お仕事(後)
午後過ぎのギルドは閑散としている。
基本的に冒険者たちは朝に仕事を見つけ、日暮れ頃に戻ってくるサイクルなので、この時間は暇なのだ。
だから、今のうちに受付の仕事を叩き込もうというのがツケウの魂胆だった。
女子高生であるヒトエの学力はそこそこ、勉強への意欲は「テストは前日に徹夜で赤点回避するよ」なので、非常に辛い時間だ。一連の流れは一応習ったので、あとは実践あるのみと自負しているが、ツケウは真面目委員長タイプなのか反復指導でヒトエの脳みそに呪詛を叩き込んでくる。眠く、ダルく、退屈。
「早く、誰か来ないかなぁ」
そのぼやきが通じたのか、一人の男性が入ってきた。
年頃は二十歳ぐらいだろうか、顔の整った爽やかな黒髪の青年である。それとは対照的に、ほの暗き真っ黒なローブを着ている。深紅のラインが衣装の縁にアクセントをつけていて、多少は中和しているが、やはり闇に潜む魔法使いのような印象だった。
「いらっしゃいませー」
ファミレスの店員のようにヒトエは明るく挨拶した。直後、後ろからの軽いチョップ。なにか間違えたらしい。
このままでは監獄送りだ。これ以上のミスは許されない。ヒトエは細心の注意を払って「ご注文がお決まりでしたら、ここにある呼鈴を鳴らしてください」と丁寧に接客して再びのチョップを貰った。
おっかしいなー、と思いつつもツケウ直伝の、本当は教えてもらっていない、営業スマイルを崩さなかったのは誉められてもいいのではないかとも思った。口に出したらチョップなので思うだけにする。
そんな思考を展開させていると、男は注文を決めたのかカウンターに置いてある呼鈴をチリンと鳴らした。
「ハンバーグライスですね」
「いや、聖女様を頼む」
まさかの注文であった。ギルドで女の子を注文するとは人は見かけによらないものである。
ヒトエは三度目のチョップを受けつつ驚いていると、ツケウに襟首持たれて強制起立させられ、席を交代させられた。
まさかツケウさん聖女の座を狙って、と小声でわざとらしく驚くヒトエに「違います」小声で否定してから、ツケウは得意の営業スマイルを繰り出した。
「すみません、お客様、噂の聖女は確かにこのギルドの職員ですがナンパまがいの行為はご遠慮いただきたいのですが」
「そんな風にとられてしまったか、それはすまなかった」
男は深々と頭を下げる。とても誠実な態度であった。なんたかヒトエにはこの男がナンパや冷やかしに来たような人間には見えなかった。なにか聖女と会いたい訳があるんじゃないのかと。あくまで勘であり、彼のことはなにも知らない。
「聖女に会ってどうしたいんですか?」
だから確かめたくなり思わず聞いてしまった。黙っていられなかった。ツケウは咎めるような視線を一瞬ヒトエに向けるが、すぐに男へ向き直った。後でチョップかそれ以上確定である。
それでも後悔はなかった。ヒトエの問いかけに男が身動ぎしたのだ。
勘は間違っていない。なにかある。
男は言うか言うまいか迷っているようだった。ここはもう一押しがいる。即時行動だ。
「教えてください。この通りです!」
目の前にあった垂れたウサミミ、それを優しく掴んでぴーんとV字を描いた。ノーマルのウサミミも可愛いのだ。ツケウの大人のお姉さんとしての魅力からくるギャップにより破壊力は抜群。強面の屈強な男だろうがもやし系の軟弱男子まで等しく口を割るだろう。
「あの?」
「……た、耐えたって言うの?」
信じられなかった。男は小首を傾げるだけで平然としている。まったく堪えてないし答えてくれない。
逆に振り向いてくれて上目遣いに睨み付けられた自分が何かを自供しそうになったぐらいだ。
「ツケウさんに垂れウサミミを勝手に付けたのは私です」
無理だった。ツケウのパーフェクトコンボにヒトエは抗えなかった。説教も確定だろう。
「お騒がせしてすまなかった。後ろがつっかえているようなので失礼するよ」
「あっ、お兄さん?」
その間に男は帰ってしまった。結局、聖女になんの用があったかはわからずじまいだ。
ただ彼は帰る間際、鋭い視線をヒトエに飛ばした。聖女の正体が気づいていたのかもしれない。
「また会うことになりそうだね」
「それは僕とかい? 子猫ちゃん」
キラリと輝く歯。かきあげられ、なびく金髪。微妙な顔。男の後ろで待っていたのは雰囲気イケメンことフィンキーであった。前回と違い、二人の女性を引き連れてご登場だ。
「この世界に猫いるの!?」
けれどヒトミにはどうでもいいこと。フィンキー? 誰それ? である。猫こそが重要であり、もふもふしたい。でも嫌がられると傷つくので人に慣れている猫を希望するのがヒトエだ。
