お仕事(前)
宿泊場所を確保していないと知ったツケウが手配してくれた高級宿のシングルルーム。
「ふぃー、飲んだ食べた風呂入ったー」
ガウンっぽいものを着たヒトエは真っ白なシーツにぼふりと顔からダイブした。高級な宿とあって最高の肌触りだ。
少し火照った顔をぐりんとまわし、虚空を見つめる。
「そうそう、飲んだのはノンアルコールのジュースだよ」
誰への言い訳か。
「さらに飲み食い無料っ」
誰に向かってのピースとドヤ顔なのか。
ついでに言うと、この宿も一週間分をギルドが出してくれたのでタダ。さらに特別褒賞金として小銀貨五枚、約五万円相当を貰ったのでヒトエのみ財布は元気はつらつと言えるだろう。
「にしても、なんだったんだろうなぁ」
ヒトエは死霊と対峙したあの時を思い出す。
ギルドにいたはずなのにいつの間にか外に放り出されていた。瞬間移動である。そして即エンカウント。理不尽なことこの上ない。
相手が人間の形をしていたのが幸いだった。鍛え上げた膝カックンが効いてくれたのでなんとかなったようなものの、これが別の魔物であればどうなっていたことか。
ヒトエは力が抜けていくあの感覚を思いだしベッドの上でジタバタする。
「あー、あー、出てこーい」
さらに不安を塗りつぶすように声を出してから、スマホを召喚した。念じるだけで取り出せるので便利だ。掛け声は別段必要としない。
地球でもこの技術が発明されればいいのに、と無茶なことを考えつつ慣れた手つきでアプリをタッチする。メールに似ているが受信専用で、最新のものだけ保存される仕組み。とてもシンプルだ。
そして今表示されているのは聖女コールが起きた辺りで送られてきたメールである。
【聖女と崇められたことで経験値が規定値に達しました。
ヒトエ レベル4
戦闘能力+02逃走能力+01
悪戯能力+12悪戯点数+14
道具召喚+02道具活用+01
精神抵抗+01聖女能力+05
称号
――聖女】
「崇められてレベルアップとか、称号聖女とかつっこむべきなのかな」
その疑問には誰も答えてくれなかった。
翌日、ヒトエはまたギルドを訪ねていた。
ツケウに会いにきた、というのは理由の一つで、本命はギルド職員として働くことだった。バイトを飛び越えて正社員である。なんでも聖女ならギルドの宣伝になるからだそう。現金なものである。
ならばとヒトエは交渉で限界までお給料をあげてもらった。現金は大切である。ギルドマスターであるタマスが交渉後に経理の職員に怒られていたので、一割ほど給料カットしてあげた。これで好感度もバッチリだ。優しい不良戦法である。
「こんにちはー」
「こんにちは、制服届いてるわよ。第二会議室に置いてあるから着替えておいで」
「はーい」
出迎えてくれたツケウに言われた通り、二階の会議室に入ると受付嬢っぽいスーツらしきものが長机に置いてあった。ツケウとお揃いのデザインだ。基本的に女性職員全員が同じデザインなのだが。
着てみると、ぴったりでとても動きやすかった。
いつ計ったのかな。ツケウさんに抱きついた時かな。大きかったなぁ。
などと考えながら戻るとツケウがまた出迎えてくれた。
「うん、ぴったりね。似合ってるよ」
「ツケウさーん!」
訪れたチャンスは逃さない。待ってましたとばかりにヒトエは両手を広げてハグしにいくと両手で頭を捕まれた。これでは抱きつけない。
「あれ?」
「私が研修を請け負うことになりました」
ヒトエの直感が警鐘を鳴らす。このツケウのスマイルはまずい、と。自然とも営業とも違う第三のスマイル、鬼スマイルだ。
「厳しくいきますからね」
「……お手柔らかにお願いします」
果たしてヒトエは生きて帰れるのか。
数時間後、虫の息であった。机の上に頭を乗せて微動だにしない。その両隣には積まれた紙の山が。ヒトエが任された仕事は書類整理であった。難しいことはないから、と軽く説明しただけでツケウは自分の仕事へ戻ってしまったので一人でやらねばならない。ギルドでは日々、様々な書類が作成されている。いくら簡単でも、その量は膨大。それらは資料室という名の新人監獄に納められ、研修という名の強制労働を――
「強いられている」
「強いられていません。さて、終わりました?」
資料室に入ってきたツケウは肘にバスケットを抱えていた。机で放心状態のヒトエを見つけ、心配そうに声をかけるも、大丈夫? とは聞かないツケウである。
「は、八割ぐらいです」
怒られるかな? 失望させちゃうかな。
そんな気持ちはあったが正直に答えた。無理なものは無理である。しかし、ツケウはにっこりと笑いかけてくれた。クラッときた。天使のようであった。
垂れウサミミをつけたい。是非つけたい。手元になぜかあったのでつけた!
「初日としては上出来ですね。それではお昼にしましょうか」
「ツケウさーん!」
萎びていたヒトエは一気に活力をみなぎらせ、待ってましたと両手を開いて抱きつきにいった。つまり顔はノーガード。それが仇となった。
笑顔を崩さないツケウは的確なコースを突き、ヒトエの口にサンドイッチを突っ込む。しゃきしゃき野菜にふわふわパンに甘辛いソース。美味しいよぉ、とヒトエはうっとりしている。そこへさらなる追い討ちとして、バスケットから小型のポットと木製のコップを取り出し、湯気立ち上るお茶のようなものを注ぐ。そして蒸せないように注意しつつ飲ませた。
ヒトエにとって初めての味わいだったがとてもホッとする味で、その温もりは疲れた体に染み渡った。もう陥落寸前である。
それでもツケウは手を緩めない。勝負は最後までわからないのだ。バスケットから新たなるサンドイッチ、今度はタマゴサンドっぽいのをヒトエに食べさせ、お茶で流し込ませた。とどめに、トマトに似た野菜が挟んであるジューシーな野菜サンドを食べさせ、お茶を飲ませ、にっこり笑う。
「それでは仕事に戻りましょうか」
垂れウサミミが角に見えた瞬間であった。
休憩時間約五分。ヒトエはがっくりうなだれるしかない。
「頑張って残りを整理します……」
「いえ、次のお仕事は受付を――」
ヒトエの背筋はしゃきんとした。栄養補給がここまで効果的なのであろうか。否、世界一退屈な仕事から解放される、それが重要であるのだ。
「頑張ります! まさかこんなに早く出世するとは思いませんでした」
これだけで後三十分は働ける。ヒトエは午後の仕事に闘志を燃やした。
あからさまな態度にくすりと笑みをこぼしたツケウはヒトエを連れて資料室を出るのだった。