のり
城下に広がる石造りの町リグンにあるギルド。その会議室でギルドマスターのタマスは鼻歌まじりに飾りつけを行っていた。
入り口正面から見える壁には大きな紙が貼り付けられており、黒スライムの墨で【ヒトエ歓迎会】と荒々しく書かれている。字が汚すぎてヒトエは読めないことだろう。これを書いたのもまたタマスである。
あれほどまで強制的にヒトエを追い出したのはこの歓迎会の為だった。サプライズで驚かせるのだ。
新入職員のため、毎度行っている行事で全職員が一丸となって事に当たる。タマスは飾りつけ担当な訳だ。他にも料理上手な職員がご馳走をこしらえていたりする。
とは言っても、ギルドは基本的に年中無休であり歓迎会があるからといって閉めるわけにはいかない。だから表では通常業務もこなしている。タマスが広い会議室を一人で飾りつけているのはそういった理由であり、苛めを受けているわけではないのだ。ギルドの仕事よりは楽なのでサボりの一種であることは否定できないが。
「よぉし、どうだ……こっちの方をもっとキラキラさせた方が見映えがいいか」
余計なこだわりをみせるタマスである。脚立に乗った彼は白スライムののりを使い、銀粉を吹き付けた紙で作ったお手製の輪っかを石壁に貼りつけた。上体を反らし、出来映えを確認しようとしたところ、
「タマスさん!」
「うおっ!?」
血相を変えたチョデが乱暴に扉を開け放った。突然の事に驚いたタマスは脚立から落ちたが、受け身をとったのでダメージはほとんどない。
「なに寝てるんですか緊急事態ですよ!」
お前のせいで落ちたんだ、と文句を言いたかったが、緊急事態と聞いては後回しだ。
「何事だ?」
「ヒトエが戻ってきたんです!」
真剣に訊ねれば何てことのない返答だった。たしかに予定より大分早い帰還だが驚くことはない。ヒトエの実力の片鱗を見た者であればラモビフトなど簡単に片付けられるとわかるだろう。ツケウが時間稼ぎに失敗していることが気にかかったが、ヒトエの自由奔放さを考えれば、仕方のないことだろうと思えた。
何はともあれ、会議室と料理を隠し通せばいいだけのこと。ポーカーフェイスはギルド職員ならぜひ習得すべき技能なんだから練習にちょうどいいとも言える。血相を変えるような事態ではないのだ。
「どうやら操られているらしくて暴れてるんです!」
「馬鹿か! それを早く言えッ!」
タマスも血相を変えて一階に降りた。手には木刀。チョデの話では死霊とは化してないそうなのでそれで十分だと判断したのだ。ソーカもチョデの顔面への一発で目が覚めたのだからヒトエも同じだろう、と。最悪、両手両足をへし折れば止まるはずなのだ。
そう考えたタマスの目に写ったのは広いフロアにあちこち転がされている職員や冒険者たちの姿だった。その多くが両手足を透明な紐のようなもので縛られており、行動不能に陥っている。口に布を巻かれて喋れないようにもされていた。武器も落ちていることからして戦って負けたのだろう。
「くそっ、いねぇぞ!」
しかし、肝心のヒトエの姿が見当たらない。逃げたのか、潜んでいるのか。しんとした室内には音も気配もない。倒れている人達に問いただそうかとも思ったが、すぐに思い止まった。それは得策ではない、と。
しかし、チョデはそれがわからなかったようだ。
「タマスさん、みんなを解放しないと」
「やめとけ。明らか罠だろ。目を凝らしてみろ」
よく見ればわかるだろう。部屋には彼らの手足を縛る透明の帯状のヒモが張り巡らされていた。見たことのない代物だが、タマスの勘はあれに触れるのは避けるべきと告げていた。
「こんなの払っちゃえばいいじゃないですか」
「やめ――」
今度は止める間もなかった。チョデは木刀で打ち払ってしまう。すると払われたはずの透明な紐が木刀にくっついてきた。振っても振っても余計に絡まるばかり。
「なんだよ、これ!」
「おそらく、紐に白スライムののりがついてるんだろう」
初めて見る道具だ、とタマスは感心した。木刀には効果がほぼ無いが、刃物類に巻き付ければ切れ味は激減するだろう。剥がそうにも、のりのせいで手間取るため容易にはいかない。
「こんな隠し球を持っていたとはな」
「感心してないで、どうにかしてくださいよー!」
「ほっとけ、殴るには邪魔になんねぇだろ」
「うぇー、なんかむず痒いなぁ」
紐でテカテカ光る木刀に顔をしかめたが、チョデは剥がすのを諦めた。
「で、ヒトエのやつどこに――うわっ!?」
突然、部屋から日光が失われた。窓に暗幕が張られたらしい。しかし、部屋は暗闇には包まれていなかった。部屋中に走る淡い緑の線。タマスがそれに気づいたときには遅かった。
チョデの「ぐえっ」という情けない叫びと同時にタマスの体になにかが巻き付く。しかし、タマスは力で引きちぎってその場から離脱し窓の方へ懐に忍ばせていたナイフを投げた。
切り裂かれる暗幕。部屋に再び日光が注ぐと、透明な紐で木刀ごとぐるぐる巻きにされて床に転がっているチョデの姿があった。あの紐には暗闇で光る性質があったらしい。