「それはもういいから。それにしてもまた会えると思わなかった。ここの職員になったんだね」
「どこかでお会いしました?」
「えっ、この僕を忘れたのかい?」
「はい」
全く覚えていなかった。初対面なのに馴れ馴れしい雰囲気イケメンだな、というのがヒトエの感想である。
フィンキーはぼぎょんとした顔芸を一瞬披露してくれたが、すぐに取り繕う。照れてるんだね、なんて言い訳も完備だ。
しかし、今のヒトエは別のことで頭がいっぱいだった。今の変顔は達人クラス、と、ひそかにフィンキーの評価をうなぎ登らせていたのである。芸人ランキング初登場185位につける大快挙だ。サインを頼んでみようか本気で悩んだ。けれど宿住まいなので荷物が増えるのはよくない。だからいらないね、と、ヒトエは冷静な判断をくだした。
そんな二人のやりとりをあらあらと聞きながら垂れウサミミを取ったツケウは、会話が一段落したところを見計らい、話を進めてくれた。
「それでフィンキーさん、本日のご用件はなんでしょうか」
「あ、あぁ……、それはだね。この依頼をクリアしたので確認をしてもらいたい。ついでに素材の買い取りもお願いするよ」
「承知しました。少々お待ちください」
差し出された依頼書と耳のようなものを受け取り、内容や討伐証明を確認していくツケウ。この丁寧な接客、さすがである。が、感心する一方でヒトエは些細な違和感を覚えていた。なんだろうと考えすぐに思い至る。声だ。ツケウの声が僅かに高いのだ。電話でついそうなってしまうアレの感じ。彼女の仕事ぶりはあまり見たことのないヒトエであるが違和感が拭えなかった。
「ヒトエちゃん、ボーッとしてないで素材買い取り用のカウンターに行きますよ」
「は、はい」
ツケウの笑顔がなんだか別人のもののように見えた。だから取り敢えず垂れウサミミを戻す。案外バレないものなのだ。
ギルドの一角に大きなスペースと広いカウンターが設置されいる。ここが買取りカウンターだ。
「では、ここに売却予定の素材を提出してくださいますか。大きいものでしたら床に置いてくださっても構いません」
「これでいいかな」
ドブがかった緑色をした小さな魔石がカウンターにポツンと五つ置かれた。ツケウは感心の声をあげる。
「あら、フィンキーさんも魔石化魔法が使えるんですか」
「僕じゃないよ。彼女がやってくれたんだ」
フィンキーに示された緑髪の美人が軽く会釈した。無口な性格なようだった。もう一人もずっと喋らないのでまるで空気である。
「ところで、も、っていうのは他にも優秀な魔法使いがこの町に来たってことかい?」
「いえ、聖女様です」
「うん? 魔法使いとは違うのかい?」
「えぇ――」
「ツケウさん! この魔石はいくらで買い取るんですか!?」
この男は聖女と聞いて口角を下品につり上げた。下心満載な男の顔である。こんな相手に聖女と知られたくなかった。いずれバレるだろうが少しでも時間を稼ぎたかったので遮って話のコシを折った。
「そうですね、丸々一個体が五つですか。全部同じ魔物ですか?」
「あぁ、ゴブリンだよ」
「それなら平気ですね」
と、言うとツケウは詠唱を始めた。すると次第に魔石が輝きだす。魔石同様、汚い光であった。
「解放!」
そして一際大きく輝いたかと思うと、そこには五体のゴブリンの死体が転がっていたのである。
「魔石って元に戻せるんですか?」
「そうですよ、魔石化は重い魔物を全部持ち帰るために開発された魔法ですからね。戻せないと素材にならないじゃないですか。だから、魔石解除はギルド職員必須の魔法です。魔石化よりは簡単なのでヒトエちゃんならすぐに覚えられますよ」
「勉強になります!」
ヒトエはひそかに悪い顔をしていた。これは使えると。生憎、手持ちには魔石はないで新たに入手しなければいけないが、必要労力だろう。
「ククク……」
「小悪魔ちゃんだね」
「あっ、はい」
ヒトエは無表情になった。テンションだだ下がりだ。
そんなこんなでツケウがゴブリンを査定し、ヒトエに鑑定のポイントを教えつつ、買取りは大銅貨四枚でカタがついた。約四千円。かなりの額である。
帰り際、碧い目を充血させたフィンキーが「その子兎のような被り物素敵だよ」とツケウを口説こうとしたので、終始無言だった女性二人にもつけてあげる。彼はあからさまに顔をしかめたが、渾身の営業スマイルを繰り出してなんとか撃退の成功したのである。
なんだかドッと疲れたヒトエであった。
「フィンキーさんって本当にイケメンですね」
彼の後ろ姿を見てポツリ漏らしたツケウの言葉を聞いていたら倒れていたかもしれないが、そうはならなかったのが幸いである。