史の声は、風鈴に似ている。

ほんの少し、外側にいるのだ。

「見える、そこに。」

木の幹の中を上がる、水滴の列が、美しい。

煌めきと秩序を、教えてくれる。

そこに向かうのだ。

安堵の気持ちが訪れる。

漠然とした、不安が解消されだした。

身体の力が、スルスルと衣を落とすかのように、消えていく。

右手から、木のスプーンが滑り落ち、音もなく消えていった。

座っていた椅子も、氷の器を載せていたテーブルも消えている。

溢れる泪は、何処に行くのだろうか。

そこに、空と海が見えた。

あぁ、そうなんだ。

あそこから来て、あそこに帰るのだ。

直斗は、木の幹を輝く虹の輪と共に、潜った。

もう、無駄な感情は此処には無い。

人が感じる事とは、此処で決別するのだ。

「良かったですね。」

蒼い影のような顔を振り向かせた直斗が、その首をかしげる。

篤史の肩から、大きな角が飛び出していた。

乳白色の角は、肩からぐるりと回っていて、反対側の肩に刺さりそうな程だった。

「あなたは、どうされますか。」

半身を木の穴に入れかけたまま、瞬きもせずに、直斗は篤史に声をかけた。

「此処に居るだけです。

感じてられるように、僕の角はなかなか、取れないのですよ。

罪の重さも相まっていて。」

悲しい声が、寄せる波と騒めく風の中で、千切れ、流れる雲のように、通り過ぎて行くのだった。

それっきり、直斗の自我は消滅し、原始の海の幼生の時代に、舞い戻っていた。

一角鬼の煩悩は、溶けて消えていった。

それとも、あの左手の掌の中で、まだ潜んでいたりするのだろうか。

それもこれも、全ては姿を変える氷のように、最早、見つけられないだろう。

あの木の下で、篤史はひとり氷を食べる。

自分の罪が溶けて、扉が開くその時まで。


今は、ここまで。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