戦闘スタイル、身のこなし、扱う道具、何もかもが異端でタマスはこう言わざるを得なかった。
「本当に何者なんだよ、お前は……」
そんなタマスの視線の先、部屋の中央でヒトエは膝をついていた。目が虚ろな彼女は体力をかなり消耗しているらしく、肩を大きく上下させている。
好機か、はたまた罠か。だが、また隠れられたら厄介であるし、本当に疲れているのにみすみす体力を回復させてしまったら滑稽だ。
だからタマスは仕掛けるしかなかった。
「手荒くいくが勘弁してくれな!」
木刀は得意とする獲物ではないが、タマスの放った上から降り下ろす幹竹割りは生半可な魔物であれば余裕で葬れる一撃だった。だからこそ、狙いは肩口。頭に当たれば無事では済まないだろう。
しかし、そんな心配は無用だった。ヒトエは持ち前のスピードでバックステップし余裕をもって回避した。
「逃すか!」
タマスはそこへ追撃を仕掛けるべく、一歩踏み出そうとしたところで足元に違和感を覚えた。何かある。それは黒い棒状のなにかだった。タマスはそれがヒトエがおまじないをするときに使うインクペンの一種だと気づく。そして死霊を転ばせたのをその目で見ている。
だが、そんなことはタマスには関係なかった。思いっきり踏みつけた。バキリと音をたててペンは呆気なく砕けた。こうすれば転ぶことはないんだよ、と笑みを浮かべ、ヒトエとの距離をさらに縮めるべく反対の足をつき出す。そこにもペンがあったが踏み砕いた。
後ろへ逃げに逃げたヒトエは壁を背にしている。左右へ逃れることをタマスが許さなかったのだ。どちらへ動いても打ちつけれる、タマスにもそんな自信があった。そして唯一の逃げ道である背後に空間はない。
「これで終いだ! 歯を食いしばれ!」
最後の一歩を踏み出そうとして、踏み出せなかった。足の裏に変な感触がある。
「まさか、ペンにのりを仕込んでやがったのか!」
即座に理解したタマスは力任せに引き剥がすとなんとか脱出に成功する。しかし、そこまでだった。
べりりーっと聞きなれない音がしたかと思えば、空中で自らの体を紐が何周もしていた。その輪っかは徐々に狭くなっている。回避不能な状況だ。なら巻き付いたところで引きちぎればいいのだが、それも無理そうであった。ヒトエの使った紐は先ほどの透明なものよりも強靭そうな茶色く横幅のある紐だったのだから。
「くそっ」
床に転がされたタマスは暴れてみたもののやはり引きちぎれそうになかった。
そして見上げると体は疲れのシグナルを出しているのに虚ろで無表情なヒトエが見下ろしていた。
「俺らを死霊にするつもりか」
問いかけにヒトエは答えない。代わりに手を振り上げた。
万事休すかと思われたその時、ぴろろりん、という聞きなれない不気味な音が響いた。そして続けざまに抑揚のない無感情な声が喋り出した。
『ヒトエは小四の時にホラー番組を見てトイレに行けなくなり、翌日うっかりおねしょした』
「ちょおおおぉぉぉぉぉっっっいっっっ!」
突然、ヒトエの目に生気が戻っかと思えば、慌てていつも使っている板を取り出して、なにやら弄りはじめた。訳がわからず困惑するタマスは取り合えず正気に戻ったのか訊ねることにした。
「お前、元に戻ったのか?」
「お陰さまで」
顔が真っ赤である。
どうやって戻ったのか聞いたところら、ヒトエは思案した後、手に収まっている板を振ってみせた。
「これはスマホって言う機械で、指定した文章を音読する機能がついてるの。操りを解除するのは衝撃でいいってソーカさんが証明してくれたでしょ? だから恥ずかしい過去の秘密を暴露する衝撃で目を覚ましたってわけ。あらかじめ設定しておいてよかったけど、よくないよ。さっきの忘れてね」
「あ、あぁ」
さっきの暴露の中に知らない単語がいくつか混ざっていたが、大きくなってからのおねしょだということは理解できたタマス。それを忘れなければ大変なことになるだろう。
「それはそうとヒトエ、あらかじめって言ってたが操られることがわかってたのか?」
そうであれば犯人に目星がついたという可能性が高い。
そしてヒトエの答えは肯定であった。
「うん、可能性があるってわかってた。犯人は雰囲気さんだよ? ふいんきだっけ?」
「まさか、フィンキーか?」
「そう、それそれ。ツケウさんとソーカさんも操られちゃったみたい。
二人が戻ってきてなんかふいんきを縛ってて、『捕まえましたよ』って普通に接してきたから騙されちゃった。精神抵抗+01を過信しちゃってたってのもあるけど」
「二人も操られてんのか!」
ヒトエは「そうだよ」と言ってにっこりと笑った。笑ってるが怒っていた。誰が見ても怒っていた。
「まぁ、彼の能力のタネは精神抵抗が少しある状態で操られたおかげでわかったからね」
ヒトエはタマスに巻き付く紐、ガムテープを勢いよく剥がすと、笑うのを止めた。
「それじゃ、捕まえに行こっか」
その真剣な眼差しにタマスは事件の解決を予感した。そして腕がひりひりしたのだった。