謁見
「え、なにここ?」
扉の先、王様が待っていたそこはヒトエの想像とはかけ離れた部屋であった。まず、ヒトエ達が立っているのはテラスのような半円の場所。それなりの広さはあるので大人二十人程度までならラジオ体操ができるとヒトエは見積もった。
テラスの縁には棘のある植物が巻き付いたようなデザインの白い柵があり、その向こうには暗闇が広がっていた。落ちれば無事ではすまないだろう。高所恐怖症ではないヒトエでも、覗き込むだけでぶるりとした悪寒が体を支配する。
「うわぁ、どこまで続いてるんだろ」
「実は粘着系のセーフネットが張られているから落ちても平気なんだけど、その下まで落ちて戻ってきた人はいないって噂だ」
「意外と物知り~」
誰が意外だ、心外そうにしたオンテは、だから端にはあんまり近寄るなよ、とヒトエを真ん中の方へ連れ戻した。
「ところで王様は?」
何を隠そう、今回の依頼人は王様なのだ。その肝心の王様の姿がなかった。そもそも目の前はでっかい落とし穴だけなので、王様がいるはずもないのだが。でもさっき返事したのにな、と思ったヒトエがソーカに訊ねると、彼女は膝をついて頭を垂れていた。まるで偉い人の前にいるようである。ヒトエが首を傾げると、それをチラリと見たソーカが小さく手で上をの方を指し示した。
「面をあげよ。私がこの城の主、リョク十七世だ。よく来てくれたな、聖女ヒトエよ。そしてソーカは案内ご苦労だった」
「え!? あっ、こんにちはっ」
「ねぎらいの言葉、ありがとうございます」
咄嗟に敬礼するヒトエ。王様は上にいたのだ。さらに言えば宙である。
王様はなにもない空間であぐらをかいていた。どういう原理なのか、驚きながらも目を凝らしてみると、うっすらと魔方陣らしきものが見えた。王様を取り囲むように六枚だ。どうやら魔法で中に人が座れる部屋をつくっているようであった。
さて、その中にいる王様だがまるで炎のようであった。それは内面からにじみ出るオーラ――ではなく服装が炎のようなデザインであった。オレンジが混ざった赤髪もそれを助長している。それを見たヒトエの評価はこうだ。
やば、ダサすぎ。犯罪を自慢するアホぐらいダサい。
口の裏側をそこまで鋭くない八重歯で器用に噛み、痛みと血の味がなければ表情に出てしまっただろう。さすがのヒトエもそこはわきまえた。
ただ、女の子を怪我させる王様の好感度はさらに下がった。底無しにマイナスである。
そんなヒトエの気持ちなど知るはずもない王様はオンテを見て「はて」と顎をさする。
「お前は誰だ? 聖女の同僚、ではなさそうだな。ソーカの仲間か?」
オンテは手を、ソーカは首を横に振った。
「違いますよー」
「えぇ、彼女は私の仲間ではありません」
「そもそもオンテさんも王様が呼んだんでしょ? もらった資料に書いてあったよ。同行者にはオンテを指名するって」
ヒトエはタメ口だったが、王様は気にしない人のようだ。ふむ、と少し思案した後、上を向いて呼び掛けた。
王様の頭上は石造りの天井まで一見してなにもない空間であった。しかし、声に反応したように魔方陣の箱が現れ、王様の隣まで降りてくる。
それはそれはまことに美女であった。知的な顔立ちに宿る山吹色の瞳は澄んでいて、森の木々を思わせる深緑の髪は、かかとまで届きそうである。身に纏う茶色のドレスと相まって、気高き一本の樹木のようであった。
「なんでしょうか、あなた」
そんな彼女であるがちょっと不貞腐れているようだ。ツイと顔を背ける。
「あー、あやつはお前の客じゃないのか?」
「知りません」
恐る恐る訊ねる王様と、つっけんどんな美女。ヒトエの関係を垣間見た。二人は夫婦で、王様は尻に敷かれてるんだろうな、と。
「おっと紹介が遅れたな。彼女は“私がこの世で唯一愛する妻”ヒオだ」
やはり夫婦であった。紹介さた王妃はドレスの端を掴み、くるりと回る。どうやらこれはこの世界における女性の挨拶の一つであるらしい。舞う深緑の髪が靡き、綺麗であり、ヒトエはほぁーと声を漏らす。ちなみに鉄壁スカートであった。
「それで」
止まった後、魔方陣の床にぺたりと座った王妃はヒトエたちを冷たい瞳で見つめる。
「“王様から唯一無二の寵愛”をいただく聖女様はどちら様でしょうか」
「おい、ヒオよ。そんな言い方はないだろう」
「そうでしょうか? 今回の依頼で聖女様のお力が必要となった際、ようやく会えるなとウキウキしてらっしやったのはどなた様でしたっけ」
ヒトエはピンときた。王妃は王様が大好きで嫉妬しているのである。そうとなれば話は早い。
「あの、私が聖女だよ」
ヒトエは手をあげてアピールした。
「へぇ……あなたが――」
次の瞬間、王妃は目を見開いた。
ヒトエは『チューが見たい』というプラカードを持っていたのだ。そして「キッス! キッス! キッス!」とコールで追い討ちをかける。今のヒトエは愛のキューピッドだった。
王妃は「人前で……」と渋るが、ヒトエはコールを続けて聞く耳を持たない。持つ必要などないのだ。
王妃は困ったように王様を見る。彼もまた戸惑っている様子であった。しかし、ヒトエの執拗なまでのコールに顔をキリッとさせ、王妃を見た。それはまさに情熱の炎と化していた。
「するぞ」
そう宣言するなり、魔方陣の部屋を動かして連結させる。そして王妃の部屋に乗り込み肩を掴んだ。
ヒトエのコールだけが響く。
王様の力強い行為に、王妃はキツかったその表情を緩めて目をつむった。王様は顔を傾けて唇を近づけていく。
それはほんの数秒の、でも愛情のこもった優しい口づけであった。
煽っていたヒトエもひゃーっと手で顔を隠す。指を開いて目は隠さないが。
顔を離した二人は甘い表情で見つめ会う。ヒトエのカメラはそれも逃さない。もちろん少し前の決定的瞬間も逃さなかった。
「で、貴様はなにをやっている?」
そんなヒトエの首筋に剣が添えられる。ヒトエが呆気なく背後を取られるのは人生で二度目であった。彼女は感覚が鋭敏で、気配を捉えるのが上手いのに、それを掻い潜るとはただ者ではない。
首だけを動かして振り向く。さこには全身を漆黒の鎧で覆った騎士がもの凄い圧力を放ち、立っていた。
「もう一度問おう。貴様は何をしているんだ」
ヒトエは本能で悟った。この男には武力では敵わない。たとえチート能力を持ってしてもだ。それほどの実力を肌で感じ取れたのであった。




