生存本能――切り捨てるべきは、友の首
「ユミがどうして!」
遠くから若い女子の声がとても鮮明に聞こえてきた。
今までのような豚の鳴き声ではなく、人の声だ。
耳は治ったらしい。
「って俺は……!」
生きているのか。
血溜りの床に座り込んだせいで、黒色のパンツは完全にビショビショになっているが。
「頭も……痛くないな」
人生で初めてだったな、あの頭の痛さは。収まってくれてよかった。
その代わり頭がぼーっとするけど、少し気絶していたのか。
そうだ、あれは、
「……」
恐る恐るアイツの首を見る。
「……っ」
顔は完全に生気を失っている。やはり親友のとはいえ不気味だ。
けれど、それだけだ。
さっきのような声は聞こえてこないし、見られているような感覚もない。
幻覚、だったんだろうな。
「すまない」
もう一度謝った。
何に対して謝ったのかは自分でもわからない。
薄情な自分の態度についてか、はたまた助けられなかったことに対してか。
どちらにしろ何かしらの罪悪感が俺の胸にはあった。
けれど、その罪悪感はもうなくなりつつある。
根本的に自分ではどうしようもなかった出来事だと思っているからだろうな。
「せめてもだ」
光宙の胴体はとても軽かった。
血が抜け萎んだせいだろう。軽い体をロングシートの端っこに寄せる。
あのままにしていたら誰かに踏まれかねない。
首は……動かせなかった。
血が混じった汗を拭い取る。停電と共に空調も止まってしまったらしい。
夜とはいえ真夏だな、冷房がないと辛い。
気持ちを落ち着けるためにも窓を開けようとすると、開かない。
そして外は真っ暗だ。何も見えない。
「…………」
いくらなんでもおかしくないか?
まだ家の光があってもいい時間だ。まさか電車だけでなく街全体で停電がおこっているのだろうか?
もしくはトンネルに入ったとか……それはないか。この線にトンネルなんてものはない。
ガタンゴトン。
電車の振動が伝わる。
仮に停電しているとしてもどうして電車が動いている。止まるのが普通だ。
じゃあ停電じゃないのか。
「ふぅ……」
考えても答えは出ないか。やめよう。
今は他にやるべきことがある。
「あった」
光宙の座っていた場所の近くにスマートフォンが淡い光を発しながら落ちていた。
これは手掛かりになるはずだ。俺が生き残るための手掛かりに。
血に濡れた光宙のスマホを拾い上げ、服の汚れてない部分で画面にこびりついた血を拭き取る。
画面を見てみると、
『 死亡 』 65
黒い背景に赤い文字で大きく死亡と書かれていた。
その隣は数字が書かれていた。が、先程と違い数字が100から65に減っていた。
どういうことだ。
俺は自分のスマホを取り出し、画面を見てみる。
そうすると、数字の部分は65と同じであった。
死者と生者関係なく、ここは共通らしい。もっと調べる必要があるみたいだな。
足を動かそうとする前についアイツの首をつい見てしまう。
そうすると首の上に薄く青白い光の球体が見えた。
「うん?」
まばたきをした後、もう一度見る。
そうすると光の球体は消えていた。
「まだ現実に戻りきれてないみたいだ」
中二病は厄介なもんだな。
苦笑いしながら、俺は車内を散策しようとした時、
「ケンタはどこなのぉおおぉ!! ケンタァアあおおぁ」
正面から女性の悲鳴交じりの大きな声が聞こえてきた。
いや、女性なのか……? どこかがおかしい。
所々おっさんのような低い声がハモッテ聞こえてくる。
「なんだ……」
声だけじゃなく、足音まで聞こえてきた。
ハイヒールが床を強く踏む音と、
ぴちゃぴちゃ
という液体の跳ねる音が聞こえてくる。
しかも近づいてきてないか。
「…………」
音のする方へ目を凝らすと、女性が髪を振り回しながらこっちへ向かってきた。
物凄い勢いだ、かなり速く見える。
いつの間にか周りの乗客は悲鳴をやめ、呆然としていた。
「おい、あんた!」
近くから男の声が聞こえた。
おそらく走っている女性に向かって言ったのだろう。
怒鳴るような口調だ。
だが、女性はその言葉に反応せず、ただケンタケンタと叫び続けいていた。
頭が逝かれたのだろうか。って不味い、このままだと俺に当たる!
「危なかった」
女性は何かに躓きながら走り去っていた。
あと一歩でぶつかるところだったけど、避けられてよかった。
それにしてもどこへ行く気なんだ、あの人。
「ん?」
何かを蹴り飛ばす音が聞こえた。
正確に言うなら何かを蹴り飛ばし、壁にぶつかった音だ。
鈍い音が静寂な車内に木霊した。
何を蹴り飛ばした? 俺の近くにある物体と言ったら――――
恐る恐る視線を動かすと、
「あの女!」
首がなくなっていた。
唯一無二の友人だった、菊池光宙の首がさっきあった場所からなくなっていた。
つまりあの女が蹴り飛ばした物は、
「…………!」
走りかけた足を止める。
あの女を追いかけて、どうにかしてやろうと思った。
けれど、やめた。
今すべきことは復讐じゃない。
何より生きている光宙を攻撃したならともかくだ。
あれはもうただの残骸であって、それぐらいの価値しかない。
「ふう」
腹に溜まった空気を吐き出す。熱い空気だ。
今の出来事は忘れよう、それが一番いい。
俺は生き残るために足を動かした――――